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第19話 惑う相克

本日より朝7時10分、夜21時10分の二回投稿にてお届けいたします。引き続きソフィたちの歩みを見守って頂けますようお願いします。よろしくお願い致します。

 食事を終え、二人は庭に出た。午前中は素振りだ。呼吸を整えながら剣気を練るのだと言う。水が流れるような自然な振りを目指すのだ。重力を感じて逆らわず、追い越さず、その重力が掌で包めてしまうほどの自然な縦の素振り。力が適度に抜かれていなければならない。目指すところは全身が流体になったかのような脱力。無駄な力を入れずに何度も何度も素振りの練習。年配の使用人たちが見に来ている。

 感慨深そうな表情。公爵は手を止めて見守る彼らを何一つとがめない。


 クタクタになっても稽古というか、その単純な作業は続いた。昼も一緒に食事をとり、午後は公爵は公務に出かけたので、ミネルヴァは一人で素振りを続けた。


 休憩時間になると召使の一人が飲み物とクッキーを持ってきてくれた。そして彼女は周囲に聞かれないように小さな声で言った。

「失礼と思いますが、教えて下さい。ミネルヴァさまは公爵様の許嫁ですか?」

「ぶはッ」


「……。今お拭き致します」

「あたしはただ剣の修業に……」

 若い召使は白くて細い。年も近いように思う。きれいな子だと思った。


「この話をしてもめったなことを言うなと窘められるばかりです。でもベテランの召使の対応は明らかに他の人とは違います。公爵様に対するのと同じ、主人に対するものなのです。公爵様だって」

 召使は目に涙を浮かべている。


「あたしはそうじゃないのです。きっと誰かと間違われている。そう思うと怖くて怖くて、昨日の夜吐いたのだって、それが原因なのです」

 ミネルヴァは正直に言った。そして言葉を重ねる。


「公爵様は家の者たちから慕われていらっしゃるんですね」

「誤解なさらないで下さい。もしミネルヴァさまが公爵様の許嫁なら、奥様なら、奥様にお仕えすることに、これに勝る名誉と誇りは無いのです。でも知りもせずお仕えするなど……いやなのです。私たちは公爵様や奥様に危険があれば命に代えて守る心構えですので」


 その瞳に迷いは感じられない。


 若い召使にこうまで言わせるのだ。公爵の人柄がこの点からも知れるようだ。

 そうだ。噂など当てにならない。

 自分の目で見てこそだ。そしてやりぬいていないことも、その結果どうなるかなんてわかりはしない。やりぬけば分かる。やり抜け。


 人体の70%は水だ。水の流れは剣の理想を描く。流体のように、自然に。剣がようやく冴えはじめる。情熱の剣は今ようやく適度な脱力を伴った。覚悟を持てば焦りはなくなり、失せていく焦りとともに迷いも消える。


 迷いを捨てた力みのない剣だ。日が暮れても素振りの音が聞こえた。


 翌日から分かったのだが、公爵は多忙でほとんど帝都と行ったり来たりで、あまり邸宅にいない。

 ミネルヴァは言われた素振りを続けた。たとえ雨の日でも。召使が風邪をひくと諌めたが、その召使に自分の肌を触らせて言う。


「熱いでしょ?あたしは燃えているのです」

 ぬかるみではしっかり踏ん張れ。腰を落として足元を浮かすな

 公爵様の言いつけを守り、素振りに励む。


 バシュッ。水が爆ぜる。振り切った木剣がしっかりと止まった残身のその瞬間、ミネルヴァの肉体を覆う雨滴が爆ぜるのだ。あたかも音速を超えた瞬間のソニックブームのように。

