第16話 娼婦の子、女神の子
ソフィにだけ分かる魔力の波動。ソフィたちが舞い降りると、テオドラは頭から血を流して倒れていた。
「お願い、その子を救って」
必死の声。樹が叫んでいる。大木、この大きさならかなりの樹齢だろう。
しかし大地に太く根を張り、幹の表皮も枝から伸びる葉も若木のように生き生きとした立派な木だ。
「ええ、安心して、もう大丈夫」
ソフィが回復魔法をかける。400年前、魔王ネプラカーンと単独で戦った聖女の力は記憶と共に蘇っていた。その魔力は多少の怪我など無かったことにさえ容易に出来る。
「大丈夫?テオドラ……。どこか不自由なところがあるんじゃないの?」
回復魔法で完全回復した。だが代償にした部分は戻らない。
「ええ、ちょっと左手が動かなくなって、バランスを失って転んじゃったの。それで頭を打ったみたいで」
そばに大きな石が転がり、血痕がついている。
「アウレリア……あなたが世界を……ありがとう」
霊樹が誰に言うでもなく声を発し、後は話すことも語ることも無かった。
「きっと街は大混乱ね」
竜がでた。正規軍への出動要請がなされたはずだ。どうしようかと迷っていたところ、そこへアリオンとイグナスがやってきた。
「早かったね」
ワイバーンのドラはその場にいる。もう隠す気もない。
「本物か、驚いたな」
イグナスの溜息。竜石の反応はこれか……。
「テオドラ、大丈夫?」
アリオンが駆け寄る。
「アリオンも来てくれたんだ、だ、大丈夫だよ」
大分疲労しているように見える。
その様子に決断したソフィが顔を上げた。
「アリオン、あなたに借りを作りたい。受けてくれる」
「もちろん。何でも言って」
安請け合い。でも兄のイグナスは知っている。弟は約束を破らない。それに慎重で賢明な男だ。
彼は短時間でソフィの人柄を看破した。決して出来ない要求をする人間ではないと。
そしてあの様子から、出来はするけど困難な頼みをしたいのだ。
ならば何も聞かずに頷くのが男と言う者だろう。
我が弟ながら……。
嬉しくなる。
「このワイバーンはゲルニア帝国皇太子のワイバーン。友人の窮地に駆けつけるにはこれしか方法が無かった。証人はマケドニア公とディムランタン公子息に公女。これで話をあわせてくれる?」
「いいよ。それでいこう」
国際問題だ。軍隊が動いたはずだ。かなりの問題になる。
それでもアリオンは爽やかに言い切った。
「きっと大丈夫、あたしのひいおばあちゃんが学院長のアレクシア先生なの。ひいおばあちゃんに相談しましょ」
テオドラが言った。
「それなら事前に早馬だ。俺が行く」
シグナスが愛馬キザラ・ニグナとともに出た。
そのしばらく後、警戒態勢が解かれた学院裏にワイバーンが降り立った。
テオドラは全てをアレクシアに報告した。
アウレリアの生まれの地は忘れられた霊樹だったこと。霊樹の中に魔人がいて、彼女と人間の間に生まれた子がアウレリアであること。今も魔人と霊樹が魔脈を守っていること。霊樹が枯れれば魔力が失われソーサリィカラミティが発生すること。左手が動かなくなったこと。
「でもゲフィナの魂は少し動けるみたい。彼女の姿をした霊体と大きな狼が聖樹に腰掛けてずっと手を振っていたの。手を振るゲフィナはその間、ずっとソフィだけを見てたんだよ」霊樹と同化した魔人は最後に霊体となってその姿を見せたという。傍らに大きな狼を伴って。
朝から感じた胸騒ぎはこれだったか。以前テオドラが行っていた姉弟がついに来た。ひ孫の窮地に誰より早く駆けつけワイバーンに乗って救出してくれた。弟の方は競技会の最中ヒルダとずっと一緒にいた少年だ。
「話はあとで聞くから今は休みな」
アレクシアは優しくなおも話し続けようとするテオドラに言った。
テオドラの言葉に聖女アウレリアの伝説を思い返す。アレクシアは古い本を本棚から取り出した。魔学の紋章はオオカミだ。
アヴァロンの守護霊獣。そしてアウレリアの育ての母と言われる。産みの母が霊樹の女神。夜巫女デボラと同一視される魔人であり、彼女は大昔、創生の女神として信仰された。
巫女デボラは売春婦であったとされる。
