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TS100ものがたり 06:TS弁護士

作者: 私

山菜取りの途中、道に迷い、何とかたどり着いた先が女湯の露天風呂だった。覗きの罪で捕まった主人公を救うため、TS弁護士が立ち上がる。


○○地方裁判所刑事部第四法廷。

そこである事件の裁判が行われていた。今、女性検察官による起訴状の朗読が行われている。

「被告人は平成28年4月30日午後1時ごろ、北上山川瀬登山道より入山、午後5時10分ごろ、北海道北川町3丁目1 北川温泉えぞりす旅館女湯露天風呂を、山側から覗き見をしているところを入浴中の女性客に発見されました。その後、発見に気が付き逃走した被告人は警察の捜索により森林内にいるところを発見、逮捕されました。軽犯罪法第1条23号違反として…」

被告人山田 康はうつむきながら朗読を聞く。とにかく裁判中は余計なことを言わないこと。すべて弁護士に一任し、質問にはただ「はい」だけで答えることと厳命されていた。裁判などはじめてな上、一体これからどうなるのかも分からずビクビクしていた。


冒頭手続きが終わり、検察官の冒頭陳述に移る。山田はちらりと弁護人の早乙女奈里子の方を見た。30代前半程度の、まだ若い女性弁護士。類似の事件で多くの無罪判決を勝ち取っている敏腕弁護士だった。

「被告人は、意図的に女湯を覗いたことを証明いたします。被告人は山菜取りの途中、道に迷い誤って事件現場のある女湯前に到着したと主張していますが、次の証拠により被告人の故意は明らかです」

検察官は証拠として、被告人が事件当日辿ったルートを示した地図を提出した。これは通常の登山道から意図的に外れほぼ最短距離で事件現場の女湯へ向かっていることを示すものだった。さらに押収物の中に山菜や山菜狩りに使う道具が一切なかったこと、女湯露天風呂の周囲にはそのことを示す看板が等間隔に建てられていたことを示す地図を提出した。

それらのものは証拠物として採用され、次に被告人側の立証に移る。

「被告人の行為に故意性は一切なかったことを証明します。まず被告人が登山道を外れた理由ですが、登山道から15mほど外れて山菜の採取をしているところ、登山道の方から物音がし、ヒグマの生息域である当地で、ヒグマの襲撃を恐れた被告人は登山道とは逆の獣道の方へ移動したと証言しています。クマよけの鈴を携帯していたこと等から、被告人がクマの襲撃を恐れていたのは明らかです」

「逮捕時、その鈴はカバンの中にしまわれていました」検察側が反論する。

「それは逃走中、発見を恐れてカバンにしまったものです」

「被害女性の中にも鈴の音を聞いたものはいません」

・・・。被告人山田は俯く。

「次に女湯のあることを示す看板ですが、その大半は摩耗しており、文字の読み取れないもの、損壊しているものも多数ありました。被告人の通った道のそばにある看板も大きく摩耗していました。それを示す写真です」

弁護人は、半分ぐらい草に埋まり殆ど文字の読み取れない看板の写った写真を示す。

「確かに摩耗はしていますが、注意を促す看板であることは認知できます。そして、その看板の地点からは建物の存在や温泉のにおいや音などから、近くに露天風呂があることは十分想定できたはずです」

「被告人は、日没も近いこともあり、とにかく人家のある場所へ急いだと証言しています」


山田は俯いたままだった。検察官のいうことも一部は正しかったのだ。物音によって故意なく登山道を外れたのは事実だった。しかし、その登山道をある程度下った時点で、このまま行くと北川温泉郷にでそうだな…という推測をもった。そしてそのまま下山していくと看板、そして大きな建物のようなものが、木の葉の隙間から見える。そして水の音と女性の微かな声…。

この時点で、彼はクマよけの鈴をカバンにしまい、意図的に女湯の方に向かったのだった。


追い詰められた弁護人は、ここで伝家の宝刀を取り出した。

「被告人には、女湯を覗く動機がなかったことを証明します」

なんだ、それは・・・とばかりに法廷の注目が弁護人に集まる。

「被告人は男性です。男性であれば、女性の裸体を覗く動機は十分にあります」検察官は言うまでもないことをあえて言う。

「被告人が“男性”ならね」早乙女はウインクをして言う。「被告人、証人席へ」

被告人は警察官に連れられ証人席へ移る。

「被告人の性別は、実は“女性”なのです!」声高らかに早乙女は宣言する。法廷内の空気が凍り付く。もし被告人が、ビジュアル系のアイドルや、所謂男娘のような容姿だったら、まさか…という気にもなっただろう。しかし、被告人山田は誰がどう見ても男性。それもイケメンとは程遠い、どちらかというとオヤジ臭い若者だった。出廷前に髭を剃らせてもらったものの、まだ青く残っている。

