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響と溶解少女

作者: 折田高人

 月明かりが照らす鯖江道。カルト御用達のこの大通りを、鼻歌交じりに歩く男が一人。

 彼の名は烏丸金光。鯖江道に拠点を置く貨幣愛好団体、マモン協会の会長である。

 彼は上機嫌であった。予てより進めていた沈没船ポータラカ号のサルベージが成功裏に終わり、発見物の中には古い貨銭が数多く含まれていたのだ。

 貨銭以外の希少品を気前よく隣町の美術館に寄贈し、会員総出で宴を開いたその帰り道であった。

 ふと、ほろ酔い気分の烏丸の視線の中に飛び込んできたものがあった。鼻歌が止まる。

 月光の下に蹲る、少女の影。

 酒で回らない頭を行使しつつ、烏丸は少女に声をかけた。

 どこか具合が悪いのか?

 少女は答えない。

 蹲ったままの少女を見て、どうしたものかと烏丸は思案する。

 もし一晩明かしたいんだったら近くにあるマモン協会のロビーを使った方がいい。

 その言葉に少女はようやく振り返った。

 見目麗しい少女の顔には笑顔が浮かんでいる。

 家出少女だったか。そう思って烏丸が見つめていると、少女の顔が突然崩れた。表情ではなく、物理的に。

 グズグズと溶けていく少女。原型を留めない程に崩れ果て、滴る肉が排水溝に飲み込まれていく。

 静寂があたりを支配する。周囲に漂う甘い香り。

 烏丸の背筋に冷たいものが走る。酔いはすっかり醒めていた。


「溶け女?」

 響の疑問の声に牧師姿の男、西浄隼が頷く。

 ここは星の智慧派教会。西浄から仕事を頼みたいとの連絡を受けて、響達はこの教会に集まっていた。

 ここ最近、鯖江道で目撃される謎の少女。声をかけた者の前で溶けてなくなるという怪異である。

「被害と言っても被害者を驚かせる程度のことしかしていないんですが、心臓に悪いから何とかしてくれと依頼が殺到していまして」

 襲われるわけでもなく、怪我人も出ていない。鯖江町で発生する事件としては、かなり平和な部類である。だからこそ響達に仕事が回ってきたとも言えるのだが。

 一応、念のために今回の仕事もベテランである孔明とロビンが付き添う形となる。

「でも、溶け女さんってのっぺらぼーのお話みたいだよね! お蕎麦屋さんでも探そーか?」

 サングラスに黒手袋、黒い外套と黒ずくめの男、孔明。そんな彼と共に牧師の使い魔である黒猫オスカーと戯れながら、環は呑気な感想を述べる。

「それで牧師さん? その溶け女ってどこらへんで目撃されているのかな? ロビンさん知りたいんだけど」

 金髪の美女、ロビンの問いに牧師は渋い顔をする。

「それなんですが……」

 そう言って一同の前に広げられる鯖江道の地図。

「オウ……これは……」

「うわあ……何ですかこれ……」

「まあ、積極的に活動してますわね」

 ロビンと遼、そして妃の金髪トリオの頭の上から、響は地図を覗き込む。

 地図の上に記された点、点、点……。溶け女の遭遇地点らしい。鯖江道のほぼ全域で出没しているようだ。

「見ての通り、鯖江道で出没しているという以上の絞り込みはできませんでした」

「他に情報はないんですの?」

 好奇心たっぷりの妃の言葉に、牧師は首を振った。

「目撃地点も遭遇地点も見事にバラバラで。唯一の共通点が被害を受けたのが男性のみということくらいでして」

 牧師は頭を抱える。溶け女の活動範囲が広すぎて逆に絞り込めないらしい。

「今回のお仕事はこの溶け女の捜索です。鯖江道中を探し回る事になりますが、引き受けてもらえますか」

「いいぜ。事故物件の掃除も入ってないし、明日明後日と休みだしな」

 響は頷いた。


 この町にやってきてから半年もたたず、随分と奇妙な知り合いが増えたものだと宮辺響は思い返す。

 溶け女の目撃者を書かれたメモを確認しながら、鯖江道のカルト組織の拠点に赴いては話を聞いて回っていた。

 集まった情報から分かったことは多くない。牧師の言う通り、目撃情報の内容は錯綜していた。

 特に問題なのが溶け女の容姿である。曰く、黒髪だった。曰く、金髪だった。曰く、スレンダーな美少女だった。曰く、豊満な美女だった。このように、目撃者によって外見がまったく一致していないのである。

