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第三話 迷い犬と使い鳥(1)


 よく晴れた五月の初め。

 朝の掃除と洗濯を終えた結月ゆづきは、天方あまがた家の女主人である閑子しずこと一緒に、物置や箪笥から着物や夜具を引っ張り出した。 


 五月は衣替えの季節だ。冬用の厚い地の着物から、夏用の薄物へと入れ替えて整理する。夜具も同様に、冬用の重い夜具から夏用の薄いものへと入れ替えて、蚊帳を干して使える状態にしておく。

 夜具は梅雨に入る前にはほどいて洗い、中の綿を干す。着物は布の痛みや汚れを見ながら、継ぎを当てるか、仕立て直しをするかを選別し、それぞれ作業を進めていくのだ。

 その入れ替えと選別のため、一階の座敷にはたくさんの鮮やかな着物が並べられていた。


「――ねえ結月ちゃん、これはどうかしら? 白地に桃色の縞が入っているのだけど、ほら、縞のところに花の模様が入っているのよ。可愛いでしょう? きっと結月ちゃんに似合うと思うの」

「あ、あの……」

「こちらも素敵ね。柳色の地に、山吹色の花模様が映えるでしょう? この模様、薔薇をモチーフにしたものなの。少し派手に見えるかもしれないけれど、暗い色の帯を合わせるとぐっと落ち着くのよ」

「あの、奥様……」

「ああ、これも可愛いわ。白と黒の市松模様に、牡丹の柄を入れてあるのよ。これだと、割烹着よりフリルの付いたエプロンが似合いそうね。うーん、でも、結月ちゃんには少し派手かしら……あ! この水色の薄物はどう? 波紋の中の金魚の柄が涼しげでしょう。 それに、こっちの明るい緑色と群青色の縞模様もどうかしら? 木綿でできているの。爽やかでこれからの季節にぴったりだわ。少し丈を詰めたら、ちょうどいいと思うの」

「は、はい……」


 箪笥から出した着物を「これは初めて涼さんに買ってもらったものなの」「これは三年前の夏に仕立てたもので」と閑子は一枚一枚広げては見せてきた。そして結月の身体に当てて見せては、次々と着物を勧めてくる。

 早く仕分けをしなくてはと思うのだが、村では見たことないモダンな柄の着物には、結月も思わず見入ってしまう。閑子は着道楽のようで、たくさんの着物を持っていた。十代の娘時代の着物から、最近のモダンな柄の物まで揃っている。

