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第二話 天方家の不思議な日常(1)

 ちちちっ、と外から鳥の鳴き声が聞こえる。

 朝の六時。結月ゆづきはすでに布団を畳み、軽く身支度を済ませていた。窓辺に近づいて、白枠の引き違い窓を開ければ、側の木の枝に一羽の鳥がとまっている。

 黒い頭に白い頬、短い嘴と円らな黒い目。丸いお腹の色は真っ白で、胸元には黒い線が一本縦に入っている。

 まるで黒い帽子を被り、白いシャツに黒いネクタイを締めているような風体で、可愛らしい。

 大きさや形は雀に似ているが、名前は分からない。この小さな鳥は、結月がこの部屋――天方家の一階にある女中部屋で寝起きするようになってから出会った。

 この一週間、毎朝六時頃になると現れて、枝の上で鳴いたり毛繕いしたりしている。

 餌をあげているわけではないのだが、もともと人に慣れているようだ。窓を開けても、驚いて飛び立ったりしない。

 偶然だろうが、毎朝挨拶しに来てくれているみたいで、結月は何だか嬉しく思っていた。


「おはよう」


 声を掛けると、小鳥は首を傾げるような動作をして、「ちっちー」と返事をするように鳴く。その様子も可愛くて、結月は頬を緩める。

 しかし、朝の逢瀬は短い。鳥は何の前触れもなく羽ばたき、飛び去ってしまった。

 窓から顔を出して見送ろうとしたが、見上げた空は夜の色を残して薄暗く、鳥の姿を見つけることはできなかった。少し寂しく思いながらも、明日も来てくれるだろうかと期待する。


 奥様に許可をもらって、野菜の切れ端を頂こう。

 明日、小鳥にあげたら喜んでくれるかしら――


 考えながら窓を閉め、結月は縞柄の着物に白い割烹着を重ねた。これで支度は終了だ。

 最後に、部屋の中を見回す。

 三畳の畳敷きの女中部屋には、押し入れや小箪笥、文机ふづくえ、化粧鏡などの家具が揃っている。文机にはランプや置時計もあった。

 結月は初めてこの部屋に入ったとき、感動したものだ。野宮家では共同部屋で、自分だけの部屋や家具というのは初めてだった。

 ぽかんと口を開けて部屋を見回す結月に、案内役の閑子は「足りないものがあったら言ってね」と言っていたが、十分すぎるほどだ。

 こんなに立派な部屋をあたえてもらえるなんて、予想もしていなかった。

 精いっぱいお勤めしようと、結月は改めて気合を入れると、部屋のすぐ隣にある台所へと向かった。



 天方家は、一階に六間、二階に四間ある、流行はやりの西洋風の文化住宅だ。以前は日本家屋だったそうだが、六年前の震災後に立て直したらしい。

 一階には、玄関からまっすぐ伸びた廊下の両脇にそれぞれ部屋がある。

 左側――方角的には南側になる――には、玄関に一番近い場所に応接間、その隣に居間、さらに隣は天方涼・閑子夫妻の寝室がある。

 廊下の右側には、二階への階段、階段下を利用した納戸と女中部屋、台所と食堂、便所や浴室などの水回りが一番奥にあった。

 二階には、漣の部屋と書斎、それと二間続きの客間がある。もっとも、客間の一つはほとんど物置状態になっているようだ。

 家の見た目は洋風であるが、中は和室が多い。居間や夫妻の寝室、女中部屋や二階の客間は畳敷きだ。


 家の中を案内するさなか、閑子はお気に入りだという場所を教えてくれた。


 一つは、夫妻の寝室の奥にあるサンルーム。

 居間と寝室の縁側から続きで作られた三畳ほどの広さのそこは、洋風の籐椅子二つとテーブルが置かれ、大きな窓から明るい陽が入る。いかにも居心地の良さそうな場所であった。


 もう一つは、台所だ。

 台所へは、女中部屋から引き戸一枚で直接行けるようになっている。

 結月が扉を開けば、明るい白のタイルが目に飛び込んでくる。流しと作業台が、白いタイル張りになっているのだ。窓も大きくとっているおかげで、北側にありながらも全体的に明るく感じる。

 壁には洋風の食器棚が置かれて、ガラス戸になった上の棚には、閑子お気に入りの外国製の茶器が並べられていた。鮮やかで繊細な色彩の陶器は、見ているだけで心が躍る。


 初めての洋式の台所で結月が最も驚いたのが、水道とガスこんろだ。

 水を使う際、村では井戸から汲むのが普通だった。野宮家で一番年少の女中であった結月の、毎日の仕事でもあった。井戸から水を汲んで土間の水瓶に移すという作業だけで、一日何往復もしていたものだ。

 だから、水が通る管についた栓――蛇口を捻るだけで水が出てきたときは感動した。

 さらに、ガスこんろ。

 こちらは、ガスという燃える気体を利用した、七輪のような器具だった。

 ガスが流れる管がついた円形の鋳物の台。鋳物には穴が十数か所開けられており、栓を捻ってマッチの火を近づけるだけで、穴から小さな炎が立ち上がる。これも、思わず声を上げるほど感動した。

 野宮家で土間のかまどに火をおこし、薪をくべていたほんの十日前のことを思うと、都会の生活の便利さには驚くばかりである。


 さて、二口あるガスこんろの一つにはすでに火がついていた。上には鍋が乗っている。

 その前に佇むのは、割烹着を付けた若い婦人だ。

 白い割烹着の裾から覗くのは、牡丹ぼたん色の地に太さの違う白い縦縞が入った、可愛いらしくもすっきりとした意匠の着物だ。首元で結わえた髷には、桃色珊瑚の簪が挿してある。


「奥様、おはようございます」

「あら。おはよう、結月ちゃん」


 結月が挨拶すると、婦人……天方あまがた家の女主人である閑子が、笑顔で振り向いた。



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