第3階層 美味い物には国境どころか次元の壁も無いんだな
イーリア「今回の私、なんか空気です……」
「さぁ、さぁ、何か美味なる物を教えて作ってくれ!」
今、俺は狐のコスプレをした着物の幼女に迫られている。
元の世界風に言えばそうなるんだろうが、実際には九尾の狐だという着物の金髪幼女。しかも実年齢は四十越えのオバさん。
見た目が幼くて実年齢が上の人を何て言ったっけな。俺の後ろの席の高本がそういうのに詳しくて、同志とか呼んでいる奴とよく語っていた気がする。
えっと、確かロリ……そう、ロリババアだっけ?
「早う頼む。美味ければ、相応の褒美も出すから!」
さすがにその呼び方は気が引けるから、俺の中ではオバさんという事にしておこう。
対面する前まではさん付けで呼んでいたけど、この人からは年上らしさが外見からも目の前の行動からも見られないから、同じさん付けでもオバさんでも構わないよな。
そんな事を考えている間にも迫ってくるオバさんにどう対処しようかと考えていると、組長のような見た目のリュウガさんが腰の帯を掴んで引き戻してくれた。
「落ち着け。ヒーラギ殿が呆れておられる」
巌のように揺るがなそうな外見と迫力の籠もった声に、諌められたオバさんはハッとして黙り込んだ。
「すまぬ、少々我を忘れてしまった。許してくれ」
素直に謝ったから、どうやら冷静にはなってくれたようだな。
それにしても、自分の嫁とはいえ暴走している人をこうもあっさり落ち着かせるなんて。
このリュウガって人、相当できそうだな。実際の所はよく分からんけど。
「気にしないでください。俺も今後、ロウコンさんに何かしら面倒をかけるかもしれませんし」
ちょっと苛立ちはしたけど、許しておいた方が後々に面倒事があった時に協力してくれそうだし、笑って許しておこう。
第一、見た目は食い意地の張った幼女なオバさんでも、この第五エリアの中じゃトップなんだ。仲を良くしておいて損は無い。
それにちょっとはアドバイスをもらえるかもしれないし、人材について協力してくれる可能性だってある。
なにせこれからダンジョンを立ち上げるんだ、良い人材は確保しておきたいからな。
でも、これくらいじゃ恩を着せるには弱いかもしれない。やっぱり、元いた世界の料理を気に入るかが鍵だと思う。
「そうか、そう言ってくれると助かるの」
「いえいえ。ところで料理を教える件は良いのですが、どんな料理をお求めでしょうか?」
「どんなと言われても……。我は美味い物は何でも好きじゃからな」
それが困るんだよ、オバさん!
というか今、夕食に何でもいいよと言われる母親の気持ちが分かった気がする。
できればこういう気持ちは親になってから知りたかったぜ。
「ならばヒーラギ殿を厨房に案内しよう。どうせ作るのならば、今ある食材で出来るもので構わないから、厨房にいる者達ご教授願いたい」
なんか面倒なこと言い出したよ、リュウガさん。
確かにさっきの勢いを見たら、教えたらその場で作ってくれとか言われそうだけど、なんで俺がそこまでやらなきゃならない!
料理ができないことはないけど、所詮は素人だぞ。
どうにか回避する方法はないかと模索しているうちに、オバさんが目を輝かせてリュウガさんを見ている。
「それじゃ! さすがは我が夫。頼めるか、ヒーラギよ!」
「……分かりました」
断って機嫌を損ねるのもなんだし、こうなったらやるしかないか。
さて、どんな食材があるのやら。
「それでは案内しよう。付いてきたまえ」
立ち上がったリュウガさんに続いて俺は部屋を出る。
手伝うと言って付いて来るイーリアの後ろから、楽しみにしているぞというオバさんの気楽な声が聞こえる。
アンタは黙って仕事でもしてやがれ。
「悪いな、妻は食に関してはあぁいう奴でな」
しばらく廊下を歩くとリュウガさんが謝ってきた。そうだ、アンタが言いだしっぺなんだからちょっとは責任感じろ。
「だが勘違いしないでほしい。病死した親からここのダンジョンを継ぎ、エリアマスターにまでなれたのは紛れも無く妻の実力。決して普段からあぁではないのだ」
それは分かっている。
仮にもこの第五エリアではランキングトップにいるんだから、相当の手腕を持っているはず。
しかもリュウガさんの話を聞く限り、オバさんの実力でエリアマスターになったみたいだ。
親が育てたものを引き継いだと言えばそれまでだけど、それを上手く使いこなすにも相応の手腕が必要になる。少なくともそれくらいの手腕はあると思っておこう。
「予め言っておきますけど、俺は大して料理の腕は良くありませんよ」
「そこまでは期待していない。ウチで雇っている料理人がいるから、彼らに協力してもらうといい」
言われなくとも協力してもらいたい。
とはいえ、プロの料理人が素人の俺に協力してくれるかね?
