命の価値
秀吉の策略に乗る振りをして出陣支度を整える信長であったが… …
六月一日、信長は本能寺にて公家や僧侶を招いた茶会を実施した。
列席者の多くは信長が所有する名器の数々を直に閲覧できると聞き付けた者たちだ。特に目玉品の九十九髪茄子の人気は高く、その品見たさに参加希望者が列をなした。人が集まればむしろその場所は安全地帯に変貌し、下手な軍隊による警護よりも身の安全は確保される。つまり僅かな小姓衆だけでも身辺警護は可能という事である。
予想以上の茶会の盛り上がりに、信長も前久も少しばかりの平穏と安堵感を得た。
「信長殿、この調子ならばあと数回程度、茶会と称して出陣までの時間稼ぎができそうであるな」
「うむ。想定以上の反響よ。さすがは天下の名器、九十九髪茄子であるわ」
「まことその名だけで人集めができるとはな。このような代物、いったい売ればいかほどになるのだろう」
「九十九の名の通り、かつては九十九貫で売買されたという話もあるが、今や国が買えるという輩もおるらしい。しかし、どんなに金を積まれてもこれは売らぬわ」
「そうであるな、織田家の家宝とするも良かろう」
「いや… …この品は家宝になどせぬ。現世から抹殺いたす所存である」
「抹殺じゃと!? まさか壊すと申すか」
「まさか、そのようなことはせぬわ。九十九髪茄子を含め、ここに居並ぶ名器は芸術品の類である。さすがのワシも天下に名だたる名器をこの手で破壊する権利など持ち合わせぬわ。それでは平蜘蛛の茶釜を、死出の旅路に持って行った『たわけ者』の松永久秀と変わらぬであろう」
「では抹殺とはどういう意味であるか」
「言ったとおりの意味である。壊しはせぬが、この世から存在をなくさせるまで。少なくとも今の世の中が泰平になるまでは、な」
「それに何の意味があるというのだ」
「前久殿、お主は気づかないか。今ここで名器といわれる品々を愛でる者共の仕草を。ワシには、これらの名器を有りがたく崇拝する者共の姿が恐ろしく感じられてならぬ」
「恐ろしいとは物騒であるな。麿にはただ名器を眺める者共にしか見えぬがな」
「では前久殿、今ここに集まる者の中で、ワシらに目を向ける者たちがいったい何人いると思う」
そう言われて前久は茶会の境内全体を見回した。場内には百人近くの人々が騒めき集まっていたが、誰一人としてこちらを見ている者たちがいなかった。全員名器に色めき立ち、それを閲覧し、各々が互いに批評と談笑を繰り返していた。
「前久殿、お分かりか。今ここに居る者共はワシら等には見向きもしておらぬのだ。つまりワシらはあの名器に劣るということであろう。仮に今ここに居るのがワシらではなく『天皇』であっても同じこと。彼らの目には名器の品しか映っておらぬ。笑えはせぬか。ワシらが必死に守って来たこの京の都も、そこに住まう者共も、ワシらより名器を有り難がっておる」
「うむ、確かに貴殿が言われる通りであるやも知れぬな」
前久もその光景が次第に恐ろしく感じられてきた。
「そこでワシは気づいたのよ。サルの心が変わった時のことを、な。思えばあれは松永久秀が、この九十九髪茄子をワシの手元に持参してきたときであったわ。その時サルはおそらく、金品・財宝の類でも人の心は動かせること、また権力や領土さえ、財宝でその手に入れられることを知ったのであろう。戦場という死と隣り合わせの場所をいつまでも駆けずり廻るより、もっと楽に天下を手中に収められる知識を得たのだ。確かにそれで買える忠誠心もあろう。だがそれは所詮一時の買い物に過ぎぬ。金で買ったものは、より高価な金と財宝の力で簡単に揺れ動く。前久殿、ワシらが作る国はそのような国で良いのであるかな?」
「知れたこと。そのような国は麿が目指す国ではない。そこには国造りで最も大事な要素、『志』がないからのう。志なきところに道はなし、志なきところに道は開けぬ。麿も恥ずかしいながら、たった今この茶会の者どもが恐ろしく感じられるようになったわい。今、麿らが暗殺されても、彼らは気づかぬやも知れぬな」
「まことその通りである。だからワシはこのような代物を抹殺しようと思ったのだ。天下が安泰となり、民や家臣らが平穏を迎えるまでは、これ等の品は我が妻、帰蝶に預けようと思う」
「ほう奥方にか。それは奥方も荷が重そうであるな」
「そうなるであろうな。帰蝶には不便な役回りをさせるが、このような代物、他の者には預けられぬ。身内に貧乏くじを引いてもらうわ」
「天下の名器を預かり受ける者が貧乏役などとは。ここに居る者が知ったら、空いた口が塞がらぬであろうな。だが信長殿が如何に奥方を好いているかも分かる話でもある」
「好いておるか… …、その言葉が適切なのかは分からぬが、少なくとも信用はしておる。奴は気が強く真直ぐな性格だけに嘘がつけぬ。此度の光秀の一件でも、奴に事の成り行きを話さなかったのはそのためである。この件が片付いたら本当のことを話すつもりである。それまでは前久殿もそうであるが、成利よ、貴様も口が裂けても話すでないぞ」
「はっ、承知仕りました、お館様」
と、突然話を振られたにも関わらず成利は合意した。
こうして第一日目の茶会は無事に終了。翌日も同じような茶会を信長らは開くつもりで、この日は散会したのだった。
つづく




