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第83階層 平穏な定休日

涼「雷魔法を応用した電気マッサージがやけに好評だ」

香苗「使いこなすまでは結構痺れたけどな」


 エリアスが妊娠九ヶ月に入った、ある定休日。

 特に用事も無いため、自宅に帰っているテレサさんとリネアさんを除く全員でお茶を飲んで談笑していたら、急にリコリスさんが訪ねて来た。

 どうやら個人的に休みを与えられたらしく、遊びに来てくれたらしい。


「お邪魔します。お嬢様、具合はいかがですか?」

「悪くありません。この子も順調に育っています」


 立ち上がるのにも歩くのにも注意が必要になるぐらい、大きく育ったお腹の子。

 それを擦る姿はとても年下には見えず、すっかり母親のようだ。

 やっぱり子供を体に宿している分、エリアスの方が親っぽく見えるのかな。


「あなた? どうかしましたか?」


 おっと、久々にどうでもいいことで思考を巡らせていたか。


「なんでもない。ところで、休みを与えられたって言ってましたけど、何かあったんですか?」

「大した事ではありませんよ。先日行われた全エリアの代表者による会議に同行したので、今日は休めと言われただけです」


 そういえばそうだった。

 デフレで第一エリアから第三エリアの経済が荒れて、発生源の第二エリアは今も不況で住人の生活が苦しいってことで、全エリア代表による会議があったんだよな。

 ただ、新聞にあったのはそういう会議があったっていう記事だけで、詳しくは書いてなかった。

 精々がやたら長い期間、会議が続いたことくらいだ。


「ロウコン様もお疲れでして、しばらくダンジョンは任せると言ってリュウガ様と温泉へ出かけました」


 あの人がそこまで疲れるなんて、どんな会議だったんだ。


「そうだお嬢様、ロウコン様から伝言です」

「お母様から?」

「はい。妹か弟が増えるかもしれないからよろしく、とのことです」


 そういう伝言を残して温泉に行くって生々しいわ!

 娯楽が少ないからって、もうちょっと年齢を……。

 いや、こっちは結婚年齢が早いから高齢出産で済む範囲か?

 オバさんの年齢を聞いたことがないから、よく分からないな。


「でしたら私、弟がいいですね。別に妹でもいいですけど、弟って少し憧れていたんです」


 オバさんの年齢の点はスルーか。

 ということは、それほど気にすることでもないのか?


「それとヒイラギ様には、お土産に期待していろと言ってました」

「過剰な期待はしないでおきます」


 あの人のお土産って聞くと、十中八九食べ物系なのは予想できる。

 というか、それしか思い浮かばない。


「そういえば、こっちにも温泉があるんでしたね」

「以前にどなたかが地下も保管庫を作ろうと地面を掘っていたら、偶然出たらしいです」


 温泉が見つかる切っ掛けって、そういうものなのか?


「温泉か。どういう泉質なんですか?」

「詳しくは覚えていませんが、健康効果はありますね」

「いや、温泉の効能ってほとんど健康効果じゃないですか」


 むしろ健康効果の無い温泉ってあるのか?

 少なくとも俺の記憶の中には、そんな温泉は存在しない。

 まあそもそも、何がどうなって健康効果に繋がるのか分からないんだけど。

 よほどの温泉好きでないと、高校生でそこまで知っているのはいないだろう。


「味噌と醤油の方はどうですか?」

「芳しくありませんね。発酵の促進は魔法を利用することで可能ですが、やはり肝心の作り方が不明な点が痛いです」

「申し訳ありません。提案しておいてなんですが、大豆から作られる発酵食品ということ以外は知らなくて」


 悪魔男から渡された味噌と醤油が入った容器には、原材料名を記載したシールは無かった。

 仮にあったとしても、作り方自体が分からないと意味が無いんだけどな。


「気にしないでください。ロウコン様も、それを承知で引き受けたのですから」


 だとしても少し申し訳ない。

 味噌と醤油を手に入れた感動と、もっと欲しいという欲求の衝動から、つい提案してしまったことをちょっとだけ後悔する。

 そう、ちょっとだけだ。

 だって欲しい物は欲しい。

 こちとら味噌と醤油をこよなく愛する日本人だから。


「そう言ってくれると助かります」

「いえいえ。ところでヒイラギ様、本日は定休日でいらっしゃいますよね」


 この流れで何を言いたいのかは、おおよそ見当がついている。


「今日は海の魚を召喚する予定はありますか?」


 尻尾と耳をパタパタ動かして、目を輝かせながら詰め寄るリコリスさんに問いたい。

 あなたはどんだけ海の魚が気に入ったんですか。

 種族は本当に犬人族ですか、猫人族じゃないんですか?