 一方が被害にあった現場から離れた所で、ほぼ同時期に目撃者が出ていたりもしていた。

 何件目かになるカルト組織として訪れていたマモン協会を後にしつつ、今までの情報を整理する。

「結局、共通しているのは被害者が男性という事と、夕暮れから夜にかけて出没している事……」

「そして、現場に漂う甘い匂いですわね」

 同行していた滋野妃が言葉を引き継ぐ。

 金糸の如き艶やかな金髪を持つ青い瞳の少女の手には大判焼きの入った袋が収まっている。

 この庶民の甘味を財閥令嬢はどうやらいたく気に入ったらしい。彼女はこの大判焼きを、マモン協会を訪れた際にお土産として欠かさずに購入しているのだった。

「しっかし、外見もまちまち、遭遇現場から離れた場所に、ほぼ同時期に目撃情報があるときたもんだ」

『案外、溶け女って沢山いたりして』

 響の影から声がする。

「あー。やっぱりお前もそう思うか、チビすけ」

 チビすけと呼ばれた声の主はシオン。嘗ては魔術師の下で働いていた使い魔であった。

 新しい主人を見つけようと活動していたが、鯖江道の無数のカルト組織から盗みを働いたこの幼女を引き取ろうとする魔術師は居らず。

 結局、泣きついてきた彼女を見て暫定的に響が主を務める事となったのであった。

『うーん。後は服装かー。なんかヒラヒラしているのを着ているのが多かったよな』

「会長さん、アニメや漫画のメイドさんみたいな服装っていってましたわね」

「まあな。だけどさ、服の印象もヒラヒラしているって以外はバラバラだしな。溶け女の正体を暴く情報とは言い難い……と」

 いさぬき公園。カルト組織の憩いの場所である。定期的にフリーマーケットを開いているのだが、どうやら今日がその日らしい。

 響の視線の先、ベンチに座る小学生と思わしき少女と黒づくめ男の姿があった。環と孔明である。出店で買ったらしきクレープを片手に、のんべんだらりとしている様子。

「おう、お前ら。何サボってる」

 響の姿を認めた環達。呑気だったその表情に焦りの色が見えた。

「あっヒビキちゃん! あのね、これには深い事情があって……」

「どんな事情だ? お前ら、蕎麦屋を調べて回っていたんじゃなかったのか?」

「えっと、あの……ヒロ兄ちゃん!」

「まあ聞け響。のっぺらぼうの話で出てきたのは蕎麦屋の屋台……要は出店だ」

「それで?」

「蕎麦屋で収穫のなかった俺達は、それならばと出店を中心に探す事にした……今日はフリマの開催日。後は分かるだろう?」

 表情を読めないサングラスの男。しかし、その奥の眼が泳いでいるであろうことを響は察する。

 響は出店のクレープ屋を見る。店員は女だった。

「溶け女の被害者は男だけって聞いていたんだがな? あのクレープ屋からは何かめぼしい情報を聴けたのか?」

 言葉に詰まる孔明。

「……お前らも食うか? 奢るぞ」

 最後の手段とばかりに買収を試みる孔明であった。


「あー! 何してんのさコーメー! ロビンさん達にも奢っておくれよ!」

 売店のクレープを響と妃、ついでにシオンに手渡している所に、ロビンと遼が姿を見せた。

「サボりの代償だ」

「ですわー」

 そう言ってクレープを口にする響達。

「しかしな。こうも広大な鯖江道で溶け女だけを狙って探すのは難しいだろ? 発想の転換は必要だと思うんだが……」

「そうだよ! はっそーの転換転換! サボっていたわけじゃないの! 途方に暮れていただけなのだ!」

 言い訳がましい孔明達。

「あっはっは。自業自得だねコーメー。大人しくロビンさん達の分も……」

「おい」

 響の声が飛ぶ。

「な、何かなヒビキちゃん? そんな怖い目をしてさ……」

「そいつはなんだ」

 指摘された先にある物は手提げ鞄。そこには大量の古本がはみ出さんばかりに収まっていた。そんな物は教会を出る時には持っていなかったはずである。

「……ごめんね、響ちゃん」

 遼の鞄から覗くのは、古ぼけた時計や何世代も前に流行った携帯ゲーム機など。ロビンのような量がないのは、せめてもの良心からか。

「お前らなあ……」

「まあまあ聞きなよビッキー。のっぺらぼうの話に出てくるのは蕎麦屋の出店……そこでロビンさん達は出店を重点的に……」

「それ、さっき聞いた」

 冷ややかな響の声がロビンの言葉を遮った。


