02
2020.08.01:2/3
「まさかこいつ、各地を徘徊するっていう、不死の厄災じゃ……?!」
「一番新しい情報でも、この国にはいなかったはずだろ! 何でこんな、よりにもよって都市に近い場所で……!!」
「へ、ただの幽霊の魔物だろ! 俺がぶっ殺してやる!」
恐れ、驚嘆、奮迅――三者三様の感情を面に滲ませた冒険者の一党が、眼下で得物を構えた。
彼らの後ろには、焚き火と食べかけのパンやスープが見える。休息を取っていたのだろう、心身を休める場を乱してしまった事を心から申し訳なく思う。遠くから焚き火の明かりが見えたから、出来るだけ視界に入らないよう、こそこそと移動したつもりだったのだが……禍々しい空気と異様な存在感は全く隠せなかったらしい。
こんな、いかにもそれらしい姿では、どう足掻いても目立つか。
古びた黒い鎧を身に着け、ズタズタに引き裂かれた同色の外套を掛け、手には処刑刀。ついでに頭部は、捻れた二本一対の角が天を向き生える、骸骨のそれ。
どうせ魔物になるのなら、こんな恐ろしい姿ではなく、もっと可愛い、子猫のような魔物になりたかった。コロコロと転がって、玩具に戯れて……うむ、考えるだけで幸福になる。
死霊ではなく、妖精ならばどうだろう。鎧の妖精や、処刑刀の妖精であれば受け入れて……は、くれないな。絶対に。
「ヒッ……わ、笑っていやがる……」
おっと、しまった。つい声が出てしまったようだ。
頭の中を埋め尽くす子猫達を掻き消し、現実に向き合う。眼下の冒険者の一行は、未だに逃げ出さず、武器を構え抗戦する意思を見せていた。
……仕方ない。ならば、逃げてくれるよう、ちょっと強めの言葉を掛けるとしよう。ウオッホン。
「――下がりたまえ、狭小な者達よ。己が技量を勝ち誇り、我が前を立ち塞ぐか。もう一度言おう、下がりたまえ」
「ヒッ! しゃ、喋った! 喋ったぞ!」
「う、う、うろたえるんじゃね! 魔物の中には人間の言葉を喋る奴もいるだろうが! びびったらこっちが死ぬぞ!!」
火に油を注いだらしい。さらにやる気が高まってしまった。
雄叫びと共に武器を振り上げた一党を、我輩は溜め息をこぼし、仕方なく迎え撃った。
――特筆すべき点もなく、ごくごく普通に冒険者の一党を退けた我輩は、人目を避け暗い森の中を移動した。
はあ、美しい月の浮かぶ草原の海原を、堪能したかっただけなのだが。
厄災の一柱など、一体誰が望んだというのだろう。強くなった事を喜んだ、間抜けな我輩自身のせいであるが……。
先ほどの冒険者が言っていたが、どうやら今いる場所は都市と近いところにあるらしい。具体的な都市名など知らないが、多くの住人が暮らしているという事だ。これでまた我輩を警戒する大隊が出てくる。出来れば、今の世の都も堪能したいところだが……人間の多い場所は、野良の魔物が気軽に行ける観光地ではない。
恐らくこの辺りは都市部から離れた郊外だろう。整備された街道は遠く、人の手の入っていない深い木々が続いている。このまま離れてしまおう、そう思っていた時だった。
遠くから微かに、ガラガラと鳴る車輪の音が聞こえた。
影に潜み、身を隠す。しばらくし、明かりを灯した馬車が通り過ぎていった。その外見はありふれた質素なものだったが、妙に急いているようにも見えた。それに……人里から離れているだろう方角からやって来たように思う。
