抜擢
畿内を制圧した信長は、朝廷に対して威信と威圧を試みていた… …
天正九年(一五八一年)の年明け、信長は『馬揃え』を執り行うことを明智光秀に命じ、早速準備に取り掛からせた。
この『馬揃え』を希望したのは近衛前久だった。信長は地方大名らとの和平交渉が成功裏に終わった立役者である前久に功の返礼を所望したところ、前久は『馬揃え』を希望したのだった。それもお膝元である『京都』での実施を切望したのだ。
前久が馬揃えを京の都で開催させたかった理由は三つある。
一つ目は、今なお織田信長の討伐、排除を企む反信長系の面々に織田軍の軍事力を見せつけ矛先を挫く狙い。
二つ目は、畿内に織田の軍旗を掲げることにより、まだ制圧しきれていない地方大名に対して『織田信長による全国統一は目前』という既成概念を植えつれさせる狙いだ。
そして最後は何より前久自身が『演者』として出演したかっただけである。元来、目立ちたがり屋の前久は、この機会に自身の乗馬技術を朝廷の面々に見せつけたかったのだろう。
ただ、この運営を任された光秀の責務は重大であった。なにせ現状の織田軍は全国にまたがり活動している。しかも現在進行形で小競り合いを繰り返しているのだ。それらの軍の指揮官を召集するのは困難極まりない。失敗は許されない行事である。その運営を自身に命じた信長に、光秀は真意を確かめるため駆け寄った。
「このような重要行事、某しに任せていただきよろしいのでありましょうか」
「不満か、光秀」
「不満など… …、毛頭ございませぬ」
「では自信がないと申すか」
「有体に言えばそうであります」
「光秀ともあろう者がどうした。年でもないのにもうろくしたか」
「正直に申しますれば、古参の重臣が多く存在する中、某しが指揮する違和感ということが気がかりであります」
「確かに中途の貴様にとっては難しい任務であるな。此度の馬揃えには、五郎佐(丹羽長秀)はもちろんのこと、今北陸で激戦を繰り返している権六(柴田勝家)、犬(前田利家)、長近(金森長近)、中国方面軍司令のサルあたりも戦線より呼び戻したきところだ。それに嫡男信忠を含む我が一門衆は絶対参加。その他、公家衆、坊主衆らにも声を掛けねばならぬ。気を使いそうであるな」
「本来であれば一門衆のどなたかが適任と存じます。一門衆であれば他の重臣の方々も納得のいく人事ではありませぬでしょうか」
「申し出はもっともである。だがな光秀、お主も今や丹波の国主、誰に遠慮があろうか。古参であろうが新参者であろうが遠慮はいらぬ。馬揃えの指揮権はお主に委ねたのだ。そのワシの命を受けたお主の意向に背く者なら処罰も構わぬ」
「お館様… …」
この瞬間、光秀の目が潤んだ。
確かにこの任務は難儀なものだった。光秀も絶対に成功できるという保証もなく、むしろ失敗した時の代償の方が大きい。切腹もいとわぬ覚悟である。
しかし光秀はそれ以上に信長に感謝した。なぜなら一時的とはいえ馬揃えに参加する織田軍の総指揮権を委ねられたからだ。これは委ねた信長にも度胸がいることだった。もし総指揮を任した人物が裏切った場合、一時的に軍の指揮権を失っている信長は抗うことができない。その先に待つものは『死』そのものだ。余程信頼できる人物にしか運営を任すことなどできないのだ。
突然目を潤ました光秀を見て信長は、
「なんだ光秀、この程度で重圧を感じ涙するとは愚か者め」
と、一喝したが、「違いまする」と、瞬時に光秀は反論した。
