4.やさしいドラゴン
(……なんということだ……人間は水を浴びて汚れを落とすと体調を崩すのか……)
人間が湯に浸かる姿は見たことがあった。しかし、川ではしゃぎながら水浴びする姿も印象強くあり、まさか普段から湯を浴びて体を洗っているとは思わなかった。
人間の体は鱗にも毛にも覆われていない。だからこそ服というものを着て様々なものから身を守っていることは分かっていたが、水を浴びただけで体温が下がり中々戻らない状態になるとは……脆弱な生き物め。
事の始まりは数十分前。採ってきた果実を食べているイミコを見ていて、その体が土にまみれていることに気が付いた我は彼女に水を浴びて汚れを落とすように言った。恐らく蜘蛛に掴まった時に地面を引きずられたのであろう。
逆らうことをしないイミコは素直に服を脱いで川の中に入り、体中を洗ったが、川からあがってきた時には唇が紫に染まっており、体は細かく震えていて、なぜそうなったのかと一瞬理解ができなかった。
……よく考えてみれば、人間には体を覆う毛がほとんどない。外から熱を奪われると取り戻すまでに時間がかかるのであろう。なんと不便な体を持っているのか。
顔色を失くし震えながら火にあたるイミコを見ながら、どうしようもない人間という生き物に対する不安で尾が揺れる。……まさか死ぬのではあるまいな。温めても間に合わぬということは……ないと思いたいが、人間は弱すぎて否定しきれぬ。
もっと早く温める方法は……そうだな、炎が一つでは足りぬのかもしれん。もう一つくらい傍に火を作ってやった方が良いだろう。
「イミコ、後ろにも火を作ってやるから動くでないぞ」
川原に軽く爪を刺せば、丁度良く小石が広がり輪を作る。その中に息吹で炎を吐き、我の意思がなければ消えぬ炎を生み出す。……体を温めるために龍の炎を使うとはなんと贅沢な。こんな待遇を受ける人間など他に居らんぞ。
「……ありがとう……」
「…………うむ」
礼を言われて何ともいえぬ気持ちになった。罪悪感と言えばよいのだろうか。我がイミコに「やれ」と言ったことで彼女は具合が悪くなったのだ。それを補う行動をするのは当然の責任の取り方であるのに、その行為に対し礼を言われてしまった。……炎を作ってやった位では償いが足りぬ気がしてきた。
我には人間という生き物の知識がまだまだ足りぬことは良く分かったし、次からはまずイミコに問題がないか尋ねてみなければならないと少しばかり反省する。
(……しかし、イミコはハッキリ答えられるのか?)
彼女は逆らわない。逆らえば痛い目を見ると教え込まれてきたからだ。我が尋ねたとしても問題ないと答え、実行してみれば何か起こる、などという事態になるのはできるだけ避けたい。
我が尋ね方を工夫すればよいのか。端から起こり得ることを説明するように言い聞かせるべきか……我にはこの人間との接し方をたった数時間で理解することはできないらしい。何が正解なのか全く分からない。
「イミコ、我が人間と接するのはお前が初めてだ。人間の脆弱さは我の考える以上である。お前の体に不調が出ることを我が口にしたら、しっかり断れ。よいな?」
コクリ、と頷くことを期待してイミコを見つめたが彼女は我を見上げて首をかしげた。これは我の言葉の意図を理解しかねる時の動作であるらしい、というのは分かるのだが……今度はいったい何がわからないというのだ。
「……ことわって、いいの?なぐる?」
何故そういう発想になるのだ、と驚いた後に思い当たる。人から言われたことを断れば殴られるのだから、断るという選択肢が元からなかったということだろう。
同じ人間であるはずなのに、何故この人間が他と全く違う扱いを受けていたのか我には分からぬ。分からぬが、彼女はそれを当然のものとして受け入れてしまっている。……我にもそのような扱いをされるものだと思っているところが、気に食わんな。
「我がそのようなことをするはずがなかろう。我は人間でなく、龍だ」
「……そっか、くろむ、やさしいひと……やさしいドラゴン?だから、わたしをなぐらない」
イミコの体からすっと力が抜けるのが分かった。それを見て、今までずっと緊張状態にあったことにようやく気づく。我に向けられる赤い瞳がどこか安心しているように見えて、何だかむずがゆい。
殴るようなことをするはずがない、と言っただけで信用するのはどうなのか。危機感が足りぬように思う。言われた言葉を素直に受け取りすぎであろう……いや、傷つけるつもりは全くないのでよいのだが、我が邪悪な存在だったらどうするのだ。