(……うむ、なるほど、隠れ里のような秘境でもあるのか)
真っ先にそう思った辺り、我輩は平和に飢えているのだと痛感する。
好奇心から、あの馬車がやって来た方角へどんどん進んでいるが、これといって風景は変わらないでいた。そもそも、この周辺には人や馬車が通るような道はない。月明かりも届かないような鬱蒼とした森が続き、危険な魔物や鳥獣がいつ何処から飛び出してもおかしくはないだろう。
そんな場所を、あの馬車は突っ切ってきた。一体何をしていたのだろうか、人間の考える事は分からないな。
「――おや?」
暗闇に染まった木々が、終わりを迎えたようだ。視界が開け、目の前に月明かりが注ぐ。
深い森の中、意味ありげにくり抜かれたように存在する空間。白い月光の静けさに目を奪われたが、その中央にあるものへとすぐさま意識が向かった。
人の手によって作られた建物――洋館だった。
人の頃の記憶は、もはや遠く過去のものとなったが、二階建ての洋館は立派な部類に入るだろう。だが、その外観や周辺はお世辞にも整っているとは言えない。蔦が這い巡った外壁はひび割れ、色も煤けたように褪せている。遠目に見える窓硝子にも亀裂が入り、廃墟と称した方が正しいだろう。
いや、というか、あれは……――。
「物凄く、呪われているな?!」
死霊の魔物の我輩も、吃驚してしまう呪われっぷりだ。
枯れ果てた大地には、あらゆる生命を吸い取る穢れが蔓延り。廃墟の周辺を取り巻く空気と夜風は、吹いているのにけして巡らず暗く濁り。その中心となっている廃墟そのものからも、あらゆる怨嗟の情念がぐちゃぐちゃに鬩ぎ合っている。
世界を満たす“魔力”の影響を受け、特殊な進化を果たした鳥獣――それが“魔物”である。
そして、死んだ亡骸や魂が魔力によって動き出し、あるいは変質して生まれたのが、不死の魔物だ。
不死の魔物は、生死の概念の外にあるため、呪いだとか災いだとか、けして人の目には映らない妖しい力には敏感で、可視化出来る能力を有している。当然、我輩にもその特性は存在しているため、しっかり見えているのだが……ここまで徹底した呪われっぷりは、未だかつて拝んだ事はない。
よほどの惨憺たる事件があったのか。それとも、これから起きる前触れなのか。不死の魔物の故郷として挙げられる、墓地や地下墓所などよりも、遥かに凄まじい。
よくよく見ると、この開けた空間を覆うように、透明な結界が半球状に施されている。恐らくは館内部でびっしりと蠢く呪いを閉じ込めるためであり、また洋館そのものを断絶するためであろう。まあ量が量のため、煙が漂うように呪い特有の底冷えする空気が漏れ出している。(不死の我輩からすれば、懐かしい故郷の香りのように感じるが)
いや、なんだ、ともかく――凄いとしか、言いようがない。
一週回って感心しながら、廃墟を眺めていた時――あろう事か、正面の扉が動いた。
(まさか、住人? このような場所に?)
例え人間にはこの禍々しさが見えずとも、確実に何らかの影響は出ているはずだ。体調不調ならばまだしも、重篤な病を患ったりし、最悪、度重なる不幸に見舞われ命を落とす危機もある。
不死の魔物にとっては、最高に居心地が良いのだが、生者には辛かろう。
一体どのような豪胆な奴か、いや、底知れぬ馬鹿か。暗い影の中から、じっと注視していると、扉が開き……――。
……は? 小さな、幼子?
