歩廊に聲、響く……写す、遷す
三十路を過ぎたくらい、働き盛りの男が項垂れながら乗降場のベンチに座っていた。
日常に疲れて、ついつい微睡んでしまっていたのだろうか。突如、男は、我を取り戻したのか、バネが弾むように顔を上げる。
そうして、得心の行かぬ表情を浮かべつつ周囲を見回しながら……。
「……なんで?……いつの間に……。」
駅のプラットホームに、どうしているのかがわからぬ。と戸惑う素振りを見せた。
どの様な経緯でここに来たのか、微睡んでしまっていたのかわからないが、普段から利用する駅の風景だからこそ、多少は落ち着いているが、この状況が男にとって不可解だった。
駅のホームには電灯が煌々と灯っていることから、あたりが暗いことはわかる。しかし、夜というほどには暗くはない。
空をれば、黒く重苦しい、今にも土砂降りを降らせるだろう、ぶ厚い雲が空を覆い尽くし、照明がなければ、ここがどこなのか判らなかったかもしれない。
これだけの曇り空であれば、男は傘の一本くらいは用心で持っていることだろうが、持っていない。
男は、ここで、違和感に気がついた、そもそも、カバンなどの荷物を持っていない。服のポケットにも何も入っていない。
それらに狼狽していると、声が聞こえた気がした。男は、あたりを見回す。だが、どこにも人はいない。ただ、遠くには漆黒。手前には駅の停車場が映るだけで、人っ子一人いない。
誰一人としていないことから、更に違和感を覚えた。
電灯が灯っているならば、駅を利用するものはかならずいるのだ。この駅は、いわゆるベッドタウンの駅なので、終電まで人が絶えることがないはずだ。
この不気味さから逃れようと、誰か人の姿を確認しようと、この状況から逃れようと、改札に向かう。男は改札には流石に人がいるだろう。と、考え、向かう。連絡通路、そして階段を足早に歩き去り、ついた改札には、やはり、人はいなかった。
しかし、その光景はいつもと違い、改札の手前付近に、空の重苦しい雲ならぬ、霧が立ち込めていた。
男が感じているものが違和感から不気味へと変わり、とにかく駅から出て、家に辿り着こうと、改札を出ようとする。
そこでまた声が聞こえた。小さくであるが、言葉をハッキリと理解できるもので、「ここから出ることは出来ない」と、聞こえたが、しかし、周囲に人はいない。
一度、立ち止まっていたが、霧に向かって歩みを進めたところで、男は柔らかい何かにぶつかった。
慌てて、ぶつかったものに向かって手をかざせば、目の前の霧そのものがクッションのような壁になっている。それは改札全てを覆い尽くしていて外に出ることが出来ない。
こうなると、男の心は違和感、不気味から不安を通り越し、恐怖に支配され、かられて、その恐ろしい状況から何が何でも逃れようと、窓を叩いたり、勝手口のドアが開かないかノブを回したりと体当たりを繰り返し、挙句の果てにはプラットホームから飛び降りて、線路伝いにこの場を逃れようとした。
だが、窓は砕けもせず、ドアはコンクリートのように固まり、プラットホームに飛び出そうとしても、霧のクッションにやんわりと戻されてしまった。
「なんなんだよ……」
方々、手を尽くし、途方に暮れた男は、疲れ切った表情で、気がついたときに座っていた乗降場のベンチに座り、うつむいている。
「……隣りに座って構わないかね?」
途方に暮れたところで、声がかけられて、男が顔を上げると、初老の男が立っていた。
了承を確認するまでもなく、初老の男は、一人分の幅を開けて椅子に座り、おもむろに口を開く。
唐突に現れた初老の男を見れば、仕立ての良いスーツ、上等な靴、それらに合った杖と帽子。落ち着き払った様子と実に合っていた。
「ようやく私の声が聞こえて、姿が見えるようになったようだが、君は、どこまで分かってきたかね?」
「わかってきただと!?わからねぇよ。あんたは何なんだ。何を知っているんだ!!」