魔人であり売春婦。デボラとゲフィナ、彼女たちは同一だ。土地における人魔の融和に努め、そして彼女は史上初めて人魔混血を出産した。
人類と魔人の間で生殖はなされない。そのはずだった。そして彼女が最初の混血を出産し、世界のことわりが変化した。それから世界には人魔のハーフが僅かではあるものの誕生するようになる。
その最初のハーフこそアウレリアであり、デボラが創生の女神として信仰された所以だ。
デボラの産んだ子を育てたのが土地の魔獣のオオカミだ。この魔獣は人間とも魔人とも会話が出来たと言われる。
デボラとゲフィナ。同一人物。土地の人間は霊樹とともにゲフィナを迫害し、ゲフィナは魔人蜂起の象徴となった。だから土地の人間は後ろめたさや戦争の発端となったきっかけを隠したい心理から意図的にゲフィナの名を残さないようにしたのだ。
明日あの少年に聞いてみてよう。彼は何かをしっているか、何かの確信を持って行動している少年だ。さっき少し挨拶しただけだが、きっと彼がレベル4の魔法使いだ。
姉の方からは何も感じなかったが、弟の方は違う。ヒルダをあの高みにまで押し上げたのも彼だろう。その証拠に魔法祭の最中、ヒルダの瞳は常に彼に向けられていたではないか。
魔学の学生寮の一室。
窓から差し込む月光。照らされて、たなびく夜の雲、山陵。
美しい風景。懐かしい風景。人間の言葉と魔法を教えてくれた育ての母。
樹から生まれたのだと教わった。樹には精霊がいて、育ての母であるオオカミが生きているうちは遠慮して出てこなかった。それでもオオカミが亡くなると、会話こそしなかったものの、時折姿が見えるようになった。
人間の文化を学べと里に送り出したオオカミ。見守る霊樹。習慣が違い、それがきっかけでいじめられて泣いて山に帰った。でもオオカミは来てくれなかった。
自分で乗り越えた。あの日の月と同じだ。
振り返れば、霊樹の精霊もオオカミもいた。
きっとあの頃も見守っていてくれたのだろう。その霊樹を左腕と引き換えに守ったテオドラ。
ソフィにかつての決意が蘇る。人魔戦争を終わらせる。決意のあの日。
ソフィは気づいていた。山の奥でテオドラを狙っていた気配。
霊樹に寄生していた何ものかだ。それが魔学の学生寮に侵入している。
テオドラは部屋から逃げた。バランスが悪い。何度も転ぶ。女子トイレの中に入り込む。闇の気配は通り過ぎたか。しかし足音。誰!
動悸が速くなる。足音はもう目の前だ。
「クリス。ここは女子トイレよ」
「姉さんも気付いたんだね。ここは僕がやるよ。僕向きだ」
声がクリスとソフィのものと気づいた。
「そう……。なんだかシグルドみたいね。お任せするわ」
闇夜に浮かぶクリスの姿かたちは400年前の魔神大帝の皇太子そっくりだ。
(ソフィ、クリス……。ダ、ダメ、またあいつが来てる)
気配を感じたテオドラが勇気を振り絞ってトイレから出た。
「逃げてッ」
しかし、そこにいるのはソフィだけだ。
「大丈夫よ、テオドラ。何も心配はいらない」
ソフィが優しく抱きしめた。
「もう終わったみたいよ」
女子トイレから廊下に出たクリスはゆったりした足取りでその男に近づいた。
「山から追ってきたな。テオドラの血が欲しいのか?」
男は両手にダガーを持っている。
「思ったより若いな、あんたも半魔だな。同じ目的だろ?山分けでいいじゃねえか、半魔同士仲良くしようぜ」
半魔とはなんだろう。魔人のことだろうか。しかし今は関係のないことだ。
「いや駄目だ。俺が全部もらう」
山分けとやらも何のことか分からないし、分かりたくもない。その提案をクリスが突き放した。
「そうかい」
瞬時に魔人は攻撃に移った。レデュースディスタンス。魔人の武技だ。
一瞬で魔人が距離を詰め、左のダガーで切り付ける。
左は囮だ。左に対処した瞬間、右のダガーによる致命の一撃が入る必殺のコンビネーション。だが、魔人は左で切り付けた瞬間、右を出すまでもなくクリスの袈裟懸けの一刀で真っ二つになっていた。
魔人の死体を前に、処理をどうしようかと迷っていた。少しずつ黒い霧のような魔素の粒子となって大気に還っていくがまだしばらくかかりそうだ。周囲には血しぶきが飛んでいる。それも少しずつ消えていっているが、その進捗はゆっくりだ。
