第2話 井戸の奇跡
クリスは公爵の城で意識を取り戻した。どうしてここにいるのかは記憶にないが、すぐにカーター伯爵の安否を聞く。カーターの城に賊が侵入したのは知れ渡っていた。三日前だと言う。騎士団長死神セドリック、副騎士団長にして隠密部隊の長レーベン、伯爵の右腕・家宰ガーランドが死亡。カーターとその娘は無事。なぜか公爵と伯爵の間で紛争のあった土地の所有が公爵側で解決したと言う。三日ほど意識が戻らなかったのだと、その時にクリスは自分の状態を知った。
ソフィは怒っていた。
「セバリス。クリスはなんで死にかけたのですか?」
三日間、どれほど心配したか。
ソフィの呼ばれた一室、部屋の中には二人だけ。ソフィの視線は厳しくセバリスに注がれている。
「ははっ。ご察しの通り、愚かなるカーター卿めが暗殺を企て、その報復に行ったものと……」
「報復ですって?そのための技術を教えたのはあなたね?」
「いかにも。ソフィ様にはこの先どのような危険があるや、分かりません。庶子であるクリス様には正当な血を守護し、盾になる義務が御座います。そのために……」
「黙りなさい、あの子が何歳か分かっているのですか」
これまでのソフィとは違う厳しい雰囲気だ。
「そもそもあなたは何者なの?何が目的でこの屋敷にいるの?」
不思議な質問。今までそんなことを聞かれたことなど無い。この家の執事。当たり前のことだ。聞く必要もないだろうに。だが、その質問にセバリスの雰囲気も変わる。
「公爵の正当な血を守り、楯となる存在です」
「分かりました。その件はおいおい聞くとしましょう」
魔人だ。この男は執事に化けた魔人。ソフィはそう思った。400年前、ソフィは魔人と何度も戦っている。魔王を倒した勇者マルスのパーティーの一員として。
その気配を恐怖と共にわずかに感じた。
今この男に本性を顕されては困る。
◇◇◇
王都の図書館には勇者関連の本がたくさんあった。400年の昔、勇者マルスは魔王と死闘を繰り広げ、その果てに倒したと。彼はその過程で多くの民衆を助け、魔王の右腕と呼ばれる魔人に苦戦し、それでも勇者の力で勝ったのだと。
勇者マルス。彼にまつわる話は多くの文献に詳細に残っており、しかしそのどれもがウソだった。
そもそも彼は魔王を倒していない。人助けもそれほどはしていないし、魔王の右腕などというのもいない。
とはいえ、勇者マルスのパーティーは実在したし、魔王城で戦ったのも事実だ。知られていないが魔王は四人いた。至高の四柱とか言う存在でまあ、いわゆる四天王だ。そして彼ら四天王を従えていたのが魔神大帝だ。マルスのパーティーは四柱の誰とも戦っていない。だが魔王の死は見た。より正確には魔王の死体。
四柱が一柱にして南の魔王、赤のネプラカーン。炎の魔女であり四柱最強の魔王だった。彼女は魔神大帝の皇太子、シグルドとアウレリアの戦いに乱入し、激昂したシグルドに殺されたのだ。
ネプラカーンの攻撃で致命傷を負ったアウレリアは転生の秘術を使い、秘術を使うとほぼ同時に息絶えた。
そうだ、シグルドだ。少年ではあったが魔神大帝の皇太子は四柱の魔王より強く、聡明で優しさもあり魔人たちの未来を本気で考えていた。だから彼を通じた和解の道を探ったのだった。マルスたちは魔人との和解を理解しなかった。マルスは正直で正義感が強く、それだけに思い込んだら修正できない性質だった。
マルスにとって魔人や魔王は和解の相手にはなり得ない。戦って倒すしか解決方法は無いのだ。仮に魔人のほうには戦う意思がなかったとしてもだ。
マルスが分別に欠けた人間だったわけではない。マルスは勇者としての期待を一身に背負い、そこから決して逃げようとしなかった。その過程はマルスにとって大きな精神負担にもなっていたし、そこを乗り越えることも試練の一つになっていた。そして乗り越えた。魔物たちとの飽くなき戦いの果てに。魔物との死闘の中で、人間の死もたくさん見た。魔王さえいなければ、誰も死ぬことは無かったのだ。勇者マルスの目的は一つ。揺るぐことなどもはや無い。
アウレリアと道をたがえたマルスたちだったが、彼らは彼らの信念で魔王城に辿り着いた。
そこにあったのは魔王ネプラカーンの死体、そして聖女アウレリアの遺体だった。
魔王を倒した勇者マルス。彼自身は信念の人であり正直な人間だ。彼の報告を歪曲し、より勇者らしく脚色したのは王家の人間と貴族たちだ。勇者を膝下に敷く我らこそ唯一無二の正統な王なのだと。そう宣言するために。
ソフィは公爵領を離れ王都に戻ると毎日長時間、王立図書館で過ごした。マルスやその仲間、魔人に関する書籍を読み漁る。セバリスはきっと魔人だ。だが敵意ある魔人ではない。
その証拠にずっと仕えてくれた。だから関係性に影響を及ぼすような質問は出来ない。きっかけが無いのなら、彼は依然として公爵家の執事のままでいてくれるのだろう。
だが忘れられない一言もある。「お前、記憶が戻ったのか?」
セバリスはソフィのことを決してお前などと呼ばない。それはセバリスとソフィという関係ではない全く別の関係性の存在を示唆する言葉なのだ。
