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(11)

 父の途方にくれた顔を、久しぶりに見た。どんなときでも泰然自若としている涼が立ち上がり、狼狽えた目で漣を見てくる。


「……なんて無茶なことを……」

「無茶苦茶なのは父さんの方だ。こうでもしないと、中には入れてくれないだろう」


 漣が言い返すと、涼は険しい顔でぐっと顎を引く。

 そんな涼に、宙を滑るように近づいたのは閑子だ。


「もうっ、涼さんの馬鹿ばか、大馬鹿者っ!」


 涼の胸に飛び込んで、ぽかぽかと両手で彼を叩く。もっとも霊体であるから、白い手は涼に触れることなく、するりと通り抜けてしまうだけだ。

 痛みは無いだろうに、閑子が霊体だと今さら実感したのか。涼の目元が痛そうに、ぎゅっと歪められる。


 ……涼は、閑子にはとことん弱い。

 閑子が涼の弱点だと、息子の漣には分かりきっていた。

 ――結界が破れないなら、中から開けるように仕向ければいい。涼が結界を解かざるを得ない状況を作ればいい。

 そう考えた漣は一階に降りて、閑子を探した。

 涼のことだ。呪詛から少しでも閑子を遠ざけるため、二階には居させないだろうと踏んだ。

 できるだけ遠く安全で、彼女の好きな場所――と考えれば、思い当たるのが台所とサンルームだった。台所は結月がよく出入りするから、隠すには不向きだ。ならばサンルームかと足を向けた。

 案の定、サンルームは他の者が入れぬよう鍵が掛けられ、何かしらの術で閉じられていた。だが、二階の結界に比べれば弱い。漣は式神の助力の元、サンルームに何とか入り込んで、籐椅子で眠っていた母を起こした。


 そして、すべてを話した。

 三か月前に閑子が呪詛を掛けられたこと。身体が衰弱していく中、呪詛の進行を遅らせるために霊体を離したこと。二階に身体があること。記憶を涼が消したこと。

 ……今、涼が結月を利用して呪詛を祓おうとしていること。


 正直、漣は閑子を起こしたものの、すべてを話すことは躊躇した。涼がしていることを閑子が知れば傷つくのは当然だ。母を傷付けたくは無くて、最初はただ二階に連れて行って涼に声を掛けてもらい、動揺させようと考えていた。

 だが、学校にいる時間に漣が家にいることや、結月と涼の姿が無いことに、閑子は異変を感じ取ったのだろう。真剣に問い質されれば、はぐらかすこともできない。

 どのみち、隠し通すことはできない。いずれはすべてを話さなくてはならないのだ。

 覚悟を決めて漣が話し終えた時、さすがの閑子も色を失くし、呆然としていた。だが、やがて赤い唇を強く噛んで、「涼さんはどこ」と低い声で言う。静かな怒りを感じ取り、漣の背中を冷や汗が伝った。

 閑子を二階の客間の前まで連れて行った時には、廊下にいた涼の式神の梟がぎょっとしていた。『奥方殿、なぜここに』と焦りながらも道を阻もうとする梟に、閑子は「お下がりなさい!」と一喝した。さすが涼の妻である。

 言葉で説得できればと思ったが、結局は閑子の力技となった。霊体で無茶に力を使うから、漣はひやりとしたものだ。

 そして、ようやく客間に入れたが――



 涼の傍らで、結月は起きることなく横たわったままだ。呪詛の気配も消えていない。まだ、呪詛は祓われていないのだ。


「父さん」


 呼びかけると、涼が漣の方を見た。


「どうなっているの? 結月さんは?」

「……」


 涼は一度目線を落とした後、大祓詞や他の神道系の祓詞を試しても祓いが上手くいかなかったことを告げた。結月の手を見れば、いつか閑子の足にあったのと同じような赤黒い文字が浮き上がっている。本当に、呪詛を結月に移したのだと実感した。

 目を閉ざしたまま動かない結月を見下ろした後、漣は涼に声を掛ける。


「父さん。結月さんの呪詛を僕に移して」

「漣」

「漣くん!?」

依坐よりましには僕がなる。できるでしょう?」


 じっと見据えると、涼はしばらく黙った後「ああ」とかすかに頷いた。


「涼さん! 漣くんも、そんなの駄目よ! もともと私の身体にあったものなのでしょう? だったら私に――」

「母さんの身体は、もう呪詛には耐えられない。……僕だって、母さんが死ぬのは嫌なんだよ」


 はっと涼と閑子が息を呑む。漣は淡々と言葉を続けた。


「最初からこうすればよかったんだ。結月さんを巻き込む前に、父さんは僕を使うべきだった」


 漣はしっかりと涼を見据えた。

 涼が漣を依坐に使わなかったのは、閑子の次に大事な息子――家族だからだ。閑子を守っていたように、涼は漣のことも守っていた。だが、だからといって結月を使うのは駄目だ。これ以上、家族の問題に他人を巻き込むべきではない。……いや、結月もとっくに天方家の一員であり、いなくてはならない存在だ。そんな結月を騙して利用するくらいなら、漣が代わりになる。


「僕にだって覚悟はあるんだよ、父さん。母さんを助けるためなら、何だってしたんだ。最初から話してくれていれば、僕だって……」

「漣……」

「だっ……駄目よ、漣くん。子供を危険に晒してまで、助かりたい親がどこにいるものですか!」


 閑子は反対するが、漣の心は決まっている。

 漣は立ち尽くす涼を見つめて、頭を下げた。


「父さん……お願いします」

「……」


 張り詰めた沈黙の中、涼は薄い唇を開く。


「……漣。私と共に、閑子をどうか助けてくれ。不甲斐ない父で済まない。どうか、頼まれてくれないか」


 そう言って、涼は深く頭を下げた。

 それは、初めての涼からの頼みごとであった。


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