三、待ってる(5)
一方、入院中の真理子は自身の身体の回復力に驚き、人体に興味を持つ。
担当の看護師との会話の中で、真理子もとある決心が芽生え始める。
時間を半日遡り、真理子が入院している病院にて。
薄日の差す空を病室の窓からぼんやり眺めながら、真理子は体温計を腋に入れ計り終わるのを待っていた。やがてピピピッという電子音が鳴り、傍にいた看護師に渡す。
「三十六度四分……平熱ですね。お疲れさま」
「いえ……」
物腰柔らかな口調と態度に、真理子はいつも恐縮してしまう。
(それにしても、人間の回復力ってすごいんだなあ)
事故から五日が経過したが、至るところにあった擦り傷はほとんどが塞がりかけている。むしろ、かさぶたになってかゆいのを堪える方が辛いくらい。右腕の打撲は炎症が収まってきてるようで、経過は順調とのこと。さすがに、左足、左腕は動かせないが、あと何日かするとリハビリを開始するらしい。
こっそりスマホで調べたが、いきなり歩いたりするのではなく、折れた箇所から離れた部位を動かす訓練をするそうだ。検索に病院のブログがヒットして、ざっと眺めても真理子にはあまりピンとこないのだが、大変だろうな、という想像はできる。
というか、『死んでしまうかも』なんて大袈裟に考えていた自分が恥ずかしい。ただ、事故直後の激痛でそう思っても無理からぬこと。あの筆舌に尽くし難い痛みは、親や希望、他の誰にも味わってほしくない。
記録をつける看護師が再び声をかける。
「どこか痛いところとかありませんか?」
「特にないです」
「そうですか。痛かったら無理せず呼んで下さいね」
「あの……看護師さん」
「はい?」
「看護師さんはどうして看護師になろうと思ったんですか?」
真理子がそう聞いたのは、語弊のある言い方だが、見ず知らずの人のためにそこまで献身的になれることにふと疑問が湧いた。
看護師は少し照れた様子を見せる。
「大した理由じゃないですよ。私も小さい頃は体調を崩しがちで、病院に長く通っていたの」
「全然そんな風に見えないですけど……」
「おかげさまで。それで、私も刑部さんと同じことを私の担当の看護師さんに聞いたの。そうしたら——」
「そうしたら?」
「『誰かを助けたいと思う気持ちは、この世の【真理】の一つだ』って言われたわ」
「……………………」
「ちなみに、その方も子どもの頃看護師さんにそう言われたそうよ」
「そう……ですか」
「刑部さんは看護師を目指しているの?」
「いえ、そういうわけでは……」
「脅かすようで悪いけど、看護師になることより、看護師になった後の方が大変かも知れないわね」
「それって……」
「目の前で失われる命を何度も見るのは……慣れないわね」
手を尽くしても消えてしまう命の灯火。その無念さは真理子には計り知れない。
「刑部さんは確か高校二年生?」
「はい」
「私が言える立場ではないのかもだけど、十分考えてそれでも看護師になりたいと思ってくれたなら、私も看護師冥利に尽きるわ」
「いえ、看護師さんはすごいと思います」
「私は看護師としてはまだ若輩者よ」
そう謙遜するも看護師の耳が赤くなっていて微笑ましい。
「ありがとうございます。お話につき合ってくれて」
看護師はにっこり笑って、真理子の病室を後にした。
真理子はベッドに身を沈めて目を閉じ、さっきの看護師の言葉を思い出す。
(誰かを助けたいと思う気持ちは、この世の【真理】の一つ……か)
その言葉は深く印象に残り、頭の中でリフレインする。
(ひょっとして見つけたのかな……絶対の定義を示す【真理】を……)
何の気なしに聞いたことなのに、ずっと探していた【答え】を偶然手にした気がしていた。鼓動が速くなり血管も激しく脈打つから、左足と左腕までチリチリする。
(いやいや、落ち着けわたし……)
少し横になろうかと思っていたのに、興奮して眠ることができない。何かをしようと思っても手につかず、お昼になって昼食を摂り、午後も同様に過ごした。
真理子宛ての寄せ書きを持ち、病院の入口まで全速力で駆けてきた希望が病室を訪れるまでは。