「あとは私が」
いつの間にかソフィが後ろにいた。そばにテオドラがいる。
(魔人の死体、見せていいのかよ)
しかし、それでもソフィの言葉に頷いたクリスが魔法感知妨害の魔法を使う。ソフィの魔法が魔人の死体をより速く魔力の粒子に還元した。肉体が霧のようになって宙空に溶けていく。
「もう復活することも無いわ。安心して。今日は一緒に寝ましょうか?」
ソフィが優しくいった。
「じゃあ、姉さん。僕はここまでだ」
「うん。ありがとうクリス」
「こっちこそ」
きっとソフィはこのあと、テオドラに魔人がなぜ来たか、テオドラがなぜ狙われたか、丁寧に包み隠さず説明するのだろう。
割り切ったような。姉からそんな気配が感じる。
もしかしたら、姉はこの先ずっとテオドラを守り続けていくのではないか。そうも思えた。
帰りの廊下を歩きながら、足元がふらつきめまいを覚える。ワイバーンに乗ったあたりから感じていたことだ。魔人が関係あるかもと思っていたが、魔人を始末した後でも症状は悪化する一方だ。霊樹が、いや聖女が関係するのだがいまはそのことを知らない。
月光が窓から射しこむ。彼の様子を知るのはアヴァロンの月だけだ。
翌朝、昨夜の魔人の出来事を知らないアレクシアはいつもより早く起きた。あのクリスと言う少年に会うのが楽しみで仕方ない。
随分早く起きしてしまったねえ。
仕方なく、校舎の庭を散歩する。花壇の花が力強く、美しく咲き誇っている。恋い焦がれた男性との面会がかなった女性がその一瞬だけより美しくなるように。
おかしい
少し違和感、昨日はこんな様子ではなかった。生命力にあふれている。昨日の霊樹の件が関係しているのか。
朝日が山の端を登る。桃色と薄紫に世界が染まる。人の形が背後から照らされた影となって浮かび上がる。長い髪を梳くかのように差した朝日がその髪を眩く染め上げる。眩い自らの髪に照らされ、美貌が覗く。
お、おお……。
その光景を美しいと思った。神々しささえ感じた。
寛容と自愛の波動と言うものがもしあればこういうものかもしれない。伝わってくる。魔力のような波動のような。100年で初めての経験だ。いや、100年前、もしかしたら母に抱かれてこんな感覚を感じたか。
女神からハンカチを差し出され、アレクシアは我に返った。涙で頬が濡れていた。
「おはようございます。学院長先生。アヴァロンの朝焼けは神々しい……。こんな美しい朝を、王都では見たことがありません」
丁寧に挨拶をする女性。そうだ、クリスの姉だ。
昨日の夜見たただの若い女。いま女神と見間違えた存在と同一人物だ。
「お、おはよう、ええと」
「申し遅れました、ソフィーティアで御座います。ディムランタン公爵家の出身で、ご先祖様には魔学で学ばせて頂いたものもいたと聞いています。高名な学院長先生にお会いできましたのも御先祖様の御引き合わせで御座いましょう。よろしくお願い致します」
吸い込まれそうな深い瞳。この瞳なら知っている。巨大な魔力の持ち主に共通する瞳の底深い輝きだ。
「王学にレベル4を使える魔法使いがいると聞いています。あなたのことですか?」
ソフィは王学の制服を着ている。
「それはきっと弟のクリスの事でしょう。後ほどまた一緒に御挨拶に伺わせて頂きます」
なるほどやはりそうか。だが今はもっと気になることがある。
「あなたはどのレベルまで……?」
「世界を救えるなら世界を救うに足る魔法を、世界を滅ぼさんとするものがいたなら、その者を滅するに足る魔法を、それを望んで、今はただ修練と研究に励むものです」
花壇の全ての花が開花してソフィーティを向いている。東西南北全ての方角に位置する花が、その花壇の中心を指示し、私たちの太陽はここにあるとでも言わんばかりに。
その事実に気付いたアレクシアの全身に戦慄が走った。
売春婦とその客の間の子、それは創生の女神の奇跡の子、ことわりからはみ出し、新たなことわりとなった存在。聖女アウレリア。
アレクシアは知らない。彼女がその生涯の夢、400年前の聖女、その本人との邂逅をいま果たしたことを。
聖女と神聖魔法の研究、それは彼女が100年を捧げた生涯のテーマ、人生の全てだ。