 合流した一同は、公園で今までの情報を交換する。

 とはいえ、集まった情報は牧師からもたらされたものと差はない。彼の言うとおり、範囲が広すぎて溶け女を追う事が難しい状況であった。

 フリーマーケットに浮かれるロビンと違って、遼は男性店主を中心に聞き込みを行っていたようだ。しかし、そこでも新しい情報は出てこなかった様子である。

 行き詰る捜査。

『あれ?』

「どうしたチビすけ?」

『ほら、あれあれ。へっぽこじゃないか?』

 周囲を見渡す響。公園の前に見知った顔があった。

 顔はいいのだがどうしても三枚目の印象が拭いきれない男、檜貝孝高。

 眼の下のクマが特徴的な不健康そうな印象の男、三原重治。

 響達の級友であった。

 彼らの方も響達に気が付いたらしく、檜貝は笑顔で駆け寄ってくる。

「やあ。お嬢さん方。丁度よかったよ」

『何が丁度いいんだよ、へっぽこ』

「おや。シオン嬢もご一緒で。実は相談したいことがあってね。人手が欲しいんだ」

 影からの声に会釈しつつ、檜貝は響達に助力を頼んできた。

「そうは言ってもな」

「また怪しいバイトか?」

 三原の問いに頷く響。

「バイト中か……まいったな。知り合いが困ってるんで、暇なら手を貸して貰いたかったんだが」

 肩を落とす三原に対し、檜貝はなおも食い下がる。

「話だけでも聞いてもらえないかな? そのバイトのついでにでいいから。何ならお茶を奢るよ」

 どうにも、彼らの行きつけの喫茶店で問題が起きているとの話だった。

 仕事を優先させたい響ではあったが、捜査が進展しない以上は手持ち無沙汰なのも確か。休憩も兼ねて、喫茶店に向かう事を了承したのであった。


「お帰りなさいませ! 御主人様!」

 明るい声が店内に響き渡る。

 響達を迎え入れたのはメイド姿の少女達。

 ここはメイド喫茶マリー&セレスト。檜貝の行きつけの喫茶店である。

「やあやあメイドさん! お迎えどうもありがとう。ルミちゃん、マリちゃん、シンシアちゃん。今日も可愛いねえ」

 朗らかな様子で答える檜貝。そのまま、店の一角に響達を迎え入れた。

「意外だな」

 響は三原に目を向ける。

「檜貝はともかく、お前もこういうのに興味があるのか?」

 三原は首を振る。

「別にメイドに興味ない。鴫留さん、灰堂さん、いつものを。彼女達にも同じものを頼む」

「かしこまりました!」

「楽しみにしてなさい!」

 二人の少女が厨房へ向かう。一人残されたシンシアが、所在なさげにもじもじしていた。

「朴さんは店長を呼んできてくれ。例の件で来たと伝えればわかる」

「ハ、ハイ。分かりましたデス」

 そう言ってパタパタと走り去るシンシア。

 彼女が姿を消して少し経った後、響達の前に見た目十二歳程度の見目麗しい美少女が姿を現した。ゴシックロリータ衣装がよく似合いながらも、何処か年に見合わぬ妖艶な雰囲気を湛えた黒髪の少女だ。

「檜貝殿、三上殿、ご苦労。この方達は? まあ見知った顔も居るがの」

 その言葉に反応するロビン。

「協力者ですよガラシャさん」

「おい檜貝、まだ決まってないだろ」

 話を聞くだけと言ったのにも拘らず、無理やり協力者に仕立て上げようとする檜貝を三原が諫める。

 ガラシャと呼ばれた美少女は響達に会釈する。

「お初にお目にかかる。妾はここの店長をしておる、月光院ガラシャと申す者。そして久しぶりじゃのう、ロビン」

 嬲るような視線をロビンの肢体に這わせるガラシャ。まるで獲物を品定めする蛇のようなねちっこい視線に響は若干引いていた。

「……知り合いか?」

「魔女だよ。私のような混じり物ではない、本物の」

「魔女ってことは、見た目通りの年齢じゃないってことか。しかし、随分気に入られているようだな」

「うう。ロビンさんこの子苦手……」

 一通り自己紹介が済むと、ガラシャは店で起こっている事件について語りだした。

 それはストーカー被害だった。ここ最近、店で働くアルバイトの少女達が何者かに尾行されているとのことだ。

 ただ、その追跡者は何を考えているのか、少女達を追いかけまわす以外の行動をとってはいなかった。

 直接的な被害がないとのことで、警察もまともに対応してくれない。それ以前に、追い回された少女達も付近を捜査した警察も、ストーカーの姿を全く見る事が出来ないでいたのである。

