九十九髪茄子
足利義昭の上洛準備を整えた織田軍。いよいよ上洛に向けて動きだした… …
この年の九月、足利義昭にとっては念願の上洛戦が開始された。
同盟国の北近江はなんなく通過できたものの、南近江では想定通り観音寺城を拠点とする六角義賢の猛攻に合い、足止めを喰らうこととなる。しかしこれを丹羽長秀らの活躍もあり、支城の箕作城を陥落させることで六角一族を大和国へ追放することに成功。
入洛してからも三好長逸、三好政康、岩成友通らいわゆる三好三人衆の必死の抵抗が続いたが、どんなに天下に名の知れる三好衆であろうとも、畿内でぬくぬくと育った貴族のような武士と、幾度の死地を潜り抜けてきた野武士のような地方大名とでは実践の経験値が全く違っていた。
織田軍の圧倒的な戦力と実力差の前に戦略らしい戦略を見出せないまま後退を続け、ついに三好軍は傀儡将軍・足利義栄と共に畿内から逃亡。四国に退却していった。
畿内の脅威を振り払った信長は、本営である芥川城に足利義昭を入城させた。これにより義昭の悲願であった上洛と、信長による畿内制圧がいともたやすく達成するのであった。
このような急激な状況変化に慌てふためいたのが大和国の松永久秀である。久秀は信長に降るために芥川城を訪城。信長への謁見を申し出て来た。当然家中内に久秀来城の噂はすぐに広まった。
なんにせよ松永久秀といったら誰もが知る『主君殺し』という下剋上を成し遂げて一国を手に入れた大名であり、十三代将軍・足利義輝公をも殺めた首謀者の一角。さらに戦いの最中に東大寺の大仏殿を焼失させた経歴を持つ天下の極悪人である。
そのような者を降って来たからと言って家中入りさせて良いのかどうか、臣下の間でもすぐさま話題の的になっていた。
この時、芥川城内にいた家臣は丹羽長秀、不破光治、木下秀吉など少数。
他の重臣らは畿内の戦後処理に奔走して不在だった。当然慎重派の長秀はもちろんのこと、在城していた家臣団の全てが面会謝絶を唱えた。
この時ばかりはあの怖いもの知らずで好奇心旺盛な秀吉ですら、「これは何かの罠でございます。きっと降ると見せかけながら、当家の内情を探る密偵を送り込んでくる策略でありましょう」と、面会謝絶を提案。さらに畿内を制圧し波に乗っている家臣団は、「追い返した後は、松永の居城・信貴山城ごと制圧してみせましょう」と、口をそろえて訴えた。
しかしここで異議を唱えたのが光秀だった。
「明智殿は松永との面会を提唱すると申すか」
信長は反対意見続出の中で唯一の賛成意見を進言する光秀に着目した。
「はっ、まことに家臣団の皆々様には申し上げにくいことではありますが、某しは松永殿が持参した小箱の献上品がどうにも気になりましてございます」
「献上品? このわしが献上品程度で心を揺るがすと思っておるのか」
「いえ、思ってはおりませぬ。しかしながら某しの読み通りの品だったとするならば、謁見の価値ありと判断いたしまする」
「ほう、お主は小箱の中身が分かると申すか」
「恐らく某しの推察通りだとするならば、小箱の中身は唐物の茶入れ『九十九髪茄子』でありましょう」
「つくもがみ… …とな? ただの茶入れか」
「いえ、ただの茶入れではございませぬ。九十九髪茄子は三代将軍・足利義満公が所有して以降、数々の名家を転属した名器。その価値は国一国、いや二国にも相当すると言われております。どのような経路で入手したかは定かではありませぬが、現所有者は松永殿。持参した木箱の大きさからして、その可能性が高いと推察いたします」
「お主の言いたいことは概ね分かった。兎にも角にも価値のある一品というわけであるな。だが所詮は茶器。どのように価値がある逸品だとしても、それと引き換えに我が織田家中に不穏な種を舞込ませる理由にはならぬ」
「お言葉はごもっともであります。茶器と家中の火種は引換えにはできませぬ。ただ松永殿は日ごろより九十九髪茄子を『己の命よりも大切なもの』と、周囲に触れ回っております。もしそのような品を献上するようなことがあれば、それは松永殿の本気と解釈できるというもの。仮に断るようなことあれば、織田様に今後新たに従属する意思のある他国の武将は、従属の献上品に苦慮することでしょう。さすれば以後の調略活動が難しくなり、無駄な使役を繰り返すことに繋がります」
「うむ。明智殿の忠告、理に適っておるわ。よし、ではまず松永の持参品が誠にその品であるか確かめようぞ。その上で沙汰を降すと致す」
このようにして唯一、久秀との面会を進言した光秀の意見が採用され、信長と久秀の面会が実現した。
結論は光秀の予想通り『九十九髪茄子』が、織田家への忠誠心の証として献上される。献上品が九十九髪茄子であると知ったとき、信長は改めて光秀の眼力の凄さに驚かされた。その驚き様は信長が献上品を差し出された時、一瞬目を丸くし言葉を失ったことからも理解できた。
しかし久秀はこの驚き様を「信長のやつ、九十九髪茄子を持ってくるとは想像もしていなかったのだろう。差し出したとき言葉を失っておったわ」と勘違いし、意気揚々と帰って行ったのだった。
この一連の流れは、長秀をはじめとした譜代の家臣団にとってはことのほか面白くない一件だった。
献上品の中身まで推測する光秀の眼力に、一個人としての知識力の豊富さに加え、受け取らなかった場合においてのその後の情勢なども含め、武将としての能力の高さを評価せざるを得ない。特に出世欲の強い家臣においては、この時すでに光秀への警戒心が生まれつつあった。
またもうひとつ、この一件には家中に新たな火種を誘発する引き金をはらんでいた。
それは『九十九髪茄子』と『秀吉』の出会いである。国一国に匹敵するような一品など、農民出の秀吉がそう易々と拝めるものではなく、また『茶器と国が同等の価値』という突飛な発想は、これまでの秀吉の頭では思いもつかない事実だったからだ。
この九十九髪茄子との衝撃的な出会いは以後、秀吉の人生を変える大きな転換期になった。
この後、池田城で畿内最後の反抗をしていた池田勝正も屈服。畿内を完全に平定すると、義昭を本圀寺に送り込み、信長自身も京に凱旋入洛した。
つづく