 いや、犬は元々雑食だったような記憶が有るような無いような気はするけど、とにかく犬が魚を食べないというのは偏見であって。

 おっと、また余計なことで思考を巡らせるところだった。


「……今日は鰯っていう魚を召喚しました。食べていきますか?」

「是非!」


 しかし、そろそろ海魚のネタが尽きそうだ。

 覚えている魚はまだあるんだけど、それを捌けなかったら意味が無い。

 要するに俺が捌ける魚の種類が、そろそろ無くなりそう。

 鰻とかアナゴは無理、ウツボはもっと無理。

 他にはマグロとかブリとかデカいのも無理。

 烏賊はやったことはないけど、やり方は知っている。

 タコの処理方法は、覚えているような覚えていないような曖昧な状態だ。


「ここ最近は魚以外の物を召喚されていたので、楽しみです」


 その楽しみはもうすぐ無くなります。

 海の物を召喚しろと言われれば召喚するけど、捌けないから食べられるかは不明だ。

 この後リコリスさんは、振る舞った鰯料理を尻尾が千切れるんじゃないかと思えるぐらい、勢いよく左右に振りながら平らげた。


「ご馳走様でした」

「お粗末様です」


 この人も海の魚に関しては、オバさん並に食いつくな。

 ひょっとしてこの人がオバさんに雇われたのは、こういう一面があるからなのか?


「そういえば、エリア代表者による会議で、どういう事が決まったんですか?」


 新聞には書いていなかったから、ちょっと気になって聞いてみた。

 そしたらリコリスさんは食後のお茶を飲みながら、さほど大したことは決まらなかったと言う。


「支援金を出したり、出稼ぎ労働者をどれだけ引き受けるかを決めたぐらいで、本当に大した事じゃないんですよ。むしろ、どこのエリアがどれだけ支援するかを決めるのに時間が掛かりましたね」


 まあそうだろうな。

 出せる金は無限じゃないし、出稼ぎ労働者を雇うにしても限度があるからな。


「うちは前回の件があるので、他のエリアよりも多めに支援金を出して、出稼ぎ労働者を引き受けることになりました」


 前回……ああ、アグリの事件か。

 あの時に復旧の支援をしてやったから、その借りを返せってことか。


「こうなると分かっていたとはいえ、痛い出費だと代表者の方々は言っていました」


 ご苦労様です。


「ああでも、安心してください。支援金を捻出するために税率を上げるとか、特別に徴税をするという事はありませんので」

「それはなによりです」


 貯えがあるとはいえ、余分な出費は無い方がいい。


「唯一の懸念は、出稼ぎに来た方々がそのまま居ついて、第二エリアの人口が減少する可能性があることですね」

「前に同じような事が起きた時は、どうだったんですか?」

「出稼ぎの方と契約する際、元々住んでいたエリアへ帰ることを条件に契約したようです」


 今回もそれをやればいいんじゃないのかな?


「ですが契約期間や、稼ぎが足りないのに帰らなくちゃならないのかという問題が浮上し、当時はだいぶ揉めたそうです」


 やっぱり完璧なシステムは存在しないってことか。

 実行したはいいけど、後になって問題が浮上するのは珍しくない。


「どうすればいいと思います?」

「なんで俺に聞くんですか」


 無茶ぶりにもほどがある。

 異世界人だからって、何でも出来る訳じゃない。

 むしろ出来ない事の方が多いと思う。


「他に良い案を出してくれそうな知り合いがいませんので」

「だとしても、俺には思いつきません」

「ヒイラギ様なら、軽く解決してくださると思ったのですが……」

「リコリスさんは俺を何だと思っているんですか」


 この質問に対する返答は無かった。

 涼しい表情で明後日の方向を向いて、そのままスルーされた。


「で、結局どうなったんですか?」

「何も。同じ事態を避けるために特に何もせず、できるだけ第二エリアへ戻るように促すだけです」


 それは問題の先送りじゃないか?

 その事を伝えると、リコリスさんは溜息を吐く。


「ええ。幾度にも渡る不毛な会議の末にそんな結論しか出せなかったので、ロウコン様もストレスを溜めてしまわれたのです」


 そりゃストレスも溜まるって。


「しかし温泉ですか。あるのは聞いてましたが、行ったことは無いですね」

「他所のエリアですから仕方ないですよ。ロウコン様もお嬢様達がある程度育つまでの間は、行っていませんでしたから」


 他所のエリアともなると、さすがに気楽には行けないか。

 俺がエリアスとそこに行くとしたら、同じく子供がある程度育ってからだな。

 この後は特に差しさわりも無い普通の雑談をして、リコリスさんは帰って行った。


「お風呂の、用意を、してきますね」


 温泉の話が出たからか、風呂に入りたくなったアッテムが風呂の準備へ向かう。

 ちょうど俺も入りたくなったし、そのまま準備をしてもらおう。

 しかしこっちはいいな、水道代も光熱費もかからずに風呂が準備できるんだから。

 金が思ったよりも溜まっているのは、元いた世界にはあった光熱費や水道代、後はスマホとかの通信料がかからないからだ。

 そのお陰で養育費の確保や、いざという時の貯えが比較的早くできた。


(しかし、エリア代表者か……)


 ダンジョンマスターとしてのランクとランキングが上がっていけば、いずれはエリアマスターやダンジョンキングになることも分かっているけど、そういった立場になると自分のダンジョンだけでなく、エリア全体のことまで対応しなきゃならないのか。

