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「調子はどうですか?」

 私は王子の灰哭病を治療し終え、囁くように声をかけた。

 ベッドの上に寝そべって目を瞑っていた王子はゆっくりと起き上がる。

「何だか急に体が軽くなった。それに咳も出る気配が無くなったぞ」

 王子は目をぱちくりさせ、腕を回した後、改めて私の顔を見た。

「あり得ない。君は何者なんだ」

 王子は明らかに困惑していた。彼にそんな気は無いのだろうけれど、ちょっとだけ化け物扱いされている気分だ。


「時は一刻を争うと思っていたもので、名乗っておりませんでした。申し訳ございません。私はユリシア。騎士マスタング・ソレントリアの娘で、現在は聖女をしております」

「やはり聖女か。しかし驚いた。王都の聖女たちで、この病気を治せる者は誰も居なかった。それどころか逃げ惑うばかり。それを君は一瞬で治してみせた」

「いえいえ、こんなの大した技術ではありませんよ」

 痔を治すより遥かに楽でしたから。


「俺の命を救ってくれたこと、礼を言わせてもらう」

 王子は深々と頭を下げた。今度は私が動揺する番だった。一国の王族に頭を下げられるんなて、私はそんな柄ではない。


「あ、頭をお上げください王子」

 しかし王子は私に有無を言わせず迫ってくる。

「幾ら欲しい? 出来うる限りの希望額は与えられるよう努力する」

 流石王子様。金払いに関してもスケールがでかい。

 けれど私はそんなに大金なんて要らなかった。地方を旅していた時に辺境の貴族の治療でしこたまお金を貰ったので、もう一生遊んで暮らせるだけのお金があるのだ。

 ……って言ったらちょっと感じ悪いよね。



「いいえ、ギルバート王子。私は聖職者。必要以上の金銭は求めておりません。しかし可能ならば王都に滞在する間の宿と食事を賄って頂けますか?」


 すると王子は目を丸くした。まるで何か未知の発見をしたかのように、じっくりと私の顔を眺める。

 今更鼓動が早くなる。

 私は今まで、治療の旅によっておびただしい数の人々と接してきたけれど、ギルバート王子の顔貌は、間違いなくその誰よりも美しかった。

 まるで精密に、何かの意志によってデザインされたかのような、正確比率で顔のパーツが配置されていた。この顔の前で狼狽えないでいられる女子はこの国に居ないだろう。


「何て無欲で、それでいてこの治癒能力の高さ……。君、ひょっとして高潔の聖女か?」

「え、おケツの聖女?」

「おケツ……?」


 しまった、王子のお顔に見とれていて、変な風に聞き取ってしまった。でも王子の口からおケツとかいう変態ワードを引き出せたよ。やったね。


「す、すみません、言い間違えてしまって。でも、私が辺境で活動している時は、人々からそう呼ばれていました」

「やはりそうか」


 王子は勢いよく立ち上がった。かなり背が高い。

「こうしてはいられない。一緒に市街地へ行こう。まだ多くの人が病気で苦しんでいる」

「それはもう大丈夫です」

「大丈夫とは?」

「もう王都の患者は私と、私の弟子があらかた治療しました。私が居なくても後は何とかなると思います」

 王子は口をあんぐりと開けていた。


 灰哭病が流行していると聞いた私は、真っ先に患者の発生した村に向った。症状は深刻で、致死率は8割を超えるという正に死病だった。

 けれど、私はこの病の症状を自分の目で見た時、妙な既視感を覚えていた。

 その正体にはすぐ気付いた。隣国のある村の文献で、この病気のことが記されていたのだ。



 この灰哭病が隣国……といっても、今は滅ぼされてしまったハウールという国で流行ったのが500年ほど前。その当時も死病として恐れられていたが、天才と呼ばれたユーフィリアという聖女が新しい治癒術式を編み出し、これを収めた。

 しかし残念ながら、ユーフィリアの死後、ハウール国は滅ぼされ、技術体系はほぼ全て喪失したと推測された。戦火を逃れた村に、僅かに一冊、彼女の功績と秘術を伝える本が残っているのみだったのだ。


