9.見えない距離
大昔からこの国を見守っている、神の声を聞く守護者。世界を壊さぬようにあらゆる事象と向き合ってきた者。そういう存在が、すぐ近くに居るという。結界の中に閉じこもっているので、あちらから招いてもらわなければ会えないかもしれないと不死鳥は言ったが、十分な情報だった。
何か手掛かりが一つあるだけで随分と気が楽になった。良いことを教えてもらった礼をしてやりたいので、この者達が喜びそうなものを考えてみる。
(ふむ……冒険者の身なりをしているのだから、アレならば良さそうだな)
この地に到着した時に偶然踏み潰した蜘蛛。こういう魔物の体から人間は道具を作り、活用するのだ。しかもここまで育った蜘蛛は中々居ないであろうし、貴重な素材となるであろう。……もしかすると、元からこの蜘蛛が目的でここまでやってきたのかもしれぬしな。
「ふむ、良い情報を聞いた。礼になるか分からんが、人間はああいうものを喜ぶだろう?好きなだけ持っていけ」
「あ、いいの?ありがとう」
尾で蜘蛛の死骸を指して見せれば、不死鳥は直ぐに駆けていった。力任せに脚やら牙やらを剥ぎ取っている姿からそっと視線を外せば、もう一人の人間と目が合う。じっと我を見つめながら何やら考え事をしていたようで、どこか決まり悪そうに視線を逸らす。逸らした視線の先には見ていなくても音から察することができる豪快さで、蜘蛛の解体を続けている相棒の姿があるのであろう。どこかやわらかい表情になった後、人間が口を開いた。
「……あの魔物の退治が私達の目的だったんだ、感謝する」
「礼には及ばん。あれは我に必要のない物だからな」
「そうか、ならばよかった。龍と争いにはなりたくなかったからな」
そう残して、彼も解体作業に向かった。この者達の目的が龍退治でなく蜘蛛退治でよかった、と我も思う。良い情報も手に入ったし、イミコに危険が及ぶこともなさそうだ。
親しげに言葉を交わしながら作業を続ける一人と一羽の間に確かな絆が存在するのが分かり、それがなんとも眩しく見える。我もイミコとあのように、種族の壁など感じぬ関係を築いてみたい。それにはやはり、少し動いただけで彼女を吹き飛ばしそうになるこの体をどうにかせねばならないだろう。
作業を終えたコンビが笑顔で礼を言い残し、去っていくその背中を見つめていると背後で勢いよく扉が開かれる音がした。
「クロム……!」
振り返ればイミコが我の元へ駆けてくるのが目に入り、そんなに慌てたら転んでしまうのではないかと心配になったが彼女は無事に我の足元までやってきた。短い距離を走っただけで息が上がる程の体力のなさで必死に走ってきた姿がなんともいじらしく……あの不死鳥の言葉を使うなら、そういう姿を我は"可愛い"と感じているらしい。
「だい、じょうぶだった……?あぶないこと、なかったの?」
「うむ、どうやら蜘蛛退治を依頼された者であったようだ。危険はないぞ」
「そっか……クロムが無事でよかった」
ほっと息を吐いて安心した様子のイミコは直ぐに笑って、そう言った。そして湧き上がるこのどうしようもない衝動が、不死鳥いわく「可愛がりたくて仕方がない」という状態なのであろう。力いっぱい巻きつくように締め付けてしまいたいが、そのようなことをする訳にもいかず、衝動は尾を地面に叩きつけることで発散させる。
……いつまでもこのような衝動を堪え続けるのはさすがの我でも苦であるし、出来るだけ早くに解決策を見つけるべきだな。
そうとなれば直ぐにでもここを発ち、不死鳥の言っていた者に会いに行くしかないのだが。問題はイミコをどうやって運ぶか、である。背中に乗せて飛んだら落下しそうであるし、咥えて行くのも加減を間違えて噛み殺してしまっては元も子もない。同じように足で掴むことも危険であろう。何か方法はないかと暫く考え込んでいたら、そんな我の様子を不思議に思ったらしいイミコに声をかけられた。
「難しい顔してるけど、どうしたの?」
「……うむ。今日にでもここから発とうと思うのだが、お前の扱いについて考えていてな」
イミコから何かよい提案でも出てこないかと話してみたのだが、彼女はそれを聞いた瞬間今まで見たことのない顔をした。唇を引き結び、眉を震わせながら目を伏せる。初めて見る顔なのに明確に悲しんでいると分かる顔で、驚きと罪悪感が一気に我の中へと流れ込むような気がした。
(……我は何か悲しませるようなことを言ったでのあろうか?)
何故イミコが悲しんでいるのか、どうすれば元気になるのか、原因も解決方法もさっぱり分からない我はただ、混乱しながら忙しなく尾を揺らすばかりである。
かけるべき言葉を探すが見つからず、ついには不安が小さな唸り声となって漏れ始め、たいへん情けない気分になっていたところでイミコが顔を上げた。……今にも泣きそうな顔ではないか。我は確かに色々な表情を見たいと思っていたが、こんな顔を見たかったのではない。
「……私の扱いに困っているなら、無理に連れていかなくても……ここに、置いていっていいからね」
イミコの言葉に衝撃を受けた。確か以前、ここを出る時には連れて行くと言ったはずだがそれを忘れてしまったのか、それとも信じていないのか。どちらにせよ酷く落ち込む。
出会ってまだ日も浅いのだから、そこまで信頼されていなくても仕方はないかもしれないが……結構、胸に刺さるものがあった。
「……イミコ、何故そう思うのだ。我はお前を連れて行くと言っただろう」
あの不死鳥と人間のように、我とイミコが確かな絆で結ばれることはないのだろうか。そう思うと、どうしようもなく翼が重たく感じて下がってしまい、声もどこか力なく聞こえる。そんな我の様子に、イミコもまた驚いて、直ぐに申し訳なさそうな顔をした。
「……ごめんなさい、クロム……」
なんとか今月分……一月に一度は更新できるようにしたいです。
次はクロムとイミコの距離がちょっと縮まるといいなぁ