 責任者としての義務ってやつだ。

 優遇される権利を得る代わりに、果たすべき義務が発生する。

 分かっていても、ああいう話を聞かされると上昇志向が湧いてこなくなる。


(正直、やる気が無いというより、やれる自信が無い)


 ダンジョンと農場を両立させつつ、エリア全体について対応する自信なんて全く無い。

 そう考えると、上に行くのが必ずしも良い事とは思えなくなってきた。

 まあ、俺としての大前提は冒険者が来なくなろうがダンジョンを防衛することだ。

 そうなった時のために副業での収入はしっかり確保しているし、いざという時のための貯金もしている。

 だったらいっそ、もっとダンジョンを魔改造してみようかな。

 パンデミックゾンビ、ライムのようなイータースライムが寄生した魔物、変形魔物、合体魔物、ロードンやエレンのような手を加えた魔物達。

 こういった魔物達でも充分に魔改造だと思うけど、さらに手を加えてみようかな。

 先生や葵なら、何かしらの案を出してくれるだろう。

 ダンジョンそのものに影響を及ぼすようなものでなければ、大抵の事は検討してもいいかもしれない。


「あなた、休日にお仕事のことを考えるのはやめてくださいね」


 なんで分かった。顔に出ていたか?


「よく分かったな」

「妻ですから」


 自慢気に言うところがまた可愛い。

 だからどうして分かったかはスルーしておく。

 それとエリアスの言う通り、せっかくの休日だから仕事のことは頭から消し去ろう。


「ん、悪かった。お詫びは何がいい?」


 こういう時のエリアスは大抵、毎回笑いながら許さないと言って何かしら要求する。

 要求と言っても、大したことはない。

 次の休みにデートへ行こうとか眠いから膝枕してとか、甘えたがるくらいだ。

 だから今回もそれほど大したことは言ってこないはず。


「では、この子が生まれたら、あなたが名前を付けてあげてくださいね」


 地味に難しい要求をされたよ。


「えっと、俺一人で?」

「はい」


 満面の笑顔で言われると断れないじゃないか。

 しかし名前か。

 エリアスと二人で考えるつもりだったから、急に一人で考えるように言われると少しプレッシャーだ。

 日本風にするか、それともこっちの世界風にするか。


「まだ一ヶ月ほどありますから、ゆっくり考えてください」


 考える側にとっては、一ヶ月しかないんだよ。


「分かった、考えておくよ」

「ありがとうございます。よかったねえ、お父さんがあなたに良い名前を付けてくれるって」


 地味にハードル上げるのやめてくれ。

 ああでも、腹を撫でながら話しかけている様子が可愛いから許す。

 なんでうちの嫁はこうも俺のツボを、無自覚で的確に突いてくるのかな。


「暑いな葵。なんか気温上がってねえか」

「そうだね香苗ちゃん。そこにいる人達で気温が上がってるね」


 こらそこ、うるさい。

 夫婦水入らずの空気に水を差すな。


「私達もいるのにこれとは。これが正妻の力なのでしょうか」


 別にお前もこういうやり取りをしてもいいんだぞ、イーリアよ。

 人前じゃ恥ずかしくて素直に甘えられないからって、それを全部正妻だからとかで片付けるのはよくない。

 ふむ、ここは一つ。


「イーリア、ちょっとこっちに来てくれ」

「はい、なんでしょうかぁっ!?」


 無防備に近づいてきたイーリアの腕を掴んで引き寄せ、膝の上に座らせる。

 そして逃げないよう、しっかり腰に腕を回してホールドしておく。


「ここここ、これは一体、どういうおつもりで!?」

「別に正妻でなくても甘えていいってことを、身を持って教えている」

「結構ですから! 体を張らなくとも、言葉で教えてくれれば!」

「イーリアには言葉より行動の方が効果がある。このまましばらく、晒し者になれ」

「晒し者!? 今、晒し者って言いました!?」


 おっと、ここは聞こえないふり聞こえないふり。


「ねえ、聞いてください!」


 あーあーあー、何も聞こえない。


「ううう……。旦那様が地味に鬼畜です」

「確かに涼君はベッドの上じゃ」

「言わせねぇよ!」


 イーリアを拘束している現状、振っても届かない位置にいる葵へ向けてハリセンを投げる。

 割と適当な感じで投げたにも関わらず、見事に頭へクリーンヒットした。


「おふぅっ。涼君の愛が脳天に響く」


 頭を抱えつつそんな事を言う姿に、改めてタフだと実感する。


「何やってんだよ。こうなるって分かってるだろ?」

「だとしても、言わずにはいられなかった」


 ドヤ顔で言うことじゃないぞ。

 本当、こういう奴じゃなければ元の世界でとっくに付き合っていたのに、残念な奴だ。


「あの、ヒイラギ様? ちなみにこの状況はいつまで?」

「俺が飽きるまで」

「いつですか!」


 だから俺が飽きるまで。


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