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(9)漣と小鳥

「れ……漣さんっ」


 思い切って声を掛けると、少年――漣が振り返る。

 結月に気づいた漣は、学生帽の庇の下で目を瞠った後、訝し気な眼差しを向けてくる。一瞬怯みそうになったものの、結月はそのまま話しかけた。


「い、今お帰りですか?」

「あ……ああ、うん」


 漣はしかめ面ながらも、ちゃんと返事をしてくれる。結月はほっとしつつ、はたと我に返った。

 声を掛けたはいいが、何を話せばよいのだろう。普段、家ではほとんど会話を交わすことが無いのだ。学校はいかがでしたか、楽しゅうございましたか、と聞くのも今さらである。

 漣も漣で、どこか困ったような、怒ったような顔で結月を見てくる。気まずくなって、互いに無言になりかけたとき、漣が手を前に出した。


「持つよ」

「え?」

「荷物。どちらか寄越しなよ」

「え、あ、いえ、そんな……」

「いいから」


 渋る結月に痺れを切らしたのか、漣は学生鞄を持っていない方の手で、取っ手の付いた籠をさっと取り上げる。

 無理に取り返すわけにもいかず、結月は恐縮しながら礼を言った。漣は「礼を言われるほどのことじゃない」と素っ気なく返した後、前を向く。

 さっさと歩き出した漣の後を、結月は慌てて追い掛けた。


「……」

「……」


 結局、無言で歩くことになる。居た堪れない空気に、何か話題は無いかと考えあぐねる結月の耳に、小さな音が聞こえた。

 ぐう、とお腹が鳴る音。寸の間、自分のものかと思って焦ったが、違ったようだ。再び聞こえた小さな音は、結月の斜め前からした。

 音の方を思わず見ると、学生帽の下、漣の白い耳が赤くなっている。


「……今日は道場に行っていたから」


 肩に担いだ竹刀の袋を抱えなおしながら、漣は仏頂面で呟いた。

 激しい練習でお腹が空いているのだろう。お弁当が足りなかったのだろうか。あるいは、道場がある日はおにぎりを余分に持たせた方がいいのかもしれない。

 考えながら、結月ははっと気づいて、コロッケの袋を差し出した。


「あ、あのっ、良かったら、どうぞ」

「……」

「コロッケです。その、揚げたてです。美味しいそうです」

「知ってる。……夕飯の分が無くなるんじゃないの」

「あっ……だ、大丈夫です!」


 一人二個ずつ――閑子は食べられないので、涼と漣と結月の三人分買ってある。結月の分を一個減らせばいいだけだ。

 袋を探り、コロッケを買った時にもらった半紙で一個包んで差し出せば、漣はしばらくそれを見つめた後、素直に受け取った。だが、籠を肘に掛けた彼が尋ねてくる。


「半紙は?まだある?」

「え?は、はい」

頂戴ちょうだい


 言われるままに紙を渡す。漣は器用にコロッケを割って、半分を包んで突き出してきた。


「……?」

「つまみ食いしたなんて知られたら、父さんに何を言われるか分からないから。あなたも共犯だよ」


 ぐい、と手に半紙を押し付けられて、結月は咄嗟に受け取ってしまう。

 漣はすぐに結月から離れると、大きく口を開けてコロッケに齧り付いた。涼に似た綺麗な顔立ちなのに、豪快な食べっぷりである。しかし、咀嚼する口元が緩んで無邪気な顔つきになるところは、涼と同じであった。

 漣が美味しそうに食べるうえ、手元から香ばしい匂いもする。“買い食い”というのは初めてだ。はしたないかしら、と緊張しながらも、結月は匂いの誘惑に負けて小さく齧りついた。

 かりかりの衣が音を立て、口の中にじゅわっと油が広がる。中身の熱さに口を思わず開き、息を零しながらも咀嚼した。しっかり味付けされた細切れ肉の塩気と旨味が、ふかした馬鈴薯と混ざり合う。

 油と馬鈴薯がこんなに合うなんて知らなかった。お店の人が言っていた通り、ラードの旨味も加わって、美味しい。本当に美味しい。

 初めて食べるコロッケに、結月は感動して声を上げる。


「美味しいです……!」

「……知ってる」


 漣が呆れたようにこちらを振り向く。

 綺麗な顔に浮かぶのは苦笑だ。眉間に皺は寄っているが、いつになく柔らかい漣の表情に、結月は内心で驚いた。

 だが、はっと我に返り、頬を赤くしながら俯く。

 コロッケを食べ慣れているであろう漣に、当たり前のことを言ってしまっていたのだと気づく。呆れられるのも仕方ない。

 恥ずかしくなって落ち込みながらも齧るコロッケは、それでもやはり美味しくて、結月はあっという間に食べてしまった。

 その夜、一個減ったコロッケに気づいた涼が、「じゃあ結月くん、私と半分こしようか」とわざわざ結月に半分寄越そうとしてくるのを、結月は慌てて辞退することになったのだった。



***



 ちちちっ、と外から鳥の鳴き声が聞こえる。

 朝の六時。身支度を済ませた結月が窓を開ければ、いつも通り木の枝に小鳥がとまっていた。


「おはよう」


 声を掛ければ、黒い頭に白い頬と白いお腹を持つ鳥は、ちっちー、と小首を傾げた。

 可愛い仕草に目を細めながら、結月は「ちょっと待ってね」と文机の上に置いていた半紙を取る。そうして、半紙に包んでいたビスケットを出した。


 元々は、野菜の切れ端をあげようと思っていた。その件を閑子に相談したら、しばらく考えていた彼女はふと笑顔になって『その子だったら、お菓子の方がいいかもしれないわ』と言ってきたのだ。

 お菓子を鳥にあげても大丈夫なのだろうかと思ったが、悪戯めいた笑みを見せた閑子は、余っていたビスケットを結月にくれた。


 啄めるよう、ビスケットを小さく砕いて窓枠の所に置いた後、結月は窓から離れた。鳥はしばらくきょろきょろと辺りを見回していたが、枝から窓枠へと飛び移ってくる。

 やがて、鳥は小麦色の欠片を啄み始めた。胸元に欠片から零れた屑が付くのも構わずに、夢中で食べている。

 鳥は小さな欠片全てを食べ終えると、結月の方を向いた。ちちっ、と囀りながら、まるで礼をするように前傾姿勢になった鳥は、いつものように飛び去ってしまう。若干よたよたと身体が重そうではあったが、見上げた空の向こうへと見えなくなった。


 ――また来てくれるかしら。


 小さな友達を見送った後、結月は残りのビスケットを仕舞って、割烹着に腕を通した。



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