秀吉の両翼
織田家による畿内統一が進む中、この後の秀吉の行方を左右する人物が相まみえる… …
黒田孝高が信長の居城である岐阜城を訪れたのは、天正三年(一五七五年)の初夏の頃だった。
偶然にもこの日、秀吉が自身の小姓として雇ったばかりの石田光成を信長に紹介するために長浜城より登城していた。信長と秀吉、それに光成がいる大広間に通された孝高は、深々と頭を垂れると即座に口を開いた。
「この度はお目通りいただき感謝申し上げます。みども、播磨の国は御着城城主・小寺政職が家臣、黒田孝高と申します」
「うむ、話しは荒木村重より聞いておる。村重とは旧知の仲であるらしいな。今回の面会も、やつより是非会って欲しいと頼まれてのことである。して此度はなに要であるか」
「はっ、では早速用件に移らせていただきます。みどもが主・小寺政職、織田様にお味方の意向。ついては傘下に入れさせていただく、その旨をお伝えしに参りましてございます」
「ほう、それは誠か。小寺殿は優柔不断ゆえ、当方と毛利を天秤にかけてなかなか決断しきれずにいると聞いておる。その決意、誠のものであるかにわかに信じがたい」
「確かにその噂は誠であり、疑われるのも御最もであります。今なお小寺家中の大多数が毛利家への従属に傾いておりますが、主君の意志は織田様への従属を誓いましております」
その口上を聞いていた秀吉がにんまりとした表情を浮かべながら、
「それは尚のこと疑わしいことでござるな。黒田殿においてはご足労であったが、小寺殿本人がここに参上せぬこと道理に合わぬでござる。それに何より、あまり言いたくはないが、持参品の一つもないではござらぬか。かつて松永久秀殿が傘下入りの時分には、名器・九十九髪茄子を献上し誠意を見せておったぞ」
これに対し孝高は、これらの反論は想定済みとばかりに全く動じず、逆に次のように返した。
「みどもの主が此度参上せぬ理由は生来の小心者ゆえ、織田様に会いに行くと決めた夜から寝込んでしまったからでございます。此度はみどもが代理として参り申したが、次に登城する際は必ずや織田様の前に連れて参る所存であります。また、持参品の件でございますが、品ひとつの献上で誠意が伝わるというのであればいくらでもご用意いたしましょう。されど今は戦国の世、その様なもので誠意が計れるとは到底思えぬであります」
「では、お主は何で計ると申すか」
と、秀吉は先ほど自信あり気に口走った手前、少々言葉荒げに問いただした。
「献上の品に代わるもの… …、ではみどもが居城である姫路城をそのまま差し出しましょうや」
「な、なんと!」
と、秀吉は絶句した。その硬直しかかった秀吉を傍目に、信長が言葉を継いだ。
「うむ、姫路城といったら機内から九州に抜ける街道の要所のひとつ。中国でふんぞり返る毛利への牽制にもなりえるな。だが、姫路を明け渡すとなると黒田家一族はどうするつもりであるか」
「姫路に新しく派遣された織田様の家臣の、その臣下に加えていただきたく存じます」
「城持ちの身分から、一臣下に成り下がると申すか」
「はい。それがみどもが誠意。覚悟でございます。みどもの新しき城は、今後織田様の臣下として働き、働きに応じて新しき治領と共に城を頂きとうございます。しばらくの間、城がなくなるだけのこと。全く問題はありませぬ」
この言葉を聞くと信長は口元を緩め、小姓が持つ刀を取った。
「気に入ったぞ黒田孝高! さすがは村重が紹介しただけの男よ。貴様がワシの期待通りの働きをした暁には、褒美として新たな城とこの名刀『圧切長谷部』をくれてやるわ」
「圧切長谷部……織田様の愛刀の一つでございますか。それは城一つよりも価値がありそうでありますな」
「そう思うか。ならばしかと働け。貴様の主君にもそう伝えるが良い」
こうして信長と孝高の初面会は成功裏に終わった。
孝高の下城後、大広間に残った秀吉は早速、目の色を変えて進言した。
「お館様、先ほどの話、是非この秀吉にお任せいただきとうござる。ここのところ国内ばかりの政務で少々身体が訛っていたところ。北近江の反乱分子もようやく一掃する目処が立ち、是非次のお役目をいただきとうござる」
まるで子供のように目を輝かせてねだる秀吉だったが、信長は「駄目じゃ」と首を横に振った。なぜなら織田家の主要な重臣軍団は長年続く石山合戦に刈り出され、さらに大名が不在となり無法地帯となった越前の平定、武田の残党狩りを主要任務とする信濃国や甲斐国の平定に乗り出し手駒がいない状態だったからだ。
「此度の話しは丹波攻略中の明智光秀と細川藤孝が丹波攻略を終了次第任せるつもりである。方面的にも同じであるからな。それよりもサル、貴様にはもっと大事な任務があるのだ。貴様には北近江の治安が安定し次第、長島の一向衆征伐に行ってもらわねばならぬ。これまで一向衆相手に我が軍は連戦連敗。大事な家臣も失っておる。これ以上負けられぬのだ。やってもらえるな」
「う… …、左様でありますか……。織田家の一大事とあれば仕方ありませぬな。そのお役目お受けするでござる」
と、渋い顔を浮かべて秀吉は承諾した。
「さて、それとは話は変わるがサルの隣の者、石田三成と申したな」
と、信長は突然、秀吉の隣で影を潜めていた三成に着眼した。
「はっ。お館様」
「貴様、先ほど黒田孝高をずっと観察していたようだったが、なにか感ずることでもあったのか」
「いえ大したことではありません」
「初対面だからとそう口ごもるな。何かを感じていたであろう。言うてみよ」
「はっ、では恐れながら申し上げます。黒田孝高、彼のもの一流の賭博師とお見受けましてございます」
「賭博師……その真意は如何に?」
「はい。黒田殿は類まれなる先見性と時勢に対する嗅覚があると察しましてございます。しかしながら、彼の者は生まれながらの博打打ちではないでしょうか。私も秀吉様と出会う前までは寺に住み込んで働いておりました。そこでは多くの民との出会いがあり、その出会いの数だけ多くの人生を垣間見ることが出来ました。中には博打による借金で逃げ伸びてきた者、また博打が好きな者など多々おりました。彼の者の目はその者共と同じ、博打うちの目であります。それも一発逆転の大物狙いばかりを標的にする正真正銘の賭博士。そして彼の者が賭けるものは常に人生そのものでありましょう。命を賭けるだけにその言葉は真の誠となりて相手方の心に響く。ただ彼の者の場合、その辺で見かける賭博士の器にあらず。さらに悪い表現を引用するならば、狂人の類と紙一重。それが彼の者の真の姿とお見受けいたします」
「あい分かった。ワシも貴様とほぼ同意見である。その推察力見事であった。三成よ、今後ともサルの良き補佐として励むが良い」
これが信長と三成との最初の会話だった。
この後、長島を含む伊勢攻略が激化。秀吉も参戦するほどの総力戦へと発展した結果、ついに伊勢国を治める有力者・北畠具教を降し伊勢を平定した。
つづく




