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甲斐への旅路

畿内を統一した信長の次の目標は東の大国の数々だった。その手始めとして甲斐・武田家に白羽の矢が向けられる。

天正十年(一五八二年)二月、信濃国の木曾義昌が、主君である武田勝頼の不当ともいえる年貢取立と賦役に対する不満がついに爆発。織田信忠に人質を差し出し織田方に寝返った。

義昌の謀反を知った勝頼は即時に彼の生母と側室、並びに子供らを処刑。この処刑を確認した信長は、信忠を大将とする軍勢を編成し討伐に乗り出した。いわゆる甲州征伐の開始である。


 先鋒隊として乗り込んだ信忠隊は美濃国方面から進軍すると、飛騨国方面からは金森長近が入り込んだ。さらに同盟国の徳川家康も駿河国方面から参戦すると、北条氏政も時勢に乗り遅れんとばかりに相模国方面と上野国方面から甲斐を目指した。まさに一度限りの『対武田連合軍』の完成である。


もともと信忠軍には森長可、河尻秀隆、滝川一益ら歴戦の豪将が揃い踏みの部隊だったが、それに加えて後方隊として明智光秀、細川忠興、丹羽長秀らを従えた信長軍が睨みを利かせていた。


 先の長篠の合戦で武田家の主要家臣といわれるうちの大半を失い、兵力も人望もなくしていた武田勝頼にこの軍勢を相手にできる力量は既になく、古参の家臣も次々に降伏。開戦後わずか一か月間足らずで、かつては東の大国といわれた武田家はもろくも滅亡した。

 尚、この甲州征伐には近衛前久も同行していた。前久は「一度戦場というものを直に見てみたい」という、たったそれだけの理由で信長についてきてしまったのだ。


 四月に入り武田の残党狩りもひと段落したところで、信長は諏訪周りで甲斐国の武田氏の居城である躑躅ヶ﨑館に向かった。

 道中、信長と前久は駕籠を嫌い、初春の花や木が生い茂る信濃路を馬を並列にして歩ませた。空は晴れ渡り、行く道を妨害するものなど存在しない風景が広がっている。台ヶ原に差し掛かった時、前久の目に壮大な風景が飛び込んできた。



「あの遠きに見える雪の冠った山はなんであるかな、信長殿」


「先ほどワシも聞いたところであるが、あれが富士の山らしい。ワシも初めて見るわい」


「ほう、聞きしに勝る美しさであるな」


「うむ、ワシも多々転戦を繰り返し、数多の光景に出くわしたものだが、これほどの山は見たことがない。さすがは神話にも登場する霊峰よ」


「麿もついてきた甲斐があったわ」


「前久公も、もの好きな者よ。このような敗戦処理の場にまで赴くとは。十年経っても変わり者は変わり者のままであるな」


「人生、面白ければ良いのよ。信長殿の敗戦処理の仕方にも興味があってな、見ておきたいのだ」


「ワシの敗戦処理の仕方であるか? 別に面白きものなど特に用意してはおらぬぞ」


「聞けば武田勝頼は戦費調達のために、家臣や領民にかなりの税を負担させていたらしいではないか。いまや甲斐国と信濃国は政治が崩壊しているも同然。どう治めるつもりじゃ」


「うむ、それならば既に『国掟』の下案程度は作成しておる」


「国掟とな、どのような内容なのじゃ」


「そんなことに興味があるのか」


「まぁ変わり者であるからな、ハッハッハ」



 この後、途中で寄り道した山茶屋で、信長が下書き程度に作成した『甲斐・信濃国掟』を見た前久は、その十一条からなる内容に感嘆の声をもらした。



「信長殿、この掟によると甲斐・信濃の関所は自由通行させると言っているように見受けられるが… …、誠か」


「関所で税を徴収するなど意味もなきことよ」


「しかし今後、この国を治めるのは織田家であるぞ。税を取らずしてどうやってこの荒廃した国を立て直すというのだ」


「楽市でもやればよかろう。もうこの一帯に抗う大名もなし。領民の力で立て直すがよい。全ては自助努力である」


「その領民からも年貢以外に税を課さないとしているが… …」


「この国の領民は、武田勝頼から嫌と言うほど既にむしり取られておる。すでに血も涙も出ぬであろう。国が立て直るまでは無駄な税は取らぬつもりである。治めるこちらも身を切らねば領民の信頼は勝ち取れぬ」


「抵抗するものは自害させるか追放とあるが、自害する者などいなかろう。それに逃がせば今後の火種になりはせぬか」


「敵も一介の武士であるぞ。武士なれば忠誠を尽くすか背くのみ。自害もせずに抗うは既に武士にあらず。そんな者は逃がしたところで抗う力も意志もない小物よ。放っておけ」


「訴訟ごとは念入りに糾明、解決せよとあるが、こんなことをやっていたら時間と人がいくらあっても足らぬぞ」


「訴訟を起こすということは不満があるということよ。それを放っておけばやがて取り返しのつかぬ大事になりかねん。火種は小さきうちに摘み取るが肝要。そのためには小さな訴訟をひとつひとつ解決していけば、無駄な血も時間も費やさなくて済むようになる。急がば廻れである」


「各人が治める領域内で道を作るとは、どういう意味であるかな」


「これには二つの意味がある。ひとつは、関を廃止し楽市をやっても道がなくては人の行き来も流通も滞る。もうひとつは、その国を治める領主の能力が測れるというもの。美しい国を目指しているか、怪しげな謀を企てているかも一目瞭然である」


「所領の境目が曖昧で争いになったら憎み合うことを禁ずる、不都合な場合は直訴せよ、とあるが、これは誰に直訴させるつもりなのだ」


「当然ワシに決まっておろう。他に誰がいる」


「信長殿は、喧嘩の仲裁まですると申すか」


「争いの種と言うものは、いつの時代もつまらぬ諍いから生まれるものであるぞ。特に新たな領主に赴任したものは土地になれてはおらぬゆえ、それが子孫代々までの憎しみと争い事になりかねぬ。小さきうちに止めるには、ワシが仲裁するしか方法はなかろう。他の家臣では変な同情や贔屓が生じ、新たな揉め事に発展しかねぬからな」



 これを聞いた前久は、返す言葉もなく全てに迎合するように頷いた。彼こそ天下を治めるにふさわしく、天下布武という目標も絵に描いた餅ではないと確信したからだ。


 甲斐からの帰路は、家康が信長の部隊が通りやすいようにと、『中道往還』を突貫工事で整備していた。それに掛かった費用は莫大であり、家康は私財のほとんどを費やした。そのおかげで信長らは、霊峰富士を往路と復路で両面から見る機会を得たのだった。


 裾野まで広がる日の本一の山を誰にはばかることもなくゆっくりと眺められる光景に、信長と前久は満足の笑みを浮かべた。その後、駿河にて家康の過大なもてなしを受けると、東海道を一路安土へ向けて出発。四月下旬には無事に安土に凱旋帰還を果たした。


つづく


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