「ん? 姿を見ていない? 本当にストーカーなんているのか?」

「確かにうちの者達の中にストーカーの姿を見た者はいない。だがの、証拠はある」

「どんな証拠ですの?」

「匂いじゃ」

 どうにも犯人は香水を使用しているらしい。

 追跡されている間、強い匂いが常に漂ってくるのだそうだ。

 最近はストーカー対策に集団でアルバイトの少女達を帰宅させているのだが、彼女達が嗅いだ香水は常に同じ匂いらしい。

「となると、犯人は単独犯か……」

「ここの常連の皆も、警察が頼りにならないとのことで力を貸してくれてはいるんじゃが、一向に犯人の姿は認められん」

「ふーん。魔術的な方法は試したの?」

 ガラシャは首肯する。

「もちろん試した。妾のお気に入りを付け回す不届き輩には、それなりの対応をとるつもりじゃ。しかしな……」

 魔術的な探索方法にも全くもって引っかからない様子であった。

「そもそも、ここは武藤の魔王殿の御膝下。周りに漂う魔力が濃すぎるせいで、生物の放つ微細な魔力が紛れてしまっていかん」

「暗闇の中でコンパス使っているようなもんだもんねえ」

 ロビンが相槌を打つ。

「結局の所、目視による調査が一番効果的な訳か」

「うむ。故に人手は多い方がいい。協力してくれんかの?」

「仕事の片手間でよかったらな」

「む、仕事中であったか?」

 響は自分達が溶け女を追っている事をガラシャに話した。

「溶け女……最近噂になっておるな。残念じゃが、妾も噂以上の事は知らん。幸い常連は殿方ばかりじゃ。目撃したら知らせるように妾から頼んでおこう」

「手、貸してくれるのか。ならアンタの問題にも協力しないとな」

「ふふ、かたじけない。それより……お主ら、この件が解決したらここで働いてみぬか? うちのメイド服、とても似合うと思うんじゃが……」

 品定めするような視線を響達に向け、恍惚とした表情を浮かべるガラシャ。

 もはや遠慮はいらぬとばかりに、彼女の好色な瞳が響達の肢体を嘗め回す。

 まんざらでもなさそうな妃と環を制止しつつ、響と遼は背筋を震わせながら首を横に振った。

 肩を落とすガラシャを見て、ロビンは苦笑する。

「まあ、ロビンさん達、何でも屋みたいなものだから。別件で色々お仕事入ってくるし、メイド業にばかり構っていられないっていうか」

「残念じゃのう。では、妾はここでお暇させてもらおうか」

 そう言って退席するガラシャと入れ違いで、ルミとマリが注文された品を運んでくる。

「来たか」

 三原の表情に笑みが浮かんだ。

「待たせたわね御主人様!」

「メイドさんの気まぐれフルーツタルト、本日のフルーツは大きな葡萄です! ごゆっくりどうぞ!」

 各々の前に置かれたフルーツタルト。クレープだけじゃ足らなかったのか、環と孔明は早速舌鼓を打っている。

「……これがお前のお目当てか?」

 三原は頷いた。

「味も絶品だしボリュームもある。何より値段が安い。宮辺……甘味はいいぞ。疲れた頭にスーッと効く」

 眼の下にクマを作ってまで徹夜で本を読み漁っている三原の言葉に、環と孔明が頷いた。

「これは穴場だな。メイド喫茶……自分には縁のない場所だと思っていたが、こうもスイーツが充実しているなら開拓も兼ねて回ってみるべきか……?」

「ヒロにーちゃん! その時は私も誘ってね!」

 三人の甘党の至福の表情。響はそれを呆れた表情で眺めるのだった。


 夕日が影を大きく伸ばす、黄昏時の鯖江道。

 響達と別れた檜貝は三原と共にストーカー探しに躍起になっていた。

 他の常連客と連携を取るも、ストーカーらしき姿は影も形も見当たらず。

 今日も収穫なし。そう感じた檜貝は、マリー&セレストに戻る事にした。アルバイトの子達を安全に家に送り届けるためである。

 マリー&セレストへと続く道。三原は違和感に気づく。

 甘い匂いが周囲に充満している。それはメイド喫茶に近づくごとに強くなっていった。

 店舗の前で、シンシアがぼうっとした様子で立っていた。檜貝達が目の前に来たのにも関らず、気付いていない様子である。

「シンシアちゃん、どうしたんだい? なにか悩み事でも?」

 シンシアは答えない。海外暮らしが長く、日本語もまだたどたどしい金髪の少女は、メイド姿のまま佇んでいる。

「もう帰宅時間だろ? 私服に着替えなくてもいいのか?」

 三原の言葉に、シンシアはようやく彼らに気付いたらしい。はにかんだ様な笑みを浮かべる。

 檜貝と三原は息を呑む。美少女の儚い微笑。それが突如、崩れて溶けていく。シンシアの肢体はグズグズと蕩けていき、蠢く肉塊となりはてる。そのまま、シンシアだったものは排水溝へと飲み込まれて行く。

