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2020.08.01 連載開始:1/3
■不死の魔物と幸薄い幼女
お久しぶりの、新しい連載になります。
いつもの通りの、人外モノです。
ファンタジーですが、基本ほのぼのと進んでいくと思います。たぶん、きっと。
もちろん、人外の方が人間になろうとしたり、人間に戻ろうとしたりはしません。
不死の魔物は、不死の魔物のままです。あらかじめご注意下さいませ。
少しでも、楽しんでいただけますように。
美しい月の浮かぶ夜は、けして外へ出てはならない。
暗く濁った深潭から生まれた“不死の厄災”が、お前のもとへやって来るから。
例えば、ほら、そこの足元の影から――。
その晩の真夜中は、美しい冷たい満月が浮かび、不自然なほどの静寂で凪いでいた。
夜半の依頼に出ていたとある冒険者の一党へ、音のない夜風が通り過ぎた時、ようやくそれを違和感として認知した。
あまりにも、静かすぎる。夜行性の魔物の一匹、何処にも見当たらない。
その予感が徐々に焦燥へ変わった時には、もはや、遅かった。一党は、出遭ってしまった。けして確率は高くない、むしろ出遭う事の方が稀だったというのに。だが、依頼を危なげなく終え、先行きの良かったはずの一党は、よりにもよって最悪の不運を引き当ててしまったのだ。
――彼らの目の前には“厄災”の一柱が佇んでいた。
「は、はは……ッこんな最悪な事、あるかよ……」
「しっかりしろ! 死にたいのか! さっさと立て!」
凪いだ静寂は、瞬く間に恐慌する空気で引き裂かれた。一党は青ざめた面持ちのまま、それでも容易く死んでたまるかと気力を振り絞り、武器を構えた。
「倒そうなんて絶対に考えるな! 少しでも隙を作って逃げろ!」
「ありったけ打ち込め! 一瞬でもいい、怯ませるんだ!!」
一党は、名の知れ渡った冒険者達だった。鍛えた武器と防具を身に着け、強力な魔術を身に着け、より強い魔物を討伐してきた。
そんな彼らが、惜しみなく、全力の一撃を絶え間なく繰り返しているというのに、厄災の一柱はびくともしない。凍えるような銀色の満月を背にするその姿は、なおも悠然と佇み、なりふり構わず迎え撃つ一党を、何の感情も宿さず冷酷に見下ろしている。落ち窪んだ骸骨の眼孔に広がる、篝火のような青白い光は、真夜中の暗闇をゆらりとたなびいた。
――その魔物は、成人男性の身の丈をゆうに超える躯体だった。
大きな身体には古びた漆黒の鎧を身に着け、その上へズタズタに裂かれた黒い外套を羽織っている。そして、鎧の天辺には、二本の角の生えた青白い頭蓋骨が乗っていた。
“厄災”の名を冠した魔物である事を知らしめる、異様なほど重厚な、呼吸を冷たく蝕む恐ろしい迫力が、その出で立ちから溢れ出ていた。
誰も彼も動けず夜風ばかり過ぎ去る中、黒い鎧を身に着けた巨躯の骸骨がおもむろに腕を持ち上げる。鎧と同等に古びた、黒塗りの籠手に包まれたその手に握られているのは――処刑刀であった。
その所作を見て、冒険者の一党はようやっと息を吸い込んだ。
だが、もう、遅い。
青白い光を帯びた処刑刀が、無造作に下ろされた瞬間、夜風は金切り声を上げ吹き荒び、地面はひび割れ激しく揺れた。
ただの一振りで、目の前の世界が変わり果てた。
これが、厄災――あらゆる魔物の頂点に君臨する、最も恐れるべき存在か。
一党は抗う事なく、痛烈な暴風に吹き飛ばされた。だが結果として、彼らは目の前の厄災から、辛うじて逃れる事に成功したのだ。
夜の世界を領分とする魔物の中でも、その最たる象徴――不死の魔物。
死霊、腐乱死体、吸血鬼といったもの達によって構成された、けして人間と相容れる事のない暗闇を支配する存在とされている。
その不死の魔物達の中で、現在、厄災と呼ばれているものが――処刑刀を携えた、巨躯の黒騎士であった。
“歩む厄災”。
“月夜の終焉”。
“終わりを告ぐ死霊”
足跡を残すように、各地に数多の呼び名を刻む不死の厄災“呪月の魂狩り”は、興味を失くしたようにその場を立ち去り、再び静寂に満ちた月夜をさまよい歩いた。
首を落としてきた剣に啜らせるための魂を、探すために――。
◆◇◆
「――転生したい……種族を変えたい……」
もう嫌だ、こんな生活。我輩だって、そろそろ安寧の日々を送りたい。
切り株に腰を下ろし、ズウウウン、と重く項垂れる。地面に突き立てた巨大な処刑刀は、今日も物憂げに鈍く光っていた。
曲げた膝の上に肘を立て、重ねるように両手を組む。籠手の甲に頭を押しつけ深く思い悩むこの背に、誰か声を掛けてくれたら泣いてしまうくらい嬉しいが、残念な事に我輩は厄災の一柱。心配してくれるものなど居るはずもなく、それどころかあらゆる生物が猛烈な勢いで逃げ帰っていく。
文字通りの、一人ぼっちである。なんて酷い状況だ、悲嘆ばかりが深まる。
――ちなみに先ほど、冒険者の一党とドンパチしたのも、我輩である。
現在、世界のいたるところで暮らしている“魔物”と呼ばれる存在は、獣、水棲、鳥、昆虫などといった大きな分類に属している。
