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安楽死選抜試験

作者: 雉白書屋

「ほら、そこ! もたもたするな! 走れ! 尻に撃ちこまれたいか!」


 疲れた……疲れた……そうだ、おれは疲れたんだ……死にたい……そのためにここに来たはずなのに……どうして、おれはただひたすらに電気柵で囲まれた敷地内を走り回されているんだ。


「やる気がないのか! 走れ!」


 馬鹿か。当たり前だろうが。ここには生きる気力がない連中が集まっているんだぞ……などと言えるはずもない。口答えすれば、体にテーザー銃を撃ち込まれる。


「走れ!」


 ――はい!

 ――はい!

 ――はい!

 ――はい!


「脱落したいのか!」


 ――いいえ!

 ――いいえ!

 ――いいえ!

 ――いいえ!


「死にたいか!」


 ――はい!

 ――はい!

 ――はい!

 ――はい!


「死にたいか!」


 そう、おれは死にたい。

 この国で安楽死が認められてから数年が経つ。そんなこと、若い頃に聞いたら信じられなかっただろう。右に倣えはこの国の性質だ。まず他の国が始め、追随し、大慌てで施設を作った。

 小学生の頃から希死念慮を抱いていたおれからすれば嬉しい報せだった。仕事をクビになったのをきっかけに鬱病が発症、いや再発か。それとも、抱えながら仕事をしていたのか、どうでもいい。

 前にー倣え! 背筋を伸ばせ! ペアを作って柔軟体操! 運動会だ! 合唱祭だ! 練習練習練習。声を揃え動きを揃え列からはみ出すな。右に倣わなければ摘まみ出され、その先にあるのは死だ。ああ、嫌な思い出はどうしてふとした時に蘇るのだろうか。と、何を考えていたんだっけな……ああ、疲れている……そう、とにかく、おれは死ぬためにこの安楽死施設に来た。しかし、囚人のツナギのような服に着替えるように指示されて、そして中庭に集められ、投げつけられた言葉というのが――


「『これより、安楽死選抜試験を始めるぅ!』だもんなぁ。美人だがあの鬼教官にはまいったよなぁ。なあ。おーい」


「……ああ」


「なんだ? 暗いな。鬱か?」


 大山はおれにそう言い、うひひと笑った。「鬱か?」は、あいつの決まり文句だ。おれがそうだよと言うと、いつも楽しそうに笑う。

 夕食後、部屋での休息時間。二段ベッドの上の段で、おれは大山に気づかれないよう、音を立てないように奴に背中を向けた。


「しかしそうですねぇ、まさか安楽死施設の実態がこんなだとは……と、八日目。今日もただ畑仕事と運動。やたら走らされる、と」


「新川さーん、日記なんか書いて意味あんのぉ? どうせ死ぬのに」と、大山が笑った。


「え、まあ、ほら、癖みたいなものでね。ええ、入院中もこうやって日記をつけてたんですよ」


「ふーん。てっきり俺は死にたくなくなってきたんじゃないかって思ってねぇ。見事に奴らの術中にはまってさぁ。ねえ、アンタもそう思うだろぉ? なあ」


 大山がまたベッドの柱をコンコンと叩いた。おれはふんと鼻を鳴らした。

 ここは実は安楽死施設を装った更生施設。それが奴の持論だ。いつも、はいはいと聞き流しているとはいえ、ここに来てから十日目。実はおれもそんな気がしていた。

 畑仕事と運動がここでの日課。土と触れ合うのは精神衛生上いいというのは、耳にしたことがある。そして適度な運動もしかり。風呂、それに起床と就寝時間もきっちりと決められ、ここに来る前の生活とは大きく違った。