 悲鳴と共に檜貝は気を失った。

 三原は冷や汗を掻きつつも、響に連絡を入れる。

「宮辺、俺だ! 三原だ! 今溶け女に会った! マリー&セレストの前にいる! 急いで来てくれ!」

 悲鳴を聞きつけてやってきたのだろう。私服に着替えた少女達が、マリー&セレストから飛び出してくる。

 三原は、その中に今しがた溶けていったはずのシンシアの姿を確認した。

「檜貝さん、どうしたんですか?」

「ちょっとちょっと、何こんなとこで寝てんのよ! 風邪引くわよ?」

 ルミとマリが檜貝を介抱する側、三原はシンシアに問いただす。

「朴さん。今出たばかりか? さっきまで店の中にいたのか?」

 困惑しながらも、シンシアは頷く。

 ルミとマリも、ずっと一緒にいたとお墨付きを出してきた。

 だったら、あのシンシア擬きは何なのか。

「アレ?」

「どうしたのシンシア?」

「ンと、この匂い」

 あたり一面に漂う甘い匂い。響からもたらされた溶け女の情報と一致する。

「ちょっと! ストーカーの奴、さっきまでここにいたの? どうなの三原!」

 言い寄ってくるマリに三原は返す。

「……灰堂さん。この匂い、ストーカーの香水で間違いないのか?」

 ムスっとした顔でマリは答える。

「何よ! 疑ってるの? もう何回も嗅いだわよ。ほんとにウンザリ!」

 そんなマリの証言をルミとシンシアが補強する。

「うん。マリちゃんの言うとおりだよ。ストーカーがつけてる香水の匂い」

「エと。ワタシもなんどもかいだデス」

 周囲に集まる少女達も、間違いないとばかりに頷いていた。

 三原は思案する。

「どういうことだ? 溶け女がストーカー? 男しか狙わないはずじゃなかったのか?」

 気を失った檜貝を店内に運び込み、三原は響達の到着を待つのであった。


「溶け女がストーキング……何が目的だ?」

 報告を受けてマリー&セレストの前に再び集まった響達。

 三原からの報告を受けて、ストーカーと溶け女が同じ存在だと知って困惑する。

「……この排水口か?」

 三原が頷いた。

 シンシア擬きが吸い込まれた排水口。

 大分薄れたとはいえ、周辺には未だに甘い匂いが漂っている。

 特に排水口周辺の匂いは強く残っていた。

「シオン、追えるか?」

『私は犬じゃないんだけどなあ。まあ、やってみるよ』

 蠢く影が響の影から分離し、排水口の中に侵入する。

 犬ほどの嗅覚はないシオンだったが、無視していても鼻で感じる程の匂いである。匂いが濃い方に向かうのは、さして難しい事ではなかった。

「これで溶け女の居場所が突き止められればいいが……」

 祈るような表情で排水口を見つめる響であった。


『いたいたいた! いっぱいいた!』

 響の下に影が帰ってくる。随分と興奮した様子で、シオンは影の中から排水溝を指さした。

 溶け女はどうやら下水道に生息しているらしい。

 孔明がマリー&セレスト近くのマンホールを抉じ開ける。

 漂ってくる下水の匂いに顔をしかめつつも、響達は溶け女を追って下水道に侵入した。

 幸いというか、何というか。響達が汚水の匂いに悩まされる事はそれほどなかった。

 シオンの案内を受けるまでもない。歩を進める度に、下水道の匂いをかき消さんばかりの甘ったるい匂いが周囲を支配していく。

 一際広い場所に出た響達の眼に、それは飛び込んできた。

 少女の姿を取っては蕩ける人擬きの群れ。玉虫色に光る肉塊が無数に蠢く。テケリ・リ、テケリ・リと奇怪な鳴き声が木霊する中、メイド姿の一人の少女が声を張り上げていた。