そして、それぞれの種族には必ず“厄災”と呼ばれる魔物が一頭出現する。
どの個体よりも遙かに突き抜けた力を持ち、単体で世界の平穏を脅かすとまで言われている。ゆえに、厄災の称号を与えられるという。
さて、死霊、腐死体、吸血鬼といった夜を住処とする不死の魔物の場合、厄災の魔物として現在認定されているのが――呪月の魂狩り。不死となったその黒騎士と出会った月夜が、哀れな魂が最期に見る呪われた風景となるそうだ。
恐ろしい事に、我輩であるらしい。
人間とは凄いな。数十年前の事を伝え続け、おまけに恐ろしげに脚色するとは。
昔にほんの少々やんちゃをした記憶もあるので、まあ我輩自身のせいではあるが……だとしても厄災とはいかがなものか。そう呼び始めたのは人間であり、我輩が名乗った事など一度も無いというに。
「――思い返せば、随分と、長いな」
死霊の魔物となり、五十年。
そして、厄災の魔物の一柱となり、五十年。
もはや人間の頃の記憶はなく、とうの昔にこの身は不死の者。魔力によって変質させられた――いや、歪に甦った、人類の天敵である。
最初こそは、我輩も何の変哲も無い死霊で、夜になると徘徊し、たまに人間に襲いかかっては返り討ちに遭う、極めて狭小な存在であった。だが、不死の魔物というものは、もともと死した生物が魔力によって変えられ生まれた存在である。ゆえに、もとの素材が人間であった場合、多少なり自我や知恵を残している場合がある。
我輩は、それに当てはまった。
恐らく生前は、剣を持つ兵士か何かだったのだろう。そこいらの魔物や同族などを相手にし自らを鍛え、不死の魔物の生命線とも言える貧弱すぎた魔力も徐々に強くなり、ついには霊体から骸骨という実体へと転身した。すり抜けるばかりであった物品に、生前のように触れられるようにもなったのである。
剣を握り戦う内に、不死の魔物の中でもメキメキと逞しくなった。それしかする事が無かったせいでもあるが、実際に強くなる実感を持つと興に入り、ますます研鑽の積み重ねに打ち込んだ。
その結果として――ついには、たった一人で、徒党を組んだ冒険者を引きずり出すまでになってしまった。
すごい! 我輩、あの貧弱な死霊時代から、ついに有名になったぞ! イエーイ!
などと、馬鹿みたいにはしゃいだあの頃の自分、グーで殴りたい。喜んでいられたのは、最初だけだった。それ以降、何度も何度も人間の冒険者や騎士団、軍隊といったものが差し向けられ、そのたびに律儀に相手をし返り討ちにしていたら、ますます多くの部隊が送り込まれるようになってしまった。
いい加減、我輩も面倒! と怒り半分、奮起し退けたら――厄災の認定を受けた。
あの頃の我輩は、ほとほと大馬鹿である。本当に必要だった賢さは、墓場に忘れてきてしまったらしい。
――そうだ、もっと穏便に生きよう。
厄災の魔物と呼ばれるようになり数年後、ようやくその境地に辿り着いた。だが、既に時は遅かった。出会い頭に叫ばれるならまだしも、何かする前から襲われ、出来るだけ丁寧に相手をしても結局泣き叫ばれる。他の魔物達は恐れて近付こうとせず、同族の不死の魔物すら物陰に隠れてしまう。近寄ってくるのは知能の低い、あるいはもはや自我のない腐乱死体という有り様だった。まったく嬉しくない。
こうなったら、何らかの輪に受け入れて貰う事は諦め、世界各地の観光でもしてみよう。時間もゆとりもたっぷりとあるのだから。
そうして心穏やかになれる安息の地を求め、さすらいの旅に出てみると――“呪月の魂狩りは大規模な範囲を徘徊する夜の遭遇型魔物”となってしまった。
仕方ないだろう! 日中歩いていたら、余計に目立つではないか!
弱小な死霊の魔物と違い、強くなった我輩は太陽の光で溶けたり消滅したりする事はない。だがこの種族柄、聖なる力や光の力に起因する魔術等には無条件の特効威力が発揮されてしまう。(しかもそれがちくちくと針でつつかれるような威力であるから鬱陶しい)
ささやかな痛手くらい我慢出来ないわけではないが、この黒い鎧姿で日中歩いたら、間違いなくド派手に目立つ。日中まで悲鳴を上げられ襲われてしまったら、我輩、心が折れてしまう。
そのため、昼はおとなしく物陰に潜み、人も少ない夜に行動するようにしているが……。
結果として、出会うもの全てに恐れられ、常に叫ばれるか襲われるかの悲しい結末を迎えている。唯一の趣味であり、心の平穏を保つための、美しい月夜の散策も穏やかなまま終わった事は数える程度しかない。
我輩の百年……あまりに悲惨である。
そして今夜は、見事な満月だから何処か見晴らしのいいところでゆっくり鑑賞しようと思っていたのに、件の冒険者の一党と遭遇してしまった。
出会い頭に叫ばれ、何もしない内から攻撃され、ちょっと驚かしたら全力で逃げ出された。ははは……辛い……。
「我輩も、穏やかに暮らしたい……」
哀愁たっぷりに溜め息をこぼし、再び暗闇の中項垂れる。
不死の厄災、呪月の魂狩り。
今夜も、心の平穏を、切実に願った。