五月雨の来客①
五月に入ると空模様は一転、文字通りにシトシトと湿った五月雨が降り続く天候に変わり、東求堂から見える庭先では季節を先読みした紫陽花が数輪ほど開花し始めていた。
天海は相変わらず床に伏せていた。
何もせずに床に伏せていると、楽しい思い出、辛い思い出、淡い思い出、赤面したくなるほどの思い出など、特に思い出そうとしている訳でもないが、過去の様々な記憶が頭を過ることがある。
今、天海の頭の中でも同じように様々な過去の場面が思いめぐらされていた。
「あれから三十年……じゃな」
天海のそのつぶやきは、雨音にかき消されそうなほど小さく聞き取りにくいものであったが、病床・六畳間の隣部屋である同仁斎の間で、囲炉裏に火をおこしながら彼の看病をしていた深海は、そのつぶやきに眉を動かした。
「三十年とは、自分が僧正様の傍で働かせてもらってからのことでしょうか?」
「それも……うむ。まぁ、そうじゃな」
天海の返答は歯切れが悪いものだった。
当然、深海も一瞬言葉を詰まらせた天海の素振りに、先ほどのつぶやきの真の意図が『自分の仕えた年数』ではないことを見抜いていた。
「ところでお主、今年で幾つになった」
天海は自分の言葉を取りつくろうように話を続けた。
「四十八になります」
「もうそんなになるのか。長らく仕えさせてしまってすまなかったな」
「何をおっしゃいます。自分が今ここにいるのは僧正様のおかげであります」
「いや… …お主なら、拙僧の元におらなくとも引く手あまたであったじゃろう」
「いえ自分は、これからも僧正様のお世話をさせていただく所存でありますゆえ、そのようなお気遣いは無用に存じます」
深海は天海に合わせてこのようなたわいない会話をしばらく続けていたが、自分の早とちりにより気を使わせてしまっているという負い目を感じていた。
そこで深海は切りの良いところで先ほどの真の意図を聞きかえすことにした。
「ところで僧正様、先ほどのささやきには、別の意味もあるのではないでしょうか」
天海も深海なら些細な言動を聞きもらさないことは承知の上だったのだろう。廻りくどい話しは返って逆効果だと悟り、ゆっくりとした深い呼吸を一回すると改めて口を開いた。
「うむ。拙僧も見ての通り老い先短い身。そろそろ後継者を選んでおきたいところじゃ。そこで、お主に拙僧の名“天海”の名を引き継いでもらいたいのじゃ」
「なんと弱気なことを。まだまだ延暦寺の再興も、家康公の国づくりも道半ばの状態。大坂の豊臣陣営の動きも不穏極まりなく、僧正様のチカラなくして江戸幕府は万全にはなりませぬ。後継者選びなどど申さず、一日もお早い回復に精力を注ぎこんでくだされ」
「何を言うか深海。拙僧も今年で齢七十七であるぞ。後継者を決めておくのは当然の成り行きじゃ」
「ならば尚更のこと、一介の世話人に過ぎぬ自分ではそのような重責務まりませぬ。どなたか優秀な人材をお選びくだされ」
必死に断る深海に対し、天海は弱々しく痩せ細った己の腕を伸ばし、彼の手を取った。
「お主以上の人材はそうはおらん。直ぐにでも僧正の器に相当する知識と作法、俗世の見聞力や人物観察力、状況判断とそれに伴う機転。全てにおいて他の弟子、いや稀に見る天稟と評価しておるのじゃ」
「恐れながら、それは買いかぶりにございます」
「謙遜するではない。拙僧は知っておるぞ。延暦寺再興、拙僧の目の届かぬ些細な指示など、あたかも拙僧が指揮したような影の立居振る舞い。真の指揮者はお主であると感謝しておったのじゃ」
「もったいなきお言葉。しかし、やはり僧正様の後継者になどは、荷が重すぎます」
「何を勘違いしておるのじゃ深海。拙僧がお主に託したいのは、天海の『名』そのものじゃよ」
「名… …名とはいったい?」
「名は『名』じゃ。拙僧が亡き後、お主には僧正・天海として生きてほしいのじゃ」
深海は耳を疑った。天海の言葉の意味が全く分からなかったからだ。芸事の世界では名跡を継ぐことは多々ある。しかしこの話は芸事とは別だ。
それも天下に名を轟かせる『大僧正・天海』の名など誰であっても継げるはずもなく、ましてや一介の門弟が名乗れる名でないことは深海ならすぐに理解できた。
深海は冗談かと思い、今一度問い直そうとした。
しかし、天海の目を見て彼は思いとどまった。天海の眼差しは曇りひとつなく、そして今先ほどまで寝込んでいたとは感じさせないほどの眼光で、彼の手を力強く握りしめて頼んでいたからだ。
それは真剣そのものだった。
つづく
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