それまで置かれていた、誰もおらず、出ることも出来ぬ不可解な状況に置かれて神経がささくれだっていた男にとって、この状況で初めて会った目の前の初老の男に、平素に振る舞われたことで、抱え込んでいた様々なものがせきを切って飛び出していた。
「まぁ、落ち着き給えよ。私に掴みかかろうが、何をしようが、この状況が変わるものではない。慣れてきたのは良いことだがね。」
「……慣れ?」
言いながら椅子に座るよう促され、男は渋々と腰掛ける。
「そう、慣れだ。コチラ側に来たものは直ぐには会話はできないし、いろいろなものが見えなくなってしまうんだ。
君はこの駅をいつも使っていたね。年の頃は学生の頃からか……。ここを気に入ったのか、様々なことを体験しながら、歳を重ねていった。
そうして、今日、コチラ側に来たのだね。……我々はここを使うものをいつも見ている。」
「………我々?」
「そうだ。そろそろ見えるんじゃないな?目がなれてきただろう」
そうして、初老の男が指をさすと、"急行"と書かれた表示版をつけた電車がホームに止まっていた。
男はコレに訝しんだ。この駅は急行が停まる駅ではない。
それが……止まるなんて……。何よりおかしいのは、止まっているのに、ドアが空いていない。
ソコに、初老の男が更に杖で指しながら言う。
「ほら、アレは君のものじゃないのかね?」
「――っ!!」
指し示された先に有ったのは、男の愛用のカバンだった。思わずそれを拾いに行こうと立ち上がったが、初老の男は、前を塞ぐように杖を目の前にかざし、言う。
「君はアレに触れないよ。それより、ちゃんと見給えよ。……周りはどうなっている?」
言われて、見てみれば、カバンのあたりには官憲がタムロして、『処理が……。』『中の身分証から連絡が……』などと言っている。
突然に見え始めた人々に驚くとともに、官憲に引き離されながら、一般の、少年少女、学生、青年、中年……。老若男女それぞれが手に持った携帯のカメラで電車と何かを写していた。
そして……それらを取り囲むように、たくさんの、沢山の人間が怒りの形相で写真を取ろうとしている者たちを睨みつていた。
しかし、カメラを向けている者たちは、憤怒の形相を浮かべて囲む者たちには気づいていない。
「……さて、いよいよ分かったのではないかな?」
様々な状況を取り込んで、立ち尽くしながら戸惑う様子から、力尽きたように、腰を落とし、項垂れた男に、初老の男は問う。それに男はポツリと返す。
「ああ、分かった……」
「そう、君はあの列車に飛び込んで、死んだのだよ。」
男が明確に理解はしても、ハッキリと肯定できないことを、初老の男は言い切った。続けて言う。
「さて、君はこれからどうするかね?選べることは少ないが、選択肢はある。
あの不愉快な者たちを眺める我々のように、不満を持ちながら眺め続けること。もしくは……」
「ああ、不愉快だ。オレをああもやりやがって……不愉快だ!!」
男は叫びながら、自分の身が血まみれになったことを思い出したかのように、血まみれになり、自らの死を画面の向こうに追いやろうとする者たちを囲むもの……亡者の群れに紛れていった。
「やれやれ、若いものはせっかちでイケナイね。ああやって眺めるか……。この駅を離れて消えることも出来ただろうに……」
初老の男は頭を振りつつ激情に支配されたその姿を嘆く。
そしておもむろに、一点を見つめて言う。
「そうやって、何もかも画面の向こうならば、ソチラ側に写せば自分は無関係だと貴方は思っているのかね?
だとしたら、こっちに来てみると、わかるよ。そんなことはない。――とね。
では、君たちがコチラにくるときを楽しみにしているよ。」
ま、間に合った―。なんとか、時間に間に合った。(-_-;)
事故があったりすると、それを平然と写真に撮ったりする人がいて、それに対する鬱屈も含めて書いてみたり。
それにしても、同じネタならば、もっと、もっと、面白く、恐怖を与えて、恐ろしくできるんじゃないか……。
そう思えてならない。未熟。OTZ