山田本人が一体どうしていいのか分からない。少なくとも、頭のおかしい人に弁護を頼んでいしまったことだけは明らかだ。

「弁護人・・・」しばらくの沈黙を破って検察官が立ち上がる。「留置時の身体検査や人定質問により、被告人が男性であることは周知の事実です」

「今はね」早乙女は、弁護人席の机の上から小さな小瓶を取り出す。「被告人は、女性一人で山菜を取るため山に入ることは危険と判断し、ある薬品を使って男性に変身したうえで入山していたのです。そうですね、被告人」

山田は意味が分からずぽかんとしている。

「そうですよね!!」早乙女は身を乗り出して強く言う。

「は・・・はい」山田はたじろぎながら同意する。

「ここに元の姿に戻すための解毒剤があります。裁判長、これを証拠として提出いたします」

「そんな空想上のもの、証拠にはなりません!!」女性検事が勢いよく叫ぶ。

「わかりました」法廷の一番高いところに座る裁判官がゆっくりと頷く。「被告人、その解毒剤を今、ここで飲んでみてください。いいですね、弁護人」

「はい」そう言うと、早乙女は、山田の前の証言台に、その透明の液体の入ったビンを置いた。山田は不安そうな目をして自分より一回り小さい早乙女を見る。彼女は自身をもった表情で大きく頷く。

彼女が弁護人席に戻ると、山田はその液体を手に取った。蓋を開け、臭いをかいでみる。無色無臭…。正直、水にしか見えない。一体なんの茶番劇なんだろうか。まさか毒薬で、自分を殺そうとしているのか?山田が逡巡していると裁判官の声が響く。

「被告人、早くしてください」

検察側の席を見る。彼女はあきれた表情で腕を組みそっぽを向いている。傍聴席を見る。誰もおらずガランとしている。そして弁護人席を見る。早乙女が『大丈夫だから、早く』という表情でこちらを哀願している。

どうにでもなれ!!そう思い、一気に飲み干した。


十五分後…。裁判官が判決を読み上げる。

「被告人の性別訂正により、犯罪の構成要件に該当しなくなったため、被告人を無罪とする」

刑事裁判では、1000回に1度と言われる無罪判決を言い渡される。

しかし、被告人席に喜びの声はない。左右を囲んでいた男性警察官が消え、ぶかぶかのワイシャツとズボンを着てちょこんと座る女性。まるで放心状態で座っている。

裁判官も検察官も帰った法廷で、早乙女は彼女と向かい合う。

「山田さん、よかったですね!これで自由ですよ」

「あの…、これって…」自分の体を指さしながら高くか細い声を震わせながら言う。

「服でしたら着替えを持ってきていますから、トイレで着替えましょう」

「いや、そうじゃなくて…」彼女はずり落ちそうなズボンを押さえながら立ち上がる。「もとには…」

「しー!!」早乙女は彼女の口に指を当てる。「あなたは生まれながらに女性で、元の姿に戻っただけです。それ以上でもそれ以下でもありません」


彼女はその後、裁判所のトイレで早乙女が持ってきた女物の下着、そしてジーンズとTシャツに着替えた。裁判所を出て、事務所に戻れば、元に戻してもらえるという淡い希望もすぐに打ち砕かれた。

身分を女性に変えるための書類を半ば強制的に書かされ、法律的にも社会的にも女性と言うように更生された。これらの書類のおかげで、非正規だけれど女性としての就職もできた。

しかしそれで諦めがつくわけがない。ことあるごとにTS法律事務所を訪れて、男に戻してほしいと頼むのだけれども、早乙女は「あなたは書類上も身体的にも生まれながらに女性です。女性を男性にするなんてことはできません」と返されるだけであった。


「何度も申しますように、当事務所では、性別の変更等は扱っていません。お引き取り下さい」

山田は無罪判決から一年後、今度こそはと意気込んできて、受付で同じように追い返されて、泣きながら帰っていった。

「彼女、随分としつこいですね」受付の女性が、部屋から出てきた早乙女に言った。「もう一年になるのに、毎週のようにきますものね。よほど嫌なのかしら」

「セクハラや女性差別で有名な会社で働いているからね…。まぁ、良いことよ。女性の身になって少しは苦労しないと」

「じゃあ、当分はこのまま?」

「当分じゃなくて、“いっしょう”。なんだかんだ言って、明らかに意図的に女湯を覗こうとしていたしね。そういう人は、自分の立場にならなきゃ分からないのよ」


チリンチリン!入り口のドアが開く。

そして気の弱そうな男性が顔をのぞかせる。

「あのーすいません、依頼したい事件があるのですが…」

「はーい」

早乙女弁護士は笑顔で答えた。


おしまい


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