 一週間、素振りを続けた朝、公爵が戻っていた。前と同じように一緒に食事を用意する。手際よく給仕をするのはあの若い召使だ。

 なんだか生き生きとしている。


「ミネルヴァ、少し稽古の成果を見せてもらえるか?」

 朝食が済むと、練兵場で木剣を用意する。


「これを使え」

「これは……」

 秘宝ともいうべき七龍剣。世界に一つ、ドラゴンスレイヤーだ。

 頷いて受け取る。


 あたしの剣は迷いなき剣。迷わない、躊躇わない、怯まない。


 だから真っ直ぐでなくてはならない。僅かであっても軌道が曲がってはならないのだ。もう手に持つ剣が七龍剣であることを忘れている。

 ただ目の前の空間の最短距離を剣でなぞる。なぞるだけ。斬ることさえしない。なぞるのだ。最短を。


 雷鳴の音が聞こえた。小さい音だが雷鳴だ。

「いい振りだ。横斬りはどうだ?」


 言われてやってみると、へろっとしたしょうも無い剣筋だった。

「重力の方向が違うから感覚が変わる。剣など肉体の延長に過ぎない。縦では意識していなかったものを横で意識している。それを雑念と言う」


 むう……。

 口惜しそうなミネルヴァに公爵は優しく言った。


「その剣を一週間預ける。壊すなよ」

 そして一週間、さらに一週間。気づけば一月。もう期限だ。


 その日、二人は対峙した。木剣による試合だ。防具をつけている。さすがは公爵家の防具だ、驚くほど軽い。手に持った時は重いと思ったが身に付けるとそうでもない。いや普通の重さか。でも軽く感じる。


 公爵は容赦なく打ち込んできた。速い。でも受けれるし、受け流すことも出来る。軌道が良く見える。

 見えるのだ。まるで一つ先の動作まで見えるようだ。


 脚が軽い。下半身は一回り大きくなっており、力強い。猛禽の握力で大地を掴み絞めるかのようだ。連日の素振りは足腰を鍛え、上半身から余分な力を殺いでいた。


 もともと剣の技能に長けていたミネルヴァだ。上半身に残る余分な力を減らし、下半身に力強さを蓄えることで飛躍的に振りも体捌きも速度を増している。

 バリッ


 雷鳴の一撃。その一撃は寸前で真っ向から剣を合わせられる。腕の力は関係ない。剣の速度、そしていかに地面に垂直に向かうか、その角度。腰が落ちていなければ角度はつかない。剣の柄が、それを握るミネルヴァの両手からもぎとられたように真上に刎ね上がった。そのまま上空に舞って、やがてくるくると落下する。

 ミネルヴァの剣筋にイグナスが自分の剣筋を合わせたのだ。両者の力は「人」の字の形に合わさり、押し合う。腕力だけではない。速度と角度、そしてそれを支える体幹。基礎修練で積み重ねたものの差が勝敗を分けるのだ。この刹那の一撃、敗れた方の剣の柄を握る手には、テコの原理の作用がのしかかる。



 呆然とするミネルヴァ。だが公爵は優しく言った。

「魂の宿った素晴らしい剣でした。お前に授けた剣技は竜の剣。アリオンに伝えたティタノマキアなどとは比べ物にならない実戦用の至高の剣技だ。武大にもどっても稽古を怠るな」


 ミネルヴァは膝をついた。涙がとめどなく。

「ありがとうございましたあッ」


 休学明けのミネルヴァの剣、それは最短を体現した剣だ。最短を最速で。最短を最速は天駆ける雷鳴の剣。彼女が剣を振れば大気が裂ける音がした。雷鳴を轟かせて長い黒髪がたなびく彼女の姿は見るものを魅了した。


 その彼女の必殺剣、「一拍子雷斬り」は伝説の剣技として後世でも有名だ。


 後世には以下のように語り継がれる。複数の歴史家によって一つか二つか逸話の混同、または錯誤による前後の取り違えが指摘されているが、その内容とはこの剣技が、剣聖イグナスが剣姫に授けたとされ、また竜姫が剣聖に授けたとされる無敵の剣技である、というものだ。


