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本能寺の変①

秀吉の策略が垣間見える毛利討伐への時間稼ぎをしていた信長。本能寺での茶会が終わったその日、歴史的事件が勃発しようとしていた。

天正十年(一五八二年)六月二日、ついに運命のその日がやって来た。世にいう本能寺の変の幕開けである。


その日は前日から降り始めた雨が夜半過ぎから本降りになり、犬の遠吠えさえもかき消されるほどの雨音が大地を打ち付けていた。

本能寺では、黒幕を翻弄するための演出である第一日目の茶会が無事終了した安堵感から、関係者はもとより信長もぐっすりと深い眠りについていた。外は変わらずに厚い雨雲で月の光さえ届かない暗闇の世界。


そんな悪天候の未明、突如として本能寺境内に小姓らの怒号が響き渡った。



「敵軍襲来! 敵軍襲来っ!」



激しく打ち付ける雨音よりも大きな声が本能寺境内に鳴り響く。しかし、境内の多くの者は茶会の疲れから、それが現実の声か、はたまた夢の世界の出来事なのか理解できないでいた。だが、その声がより大きくなるにつれ、寝静まっていた者達も伝令が現実であると認識し、騒然となった。


兵たちは寝ぼけ眼を無理やり開眼させ、ギクシャクした体を温めながら武器庫に向かう。そして武具装着した者から順に庭先に躍り出た。先ほどまで激しく打ち付けていた雨も若干小降りになり、壁越しに馬の嘶きが聞こえるくらいになっていた。


しかし兵たちが寝ぼけ眼をこすっている間に、真っ先に信長の元に走り寄り、情報を伝達していたのが小姓頭の森成利だった。成利は信長の寝室の前に来ると、障子越しに少々慌て気味に言葉を告げた。



「お、お館様、敵軍が迫りつつあります」



いつもは冷静沈着で、本心を隠すように表情を変えない成利としては珍しく動揺していた。それを受けた信長は障子を開け、むしろ冷静になり切り返した。



「何を慌てておるのだ。敵が奇襲をかけてくるなど予想の範囲内ではあるぞ。それもこの畿内に裏切者がでようとも者の数ではなかろう。慌てるでない」


「し、しかし、その敵軍の大将なれば… …」


「大将がどうした」


「敵の大将は羽柴秀吉、その本隊であります」


「なに!?」



それまで冷静に事態を飲みこんでいた信長の表情がにわかに曇り、甲高い声をあげた。



「サルだと? やつの本隊は今、備中高松城に釘づけのはずであろう。別働隊ではないのか!」


「いえ、間違いなく羽柴秀吉の旗印であります。黒田孝高の旗印も同時に確認済みです」


「サルめ。まんまと謀られたわっ! 別働隊なら本能寺の守衛部隊で充分片づけられたものを!」


秀吉の本隊に近年戦国有数の策士として名を轟かせつつある黒田孝高を加えた意味は、信長自身に『すでに一縷の望みなし』を悟らせるのに充分であった。


しかしここで信長が疑問に感じたのは、備中高松城にいるはずの秀吉がいかにして、ここに到着したのかである。通常なら十日はかかる道のりのはずだからである。その疑問に対して成利が答えた。



「恐らく既に毛利方とは盟約を結んでいたのでありましょう」


「十日も前に、と申すか?」


「いえ、十日どころか数年前よりでありましょう。その交渉相手は揺甫恵瓊とお見受けします」


「揺甫… …恵瓊。その名、しばし忘れておったわ。そう言えば竹中重治もその名、口にしておったな。ワシの油断である」



 信長は自身の失策を重く心に受け入れた。しかし反省したところで事態が変わる訳ではない。



「援軍要請はいかがした!」



信長の危機迫る声が境内を震撼させる。



「柴田殿の率いる北陸勢は、越中魚津城を包囲中のため身動きとれず、丹羽・神戸の両軍は、四国遠征のため堺に釘付け模様。即時の駆け付けは困難。しかるに今動けるのは……」


「頼みの綱は、亀山城の明智光秀のみであるな」



 信長は咄嗟に援軍の宛が光秀のみであると悟ると、守備固めをしている境内の小姓衆にむけて檄を飛ばした。



「皆の者良く聞けい! 亀山より明智の軍勢が向かっておる。援軍が到着するまで、この境内を死守せよ!」


つづく


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