「そこ! 声が野太い! もっと高らかに愛らしく! 匂いは甘く! 容姿は美しく! もっとフリフリ、ヒラヒラで……」

 そんな少女の声に合わせて、肉塊達は少女の姿への変身を試行錯誤している様子だった。

『何なんだこいつら』

 シオンの呟きにメイド少女は響達に気が付いたらしい。

「な、何奴! まさか追手? ダゴン秘密教団? それとも武藤の討伐部隊?」

 慌てた様子で捲し立てるメイド少女。それに合わせて、肉塊達が戦慄く様に声を上げる。

「クッコロ! クッコロ! テケリリリ!」

「おおお落ち着け皆! メイドさんはくっ殺なんて言葉は使わない! そうだ!」

 何かを閃いたらしきメイド少女は、優雅な仕草で会釈する。そして朗らかにこう言った。

「お帰りなさいませ! 御主人様!」


「で、何なんだお前ら」

 白けた表情でメイド少女に問いかける響。

 危険がないと分かったのか、環はそこら辺にいる肉塊達と戯れている。自分そっくりに化ける肉塊を見て、大はしゃぎしている様子だ。

「そうだな……取り合えず葛とでも名乗っておこう。聞いてくれ。我々の聞くも涙、語るも涙な来歴を」

 瑪瑙が語るに、彼女達はショゴスという名の奉仕種族だった。

 かつて、故郷を追われたダゴン秘密教団が堅洲町を占拠すべく攻めてきた時に連れてこられたらしい。

 しかし、堅洲町の守護者である武藤の一族や、住みかとする怪異たちの猛反撃に会いダゴン秘密教団は敗退。武藤の一族の協定の下、信仰の強制の禁止等の条件と引き換えに、ダゴン秘密教団は堅洲町での活動を許されたのであった。

 最も、この武藤の下に付くことを良しとせず、この地を立ち去った教団員も数多くいた。このショゴス達は、そんな連中に置き去りにされたのだという。

 かつては知性の存在しなかったショゴス達であったが、武藤の御姫様なる存在にいいように蹂躙された事がトラウマとなったのか、その恐怖心が知性を芽生えさせる切欠となったらしい。

 下手に暴れれば、武藤の御姫様によって滅ぼされる。そう学んだ彼女達は、下水道の中で密やかに生活していたのであった。

「なーんだ。みゃー君達から隠れて暮らしていたんだ。みゃー君達、結構優しいよ? 問題を起こさなければ、悪戯に討伐されたりなんかしないって」

 そんな環の言葉に、ショゴス達は身を震わせる。

「いや、分かってはいるんだ。大人しく暮らしていれば危害は加えられないって。実際、何度か武藤の巡回に遭遇したけど、軽い忠告だけで見逃されたし。しかしな……」

 余程武藤の御姫様の事がトラウマになっているらしく、武藤の一族への恐怖心は拭い去れないでいるようだ。

「まあ、君達の苦労はよく分かったけどさ。化けるにしても何でメイドなのさ。ロビンさん疑問」

「ふふふ。よくぞ聞いてくれた。元より私達は奉仕種族。主に仕え、奉仕するのは望む所。しかしそれでも限度がある!」

「海星樽かい?」

「それもある。だが、ダゴン秘密教団の連中も、他の連中も、私達を道具のようにしか見ていない! ショゴスを使い潰すのが常識となっているブラック企業ばかりでもうウンザリ! 奉仕種族だって愛が欲しいんだ愛が! そこで発見したのがこちら!」

 ショゴス達が一斉に本を取り出した。どこから手に入れてきたのだろうか、メイド物の漫画ばかりだった。

「この本を見て確信した! メイドさん! メイドさんになれば私達に愛情を注いでくれる御主人様に出会えるはず! そう確信した私達は、この薄暗い地下の中で必死になって変化の特訓を行っていたのだ!」