小柄で、少々痩せすぎな、幼い子どもだった。汚れた肌は褐色を宿し、伸び放題なボサボサの髪は埃を被ったようなくすんだ灰色をしている。不衛生かついたましい容貌だが、恐らくは少女ではないだろうか。
少女は、扉の隙間をすり抜けると、扉の側で無造作に転がっている麻袋のもとへ覚束ない足取りで近付く。細すぎる両手で袋の端を掴み、実に重たそうにそれを引き摺り、洋館の中へ戻っていった。
こんな呪いの美術館のような場所で、暮らしているのか。何と凄まじい少女か、よく無事な事だ。身なりからして、訳有である事は確かだが……。
あの麻袋、新しいものだった。それこそ、今しがた放り込まれたような。
そう考えた時、暗い夜道を急ぎ駆け抜けていった馬車を思い出した。まさか、あれは……。
物陰で思案を繰り返したが、我輩は月明かりのもとへと踏み出すと、呪い蠢く洋館へ向かった。
洋館の周りに施された結界は、意外と頑丈だったものの、さした労苦はなく超える事が出来た。
最初期の貧弱な死霊時代から持っている力により、洋館の外壁をそのまますり抜け館内へ踏み入れたが――その内装も、想像を裏切らなかった。
明かりの火などは一切なく、唯一照らすのは亀裂の入った窓から差し込む月明かりのみ。裂かれた半透明のカーテンが、微かな夜風に煽られ、さらさらと揺れ動いている。
まだ正面入り口の部分だというのに、凍えるような恐怖の演出だ。生きた人間がもしも迷い込めば、十秒と正気を保てず逃げ出すに違いない。
かつては美しかったのだろうに。壁紙も、調度品も、館を彩った内装は全て崩れ落ち、汚れに塗れている。鳥獣も居着いたのだろう、至るところから獣と不浄の臭いが漂っている。
それに、中に入った事で、よりいっそうこの洋館に染み付いている呪いの蠢きが強く感じられた。これほどの数の呪い……やはり異常だ。
我輩が居心地が良いという事は――ここで暮らす人間には、耐え難いおぞましさであるはず。
あまりの風景に絶句していたが、何かの破片や埃が落ちた床に残る、引き摺った痕跡と小さな足跡を見つける。先ほどの少女だろう。姿を透明にくらまし、足跡を追い廊下の奥へと向かった。
ゆらゆらと、頼りない蝋燭の火が、館の一角を照らしている。姿を消したまま影に潜み、中を窺う。
使われぬまま埃を被る、鍋と調理器具。どうやら厨房のようだ。水周りや作業用テーブルなどはそこそこ片付いているが、調理する場としてはやはり汚らしい。
先ほど見かけた、褐色の肌と灰色の髪を持つ少女は、木箱の前に蹲っていた。麻袋の中身を、小枝のような指で必死に移し替えている。生の果物、野菜、チーズなど食料のようだ。外から運び込まれている、という事か。
(それにしても……これは、あまり良くはないな)
洋館の至るところにおぞましい気配があるように、この厨房も例に漏れず、呪いの禍々しさがひしめいている。何処かに、その媒体となる物品や呪文などが潜んでいる。このような状況では、今は瑞々しい食料も、すぐに傷んでしまう事だろう。実際、隅には食べられなくなっただろうものが袋に詰められている……というか、もはや呪いが移っていないか、あれ。
まったく、本当に、何なのだこの場所は。
「きょうは、これを食べよう……」
細く儚い、幼い声が聞こえた。
少女は果物を手に取り、仄かな笑みを口元に浮かべている。
――ああ、この惨状の中で、そのように笑うなど。
痛ましい姿に、とうに失った心臓にちくりと針が刺さる心地がした。
少女は果物を細々と食べきると、口を洗い、厨房を後にする。小さな蝋燭の明かりと共に、二階へと上がるその後ろ姿を、我輩は静かに追った。
辿り着いた寝室だろう部屋は、調度品の類が一切なく、殺風景そのものだった。
月明かりの射し込む窓辺に、ベッドとサイドテーブルがあるだけ。クローゼットもあるが、その役割は果たしていないだろう。
少女は窓辺に向かうと、硝子の向こうに浮かぶ銀色の月をじっと見上げる。そして、おもむろに両手を組んだ。
それはまるで、祈るかのような後ろ姿だった。
ボサボサな灰色の髪、汚れた身なり、折れてしまいそうな華奢過ぎる四肢……だのにその佇まいは、呪いに塗れた廃墟には不釣り合いな、無垢な清らかさを確かに感じさせた。
その後、少女は窓辺に背を向け、ベッドに潜り込む。やがて寝室には、眠りについた少女の、小さな寝息が響き渡った。
我輩は、天井の角の影から、じっとベッドを見下ろしていた。
憐れな。あまりにも憐れな、その有様。
とうに心臓を失い空洞となった胸には、確かに憐憫が宿っていた。死んだ魂が魔力によって変質し、魔物へと成り果てただけの我輩にも、他者を憐れむ感情は残っていたようだ。
――この少女は、一体、何なのだ。
常人であれば正気を失うだろうこの廃墟の中、平然と眠る少女を、ただただ見つめる他なかった。