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(6)


 翌朝、いつもより早く起床した結月は、押し入れにしまっていた行李を引っ張り出した。

 ほとんど空の行李の隅には、紙箱がある。蓋を開けると、中には懐かしい、亡き母手製の巾着袋や髪留めが入っていた。その中に目当てのものを見つけて、結月は取り出す。

 藤色のお守り袋。中に入っているのは、母が編んだ組紐だ。

 結月は組紐の端を解き、細い紐に分けていく。赤や黄、橙といった色の紐の中に一本、飴色の太い紐が一緒に編み込まれていた。それは麻で作られ、蜜蝋で周りを固めた丈夫な弦。古びた弓の弦は、母が儀式で使っていたものだ。

 そしてもう一つ、行李の隅に仕舞っていた、使い込まれた小弓を取り出した。

 弓と弦。梓巫女であった母の形見だ。

 弦の両端に輪っかを作って、弓に弦を張る。母が弓に弦を張るとき、結月に教えてくれた方法は、頭よりも手が勝手に覚えていた。

 ぴんと張った弦を弾くと、びぃん、と震えて空気を揺らす。懐かしい音に、結月は目を閉じた。



 ――結月の母は、北国の生まれだった。

 もっとも、結月は自分の生まれた里のことをあまり覚えていない。父の顔も祖父母の顔も、里の人の顔も覚えていない。覚えているのは、雪原に注ぐ青い月光や耳が痛いほどの寒さ、雪の中で赤々と燃える松明の火くらいだ。

 結月が生まれて数年は里で暮らしていたそうだが、物心つく前には母に手を引かれて旅をしていた。野を超え山を越え、各地を渡り歩く生活は決して楽なものでは無かったが、苦しくはなかった。

 母がいつも側にいたからだ。

 寒い日は二人で身体を寄せ合って眠り、眠れない夜は母が不思議な面白い話を語ってくれた。結月が腹を空かせていると、母は自分の分の食事を分けてくれた。つらい旅路も、優しく慈しんでくれる母がいれば乗り越えられた。

 訪れた村で占いや祈祷、祓い清めをする母の姿は神秘的で少し近寄りがたく、いつもの優しい母と違って戸惑いはしたが、憧れていた。

 村の人に頼られ、結月にも見える恐ろしいものに凛と立ち向かう姿は、まるで神様のようだった。子供ながらに誇りに思えた。

 結月の奇妙な力は母から受け継いだものであり、能力に戸惑い悩むことはあれど、「こんな力が無ければ」と疎うことはできなかった。母から貰ったものだ。亡き母と結月を繋ぐものなのだ。


 この力を、母のように誰かのために使えるのなら。


「……」


 結月は弓と弦を行李に大切にしまってから、朝の準備を始めた。



***



 いつものように朝食の準備をしている結月に「ちょっと」と声を掛けてきたのは漣だった。

 台所の入口に立つ連は、いつもよりも早い時間だが、すでに制服に着替えている。早く学校に行く用事でもあるのだろうか。

 結月は味噌汁に入れる若芽を切る手を止め、手を洗ってから漣の方へ近づく。


「どうかされましたか?」

「あのさ……何か、あったんじゃないの?」


 漣は結月に顔を寄せて、囁くような声で逆に尋ねてきた。

 その鋭い問いに、結月はどきりとする。閑子の呪詛に関することを涼から聞いたことは、漣には話していなかった。

 以前、閑子の件については漣に拒否されたこともあり、どう話せばいいものか悩んだ挙句、結局昨日は何も話せなかったのだ。

 だが、結月が抱いていた動揺は、漣に気づかれていたらしい。


「その……昨日の夕方から、少し変だったでしょう? それに四号が……君の様子がおかしいって。何かに巻き込まれているなら、ちゃんと話してよ」


 ぼそぼそと言う彼の表情は変わらないが、目には心配の色がある。


「……」


 やはり彼にちゃんと話した方がいいだろうか。

 結月一人が息まいて勝手に行動すれば、犬の霊の時と同じように、漣に心配も迷惑もかける。……一度、ちゃんと相談した方がいいのでは――

 結月が口を開きかける前に、後ろから熱い視線を感じた。

 ぱっと振り向くと、鍋の蓋を手にした閑子が「あらあら」と口元を押さえて、頬を染めている。


「漣くんってば、いつの間にそんなに結月ちゃんと仲良くなったの?」


 言いながらも、どこか嬉しそうに閑子は頬を緩めている。どうやら漣の言葉は聞こえていなかったらしく、二人が顔を寄せて話している姿を見て何やら勘違いしたようだ。

 最初は怪訝に眉を顰めていた漣だったが、間近に結月の顔があることに気づいて、ぼっと頬を赤くした。結月も慌てて身を引き、彼から離れる。使用人の立場をわきまえず、こんなに近づいてしまって、不快に思われなかっただろうかと冷や汗が出る。

 しかし、閑子は若い二人の初々しい反応に、「まあまあ」とますます楽しそうに笑うだけだ。

 漣は耳まで赤くしながらそっぽを向く。


「別に……何でもない」


 仏頂面で踵を返した漣は、足音荒く廊下の向こうに行ってしまう。


「やだわ、漣くん、そんなに慌てなくていいのよ。私は大歓迎なんだから! ねえ、ずっと考えていたのだけど、この際だから結月ちゃんを漣くんの……あっ、もう、漣くんってば!」


 漣を追って閑子がふわふわと去っていく姿を、結月は呆気にとられながら見送った。



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