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霧の群像~今明かされる真の信長暗殺者~  作者: トビー
第五章 信長包囲網
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光秀の決意②

信長に臣下に加わる様に勧めらた光秀の返答は… …

「お受けいたしまする。この光秀、生来傾くこと苦手な性分ゆえ、そのような大役演じ切れるかどうか自信はありませぬが精いっぱい務めさせていただきます。また時期を改めて義昭公には再度暇乞いをする上、その際は改めてよろしくお願い仕りまする」



 こうして光秀には約束通り近江国志賀郡が与えられ、坂本城を居城にして活動を開始した。



 一方浅井長政の居城である小谷城を監視する役目を担っていた秀吉が守備する横山城では、秀吉のうっぷんが高まりまくっていた。重治が与力に就いたことで、秀吉自身は表立った行動ができなくなったからである。


 秀吉にしてみると歯がゆい思いが募る時間が過ぎ去っていったが、織田家が支配する国内も決して安泰ではなく、秀吉も細々とした戦乱に派遣され戦いに明け暮れる日々が続いていた。というのも尾張国・長島にて蜂起した一向一揆は日々激しさを増し、実弟・織田信興や西美濃三人衆の一角である氏家ト全など有力家臣を失う事態にまで発展していた。


 その一向宗の総本山である石山本願寺との戦闘も激化の一途を辿り、信長自身が総大将として指揮をとらなくてはならないほど戦況は一進一退、ほぼ五分五分の戦闘を続けていたのだ。


 さらに越前国・朝倉義景の動きの鈍さに業を煮やした東の大国・甲斐の武田晴信が、大軍を引き連れて東海道を一路西へ突き進んで来る。三方が原で友軍の徳川家康が大敗を喫し一時は万事休すの事態を招いたのだが、道中にて武田晴信が急死し事なきを得たのだった。


 この武田晴信の上洛が潰えたことにより、彼の上洛を依代とし信長討伐の急先鋒として旗揚げしていた足利義昭は一気に窮地へ落とされる。その上、西の大国・安芸の毛利元就も一年前に他界。度重なる裏切りで既に信長の信頼も皆無となり、和平への道が絶たれていた義昭が生き残る方法は信長を倒すのみであった。


 天正元年(一五七三年)七月、ついに対信長を掲げて真木島城にて挙兵した義昭だったが月内には敗北。


 ここに足利尊氏から十五代、約二百四十年続いた室町幕府はあっけなく終焉を迎えた。



 さて近江国では、この間も重治による地道な浅井交渉は変わらず続けられていた。そして重治が小谷城を訪れたある日、長政と次のような会話が交わされた。



「浅井様、今一度お願い申し上げます。信長公に謝罪してくだされ。さすれば領土・領民の全てを現状維持させていただく意向であります」


「竹中殿、度重なるお役目ご苦労である。しかしそれはできぬ相談だ」



 険しい表情で長政は受け応えた。



「何故であります。朝倉様、並びに朝廷に対しても十分義理は果たしたではありませぬか。信長公も浅井様の忠義は分かっております。決して寝返りではありませぬ。元の鞘に戻っただけでございます」


「違うのだよ、竹中殿。もはや私の個人的感情ではなく家中、ひいては領民が引き下がれない状況なのだ」


「それはどういうことでありましょうか。確かにお互いこれまで多くの血を流して参りました。でもそれは戦国の世の常。そこで踏みとどまっては先に進みませぬ」


「もしや竹中殿は知らぬのか。兄上(信長)がやられている我が領地内の現状を」


「お館様が何を?」


「昨今の磯野員昌や宮部継潤ら家臣がそなたらの調略で寝返ったのは致し方あるまい。これはそなたの言う通り戦国の世の常である。しかしこの小谷城下町への放火の件、さらには苅田狼藉などの件については領民の了承が得られぬ。延暦寺焼き討ちの例からも領民が兄上に降れば自分らも皆殺しに合うと一歩も引かぬ状況なのだ。城内に残る家臣も同様の感情を抱いておる。もはや降るくらいなら死を選ぶであろう」


「―――? 信長公はそのような指示を出されてはおりませぬ。少なくとも町への放火など今後手に入れる領地や領民をいたぶることは当方にとっても意味をなさぬこと。それは浅井様もお分かりでありましょう」


「では誰がやっていると申すのだ。事実、町への放火は数度に及び、苅田狼藉で農民は飢えておる。だかな竹中殿、誰がやっていようともそれはもはや問題ではござらぬ。我が浅井家が進む道はただ一つ、兄上との死闘。それが浅井家が生き残る唯一の道である」



 放火の類は秀吉の指示で蜂須賀正勝配下の山賊連中が動いていることは明白だった。


 しかし長政の実直な性格は揺るぎなく、すでに交渉の余地は残されていなかった。重治も諦めるしかなかった。そして会談の締めくくりに長政は重治に対して「我が子らと妻のいちを頼む」とだけ頭を下げて頼んだ。これが重治と長政の最後の会話になったのである。


 この後、既に朝廷にとっても幕府にとっても、さらに秀吉にとってももはや利用価値のなくなっていた浅井・朝倉連合軍は他国の援護もなくなり、一乗谷戦で朝倉義景、小谷城攻防では浅井長政と立て続けに敗北。


 ここに戦国の世に名を刻む二つの名家が滅亡したのである。


 つづく

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