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私の名前を呼んでみて  作者: サツキヒスイ
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三、待ってる(1)

真理子の交通事故。


連絡を受けた希望は、家を飛び出し真理子が運ばれた病院に向かう。

しかし、手術室から運ばれる真理子を見て、希望は自分の無力さに苛まれる。

 梅雨に入った六月下旬。

 希望が帰宅し自室で寛いでいると、その連絡を受けた。全身の血の気が引き、何秒か呼吸をするのも忘れる。正に青天の霹靂へきれきだった。真理子の母親が怪我の状況や運ばれた病院の名前も教えてくれたのに、茫然自失になって全く耳に入らない。辛うじて我を取り戻し、もう一度も真理子の運ばれた病院の名前を聞いた。

 すぐに着替え、雨が降りしきる中飛び出すように家を出る。距離的には真理子の家より希望の家の方が近く、最寄りの駅から下りの電車に乗って二駅、そこからさらに徒歩で商店街の通りを抜ける。地元では有名な大きな大学病院に辿り着く。

 希望はまだ冷静さに欠き、どうすれば真理子に会えるかだけを考えてしまい、受付で状況を説明し真理子が現在どうなっているか尋ねた。受付の人は何ヶ所かに電話をし、真理子が手術をしていることを教えてくれる。その場所も教えてもらい、希望は覚束ない足取りで歩いた。

 感情が壊れてしまったのだろうか。『辛い』とか『悲しい』という気持ちが湧いてこない。今歩いている無機質なリノリウムの床のように、心も身体も冷たくなっているような感覚を覚える。

 目的の場所に着いたが、どうやら手術は続いているようだ。看護師が何人か希望と通り過ぎるが、真理子の手術に携わっている人かはわからない。近くの長椅子に座り、大きく呼吸して冷静になるよう努めた。けれど、グチャグチャの頭の中は容易にほどけそうにない。スマホを取り出し、連絡があったか確認したが履歴はなかった。

(おばさんもこっちに向かってるはず)

 病院なのでミュートを解除することはできない。着信があったらすぐ操作できるよう両手で持つ。自然と姿勢は猫背になり頭が垂れた。そのまま何分くらいそうしていただろうか。

 目を閉じたままじっとしていると、手術が終わったのだろうか病室の扉が開き、ストレッチャーに載せられた患者が搬出される。運ばれたのは——

(マリ……)

 ——心の中で名前を呟くだけで、怖くて顔を上げることができなかった。

 辺りは再び静寂に包まれ、希望は大きく息を吐く。

(もし、マリがこのまま……)

 最悪の事態を頭に思い浮かべると、今まで押し込めていた感情が堰を切ったように胸の奥から流れ出し、嗚咽してしまう。『こんなところで泣いていたら迷惑がかかってしまう』と思い、声を噛み殺し必死に涙を拭う。けれど、湧いてくる涙は止まらず、悲痛な思いを堪えることができない。

(あたし、ここにいても何もできない)

 どんなに胸が痛くても考えるのを止めず、今の自分に何ができるか考えたが、自分で導き出した答えは無情だった。真理子の顔を見ることもできず、俯いて下を向いたままただ悲しくて泣くだけ。

 今ならまだ間に合う。立ち上がって通りかかった看護師に真理子がどこに運ばれたか聞けば、顔を見ることくらいはできるかも知れない。まさか病院に勤める人間が、親友が事故で運ばれお見舞いに来た自分を邪険に扱うはずないだろう。そう思っても足が床に縫い合わされたように動かず、時間が無意に過ぎていく。

 未だ真理子の母親から連絡が届かず、スマホをぎゅっと握りしめる。一人でいると思考が袋小路に陥って抜け出せない。せめて誰かと話せたら。

 そう思っていると、一人の看護師が希望に声をかけてきた。膝を折ってしゃがみ、希望と目線を合わせる。

「どうされました? 顔が真っ青ですよ」

「友だちがここに運ばれて……手術も終わって出ていきましたけど、怖くて顔も見れなくて……」

「あなた、刑部さんのお友達?」

「マリを知っているんですか!? マリは……マリはどうなりましたか!?」

「落ち着いて」

「す、すいません」

「命に別状はないわ。安心して」

 看護師の言葉に希望の目から再び涙が溢れる。

「よかった……よかった、マリ……」

 涙を流しながら安堵していると、手にしたスマホが小刻みに震えだした。表示された番号は、真理子の母親の携帯だ。希望はチラッと看護師の顔を見る。

「手短にお願いしますね」

 融通の利く人でよかった。指で涙を拭い、通話ボタンを押して応答した。

「もしもし……はい、佐久良です。こんばんは。はい、あたしは病院に来てるんですけど——」

 真理子の母親はこちらに向かっているものの、到着までまだかかるそうだ。言われた通り手短に要点だけを伝える。受付で真理子の名前を言えば現状を教えてくれること。命に別状はないこと。娘が事故に遭ったというのに、真理子の母親の声は穏やかで落ち着いている。話している間に希望まで冷静になっていった。

「——はい……はい……それでは」

 通話を切り、背もたれに寄りかかって天井を仰ぐ。

(そうだ……『今』、あたしにできることはない。おばさんに……ご家族の方に任せよう)

 ようやく足に力が入り、すくっと立ち上がる。

「看護師さん、ありがとうございました。もう大丈夫です」

「そう、よかったわ。あなたはこれからどうするの? 刑部さんの顔を見ていくことはできるけど……」

「いえ、あたしがいても邪魔になるだけですし、ご家族の方に任せて今日は戻ります」

「そう……落ち着いたらお見舞いにいらして。患者さんの励みになるから」

「はい」

 希望は看護師に一礼し、出口へ向かった。

 病院を出てもう一度スマホを取り出すと、真理子の母親にRHINEでメッセージを送る。自分は今日は帰ること。状況が落ち着くまでご家族に任せること。落ち着いたら真理子の容態を知らせてほしいこと。

 送信してスマホをしまうと、空を見上げた。まだ弱い雨が降り続いている。

(マリ……)

 本当は顔を見たかった。少しでも話がしたかった。看護師はああは言ったけれど、この後会って話ができるという保障はない。この期に及んで自分の判断が正しかったかどうか疑問に思う。

「信じよう……今は、周りの人を……」

 自分に言い聞かせるように独り言をつぶやく。真理子の母親の落ち着きぶりは、同じ女性として人生の先輩として頼りになるし、さっき話した看護師も気遣いに溢れ、きっと真理子を支えてくれるだろう。

 足を一歩前に動かし始める。来たときと違って鉛のように重かったが、自分の親にまで心配をかけさせるわけにいかない。

 傘を差し駅を目指す。頭の中は真理子のことでいっぱいで、ずっと彼女の無事を願っていた。

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