夏休みの宿題
「迷ったら反対のことを考えればいい」
そう教えてくれたのは春樹叔父さんで、当時ぼくは小学五年生だった。春樹叔父さんは、母さんの年の離れた弟で、ぼくの家庭教師だった。叔父さんは、大学を首席で卒業し、一流企業に就職したのに、二年もたたずに辞めてしまった。
「しょうもない弟だけど、勉強だけはできるから」
そう言って、母さんが春樹叔父さんを連れてきた時、ぼくは中学受験のために勉強漬けの毎日を送っていた。アルバイトをしては気ままに旅行しているという叔父さんがうらやましかった。
ぼくは国語が苦手だった。算数のように明確な答えが出ない。正解かそうでないか判断がつかないから、どれくらい点がとれたかもわからないし、答案が返ってきても直し方がわからない。
生きるということについて君はどう考えるか。
二百字以内で記述せよ。(K学園中学校)
第一志望校の過去問。いったい何を書けばいいのだろう。ぼくにとっては地獄だった。
「わかんないや」
鉛筆を投げ出したぼくに、叔父さんは言った。
「迷ったら反対のことを考えればいい」
「人が死んでいるところを見るんだ」
ジリジリとあがくように蝉が鳴いている夏の日のことだった。「夏休みの宿題だ」と言って、叔父さんはぼくを外へ連れ出した。白いシャツと黒いズボンを渡されて、叔父さんに言われるまま駅のトイレで着替えた。
「どこに行くの?」
ぼくが聞くと、
「サイジョウ」
と叔父さんが言った。「斎場」という漢字がすぐに思い浮かばなかった。
生まれて初めて足を踏み入れたその場所はなんだか気味が悪かった。看板を持った黒服の男が道すがら立っていて、知らず知らずのうちに黄泉へ吸い込まれてしまいそうだった。
ついていったらいけない。
本能的にそう感じて、叔父さんのシャツをつかんだ。そのくせ、ぼくは人が死んでいるところを見たくてたまらないのだった。
「誰が死んだの?」
小声で聞くと、
「三丁目のばあちゃん」
叔父さんが言った。
「知りあい?」と聞くと、「いや」と首をふる。
叔父さんが香典を出し、受付をすませた。お経に合わせて木魚を叩く音が響く部屋に入ると、祭壇の中央に「三丁目のばあちゃん」らしき人の写真が飾ってあった。水色のバックの明るい写真だった。
左右に並べられた椅子には、白髪混じりの大人が大勢座っていた。親子連れも何人かいて、一番小さな子供は飽きてしまったのか母親のひざに頭をすりつけてぐずっていた。
司会の男の人が、三丁目のばあちゃんの半生を語った。昭和六年生まれ。おしゃれが大好きで、とくに洋服が好きだった。女学校を出て、服をつくる仕事についた。結婚し、三男一女を生み育て、孫は八人、ひ孫も三人いる。そうか。前列に並んでいるあの人たちは、みな三丁目のばあちゃんの子孫なのか。
叔父さんに促されて、お焼香をした。祭壇を見つめて手を合わせ、祈るふりをしてこっそり目を開けた。もう少しで手が届きそうなところに棺があった。あの中に死んだばあちゃんがいると思うと胸が高鳴った。どうしたら中を覗けるだろうか。ぼくはそのことで頭がいっぱいになった。
叔父さんに背中を押され、親族の方に向き直った。叔父さんに倣っておじぎをすると、最前列のおじいちゃんおばあちゃんたちがそろって頭をさげた。どうしたらあの棺の中を見ることができるのだろうか。席にもどってからもぼくはそのことばかり考えていた。
そして、とうとうその時はやってきた。葬儀が終わると、ぼくたちは棺のそばに行ってお別れをするよう言われたのだ。
「お母ちゃん、笑うとるわ」
「ほんま、いい顔してる」
「ほうら、見てみ。ひいばあちゃん、笑うとるよ」
長い列の最後に並び、叔父さんと一緒に棺を覗いた。真っ白い顔のおばあさんが横たわっていた。絵具で塗りたくられたような分厚い化粧の上からしわの一本一本がしっかりと刻まれていた。これが親族の言う「いい顔」なのか。ぼくにはわからなかった。近づくと、少しだけ冷やっとした。係の人に渡された白い花を棺に手向ける。
叔父さんがうなずいた。帰る合図だ。
隣室から大声で笑う声が聞こえた。がやがやと騒がしい。ふりむくと、部屋の入口が開いていて、オレンジ色の光が漏れていた。そっと覗くと、さっきまで葬儀に参列していた人たちが、寿司桶をかこみ、ビールを飲んでいた。まるで宴会だ。大人は酔っ払って大声で話し、子供はぐるぐるとテーブルの周りを走り回っていた。
「お母ちゃん、がんばったなあ」
「ほんま」
「大往生だな」
「せやな」
「おい、こら。健太。サーモンばっか食うな」
「だいおうじょうって?」
たった今聞いたばかりの言葉を叔父さんに尋ねた。
「辞書でも引くんだな」