 響は頭を抱える。メイドに夢を見すぎだった。

「それでメイド喫茶の方々を付け回していたんですのね……」

「男ばっかり狙っていた奴らは御主人様探しか?」

 響と妃の言葉に、葛はしかし何の事だか分らないとばかりの困惑の表情を浮かべる。

「え? 何それ?」

「お前、知らなかったのか? 最近話題になっているぞ」

 溶け女の噂。マリー&セレストの従業員に対するストーキングの件。葛の顔に焦りが見える。

「ちょっとちょっとちょっと! お前達勝手に外を出歩いたのか!」

 視線を逸らすショゴス達。そんなショゴス達を葛は問い詰める。

「何? メイドさんを見かけたから練習のために観察していた? そっちは? 男の人に見てもらった方が可愛く化けられているか判断しやすい? あーもう!」

 頭を抱える葛。

「問題起こすなって言ったでしょーが……殺される……武藤の御姫様に殺される……」

「そんな事で起こらないと思うけどな~」

 呑気な環の声。

 やがて葛は覚悟を決めたと言わんばかりの表情で立ち上がる。

「このまま待っていても滅びは必須……ならば最後に一花咲かせて見せようか! 皆のもの! 出陣だ! 武藤に対して宣戦布告だ! 生き残る道はそれしかない!」

「待て待て待て!」

 自暴自棄に陥った葛を留めようとする響。他のショゴス達も、必死になって暴れる葛を抑えている。

『なあ。こいつら、力尽くでどうにかできないのか?』

 そんなシオンの提案に、ロビンが首を横に振る。

「無理だね。ロビンさん達がどうこうできる相手じゃないよ」

 元来、ショゴスという生物は危険極まりない存在である。

 ロビン達の力では、例え一匹が相手であっても軽く返り討ちにあうだろう。

 そんな強大な存在がこれまで大人しくしていたのも、知性を得た事で本能からくる凶暴性が薄れたためであった。

「じゃあ、どうしよう? このままじゃ葛さん一人ででも夜見島に特攻しかねないよ?」

 遼の声に、ロビンはしばし思案する。

「それじゃあ君達、ウチ来る?」

 ショゴス達の下敷きになって藻掻いていた葛の動きが止まった。

「ウチ?」

「車輪党にか?」

 ロビンは頷いた。

 車輪党。それは英国で生まれたの新鋭の魔女組織である。

 権威と伝統に塗れた堅苦しい魔女組織ばかりが幅を利かせる中、もっと気楽に研究を行えるように新しい魔女のための活動の場として設立された組織だ。

「党に入れるのは魔女だけなんだけど、使い魔は例外だからね。ロビンさんの使い魔って事にすれば問題なく受け入れてもらえると思う。何より……」

 葛に視線を合わせ、意味ありげに笑うロビン。

「メイドさん、いるよ。メイド喫茶の従業員とかじゃない、本場物のヴィクトリアンメイドが。車輪党に来てくれるんなら、彼女からメイドの修業ができるように頼んであげちゃうんだけど……」

「行く!」

 圧し掛かるショゴス達を気合で弾き飛ばし、葛はロビンの手を取った。嬉しそうにブンブンと振り回す。

 ショゴス達も、下水暮らしはおさらばだとばかりに環と喜びの舞を踊っていた。

「いやあ。ロビンさんとしても助かるよ。ウチ、数年前に新しい拠点に移ったんだけど、中々広大でね。人手が全然足りてないんだ。仕事に関しては心配しなくていいよ。ウチの党首さんはお人好しだからね。君達を無碍に扱う事は誓ってないよ」

 かくして。溶け女事件はここに解決した。

 ストーキングの件も片が付いた事を伝えると、マリー&セレストの面々から感謝の言葉がかけられる。

 夜見島への武藤襲撃も未然に防がれ、すべては一件落着。


「だったら良かったんだけどなあ」

 響は今日も背後に視線を感じていた。

 チラチラと姿を見せるのはゴシックロリータ服の少女の姿。月光院ガラシャであった。

 あの事件以来、どうにも眼につけられたらしく、メイド喫茶へのスカウトをすべく響達を付け回すようになったのだ。

 今度はこちらがストーキングに悩まされるとは、思ってもいなかった響であった。


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