 私は、得た治療知識は全て出来るようにならないと気が済まないタイプだったので、「使うことは無いだろう」と思いながらも、その術式を習得した。

 まさか自分が当事者として、灰哭病と対峙するとは思ってもみなかった。


 聖女ユーフィリアの作り出した術式は非常に強力だった。術を展開すると、立ちどころに患者から病気は消え去り、予後も安定していた。

 流石、天才と呼ばれるだけのことはある。

 私はいつもの如く治療を重ねながら、この治癒術式を使える弟子の育成にも励んだ。

 この術式はかなり高度なものだったので、教えるのは既に聖女としての教育を受けている者に限った。


 大多数の聖女は、灰哭病に恐れをなして逃げてしまったが、使命感を持って治療に当たる聖女も一定数存在した。その中には、学園で仲の良かった聖女候補も含まれていた。


 灰哭病に苦しむ人たちが良くなり、喜んでいる姿を見るのは、非常に嬉しいものだった。



 それと不謹慎かもしれないが、良かったことがある。先ず、この灰哭病を治すと、得られる経験値が多い。患者も大量に溢れていたので、今までとは比べ物にならない速度で経験値が加算されていった。

 そしてユーフィリアの術式を教えることも、それまでの「伝授」の数倍、経験値に加算されていることが分かった。


 こうして各地を回って病気を治しながら王都まで辿り着いたのだった。




「どうして……どうして君はそんなに頑張れるんだ」


 王子は澄んだ翡翠の瞳で私を見つめている。

 私は少しの間、返答に窮した。

 というのも「自分の痔を治すためです」とは、流石に言えないからだ。初対面の、しかも一国の王子にそんなことを言ったら、ロイヤルな場で私が痔であるという情報があまねく漏洩しかねない。


「私にはどうしても達成したいことがありました。はい、特定の病気をどうしても治せるようになりたかったのです。多くの人がその疾患で苦しんでいましたから」


 私はなるべく力強く言った。嘘はついていない。ギルバート王子は納得してくれたのか、何度も頷いた。


「実は、俺は人の心がある程度読めてしまうんだ。だから悪意があるかどうか、話しているとだいたいわかってしまうのだが……ユリシアには全く邪気が無い。すごく真っ直ぐな目をしているね」

「ありがとうございます」


 痔を治すために寄り道なんかしていられないからね。オールフォー痔だったのである。


「君は隣国のウルハランドでも活動をしていただろう」

「はい。あ、もしかして、良くなかったのですか?」

 王子ははにかんで首を振った。

「逆だ。君が無償の治療を施してくれたおかげで、国境地帯での緊張状態が緩和傾向にある。ユリシアが居なければ、病気の混乱にある現在、本来ならばウルハランドが攻め込んできてもおかしくはなかったかも知れない」


 そうなのか。まさか私の痔が平和に貢献していたとは。


「君のような高尚な理想を掲げ、そして有言実行している聖女というのは初めて見た。改めて、ユリシア・ソレントリア。助けてくれてありがとう。俺はずっと君に会いたかったんだ」


 そう言って王子は再びお辞儀をした。

 私に会いたかった……? 私はギルバート王子の身体をじっくり観察した。そして、筋肉質で魅力的な体つきをしていること以外に、ある事実に気付く。

 彼は、難病患者特有のオーラ、というか雰囲気をまとっているのだ。


 一見すると彼は壮健で、何の疾患も抱えていないように見える。けれど直接的間接的に数十万人を超える人々を治療してきた私には、健康な人と病気の人を瞬時に見分けられる目が備わっていた。


