(10)
開いた窓から、小さな鳥が入ってくる。
机の上に降り立ったのは、黒い頭に白い頬、白い腹を持つシジュウカラだ。
しかしその白い胸元、ネクタイのような黒い線のそこここに、何か菓子の屑のようなものが付いている。どことなく、お腹もいつもより丸く見えた。
見咎めた漣は、シジュウカラに尋ねる。
「……お前、何食べてきたんだ」
途端、シジュウカラは慌てたように首を横に振る。しかし、そんなシジュウカラを咎めるように、窓の方から「チュンッ」と鳴き声が響いてきた。
窓枠に止まった、赤茶色の羽を持つスズメだ。そのスズメの隣に、明るい緑色の羽を持つメジロも降り立ち、「ヂヂッ」と険のある声を出す。
そんな二羽に対し、シジュウカラはつんとそっぽを向いた。途端、スズメとメジロの鳴き声がけたたましくなる。
静かな朝の部屋、小鳥たちの囀りは大きく響き、チィチィピィピィと喧しい。
漣は眉間に皺を寄せて頭を押さえた。何しろ、彼の頭の中では鳥の鳴き声だけでなく、彼らの話す言葉まで聞こえるのだ。
曰く――
『この者、娘から“びすけっと”をもらって食べておりました』
『すべて一人で平らげおって、意地汚いやつめ。皆で分けようとは思わなんだか』
『最初に娘の見張りを我に押し付けたのは、其方らでありましょう。今さら文句を言われる筋合いはございませぬ』
『そういう問題ではない。娘に不用意に接触するなと前々から言っているだろう』
『おこぼれをもらうなぞ、式神として恥ずかしいとは思わぬのか!』
『ふん、何とでも仰いませ。どうせ其方らも、びすけっとが食べたかっただけでしょう』
小鳥たち――漣が契約を交わした式神である彼らの会話の内容は、思わず溜息が出るものであった。
漣は頭を押さえながら、「黙れ」と一言言う。
途端、ぴたりと鳥の声が止んだ。喧々囂々(けんけんごうごう)としていた室内に落ちた静寂に、ひらりと風を切って漣の肩に降り立ったのは一匹の燕だ。
しゅっとした黒い翼が美しい彼は、ピィと小さく鳴く。
『漣殿。私が見張りを変わろうか』
「……いや、いい」
新しく天方家にやってきた女中・若佐結月に見張りのための式神をつけるようになって、一週間以上経つ。
この一週間、漣がいない昼の間も彼女は真面目に家事に勤しみ、妙な素振りを見せることは無かった。
天方家では日常茶飯事の怪異に何度も出くわしているようだが、以前の女中達のように怯えて逃げ出す気配も無い。まあ、霊体である閑子と普通に会話を交わしている時点で、今までの女中と違うのだが。
挙句には、暢気に見張りの式神に(どうも式神だと気づいていないようだ)挨拶する始末だ。
何か少しでもおかしなところがあれば、すぐにでも追い出してやろうかと思っていたのに――
拍子抜けと言うか、むしろ彼女を認めざるを得ない状況になっている。
漣の脳裏に、涼の澄まし顔が蘇る。
『わざわざ見張りをつけるのかい? 無駄だと思うけどねぇ』
まあ、式神を使う練習にはなるかな――と暢気に言っていたものだ。父の言うとおりになるのはなんだか腹立たしい。
「……今まで通り、お前が見張りを続けろ」
漣は溜息をついて指示を出し、式神の鳥たちを窓の外へと追い出す。
ひょっとすると今度は、他の連中もお菓子をもらいに行くかもしれない。見張りの対象に絆されてどうする。式神の不甲斐なさは、同時に使役者である漣の頼りなさである。
何度目かの溜息をついて、身支度を整えた。皴のない綺麗な白いシャツと、きっちりと折り目の着いたズボンに着替える。シャツには糊もきいて、肌触りもよい。自分で洗濯したときは、こんな風にならなかった。
「……」
眉間にしわを寄せつつ、一階に降りる。食堂に入れば、すでにテーブルに朝食が用意されていた。
炊き立てのご飯に温かい味噌汁。味噌汁にはちゃんと具が入っているし、芋の煮つけや小魚の佃煮までついている。……自分で炊事をしていた時のあの質素な食卓を思い出すと、少々複雑な気持ちだ。
ちょうどそのとき、縞柄の着物に割烹着を身に着けた結月がおひつを運んできた。
「おはようございます、漣さん」
「……おはよう」
仏頂面で返すと、結月は少し緊張した面持ちながらも、尋ねてくる。
「あの、今日は道場に行かれますか?」
「うん」
「おにぎりは二個でいいですか?」
頷くと、結月はぱっと表情を明るくして、小走りで台所の方に戻った。……先日から彼女は、漣が道場に通う日には弁当と別におにぎりを用意してくれるのだ。しかも、漣の好きな昆布の佃煮入りのものを。
席について朝食を食べていれば、欠伸をしながら涼が食堂に入ってくる。この時間帯に起きてくるのは珍しい。
「やあ、おはよう」
「おはよう」
前髪をかき上げた涼は、どこかにやにやとこちらを見てくる。
「……何」
「いやあ、閑子から聞いたよ。最近、結月くんに優しくなってるって」
「母さんの勘違いだろ」
「そうかい?」
涼は笑顔のまま、じっと見てくる。
父のこの、何でも見通しているような態度が、本当に腹立たしい。
漣はご飯をかきこみ、味噌汁で流し込んだ。席を立って食堂を出れば、ちょうど結月と出くわした。
「あ、漣さん、お弁当です。それからおにぎりを……」
風呂敷に包んだ二つの包み。
ありがとう、と受け取ると、結月がはにかむような笑顔を見せる。
……絆されているのは、式神だけじゃない。自分も少し、絆されかけている。
それが、気に食わないのだ。
顰め面で弁当を受け取る漣を、涼が楽しそうに眺めていた。
 




