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「消えた……?」


 結月が自分の腕を見下ろしていると、ぐらりと視界が揺れた。身体の力が抜け、倒れそうになるのを慌てて漣が支える。

 子犬の姿が消えたことで、再び結月に取り憑いたのではないかと漣が顔色を変えるが、紙子はのんびりと言った。


「坊ちゃんも見えたでしょ。ちゃあんと二匹、一緒に上がっていきましたよ」


 紙子が天を指さす。漣もしばらく上を見た後、溜息を吐きながらも頷いた。


「……念のため骨の方も供養するよ」

「そうですねぇ。でもお嬢さんをどこかで休ませないと。よし、俺が天神さんまで運んで……」

「僕が運ぶ。吉弥さんは骨をお願いします」

「そうは言っても坊ちゃん、お嬢さんと背の高さ同じくらいでしょ。運べます? ここから天神さんまで結構ありますよ」


 紙子の指摘に漣はこめかみを引き攣らせたが、やがて渋々頷いた。


「……吉弥さん、彼女をお願いします」

「そうこなくっちゃあ。それじゃあお嬢さん、先に行きましょうか」


 紙子はにんまり顔で結月の肩に手を掛け、漣はそれを苦々し気に見やった。




 結月を軽々とおんぶした紙子は、軽い足取りで梅の木の間を進む。


「すみません、紙子さん。ご迷惑をおかけして……」


 身体に力が入らず、歩くこともままならない結月は紙子に謝った。子犬の霊が消えた後、なぜかひどく疲れたような状態になっていたのだ。まだ頭がふらふらとしている。


「いえいえ、このくらい平気ですよ。お嬢さんは羽のように軽いですからねぇ。何なら横抱きで運び――っていたぁっ!」


 紙子の頭を突いたのは、結月の肩に陣取ったシジュウカラとスズメだ。お目付け役と言わんばかりに目を光らせ嘴を構える彼らに、紙子は肩を竦める。


「坊ちゃんも随分と心配性で……」

「だ、大丈夫ですか?」

「師匠の拳骨に比べればこれくらい」


 紙子はへらっと笑って再び歩き出す。


「まあ、お嬢さんが動けなくなるのも当然ですよ。なんせ“口寄せ”と“たま送り”、二ついっぺんにやったんですから。疲れるに決まってる」

「あの、口寄せって……」

「母犬を呼んだじゃありませんか。おかげで子犬も安心して成仏できた。お嬢さんのおかげですよ」

「……そうだったんですか」


 実感が無くて、結月は曖昧に答える。紙子は「おや」と首を傾げた。


「だってお嬢さん、骨を拾う時に唱えていたでしょう? あま数歌かずうたを。ありゃあ、宗派によって多少差はありますけど、祓い清めから口寄せまで使える奉唱の一つですしね。お嬢さんもどこかで修行なすったのかと」


 天の数歌……あの数え歌の事だろう。


「あの歌は母から……」

「おや、ひょっとしてご母堂が拝み屋だったんで?」

「……」


 結月が答えていいものか悩んでいると、その逡巡に気づいたのか、「まあ、とにかくよかったですよ」と紙子は話を打ち切ってくれた。

 紙子の気遣いに感謝と申し訳なさを抱きつつ、彼の背にしがみつく。


 ――その姿を一羽の白い梟が見つめていることに、結月は気づくことができなかった。




 漣が回収した骨を湯島天神の一角に埋めて供養し――後で紙子が宮司に話をつけてくれるらしい――、漣と結月は帰路に着いた。

 紙子の車で送ってもらって天方家に着いた時には、すでに夜が明けていた。車の中で少し眠ったおかげで、体調も歩けるまでは回復している。

 薄明の中、車を降りた結月は紙子に頭を下げる。


「紙子さん、本当にありがとうございました」

「いえいえ、どういたしまして」


 紙子はすっと目を細めて、結月に顔を近づける。


「……お嬢さん、どうぞ気を付けて下さいね」


 最初、体調のことだと結月は思った。しかし、続けられた紙子の囁きに目を瞠る。


「――天方あまがた先生は優しそうに見えて、とても怖いお人ですから」

「? あの、それは……」


 どういう意味なのだろう。結月が聞き返す前に、紙子はさっと身を引いた。門扉に手を掛けた漣が怪訝そうにこちらを見ている。


「吉弥さん、何をしているんですか?」

「いえね、坊ちゃんが素直じゃないって話をしてたんですよ」

「……」


 無言で眉を吊り上げる漣に、紙子は「おお怖い」と大げさに震えてみせて、車に乗り込む。


「それじゃあ、また」


 ひらひらと手を振って車を出す紙子を見送りながら、結月は先ほどの言葉を思い返した。

 天方先生――涼が怖い人?

 怒ると怖い、というような意味ではない気がする。何に気を付けろという意味だったのだろうか。

 足を止めて考える結月に、漣が声を掛ける。


「あの人に何か言われたの?」

「あっ……いえ、その……身体に気を付けろと言われただけです」


 漣の父親を『怖い人』と言われたとは答えられないし、どういう意味かと尋ねるわけにもいかない。結月は咄嗟に誤魔化してしまった。

 漣は訝しげにこちらを見ていたが、やがて扉を開いて玄関ポーチへと向かう。

 その後を追う結月は、ふと思い出して着物の袂に手を入れた。

 帰りの道中、結月の肩に止まっていたシジュウカラがうとうととして落ちそうだったので、着物の袂に入れて抱えていたのだ。

 返さなくては、と結月はまだ熟睡したままのシジュウカラを漣に差し出した。


「漣さん、この子お返しします。ありがとうございました」

「……」


 漣はシジュウカラを受け取ろうとして、しかしその手を引っ込めた。


「……そいつはあなたに預けておくよ」

「え?」

「あなたは危なっかしいから、お守り代わりに持っておけばいい。少しは役に立つよ」

「でも……」

「また霊に取り憑かれたら、そちらの方が困るから」


 素っ気なく言う漣だが、頬が少し赤くなっている。

 恥ずかしがり屋で素直じゃない、と閑子や紙子に称されている漣。素っ気ない言葉でも、結月を心配していることが伝わってくる。


「……ありがとうございます。大事にします」


 結月は掌のシジュウカラをそっと包み込む。嬉しくなって、はにかんで漣を見上げた。

 漣は軽く目を瞠った後、急いで顔を逸らしながら「そんなに大事にしなくていい」と返すが、その耳は真っ赤になっていた。



***



 大きな白い翼を羽ばたかせた梟が、日の出前の濃淡がかった空の下、庭へと舞い降りてくる。


「――やあ、おかえり。首尾はどうだったかな?」


 寝間着姿で羽織を肩にかけた涼が手を差し伸べると、その手に梟が止まった。途端、梟の姿がふっと掻き消える。涼の手に残ったのは白い紙だ。

 涼は目を閉じて紙を握った。しばらくして目を開き、薄い唇の端を上げる。


「……やはり、あの子は使えそうだ」


 ふふ、と笑みが零れた。

 庭に一人佇む涼の耳に、愛しい妻の声が聞こえてくる。漣と結月の帰りを知らせる声だ。涼は紙を袂に入れて身を翻した。


「閑子、もうすぐ君を……」


 呟きは雨戸を開ける音に消されて、誰の耳に届くこともなかった。



これにて第三話終了です。


次は閑話を挟んで、最終話に入ります。

ついに天方家の秘密が…!


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