 気づけば畳の上に着物が広がっていくばかりで、選別するどころではない。刻一刻と過ぎる中、結月が焦りを覚えた頃である。


「やあ、これは華やかだね」


 座敷に顔を出したのは、天方家の主人であるりょうだ。着流し姿で襖に寄りかかり、怜悧な美貌に笑みを浮かべている。


「楽しそうな所に水を差して悪いけれど、そろそろ結月くんを解放してあげたらどうだい? 閑子」

「あっ! ご、ごめんなさい、私ったら……」


 はしゃいでしまったわ、と閑子は頬を恥ずかし気に染めた。


「久しぶりに着物のことを女の子と話せて、つい嬉しくて……。殿方ってば、こちらがお洒落しても、ちっとも気づいて下さらないんだもの」

「そんなことはないよ。閑子の今日の着物も素敵だ。藤の花だね。まるで君のように清楚で美しくて、私の好きな花だよ」


 閑子が身に着けているのは、淡い水色の地に薄紫の藤の花が描かれた着物だ。帯は白で、全体的に柔らかい色合いながらも爽やかで凛とした印象がある。

 涼の言葉に、閑子は「まあ」と嬉しそうにはにかんだ。


菖蒲あやめにするか迷ったのだけれど、こちらにしてよかったわ」

「おや、そちらもぜひ見てみたいな。確か紺色の絽縮緬だったね。閑子には菖蒲も似合うよ」

「うふふ、ありがとう。……そうだわ、涼さん。結月ちゃんにはどの着物が合うと思う? せっかくだから、私の娘時代の着物を仕立て直して、着てもらえたらと思って」


 閑子が広げた着物を示して尋ねると、涼は「ふむ」と顎に手を当てて、畳一面の着物を眺める。


「……結月くんなら、この白地に桃色の縞はどうだろう。初々しくて可愛らしいから。帯は柄入りの赤や黄色の物で華やかにまとめてもいいし、黒色で引き締めてもいいかな」

「まあ、やっぱり! 涼さんもそう思う?」

「ああ、でもこちらの淡い黄色も似合いそうだね」


 今度は閑子と涼で着物を「あれもいいわ」「これもいいね」と着物を選び始めてしまう。止めに入ったはずの涼もまた楽しそうで、熱中する二人を結月は止められない。


「結月くん、橙色の江戸小紋はどうだい? 見てごらん、丁子ちょうじの花の柄が入っているんだよ」

「結月ちゃん、この若草色の地に白い牡丹の柄はどうかしら。綺麗でしょう?」

「あ、あの……」


 詰め寄られて結月が狼狽えていると、廊下から呆れた声が掛かった。


「……こんなに散らかして、何してるの?」


 道着姿で紫色の竹刀袋を持った漣が、怪訝そうに眉を顰めている。


「あら、おかえりなさい、漣くん」

「おかえり。もうそんな時間か」

「おかえりなさいませ!」


 結月は慌てて立ち上がった。

 今日は日曜で学校が休みのため、漣は朝食後に剣道の道場に行っていた。昼前に戻ると言っていた彼が帰ってきたということは――。

 壁にかかった時計を見ると、すでに昼食の準備をする十一時を過ぎている。

 結月と閑子は慌てて台所に向かい、短時間でできる汁物や、油揚げと青菜の煮物、だし巻き卵を用意する。その間に、涼と漣が着物を座敷の隅に重ねて片付けた。

 慌ただしい準備が終わり、食堂に三人分の昼食を並べる。

 近頃、昼食や夕食は皆で揃ってご飯を食べるようになった。本来、女中である結月は台所で先に一人で食べるのだが、涼が「一緒に食べよう」と言ってきたのだ。

 最初は恐縮して断っていたが、涼と閑子が悲しそうな顔をするので、忙しい朝以外、時間がある時は同じ食卓に着くようになった。もっとも、幽霊である閑子はご飯を食べないので、お茶だけを置いていた。

 昼食を食べ終わり、食器を片付けて食後のお茶を飲んでいた時である。


「……ああ、そうだ。漣、今日のお使いだけど」

「わかっているよ。天神裏の紙子さんの所でしょ」

「うん。せっかくだから、結月くんも一緒に連れて行ってくれないかい?」

「え?」


 急に名前を出されて、結月は目を丸くした。

 漣は眉間に皺を寄せて涼を見る。


「……どうして?」

「今後、結月くんにもお使いに行ってもらおうと思っているから。紙子さんに紹介してくれないかい?」

「それなら、父さんが行けばいいじゃないか」

「今日は別の仕事が入っているんだ。それに、家に閑子を一人きりにするのも心配だからね」

「……わかったよ」


 漣は不承不承というように頷いた。結月は戸惑いつつ涼に尋ねる。


「あの、お使いというのは……」

「仕事で使う紙がそろそろ無くなりそうでね。湯島の方に、懇意にしている紙屋さんがあるから、そこに買いに行ってもらいたんだ。それに結月くん、うちに来てから、商店街以外に出掛けたことがないだろう? たまには遠出もいいんじゃないかと思って。漣に案内してもらうといいよ」


 涼は微笑み、漣の眉間の皺は深くなる。不機嫌そうな漣にはらはらとしながらも、主人である涼の頼みを断れるわけもなく、結月は「わかりました」と頷いた。


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