1話
椎名 瑪瑙、23歳。
彼女には何も無かった。
家族、恋人、友達・・・職や金も。
とにかく、普通の人が必要とするものを何も持ってはいなかった。
唯一いたのは・・・ペットの蜘蛛だけ。
それも先日死んだ。
彼女は親の残した小さなアパートで、貯金を崩して生活していた。
ただただ、終わりが来る日を待ち望みながら・・・。
ある深夜の薄暗い部屋。瑪瑙は・・・死のうとしていた。
輪っかに結んだ紐を天井に吊るし、ぼんやりとそれを眺めていた。
音の無い静かな夜。窓から差し込む月の明かりだけが美しい。
これで全てが終わる・・・。
そう思い、彼女が紐に手をかけたその時だ。
突然、部屋が暗くなる。月の明かりが消えたのだ。
見ると、見知らぬ男がこちらに突っ込んで来るではないか。彼の影になって、月明かりが途絶えたのだ。
ばりいぃぃぃん!!
そうこうしてる間に彼は窓をぶち破り、部屋の中に飛び込んだ。
ゴロゴロと二、三回転がると、彼は勢い良く立ち上がり瑪瑙の肩をガッと掴んだ。
「駄目だ・・・死んじゃ駄目だ!!」
「わっ・・・は、はい。」
そのあまりの勢いに・・・瑪瑙は思わずこくこくりとうなづいてしまった。
それが瑪瑙と彼との・・・近藤翔の出会いだった。
「やっぱり死なせてよ・・・生きてても嫌な事しかないんだから・・・!」
縋るように瑪瑙が言うと、翔は腕を組んだ。
「それは・・・否定出来ないけど、でも自殺は駄目だよ。知ってる?自殺した人間は、極楽浄土へは行けず永久にこの世とあの世の境の地獄のような所で苦しみ続ける事になるんだって。・・・君みたいないい子がそんな目にあうのは絶対に駄目だ!」
「じゃあどうすればいいの?私いい子じゃないもん・・・だからみんなみんな私を一人にするんだよ。嫌だ・・・もう一人で生きるのは嫌だ。」
小さく震える彼女の沈んだ瞳には・・・涙が滲んでいた。翔は困ったように息を吐く。
「だったら・・・だったらさ、俺が一瞬に居てやるから・・・なんて。」
いきなり何言ってんだ・・・というように翔は頭を掻いた。
しかし一方の瑪瑙は、じっと真剣な目で翔を凝視した。
「本当本当、嘘じゃない?本当に私と一緒にいてくれるの?ずっと一緒?」
「あ、ああ・・・。」
すると瑪瑙は、ぎゅっと翔の手を握り締めた。その華奢な体からは想像の付かない、凄まじい力でだ。
「アハハ、嬉しい!!本当に・・・死ぬほど嬉しいよ!絶対、死ぬまで一緒だからね・・・!!」
顔をぐっと近付け瑪瑙がそう言うと、翔は照れたように目を逸らした。
・・・
「・・・心配しなくても明日の朝一で迎えに来るから、約束するよ。」
帰ろうとした翔を逃さまいと、瑪瑙は玄関で彼にしがみついていた。
「必ず・・・だよ?もし破ったら私・・・。」
瑪瑙が再び目に涙を溜め出したので、翔は恐る恐るその頭を撫でる。
「だ、大丈夫だって。必ず行くから・・・。」
「わかった・・・じゃあ待ってるよう。」
途端に笑顔になる瑪瑙に、翔は頬を染めながら去っていった。
・・・一人になった彼女は、幸せそうに穴の空いてしまった窓を見つめた。
差し込む月明かりは、相変わらず美しい。