(……この人間がどうなろうと我が気にすることではないが、ううむ……)
人間の心配などするはずがないのでこれはそう、不満だ。あまりにも簡単に信用されては暇が潰れんし、つまらないという不満なのだろう。
出会ったばかりの相手を直ぐに信用するものではない、としっかり教えてやらねばなるまい。
「イミコ、世界には色々な者が居る。良い態度をとって近づき、お前を騙そうとする者もいるだろう。よく知りもせぬ相手を信用してはならんぞ」
「……わかった。くろむ、ありがとう」
「………………うむ」
そこで何故我を疑わぬのか全く理解できないが、信用されているのはそう悪い気分でない。……我の話が伝わっていないだけの可能性も否定しきれんが、そういうことにしておこう。
体が温まってきたのか、震えの止まったイミコが今度は頭を揺らしている。どうやら眠気に襲われているようだ。
「眠いなら寝ればいい。ここなら魔物が襲ってくることはあるまい」
我が傍にいて、他の魔物が近づいてくることはまずない。人間は弱く、小さな魔物にも命を奪われるような種族だ。隠れるところのない場所で、普通ならば休むことなど出来ないだろう。しかし、此処には龍である我が居り、我を恐れて他の魔物たちは随分と距離をとっている。これならばゆっくりと休めるはずだ。
「くろむ……ここでねると、からだ、いたくなる」
「……なんと」
さっそく先ほどの会話の効果があった。尖った岩石の犇めく場所でも何の問題も起きない我と違い、河原で寝ると人間は体が痛くなるらしい。ではどうすれば寝ることができるのか、と尋ねたら体と地面の間に何かを敷けば良いという。固い物の上では眠れないとは、どれほど柔い体をしているのか。
……少し触ってみたい気もするが、そこまで柔らかいなら我が爪が掠っただけでも簡単に裂けてしまうのであろう。固い鱗が触れただけでも傷となるかもしれぬ。人間は不便だ。
そのような人間が傷つかない、柔らかな素材はこの場にはない。探すとすれば、深い森の中だ。
(何か使えそうなものは……ああ、これなら良さそうだ)
遠視の魔法で森の中を探して回れば、全身を白く柔らかい毛に包まれた、今にも眠ってしまいそうな顔の魔物が森の奥で密集しているのを見つけた。名前はたしか、スリープシープだったか。人間も時々その毛を刈り取って緩衝材に使っているくらいなのだから、奴らの毛の塊ならば使えるであろう。
狙いを定めて風の刃を巻き起こし、逃げ惑う羊から毛を刈り取っていく。血生臭くならぬよう、傷をつけぬように体毛だけを刈るのは集中力が必要だが、我にかかれば造作もない。集めた大量の毛はこちらに運ぶ前に川の水を巻き込んで洗い、回転をかけて水気を吹き飛ばす。こちらに着く頃にはすっかり乾くので、直ぐに使えるだろう。
突然白い毛玉が降ってきて、己の背丈ほどに積み上がった現象にイミコは例の驚き顔を見せ、我と毛玉の山を見比べる。……うむ、なかなか良い反応ではないか。
「それを使って眠るがよい」
「……あり、がとう……」
イミコは毛玉の山に近寄ると、それらを小さな手で少しずつ丸めて大きくしていった。何をしているのかよくわからず見ていたが、小さな毛玉の山はいつの間にか大きな一つの毛の塊となり、イミコはそれに横たわる。どうやら寝具を作ったようだ。……言えば我がさっさと作ってやったというのに。あのように小さな手でせっせと作っていたから結構な時間がかかったではないか。
作業にそれなりの時間を要したこともあり、毛玉の寝具に横になったイミコは直ぐ眠気に襲われたようで、その体から力が抜けていった。
「……やわらかくて……あったかい……」
その呟きは小さなものだったが、我の耳にしっかりと届いた。そしてその声は何故かとても耳に心地よく、幸せそうな響きであり……この程度の事で幸福を感じているらしいことには少々驚いたが、その声の響きは悪くない。
(……うむ、イミコが寝ている間にもう一つ、何か喜びそうなものを用意してやるか)
朝目が覚めて、その何かを目にして喜ぶイミコの顔を想像する。用意するものによっては喜びのあまり笑うかもしれぬしな、よく考えねばなるまい。
規則正しい呼吸を繰り返すイミコの姿を眺めながら、一体何をしてやろうかと考えている時間はとても楽しいものだった。
次回、クロムのサプライズプレゼント……?
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