セバリスが魔人だとして、その上でアウレリアを知る存在と推測できる。それは400年前を知っていることと同じ意味だ。さらにアウレリアとソフィを結び付けている。アウレリアの魂が転生した存在だと、ソフィのことを思っているのだ。敵意はないにしてもかつての魔王軍の幹部か何かではないか。セバリスの正体、そしてこの家の執事でいる目的を知りたい。
書籍で一致するのはマルスが魔王を倒したこと、そして魔人は一人残らず滅亡したことだ。勇者の物語の主人公であるマルスの記述でさえ真実ではない。今に残る歴史の記録は王家と貴族の都合で改竄されたものばかりだ。王立図書館にも真実を記録したものは無い。ソフィはため息をついた。
だが、ふと思い当たる。アイシス教皇領聖教国の図書館なら何か分かるかもしれない。王族の都合と言った概念からは遠い国だ。とはいえ、おいそれといけない。アイシス教皇領聖教国。400年前には存在しなかった国。だが彼らの信仰するアイシス神は、いや正しくはアイシス神信仰は400年前から存在した。
人間と魔人はその昔、同じ存在であり、いつからか分岐してったのだと、だから魔人であっても本質では分かりあえる存在とする考え方。彼らの信仰対象は人間と魔人に分かれる前の存在だ。
それが人間の勇者により魔王が倒され、教団は一般人から弾圧された。弾圧から逃げに逃げて聖地への回帰を目指した。その地が今のアイシス教皇領聖教国だ。通称アイシス領と呼ばれる。
王国に隣接するゲルニア帝国は建国を許可した。許可というか、どちらかと言えば後ろ盾となった。弾圧はかえって教徒の団結を強くする。それよりは懐柔。そう考えての判断だったのかもしれない。
一方で元は帝国皇帝の弟によって建国された国であるオレルネイア王国は、勇者を輩出したこともあり、アイシス教を異端と断じた。帝国とは逆の対応である。代替わりのたびに関係改善を図ってきたので、建国時ほど険悪ではないものの、外交関係は必要最低限のレベルだ。
このような事情によって入国は実質不可能。またこれはあくまで精神的な問題にすぎないのだが、彼らの信仰では、聖女は悪神の化身とされている。殺しても定期的に復活し、その都度災禍を振りまきにやってくると言う。
行けないし行きたくない。いっそセバリスに聞いてみようか。
それが最善に思えた。どうせセバリスは正体が何であろうと、執事に徹しているのだ。一方でこうも思い直す。正直に聞いてみるのが最善ではないかと。
だが、そこまでの決断が出来かねるのは400年前に魔人たちを殺し、また彼らに殺されているからだ。
そのことに恐怖を覚える。だからと言って恐怖のまま日々をこれから過ごしていくのはもっと恐ろしい。どこかで打開したい。そんな折、馬で半日ほどの村で疫病が流行っていると聞いた。
疫病はあっという間に広がり、治癒も容易ではなく、これまでも大都市が一月持たずに死の都になった前例がいくつもある。だからすぐにその村との往来は禁じられ、厳重な警備が立つようになった。だが、警備兵も村に近い位置にいるものほどバタバタ倒れているらしい。顔が真黄色になる奇病だと言う。
ソフィはその病を知っていた。必要な薬草も知っているが、渓谷にあって普通は取れない。その薬草を飲んだことのある彼女は土の精霊との契約を神聖魔法で行使し、その効能を持った聖水を作ることが出来た。
◇◇◇
400年前にあった恐ろしい疫病だ。感染力が高く、高熱が一週間続き、その際に9割以上が死ぬ。今いくしかない。神聖魔法は今の世では失われている。できるかどうか。わずか半日の距離。行って試すのみだ。やらなければ村人の9割が死ぬ。見殺しには出来ない。目くらましの魔法で王都を出て村に近づく。そこでもやはり目くらましの魔法だ。
誰にみられることなく村に入り井戸に近づく。
「誰じゃ」
老婆の元と思しき声。
「井戸に毒を盛りに来たか。たわけがっ」
突きたてられた小刀が肩口に突き刺さる。ソフィは呻き声をかみ殺した。
「んくッ」
ソフィは老婆の手を押さえ、その顔を直視する。
「あ、あなた、目が……」
「女か、だが死んでもらうぞ。この村を滅ぼすことなど出来ぬ」
老婆は目が不自由なようだ。もとより見えぬものがさらに見えがたくなったところでどれほどの違いがあろうか。気配を読まれたのか。
「ま、待って下さい。私はこの村を救う方法を知っているのです」
「ウソじゃ、騙されんぞ」
「ウ、ウソじゃない……」
老婆の身体が火のように熱い。彼女もまた疫病に冒されているのだ。
ソフィは精霊の祈りを念じる。神聖魔法。
「む、これは……」
倦怠感、高熱、くるしさ、それらが体から消え失せた。
「そ、そなた、いったい……」
「私は旅の巫女です……。疫病の村と聞いて……」
老婆の手のひらに熱い感触と血の臭い。彼女に肩口から血が流れ続けているのだ。
「し、信じて……」
見えないだけに見える。言葉や漏れる息遣いにさえ混じり込む真偽の気配。この女の言葉にウソはない。ソフィの必死に老婆の警戒に変化が生じる。
「どうすれば……」
「井戸に祈りを捧げます。あなたに捧げた祈りです。その水をみんなに飲ませて下さい」
「じゃが、毒ではないと言う証拠は……」
「あなたは命をかけてここにいます。ならあなたが最初に飲んでください」
旅の巫女とやらは名を告げずに去った。果たして村は救われた。老婆の言うことは信じがたくはあったが、彼女は村の最長老。誠実で知られる偉大な長だ。疑いを口にするものはいなかった。