 ◇◇◇


 悩める天才がここにも一人。魔学の生徒会長室でメリッサがため息をつく。新学期の挨拶の言葉通り、魔学は最盛期を迎えたように思う。

 魔術の学府に往来は増え、先日もどこだったかの魔法学校と提携した。理事長先生と若い先生の二人が幼い子供向けに教えている学校なのだそうだ。


 貴族の子供だけでなく、平民の子供にも教えており、二人の先生はとても子供たちに好かれているらしい。


 テオドラも以前よりずっと良く笑うようになった。見るといつも笑顔だ。メリッサは以前ほど彼女にテオドラを構っていない。

 以前ほど彼女に構わなくなったのはクリスがいるからだ。左腕の動かなくなった彼女をよく面倒見ている。


 クリスは素晴らしい人間だ。それがよく分かる。どういうわけかテオドラは滅多に転ぶことがなくなっている。

 テオドラが一人いるところを見かけたメリッサは、そのことを聞いた。

「重力魔法。クリスに教えてもらったの」


 文献でならメリッサも知っている。竜種の上位種や魔人の貴族がつかったとされる魔法だ。

「レベルにするといくつなの?」

「たぶんない。人間は使ったことがないし、詠唱の呪文もないから」


 そうなのか。人間は魔法を解析し、呪文にして使う。

 使ったこともないから分類わけもされていないのだ。それにしてもそんな魔法を教える人間もいれば、教わって使える人間もいるのだ。


 ため息をつくと、テオドラが続けた。

「あの、クリスね、メリッサと話したいんだって。機会をみてセッティングするよう頼まれているの。でもあたしは同席するな、だって。失礼だよね。あ、全部いっちゃった。ね、いいかな?」

「わ、私はいいけど?でもなんで自分で言わないんだろ?」


「うん……。なんか避けられている気がするんだって……」

「あ……」

 心当たりならある。


 高い志をもって新学期に望んだ自分が、圧倒的存在を前にし、委縮した自信の無い表情を見られたくないのだ。嫉妬もあるかもしれない。自分によくなついていた後輩のフレデリカもいまはやたらとクリスと仲良くしている。


 二人の仲良さそうな様子に胸がツンと痛くなったのも事実だ。


 自分の悪いところ、直さなくちゃならないところ、それにクリスのいいところだって、現実だって、全部わかっているのだ。分かっているのに、どうしようもない。


 誰かすごい権力者がやってきて、この歪んだ状況を強制的に是正してくれたらいいのに!


「私と紅茶なんか飲んで、美味しいの?」

「可愛い子と飲むお茶は最高においしいね」

 場をセッティングしてもらい、メリッサはクリスとふたり、テーブルに向いあってぎこちない会話をした。たまにカタカタ音がするのはカップとソーサーの触れ合う音だ。小刻みに。それは双方から鳴っている。


「は?先輩に対して失礼でしょ、それ」

 顔が赤い。テレを隠すように会話を急く。

「で、なんか用なの?」

 ああ、言い方が良くない。なんでこんな言い方


 負い目が目線まで外させる。

 悪循環だ……。

 クリスは頑張ろうとしている。それは分かった。


「メリッサ、なんか悩んでるでしょ?手伝いたいんだ」

「あら、嬉しい。でもそんな暇あったら、自分の事したら?魔学の本質は自己の努力、研鑽、研究よ」


 ああ、ホント、何を言っているのだろう……。


「メリッサ、君はボクが嫌いなの?」

 あ……


「キライじゃ、ない」

 もう限界だ。

 何を言っているかもわからないし、この先何を言い出すかもわからない。席を立って逃げた。


 逃げる先があるなら逃げるべきだ。逃げることは問題を先送りにするだけだと分かったふうに言うやつもいる。今逃げたら、次も逃げるんだと。

 逃げ続けてひと時でも問題が躱せるなら、それでもいいじゃないか。少なくとも、それでいいとする人もいれば、それでいいとする状況もあるのだ。


 とにかく私は逃げる。しかし問題の方が追いかけてきた。問題から逃げて問題の方から追いかけられる。そんなことはよくあるし、そしてそんな時はたいてい追いつかれるのだ。

「メリッサ。君らしくないよ」


「何よ、私らしいって?言ってみてよ!」

 キッ……!

 突如火勢を増した赤い気炎。


「逃げない。負けようが、打ちひしがれようが。それが君だ」

 さすがに絶句した。感情が渋滞する。


 そうだ、きっとこいつはバカなのだ。この状況で何を断言しているのか。

 怒りも悔しさも悲しみも。渋滞して停滞する。そこにあるのは混乱だ。


「私、金星の魔法を研究しているの。手伝えるの?」

 混乱の中、メリッサは本題だけを慎重に選び取った。


「金星は星空の神秘だ。メリッサにふさわしいよ。手伝わせて」

 やめろ、バカが感染する。


 だが結局メリッサはその申し出を受け入れた。一連の会話の中に受け入れる余地は十分あったからだ。

 こいつはいいやつだ。自分のさっきまでの態度がひどく子供じみたものに思えた。恥ずかしい。


 その後、二人は日々一緒に研究と練習を重ねた。テオドラやフレデリカもたまに顔を出す。王国、いや大陸における魔術の最高学府、あるいは総本山。いにしえの魔法の地は過去のどの時代よりも、

 いま、もっとも高度で情熱的だった。


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