 だから分かる。彼が発しているオーラは痔主のオーラだ。

 そうか、そうだったのか、王子。あなたも痔なのですね。


 私は王子に微笑み、頷き返した。


 分かりますよ、その気持ち。


 だから私を探していた。辺境地域で治療をしまくっている私ならば、痔を治す術を知っていると考えたのでしょう? 私、治せるようになりましたよ。

 痔。

 王都に到着して、患者をあらかた治療し終えた時、ついに待ちに待った瞬間が訪れた。

 スキル・ソフトタッチを習得するために必要だった経験値 ポイントが溜まりきったのだ。

 私は即座に全ての経験値をぶっぱして、ソフトタッチを習得した。



 そして、次の瞬間にはソフトタッチを駆使しながら、自分のお尻に治癒魔法を掛けていた。


 その結果。


 天使がラッパを吹く音が聞こえた。


 目の前には雲海。

 その奥に神様がいて微笑んでいる。

 ああ、これが、これが痔ではないという状態。

 全く痛みが無い。


 私は生まれて初めて神に感謝した。

 長かった。

 ずっと苦しんできた、この病気が、やっと治せたんだ。



 私は改めて、目の前の王子を観察した。

 きっと彼は、私と同じように、誰にも痔の事を言えずに苦しんでいたことだろう。王子とはそういう立場なのだ。

 辛かったでしょう。苦しかったでしょう。分かります。痔の苦しみ。誰にも言えないし、誰にも相談できないのですよね。同じ痔主として、その痛みに心底同情します。

 王子の気持ちをおもんぱかっていると、自然と涙が溢れてきた。


 私が泣いているのを見て王子は驚いたようだった。

 そしてハンカチを私に手渡してくれた。アロマのように、甘くて、すごく落ち着く、ロイヤルな匂いがした。

 私は涙を拭かずにずっとハンカチの匂いを嗅いでいた。


「どうして泣いているんだ? 何かあったのか」


 私はゆっくり首を振る。

「いいえ、ただ、王子の抱えているものの辛さを想像していたら、つい……」


 王子の顔色が急変した。きっと彼は、痔主であることを見抜かれたのだと悟ったのだろう。


「王子、私なら、あなたのソレ、治せますよ」


 敢えて「ソレ」と表現したのは、王子への配慮からだった。彼の口から「痔」などというワードが出てはならない気がした。いや、出てきてほしくなかった。おケツとはわけが違うのだ。

 王子の表情は驚きに満ち、血の色がにわかに濃くなっている。


「まさか、君は……君は見ただけで僕の『呪い』を見抜いたというのか」


 呪い。王子様は痔に対して随分と詩的な表現をするのね。けれど確かに、あの病気は決して逃れられぬ「呪い」に等しい存在だった。その表現は的を射ている。


「俺のこの呪いを、今まで理解してくれる人はいなかった。呪いの痛みも辛いが、この心苦しさを誰にも言う事が出来なかった」

「分かります。痛いですよね。辛いですよね。そして、人々の無理解が一番苦しいですよね」

 私は何度も頷いた。

「それを君は一目で見抜き、しかも俺の抱えている辛さに深く同情して涙を流してくれた。親でさえ見捨てた俺を。そんな人物に出会ったのは初めてだった」


 痔だから見捨てるとは、なんて薄情な両親だ。


「それに、治せるのか……本当に、俺の呪いが」

「勿論です。私はそのために旅をしていたのですから」


 痔を治すために!

 私は大きく頷き、力強く言いたかった。


 すると彼はおもむろに、それまで身に着けていたナイトガウンを脱ぎ始めた。

 私は慌てふためいた。すぐ近くにベッドがある。いやいやいやいや! 違う違う! まさか王子が! 痔主同士ベッドの上で仲良くしようなんて言うわけないでしょ!

 これは治療なのだ。


 私が首を振って、改めて王子の身体を見た時、思わず目を細めて凝視していた。

 衣服からはだけた身体からは、黒に近い、緑の鱗に覆われた、彼の胸部が見えていた。あれ、痔は?





「まさか君が見ただけで、竜の呪いを受けていると気付くとは……流石高潔の聖女と呼ばれるだけはある」

 あ、呪いって本当の意味での呪いだったのね。

 私は一度咳払いをして、神妙な声で言った。


「ええ。やはり見ただけで相手の症状を見抜くには、日々の研鑽が欠かせません。真摯な態度で患者と向き合い、治療に集中することによって、聖女としての『目』が磨かれるのです」

 まあ節穴だったんだけども。

 とはいえ私は解呪も出来る。この程度の呪いならば、痔を治すことの100倍簡単だ。


「ソルヴァ・マリクトゥム。呪いよ、解けよ!」


 私が王子の肌に手を触れて唱えると、光が波紋のように体全体に広がった。そして王子の皮膚を覆っていた固い鱗が、ボロボロと崩れ始めた。


 王子が悲鳴のような歓声のような、高い声を上げた。信じられないという表情で、肌から崩れ落ちた鱗を手に取って眺めている。


「何てことだ……! 何てことだ! こんなことが起こるなんて!」


 そんな驚くようなことなのだろうか。痔が治ることの方がよっぽど奇跡なのに。


「皮膚が元通りに再生するにはまだ時間がかかります。暫く安静に……」


 術後の説明の最中、王子が私の手を握った。彼は跪いて私を見上げている。


「ど、どうしたのですか。王子」

「ユリシア、俺と結婚してくれないか」

「へ?」


 私の頭の中は真っ白になっていた。


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