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(13)


 以前来た時にも思ったが、この梅園は思っているよりも広い。

 裏天神――あちらの世界へと繋がる梅園は、どこまでがこの世なのか、すでにあの世なのか、それともその狭間の世界なのかわからない。

 境界の曖昧なこの場所で、母犬の霊を探すのは難しいことだろう。けれど、見つけなければ。そのための目を、耳を、結月は持っている。

 胸の前でぎゅっと拳を握り締め、踏み出そうとした結月だったが、その肩を漣が押さえた。


「待って。一人で闇雲に探しても、今度は君が迷い子になるだけだ」

「でも、手分けして探さないと……」


 天方家を出立する前、涼には夜明け前には帰ってくるようにと釘を刺された。梅園に長い間いると、帰り道が分からなくなり、子犬の霊のようにさ迷う羽目になるからと。

 短い時間で探すには、皆で一緒に動くよりも分かれて探した方がいい。だが、漣の言う通り、何の目印もない、白い靄のかかった梅園では、少し離れただけでも迷ってしまいそうだった。


「それなら、俺がお嬢さんと行きますよ。安心でしょ?」


 にこーっと笑った紙子が結月の手を取ろうとした時、漣が鋭い指笛を吹いた。

 ぴゅいっと短い音の後、上空で風が吹き、軽い羽根の音とともに現れたのは四羽の小鳥だ。その中の三羽に見覚えがあった。毎朝窓辺に訪れるシジュウカラと、最近来るようになったスズメとメジロだ。もう一羽の見知らぬ鳥はツバメだった。

 漣が腕を差し出すと、ツバメとメジロがその腕にとまる。一方、シジュウカラは結月の側を回ったかと思うと、肩の上にちょこんと乗ってきた。

 おっかなびっくりシジュウカラを見やると、小首を傾げたシジュウカラが、ちちっと挨拶を返してくる。

「あの、この子は?」

「……僕の式神だ。連れていくといい。たとえ迷っても僕の元へ戻るようになっているから」

「は、はい」

「へえぇぇ、坊ちゃんずいぶんと優し――いってぇ!」

 からかう紙子の頭の上に、スズメが着地――鋭い爪の付いた足で頭部を蹴りつけて止まった。痛い痛いと喚く紙子に構わず、漣が「それじゃあ」と身を翻す。結月も紙子を気にしつつ、梅の木々の間へと足を進めた。




 探し始めてどのくらい経っただろうか。

 目を凝らして耳を澄ますが、霊の気配を感じ取ることができず、結月の焦りは募っていくばかりだ。

 気配を探ることに集中しすぎて足元の木の根に気づかず、シジュウカラの鳴き声でようやく気づく、といったやり取りを繰り返している。

 結月は額に滲む汗を拭い、立ち止まる。後ろを振り返っても漣や紙子の姿はなく、白い靄の中に緑の葉が茂っているだけだ。

 一人だと実感して、急に心細くなる結月の肩で、シジュウカラが力づけるように鳴いた。


「……ありがとう」


 そうだ。彼がいれば、漣の元へと戻れる。今は探すことに集中しなければ。

 結月が前を向いたとき、足元で何かが動いた。柔らかな毛の感触に地面を見下ろすと、黒い子犬がいる。子犬は頼りない足取りで、木の根を乗り越えて進み始めた。子犬もまた、母犬を探すために出てきたのだろうか。

 ふんふんと鼻を動かして進む子犬の後を、結月は追う。

 やがて子犬が、いっとう大きな梅の木の根元で立ち止まった。子犬の先を見ると、何か白い欠片のようなものが散らばっている。


「……っ」


 それが骨だと気づいた結月は息を呑んだ。

 大きな骨と、小さな骨。子犬は大きな骨の周りをまわって、くぅん、と切なく鳴く。


 ――オカアサン。


 呼ぶ声が聞こえる。

 それでようやく、結月は大きな骨が母犬であるとわかった。そして小さい骨は、きっとこの子犬のものなのだろう。ここで彼らは死んだのだ。

 結月は子犬の側に屈みこんだ。小さく震える背にそっと触れた時だ。


「っ……!」


 途端、頭の中に映像が流れ込む。



 大きな牙。見上げるほど大きな犬。

 大きな足で蹴りつけられた。強い衝撃。身体が吹き飛んだ。

 視界が回って空が見える。地面にぶつかって、きゃんっ、と声が出た。

 お腹を踏まれた。鋭い爪が刺さる。


 ――痛い。痛いよ。助けて、お母さん。


 その時、犬に黒い大きな犬が飛び掛かった。お母さんだ。

 もみ合って地面に転がる犬とお母さん。

 お腹が痛くて、ぼくは動けない。忙しなく短い息をするだけだ。

 やがて犬が逃げ出して、お母さんがこっちに来る。

 ふらつきながら、大きな口でぼくを咥えて運ぶ。

 見下ろした短い手足がぶらぶらと揺れる。

 石の階段。土と葉っぱのにおい。

 お母さんは大きな木の下でぼくを降ろして、傷を舐めてくれる。

 地面に寝そべったお母さんのお腹と首から、血が出ていた。舐めるけど止まらない。


 ――お母さん、起きて。


 お母さんを呼ぶけれど、起きてくれない。

 ぎゅうっと身体を寄せる。いつも温かいお母さんのお腹が、どんどん冷たくなっていく。

 ぼくも眠くなってきた。手足がうまく動かない。


 ……大丈夫、少し眠って。起きたらきっと――

 

 そこでまた視界が変わった。


 母犬も子犬も目覚めることはなかった。樹上から落ちてきた葉に埋もれて、親子の肉体は朽ちていく。

 腐る肉体の傍らに、霊体となった子犬がひとり佇む。辺りを見回して、母犬を求めて鳴くが、母犬はいない。


 ――おかあさん、どこにいったの。ひとりにしないで。さみしいよ。おかあさん……


 切ない鳴き声が、梅園の中に響いていた。


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