鈴の報告①
延暦寺攻略前に焼け落ちていた延暦寺の惨状を眼前にした信長。黒幕がいると推測する光秀と同じ考えの信長の元に鈴と呼ばれる男が姿を現す… …
数日後、信長の元に『鈴』と呼ばれていた男が帰還した。
その者は身なりは高位の武将姿なれど、武将にしてはやや細身で戦いには不向きな体型である。
彼は信長の前に赴くと、即座に人払いを願いでて、信長もそれに応えた。
「お館様、此度の一件、誠に申し訳ございませぬ。拙者が彼の者の元を離れねば防げた一件、処罰は覚悟の上でございます」
鈴は開口一声陳謝した。それに対し信長は首を振った。
「そもそも浅井、朝倉の内情調査と志賀の陣の繋がりを命じたのはワシである。貴様はワシの命に従ったまでじゃ。それに佐和山の磯野員昌の調略は、貴様の功績なくして成しえなかったこと。それだけでも成果は充分、天晴れである」
「有難きお言葉、もったいのうございます」
鈴はある程度の叱責を覚悟していたのだろう。その言葉を聞いて安堵した様子だった。
「それより敵方のしっぽは見えたか」
「はっ、それについてはしかと」
「うむ、では聞こう」
足早に要件に移る信長。それもそのはず、謎の延暦寺消失以降、鈴と呼ばれる男の報告を今か今かと待ち望んでいたのはこの信長自身であったからだ。
というのも巷では既にこの『延暦寺消失事件』が、『延暦寺焼き打ち』だとか、『信長乱心事件』などという言葉に置き換えられ広まっていた。それも異様な早さで尾ひれはひれがついて、全国津々浦々まで轟いていた。
この伝達網の早さに、鈴も違和感を隠せないでいた。早速、自身の調査による報告を信長に伝え始めた。
「将軍・足利義昭のお館様に対する包囲網の形成状況ですが、事のほか影響力が根強く残っております。志賀の陣後、一時は包囲網の形成に乱れが生じたかに見えましたが、それはあくまで表向きの事象。現に本年五月以降の篠原長房による畿内再上陸しかり、浅井・朝倉、石山本願寺、六角ら昨年和睦したはずの勢力が、息を吹き返す機会を虎視眈々と狙っております」
「それについては、ワシも承知しておる。本年またしても(足利)義昭の奴が、自身の内書を畿内周辺の大名連中だけにとどまらず、甲斐の武田にまで出していたと聞く。ワシに仇なす勢力が機会を伺うのは無理もなかろう」
「拙者もはじめはそう思っておりました。しかしそれならば昨年の和睦調停で一番安堵したのは、他ならぬ浅井長政殿であったはずであります。お館様との義兄弟の契りよりも、先祖代々のお家事情の義を選んだ忠義者の長政殿としては、金ヶ崎の一件で朝倉家への忠義は果たしたはずでありますゆえ」
「うむ。あの裏切りにはワシも死を覚悟したものだ。しかし、よくよく考えれば長政らしい振る舞いよ。義の男・長政か。だからこそワシは奴を気に入っておったのだがな」
「お家事情で織田家と浅井家は対立関係でありますれば、それは古くからの浅井・朝倉同盟を重視しただけのこと。長政殿はお館様を恨んでの戦ではなかったはずでありましょう」
「それも分かっておるわ」
「とすると、長政殿はお館様との和睦の機会を狙っていたとは考えられませぬか」
「―――、何が言いたい」
「長政殿の意に反し、和睦の機会もなく姉川での戦や志賀の陣に突入したものの、結果として昨年末の朝廷の介入という形で和睦するに至り申した。諍いの潮時を狙っていたはずの長政殿にしてみれば渡りに船だったと感じます。しかし、長政殿は未だに朝倉側についたまま。おかしくはございませぬか」
「いかにも長政ほどの人物なら、ワシに真の謝罪をすれば今一度やり直せることくらい分かるはず―――」
「左様、恐らく義を尊ぶ長政殿であれば、昨年の和睦を重視し、例え義昭公から新たな内書が届いても無視するはずであります。なにせ長政殿にしてみれば、義理を果たした朝倉の次に尊ぶべきはお館様でありますゆえ」
「つまり、それを邪魔して手引きしている者がいるという事であるな」
「お察しの通りであります」
「長政がワシや義昭よりも重きを置く人物―――」
「―――」
「朝廷―――、正親町天皇か」
「そう推測されます」
信長は肘かけに寄りかかり一言「やっかいであるな」とつぶやいた。
つづく
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