叔父さんはそう言ったきり、帰り道ずっと黙っていた。行きに見た黒服の案内人と同じ黒のスーツ姿の叔父さんが、何かの拍子にふっと闇に消えてしまいそうで、ぼくは必死で追いかけた。駅前まで来ると、居酒屋が立ち並び明るくなったのでほっとした。店先に揺れる赤提灯は、さっき見たあのお正月のような家族のにぎやかな光景と似ていた。
やがて、家にたどり着くと、
「お清めだ」
叔父さんはそう言って、ぼくの肩にぱらぱらと塩を撒いた。
次に叔父さんがやって来たのは、しとしとと雨の降る水曜日だった。斎場に集まっていたのは三丁目のばあちゃんの葬式に来ていた人たちより若い人たちばかりで、子供はひとりもいなかった。
「今夜は誰?」
ぼくが聞くと、叔父さんは「知らん」と首をふり、
「自殺だ」
と言った。
「えっ」
びっくりしすぎて、しゃっくりみたいな変な声をあげてしまったぼくの腕を叔父さんがつねった。自殺という死のかたちがあることを知らなかったわけじゃない。そんなのテレビでいくらでも目にするし、世の中にあふれている。けれど、それが今、自分の目の前にあることが信じられなかった。
叔父さんに続いて部屋に入ると、三丁目のばあちゃんの葬式の時とは全然ちがう緊張感が伝わってきて、背中がぴりっとした。女の人のすすり泣く声が聞こえる。来る人来る人額にしわをよせ、苦しそうな表情で親族に頭をさげ、ハンカチで涙をぬぐった。亡くなったのは三十一歳の男の人。叔父さんと同い年だった。思いやりのあるやさしい子だったと司会の人は何度も言ったけれど、自殺の理由は知らされなかった。
花を手向けるため、棺を覗いたぼくはびっくりした。顔がなかった。その代わり、遺体の顔の部分に大きく引き伸ばした顔写真が置いてあった。やわらかい布でこんもりと遺体を包んだ棺の中で、顔だけがつるりと薄っぺらく、異様な光景だった。
「ひどい状態だったんだろ」
叔父さんがぼくの耳にささやいた。
「線路に飛び込んだ」
その意味がわかったとき、胃の中のものが一気にあがってきそうになって、ぼくはあわててトイレに駆け込んだ。
家に帰って、玄関に出迎えてくれた母さんの顔を見たとき、ぼくは心底ほっとして、うっかり泣きそうになった。雨に濡れた顔をぬぐうふりをして、ぼくは目をこすった。
「だいぶしごかれたみたいね。春樹と、長文読解でもやってきた?」
母さんはそう言って、キッチンへもどっていった。やがて魚の焼ける匂いと一緒に母さんの鼻歌が聞こえてきた。晩御飯に食卓に並んだアジの塩焼きをぼくはどうしても食べる気になれなかった。
その日は着替えなくていいと叔父さんに言われた。明るい時間の待ち合わせは初めてだった。バスに乗って、ぼくは公園に連れていかれた。緑にかこまれた外国のような石畳の小径を叔父さんと並んで歩いていると、噴水のむこうに白い小さな建物が見えた。
しばらくすると、靴音を響かせ、むこうから家族連れが歩いてきた。お父さんとお母さん。ぼくより年下の華奢な女の子と幼稚園くらいの男の子。
「ねえ、また犬飼う?」
小さい男の子がしつこく聞いていた。
飼い犬が死んでしまったらしい。女の子の手の中にあるのが骨壺だと叔父さんが教えてくれた。言われなければ、キャンディでも入っているかのようなきれいな白色の器を女の子は大事そうに抱えていた。
「ぼく、コッカースパニエルがいい」
男の子が言い、
「なんでそういうこと言うのっ」
叫び声に近い声で女の子が言った。
「スモモが死んじゃったんだよ。スモモの代わりなんかいないんだから」
パンッと大きな音が聞こえたかと思ったら、男の子がよろけて大声で泣き出した。
「おねえちゃんがぶった」
「だって拓真がひどいこと言うから」
男の子はわんわん泣いている。女の子は顔を真っ赤にしている。
「ほらほら、ふたりともけんかしない」
お父さんが男の子を抱っこし、
「帰ったらスモモをお庭に埋めてあげましょうね」
お母さんは女の子の肩にやさしく手を触れ、ぼくたちの横を通りすぎていった。
「あの家族はまた犬を飼うと思うかい?」
叔父さんが言った。ぼくは、わからなかった。飼うような気もしたし、飼わないような気もした。
「わかんないや」
そう答えて、ぼくはまだ宿題ができていないことを思い出した。K学園中学校の過去問。ぼくはもう三度も「死」を見てきたけれど、まだあの問題について答えられる気がしない。
「わかんないや」
ぼくはもう一度言った。
「それも立派な答えだ」
叔父さんが少しだけ笑った。
急用ができたと叔父さんが言い、ぼくはひとりで帰ることになった。叔父さんに帰りのバス停を教えてもらい、反対方向に歩いて行く叔父さんを見送った。数歩歩いた叔父さんが突然かがんだので、ぼくはびっくりした。
「春樹叔父さんっ」