 あの鬼教官みたいな女はやたら厳しく、精神的に参ることもあるが、休憩中の食事が旨く感じていることから、健康を取り戻しつつあるのは確かだ。

 そう、ここが更生施設というのはあり得る話だ。国民とは国の貴重な労働力。それを自殺という形で減らしてはもったいない。だから、首吊りや電車に飛び込み、高所からの飛び降りなど怖く、苦しい思いをしなくてもいいですよと呼び込みをし、そして健康にしてしまおうという政府の連中の魂胆……なんて、そんなお優しい考えを持つかは疑問だが、本当に安楽死は行われているのだろうか。筋金入りの安楽死希望者というのは奇妙な表現だが、まっすぐ歩くことも難しい難病患者などの姿はここにはない。どこか他の、本当の安楽死施設にいるのか、それともこの制度が始まったばかりの時に全員、早々と安楽死したのかはわからないが、今までこの国で何人の人間が安楽死したか明らかになっていない。呼び水にならないよう数字を隠すというのはわかるが、ニュースや新聞はこの件に触れていないのだ。

 もっとも、これはデリケートな問題だろう。暗い話でもある。需要がなければ、誰々が結婚だの不倫だの、野球選手が活躍だのを取り上げるバラエティ染みたニュース番組がわざわざ報じることもないし、みんな、本能的に目を背けていたいのかもしれない。

 だから納得はできるが、いつまでこうして待っていればいいんだろうか。死ねないことが、おれは怖い。

 

「辞退を申し出るなら、早いほうがいいんじゃなぁい?」


 この大山という男は、ルームメイトであるおれたちに仲間意識を持っている一方で、ライバル意識も持ち合わせているようだ。安楽死にライバルとはなんともおかしな話だが、それはその選抜試験があること自体もそうだし、奴も精神に難ありの人間だ。どういった感情を抱いても不思議ではない。


「脱落者はどうなると思いますか?」


 新川が大山に訊ね、大山はふふんと鼻を鳴らした。


「どうやら、住む場所や就職先の斡旋やら何やら、ぜーんぶ連中が決めてくれるらしい」


「ほぉ、それは楽でいいですね。社会復帰の手助けをしてくれるわけですか」


「噂だがね。ふふふっ、それにしても新川さん。あんた、持病がある割には頑張っているねぇ。他の病人連中はすぐに脱落したのに」


「ええ、まあ……元々運動は嫌いじゃないですし、それに……家や病室で一人で死を待つのは怖いですからね。私には皆さんと一緒にいるここは案外、居心地がいいのかもしれませんね」


 新川がそう言うと、大山はふんと鼻を鳴らしてベッドに横になったようだ。下から振動が伝わり、ため息が聞こえた。奴にも少しは気まずいと思う心があったらしい。

 だが、どうでもいいことだ。大山も新川も。死ぬ時はひとりなのだ。同じ場所に行くわけでもない。今はただ耐える。それだけ。今までしてきたように、言われたことをただやるだけだ。ただ将来へのあの漠然とした不安がないのはいい。この先にあるのは死だけなのだから。


 

「よーし! 諸君らは、このひと月よく耐えてきた! いよいよ明日は安楽死だ!」


 ――うお

 ――うおおおおおお!

 ――うおおお……


 とうとうこの日がやってきた。周りにいた何人かが戸惑いの表情を見せていたが、おれは言いようのない達成感を抱いていた。

 死ねる。ようやく死ねる。そう思うと、心が満たされていく感覚が……しているところを水を差したのは大山だった。


「あのー! すみませんねぇ。やっぱり私、辞退でお願いします。へへっ」


 大山は手を上げ、ニヤつきながらそう言った。


「そうか! なら身支度整えるように! では、それ以外は各自、いつも通り休むように! ただし飯は抜きだ! 風呂に入り早く眠れ!」


 運動場からぞろぞろと室内に戻る安楽死希望者たち。その中で、大山がおれに近寄り、耳打ちしてきた。


「いやぁ、残念だよ」


「死ねなくて、ではないですよね。その顔」


「うん。いやぁ運動はきついが、タダで飯食えるからここ気に入ってたんだがなぁ。もう終わりだなんてなぁ。でも、ここまで耐えたんだから、初日とか早いうちに脱落した連中よりきっといい就職先を斡旋してくれるぞぉ。おれはな、元々ホームレスだったんだぁ。ひひひひ」