「某し、斎藤道三様が破れ美濃を追われて以降、朝倉、足利と仕える主君を変え、まるで瓦礫のような身分でありました。そんな落ちぶれ果てていた某しを召し抱えていただいたのがお館様であります。それだけでも十分でありますものを城をいただき、昨今では丹波という大国の治領も任されております。ただ此度の『馬揃え』は、今までの論功とは格が違いすぎまする。『織田軍の指揮』その壮大な軍隊を統括する大役、某し、しかと引き受け申す。お館様に決して恥を欠かせぬ式典に仕上げ、天下万民に織田軍の威信をご覧いただきまする」
こうして丹羽長秀や柴田勝家、嫡男の織田信忠ら一門衆に加え、近衛前久を筆頭とする公家衆や武井夕庵に至る坊主衆らを巻き込んだ大規模な軍事行進『京都馬揃え』が、同年二月二十八日に皇居内裏の東門外にて開催。正親町天皇も招待し、朝廷や公家に織田軍の威信を見せつけ、式典は成功裏に終わった。
しかし、羽柴秀吉は「毛利に不穏な動向あり」という理由で参加を辞退。明らかに光秀に対する嫉妬心であったが、毛利の名を出されては引かざるを得なかった。
この一ヶ月後、信長は再度馬揃えを披露。先の馬揃えの目的と違うところは、織田家の『威信』披露ではなく『威圧』に変わった点である。その目的は正親町天皇の譲位であった。
信長はかつて信長包囲網に加担し、義弟である浅井長政を苦しめる片棒を担いだ正親町天皇を許せないでいたのだ。しかし正親町天皇は「時期が悪い」との理由をつけ、この申し出を却下した。
この『馬揃え』の準備で光秀があくせくと飛び回っている間、京都には珍客が訪れていた。名は『ヴァリニャーニ』、フロイスと同様にイエズス会の宣教師である。ただこの珍客と言うのはヴァリニャーニのことではない。彼が引き連れて来た使用人の方であった。
その使用人を見た信長は今までになく驚き、しばらく目を丸くしたまま動かなかった。
「その肌の色は本物であるか」
信長はヴァリニャーニの謁見の挨拶もほどほどに、最初の質問は彼の連れて来た使用人に向けられた。信長が面を喰らったのは使用人の黒い肌の色だ。
初めて見る黒肌に、話には聞いていたものの動ぜずにはいられなかった。信長にとっては今まで星の数ほど献上された品々や価値ある茶器よりも興味深かった。
信長はすぐさまヴァリニャーニに使用人の黒人奴隷が欲しいと所望。ヴァリニャーニは、その申し出を拒否したものの、信長の押しの強さに根負けし黒人を手放した。
信長はその黒人を『弥助』と名付け、京都馬揃えの式典にも護衛と称して参加させ、居並ぶ騎馬隊と同様に朝廷や公家の者達を驚かせたのだった。
このような本来無形である『威信』というものを、目に見える形で畿内全土に焼き付けた信長は、絶対的な権威を盤石なものとして京の都に植え付けるのであった。
さてこれより半年後、毛利輝元が因幡国の鳥取城に向けて出陣するという噂が信長の耳に入った。結論からすると根も葉もない縷言だったのであるが、万が一に備え明智光秀と細川藤孝は千代川に出陣。一足先に因幡に乗り込んでいた羽柴秀吉と合流した。
結果的に鳥取城は兵糧攻めの末に陥落し、全部隊は即時解散したのだが、光秀と藤孝は腑に落ちなかった。「この出陣に意味はあったのでしょうか」と藤孝は疑問を呈した。光秀も「それに関しては某しも同意見である」と藤孝に同調した。
確かに補給兵糧を積んだ毛利方の水軍が千代川の河口に進軍。光秀、藤孝両軍と交戦し撃退したものの、二人の軍をわざわざ出陣させるほどの軍勢ではなかったのだ。そもそも前年から鳥取城の兵糧攻めは始まっており、あとは降伏するのを待つのみ。しかも鳥取城を包囲していたのは、秀吉を筆頭とする彼の主力部隊がそのまま参戦していた。陥落は時間の問題であり、手柄のひとり占めを考えたら援軍の要請は不自然だったのだ。
光秀と藤孝は眉間にしわを寄せていたものの、結果的に因幡国を制圧した織田軍は、勢いそのままに織田信雄が伊賀国を平定。さらに淡路国、能登国と領土を拡大し、次の標的・甲斐国武田勝頼に狙いを定めた。
つづく