叫んだとき、バスが来た。叔父さんは地面にひざをついたままぼくを振り返り、バスに乗るよう手で合図した。公園側の座席に飛び込み、窓から叔父さんを見た。叔父さんが立ち上がって、ちゃんと歩いていたのでほっとした。
二週間後、叔父さんは着替えを持ってぼくを迎えに来た。
「今度は誰?」
ぼくが聞くと、叔父さんは、やっぱり「知らん」と言って首をふった。もう何度も知らない誰かの葬儀に紛れ込んだぼくは、祭壇に飾られた写真と最前列に座る人たちの姿で、なんとなくどういうお葬式なのかわかるようになっていた。母さんくらいの年齢の女の人と制服を着た女の子がふたり。亡くなったのはあの姉妹の父親だ。まさかと思っていたら、
「自殺じゃない。安心しろ」
叔父さんがそう言ってぼくの背中を押した。病気だったらしい。その時のぼくには、父親が死ぬということが信じられなかった。ぼくだっていつ父さんや母さんを失うかもしれないのだ。そう思うと、心のどこかで父さんや母さんは絶対死なないと思っている自分はなんて浅はかなのだろうと思うのだった。あの家族の父親はどんな顔で棺に眠っているのだろう。残された親子はこれからどうやって生きていくのだろう。そう思いながらお焼香に並んでいたら、
「あなたたち、何してるのっ」
小さく叫ぶ声がして振り返ると、母さんが立っていた。
「いったい何のつもり? 奏斗の勉強をみてくれていたんじゃないの?」
母さんが叫ぶ。こんなところで母さんと鉢合わせるとは思っていなかったので、叔父さんもぼくも驚いてばかりで言葉が出てこない。
「亡くなった人のこと冷やかして、何がおもしろいの。不謹慎だわ」
母さんは止まらない。亡くなった人の奥さんは、母さんの高校時代の同級生だった。
「母さん、ちがうんだ。これは宿題なんだ」
叫びたかったけれど、声にならない。どうしていいかわからずあわあわしていると、
「今すぐ帰って」
いまだかつて聞いたことのないようなすごみのある声で、母さんが叫んだ。叔父さんは額にㇵの字を寄せ、ぼくを母さんに引き渡した。踵を返し、ふたりで来た道をたったひとりで帰っていく。叔父さんのまるまった背中がひどく悲しそうに見えた。
「春樹叔父さんっ」
走り出そうとしたぼくの腕を母さんがぎゅっとつかんだ。それきりぼくは二度と叔父さんと会うことはなかった。
春樹叔父さんの訃報を知らされたのは、受験直前の一月だった。葬儀には連れて行ってもらえなかった。母さんも知らなかったことだけれど、叔父さんは病気だった。二十四歳のときに余命宣告を受けていたという。そのことが原因で叔父さんは仕事を辞め、治療しながらアルバイトをして生活をしていた。あちこち旅行していたというのも嘘で、実際は入退院を繰り返していたらしい。
ぼくと過ごした日々を叔父さんはどんな気持ちでいたのだろうか。知らない人たちの死を見送り、祈りをささげたあと親族に深く頭を下げていた叔父さん。叔父さんが見つめていたのは、死だったのか、それとも生だったのか。ぼくは何度も考えたけれど、どうしたってわからないのだった。
それでも、ぼくはあの「三丁目のばあちゃん」の賑やかな笑い声にあふれた葬式を忘れられなかった。「大往生」を辞書で引くと「十分に長生きをして、天寿をまっとうすること※」と書いてあった。
ぼくはK学園中学に合格した。
二十六歳になったぼくはK学園中学校の校長室にいた。系列の大学に進学し、母校のK学園中学校の教員に採用されて四年働いた。退職をすることは、恩師でもある学年主任の滝野先生にすでに話していた。今日、ぼくは正式に辞表を提出しに来たのだ。
「行くことに決めたんだね」
国際ボランティア団体が募集していた紛争地での活動をぼくは志願した。学び舎を失った子供たちのための学校の再建と教育がぼくの新たな使命だ。
「大きな決断をしたね」
校長が言った。
「はい」
「ずいぶん考えたんだろう」
辞めてもらっては困るでもなく、行くなとでもなく、校長は静かに言った。
「反対のことを考えてみたんです」
ぼくが言うと、校長が興味深そうに身体を前に傾けた。
「もしぼくが行かなかったらどうなるかということです。現地の子供たちは十分な教育を受けられず、学校が再建されなければ、その次の世代も同じことになります。だから、今しかないと思ったのです。もちろん、ぼくひとりでは力不足でどうしようもないことくらいわかっています。でも」
そこまで言って、大きく息を吸ったら、おなかの底から熱い塊のようなものがふつふつと湧いてきた。
「ぼくは、人が生きるためにできることをしたいんです」
これが答えだ。今の、そしてあの夏の宿題の。一瞬、背中に春樹叔父さんの気配を感じた。校長に丁寧におじぎをし、ぼくは校長室をあとにした。
※新明解国語辞典第七版 三省堂より