白昼夢
天正十年(一五八二年)六月二日未明。
京都、本能寺にて。
この日の京都は、前日から降り始めた雨が夜半過ぎ頃から本降りになり、地面に打ち付ける雨音が犬の遠吠えさえもかき消していた。
それに加えてこの前日、本能寺内において、五月に自ら太政大臣を辞したばかりの近衛前久公や、
公家衆、僧侶らを招いて執り行われた茶会が何事もなく終了。催事に携わった者達は、無事終えた安堵感でグッスリと寝静まっていた。
そのような中、本能寺を標的にした大軍勢の影が、雨音に乗じて西の彼方より忍び寄っていることを、この時まだ誰も知る由はなかった――
「敵軍襲来! 敵軍襲来っ!」
突然、本能寺境内に伝令の声が鳴り響く。
しかし伝令より先に外の異変に気づき、本能寺に迫りくる軍隊を直に視認していた者がいた。その者は敵と思しき軍隊の旗印を確認すると、急ぎ本能寺の奥間に駆けつけ、障子越しに少々慌て気味に情勢を告げた。
「お、お館様、敵軍が迫りつつあります」
「何を慌てておるのだ。敵が奇襲をかけてくるなど予想の範囲内ではあるぞ。それもこの畿内に裏切者がでようとも者の数ではなかろう。慌てるでない」
「し、しかし、その敵軍の大将なれば… …」
「大将がどうした」
「敵の大将は羽柴秀吉、その本隊であります」
「なに!?」
お館様と呼ばれた男は寝床から飛び起き、甲高かな声をあげた。
「サルだと? やつの本隊は、備中高松城に釘づけのはずであろう。別働隊ではないのか!」
「いえ、間違いなく羽柴秀吉の旗印であります。黒田孝高の旗印も同時に確認済みです」
「サルめ。まんまと謀られたわっ! 別働隊なら本能寺の守衛部隊で充分片づけられたものを!」
男はすぐさま奥間から移動すると境内の外を見回した。壁の外は既に“沢瀉紋”と“瓢箪紋”を掲げた敵兵で埋め尽くされていた――
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春の日差しが心地良い慶長十七年(一六一二年)四月下旬のある日のこと、目元まで覆われた白布で顔を隠し、唯一垣間見える瞳から顔立ちの凛々しさが感じとれる人物が、京都慈照寺の敷地内にある東求堂の縁側にて浅い眠りに落ちていた。江戸幕府お抱えの高僧・南海坊天海の愛弟子・深海である。
弟子といっても歳は既に五十間近。付き人としてはいささか歳を取り過ぎていると感じられなくもなかったが、卒寿を前にしてなお、徳川幕府の第一線で指揮を執る天海にとっては、機転、気配り、状況判断、知識力に置いて他のどの弟子よりも秀でている深海を手放すことが出来ず今日に至っていた。
「深海、深海や――」
温かな日差しに、書院造の囲炉裏の間である同仁斎の縁側で船を漕いでいた深海は、名を呼ぶ声にハッと目を覚ました。呼んでいるのはもちろん天海である。
「申し訳ありませぬ僧正様、自分としたことがついウトウトと――」
深海は無意識とは言え、眠り込んでいたその状況に恥しくなりすぐに謝罪したが、天海はその言葉を遮るように「拙僧の方こそ、起こしてすまなかったな」と隣接する六畳間の寝床から優しい言葉を投げかけた。
実は、家康の命にて数年前から延暦寺再興のために上京していた天海だったが、老体に鞭打つ過労から病に罹り、ここ慈照寺内の邸宅で数ヶ月前から床に伏していた。
「それより深海よ、何かうなされておったぞ。いかがした?」
天海が言うには、深海はうたた寝しながら酷くうなされていたらしい。それを心配した天海が声をかけたのだという。それに対し深海は「最近、時折不思議な夢を見るのです」と、おぼろげに覚えている夢の内容を話した。
それを聞いた天海は、「面白き夢を見たものじゃな」一笑。続けて「戦国の世は、遠き昔に既に終わりを遂げておるぞ」と付け加えた。
つづく
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