 どこまでも俗世を捨てられないやつだとおれは呆れた。しかし、室内に戻る人波から離れ、教官のもとに駆け寄る者が何人かいた。大山に釣られたのか、怖気づいたのか辞退を申し出たのだろう。

 

「実は……私もなんですよね」


 おれたち三人は部屋に戻った。「まあ、二人とも頑張んなさいよ」と大山が握手し、それからおれの肩をポンポンと叩き、早々に出て行った。そして、二人きりになると新川はおれにそう言った。


「私も、とは?」


「死ぬ気なんてないんです」


「ああ、そうですか」


 辞退するのだろう。おれには関係のないことだ。仲間意識などもない。


「いや、実はその……騙していて、すみませんでした。私は記者なんです」


「そうなんですか」


 声には出さなかったが、おれは少し驚いた。


「持病とかも嘘で、ここの実態を探るために潜入していたんです」


「……ああ、でもまあ、そんな大した記事は書けなそうですね。虐待とかもなさそうですし。まあ知りませんけど」


「ええ、明日、安楽死、おそらくその方法は薬物注射によるものでしょうが、その直前で辞退を申し出て、それでレポは終わりにしたいと思います」


「そうですか。でもそれをなんでおれに言うんですか?」


「ルームメイトですし、あと、よろしければ何か残したい言葉とか……」


 取材というわけか。思えばこの新川という男も、おれや他の安楽死希望者によく話しかけるほうだったな、とおれは思った。仲間意識などない。だが、おれはなんだか虚しくなり、特にないとだけ言い、大浴場に向かった。


 そう、特にない。辞世の句など。湯船につかっている間も、ベッドに横になっている間も、ふと考えてみたが何も思い浮かばなかった。

 何も思うことはない。ない。死にたい以外にない。

 


「ちょっと冷えますね」


 翌朝、手術前の患者が着るような薄手のガウンだけを身に纏ったおれたち安楽死希望者は、施設の地下へと続く階段を降りていた。


「うぅ、寒い寒い。地下で行うんですねぇ」


 新川は少し気分が高揚しているようで、おれはこの男が辞退を申し出るそのあとに死にたいと思った。おれの死に様を記事になどされたくはない。今からでもこいつが記者だとばらしてやろうか。

 

 ――あれ?

 ――なんだここ。

 ――誰もいないぞ。


 階段を降りた先にあった部屋に辿り着いた。しかし、そこには誰もおらず、器具など置いていなかった。薄暗く、打ちっぱなしのコンクリートの床と壁。その光景に全員がざわつき始めた。


「あれ……誰も……いませんね。暗いですし……ん、何かありますね……」


 暗闇の中、新川が目を大きく、また細めたりしながらそう言った。

 その視線の先には確かに何かがあった。近づき、確認するとそれは木でできた大きなザルで、その上には、おれたち安楽死希望者が畑で育てた野菜が並べられていた。


『全員、ザルの上に座るように』


 おそらく、スピーカーがあるのだろう、天井から声がした。

 言われた通り、ぞろぞろと新川含む安楽死希望者たちがザルの上に乗る中、おれは動けずにいた。


『君たちはここまでよく耐えてきた。試験だけの話ではない。これまでの人生。そのすべてだ」


 すすり泣く声がした。


『君たちのその身は、まごうことなく美しい』


 嗚咽がした。


『その生涯は決して恥じることはないのだ』


 そして大っぴらに泣く声。


『脱落者は全員、ミンチとなった。だが、君たちはそのままの状態で召し上がっていただける。それはとても名誉なことであり、この人類存続のために必要な――』


 悲鳴が起きた。入り口はいつの間にか閉ざされており、悲鳴が悲鳴悲鳴悲鳴悲鳴。

 目の前は壁かと思いきや扉だった。そこから出てきたのは、とてもおぞましいおぞおぞま――辞世の句などない。ないないないないないないはずないないないないないないないないないないないないなななななななななななな

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