第1話 ガキじゃない
その船が、いつ来るのかはわからない。
でも、それでいいと思っていた。来ても来なくても、今はこのままでいい。
私は古びた木のベンチに腰を下ろし、波の音を聞いていた。
港町エイル。石畳の坂を下りた先にある、小さな船着き場。
陽が傾いて、水面がきらきらと光っている。
本を開くと、海風がぱらりとページをめくった。慌てて指を挟む。
けれど、それすらも、どこか穏やかな時間の一部に思えた。
「おい、そこのガキ。一人か? 船を待ってんのか」
不意にかけられた声に、私は顔を上げなかった。
視線の端に映ったのは、異様な緑の髪と三角耳。見たところエルフの男だ。
着ている服の質もいい。多分、このあたりの貴族か何か。
ああ、面倒なタイプ。こういう人種は、苦手。
「おい、聞いてんのか?」
私が無視を決め込んでも、男はやめる気配がない。
きっと、私の見た目がみすぼらしく見えるのだろう。
そういう目で、見られるのには慣れている。
「無視かよ? 最近のガキは生意気だな」
「……ガキじゃない」
言うつもりなんてなかった。
けれど、その言葉は勝手に口をついて出ていた。
「ん?」
男が挑発するように近づいてきた、そのときだった。
岸に、小さな船が着く。
吹きつける風に、フードが跳ね上がった。
風になびいた髪が頬を撫でる。淡い水色のボブカット。
「ミホ。一級魔法使いよ」
男の前に立ち、小さな革袋を取り出す。
中で、チャリンと小銭が揺れた。
「なっ……! おいこら! それ、俺の──いつの間に!」
何かを怒鳴っていたけれど、私はもう背を向けていた。
そのまま、船に乗り込む。
誰かの叫び声なんて、海風が全部さらっていった。
これは——
ハーフエルフの私が、魔法使いとして歩いた、ほんの一部の話。




