延暦寺攻略②
岐阜城での会議を経て、比叡山攻略を決めた織田軍。勢いに乗り比叡山に向かうのだったが… …。
同年九月十二日未明、比叡山の麓に到着した信長以下の延暦寺攻略隊は、比叡山全域を境内とする延暦寺を取り囲むように陣形を配置した。
しかし各隊は、この時既に異様な違和感を覚えていた。
というのも、いつもは比叡山の山頂から流れてくるはずの澄み切った澱みのない空気が、今は吐き気をもよおすほど毒々しく、とても神聖な場所とはかけ離れた雰囲気を感じさせていたからである。
足軽の間でも「これが比叡山なのか」とか「本当に仏がいる場所なのか」などど、口々に不安の声が囁かれはじめていた。
この異常な気の流れは信長のいる本陣でも直ぐに察知され、攻め込む前に偵察隊が境内に派遣された。
それからおよそ半刻後、帰還した偵察隊の伝令は、まるで酔っているかのようなおぼつかない足取りで信長の前に膝まづき報告を入れた。その顔は体から全ての血が抜けてしまったのではないかと思うほど蒼白だった。
「延暦寺… …全焼」
「なぬっ!?」
驚愕した信長の声が響き渡る。
伝令は、ただでさえ震えが止まらぬ膝を必死に起こし、信長の威圧に耐えた。しかし、伝令の報告が信じられない信長は、
「全焼だというか。状況を説明せい!」
と、間髪入れずに報告を促した。伝令は震えが止まらぬ唇を必死に堪え、報告を続けた。
「はっ… …、改めてご報告… …申しげます。既に延暦寺は… …焼け野原と化し… …、僧侶、女、子供に至るまで… …し、死体の山で溢れておりまする。見る限り生存者は… …確認できませぬ!」
と、チカラを振り絞って応えた。
この報告にはあの信長でさえ凍り付いた。
もちろんその内容を直に聞いた周囲の者達も同様であり、比叡山周辺から時という概念がなくなり、そして音が消え去った感じさえしたほどだった。
しばらくするとその内容は口伝えに瞬く間に広がっていった。中心部から離れるほどコソコソ声が次第にザワつき出し、大外にいる部隊に広まるころには怒声と悲鳴に似た叫び声さえ聞こえてきた。
その後信長は、全部隊を引き連れて比叡山に進行。伝令の報告通りの地獄絵図のような有様を目の当たりにしても、にわかに信じられないといった面持ちで、未だ薄煙が立ち上る延暦寺の境内を見渡すしかなかった。
「お館様、これは一体… …」
柴田勝家が真っ先に信長に駆け寄る。歴戦の勇者も戦場とは違うその光景に自分の目を疑っているようだ。
その後、丹羽長秀、明智光秀、池田恒興、木下秀吉ら重臣が次々に信長の元に集結した。
中でも狂乱に満ちた唸り声を轟かせたのは佐久間信盛であった。信盛は太く天まで届くかのごとき声を上げると、その場にうずくまり泣き叫んだ。足軽のなかにも信盛と同じような者が続出し、比叡山は怒号と悲鳴が数刻以上続いた。
部隊がそのような状況に陥る中、重臣を中心にした原因究明が即座に開始された。勝家らも複雑な思いを胸に潜め、このような残虐非道な所業が誰の手によって巻き起こされたのか、その痕跡の調査を開始する。
その結果、遺体のほとんどは屋内で就寝中に逃げ遅れたと見られる女、子供らしき焼死体だった。逆に屋外に横たわる遺体は、焼死体ではなく明らかに刀剣類と見られるもので切られた遺体であった。
だが光秀はここにあまりにも不自然過ぎる違和感を覚えた。それは僧兵らしきもの達の遺体がほとんどと言っていいくらいないことである。屋外の遺体は明らかに若い学僧のもので、位高き僧兵らしき遺体は数人程度。延暦寺に立てこもっていたはずの僧侶の数には到底及ばない人数である。
「織田様、何者かに謀られましたようであります」
光秀は調査後の第一声をこのような言葉で始めた。
「うむ。そのようであるな」
信長もその異変に気づいていたのだろう。眉ひとつ動かさずに冷静に受け答える。
「して明智殿は、誰の仕業と心得る」
「このようなことができるものは限られましょう。恐らくは洛中内の者の仕業かと」
「確証はあるか」
「それは今京にいる『鈴』次第でありまする」
「では即刻『鈴』を呼び戻せ」
信長は延暦寺の事後処理班として明智光秀、柴田勝家、丹羽長秀、中川重政、佐久間信盛を任命。彼らに復興活動と周辺の関係修復を命じて、比叡山から撤退した。
つづく
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