複雑な表情で厨房に入ろうとしていると、背後から視線を感じた。
オバさんが楽しみで付いて来たのかと思って振り返ると、部屋の襖を少し開けて少しだけ顔を出してこっちを見ている少女がいた。
ショートカットの金髪に赤い毛で覆われた狐の耳をせわしなく動かし、俺と目が合うと慌てて部屋の中へ引っ込んだ。誰だアレは。
彼女が誰かは気になるけど、特に害意は無いみたいだし放置していいか。
それにあの耳を見る限り、おそらくはオバさんの関係者なんだろうし。
「ヒイラギ様、どうかなさいましたか?」
「いや、なんでもない」
イーリアの呼びかけにそう返して、俺は厨房へと足を踏み入れた。
「皆、聞いてくれ。今朝も伝えたように、異世界から来た人間のダンジョンマスターが訪ねてきた。妻の要望だ、彼の世界の料理の再現に協力してやってくれ」
『はいっ!』
厨房には鉢巻をした威勢の良さそうな五人の男女がいた。
種族もバラバラで、角が生えているもいれば褐色肌に赤い目をしているのもいる。
中には本当に料理ができるのかと疑うような、二足歩行のトカゲみたいなのまで鍋の前に立っている。
「では、頼む」
それだけ言い残してリュウガさんは厨房を去って行った。
「えっと……。よろしく願いします」
とりあえず挨拶をすると、鍋の前に立っていた二足歩行のトカゲが歩み寄ってきた。
うわ、こんなのに睨まれて文句言われたら、反論できる自信が無いぞ。
「こちらこそよろしく頼む。僕は料理長を任されているドゥグ。見ての通り、リザードマンだ」
思ったよりも気軽に声をかけてもらった上に、握手を求められた。
これで握手しようとしたら、手を払われて人間だからとあざ笑われたりしないよな?
そんな不安と警戒心を抱えながら応じようと手を伸ばすと、普通に握手できた。うわっ、なんか皮膚と手の形状が独特で変な感じだ。
「はははっ、驚いたかい? 僕は先祖返りでね。大昔の姿で生まれてきたんだよ。まぁ、混種に比べれば珍しい現象ではないんだけどね」
つまり周りにいる人間に似たのが現代風で、このドゥグってリザードマンが古風の姿なのか。
珍しくないと言っている通り、昨日同じような感じの二足歩行する獣やなんかを数人ほど見かけた。でも、比べる対象の混種ってのは何か分からない。
「いやぁ、まさか異世界の料理を作れるとは思わなかったよ。是非、勉強させて欲しい!」
良かった、どうやら悪い人じゃないようだ。手を払いのけられなくて正直ホッとしている。
「さぁ、こっちに来てくれ。たいした材料は無いかもしれないけど、質は確かな物ばかりだ!」
腕を引っ張られて連れて行かれたのは食材の保管庫みたいな場所だ。
中は冷蔵庫みたいにひんやりしていて、あらゆる野菜や肉が置かれている。少量だけど魚もあった。
たいした材料が無いと言いながら、結構な量も種類もあるじゃないか。まぁ雇い主が食通な上に大所帯っぽいから、これくらいの量は必要なのかもしれない。
とりあえず中に入って食材を見るけど、俺に質の良し悪しは分からない。おまけにこんなにあるんじゃ、何の料理にすればいいのか悩む。
ここは毎日のように食事を作っているドゥグさんに、オバさんの好きな料理の傾向を聞いてみよう。
「ロウコンさんって、どんな料理が好きなんですか?」
首を落として羽を毟った状態の鶏肉をイーリアと眺めながら尋ねると、ドゥグさんは腕を組んで考える。
「主様は美味い物なら何でも食べる方なのだが……。そうだ、煮込む料理を好む傾向があるな。今朝も野菜を煮込んだスープを何回もおかわりされていた」
「昨夜も、肉を柔らかくなるまで煮込んだ料理を注文してましたからね」
ドゥグさんに続いて割烹着姿の猫耳の女性が良い情報を教えてくれた。
肉を柔らかくなるまで煮込む? ビーフシチューみたいな料理か?
良くわかんないけど、煮込む料理ね。野菜煮込みがあるんじゃ筑前煮とかはインパクトが無いし、オリーブオイルが無さそうだからアヒージョも無理だ。
保管庫の中を歩きながら材料を眺めていると、ある食材が目に入った。そしてピンと来た。
「すみません、今朝に作ったっていうスープは残っていますか?」
「今朝のは残っていないが、昼食用のは準備している最中だ」
「それを使わせてくれませんか?」
「まだ途中だから少し時間はかかるが、別に構わないぞ。さぁ、何を作るつもりなんだ!」
許可をくれたのはいいけど、そんな暑苦しい表情で近寄るな。
というかドアップのトカゲ顔なんて、できれば見たくなかった。
助けを求めようと猫耳の女性に目を向けるが、その人も何の材料を用意すればいいのかと少し興奮している。
保管庫の入り口付近に集まっていた他の料理人達も目を輝かせているし、ここには料理一直線な奴しかいないのか。
まぁ、転生前まで目的意識も無く日々を送っていた俺からすれば、こういう人達は正直羨ましい。熱意を向けられる事を見つけて、それに突き進んでいるんだから。でも暑苦しいのは苦手だ、気温的にも性格的にも。
一緒にいるイーリアも、彼らの暑苦しい雰囲気にオドオドしている。
「とにかくまずは材料を集めて下準備をしましょう。それと、どなたか少し時間が掛かるとロウコンさんに伝えてくれますか?」
「分かった。お前達、異世界の料理を作るんだ。気合い入れていくぞ!」
『おぉっ!』
……暑苦しい厨房だ。気温じゃなくて人物的に。
****
結論から言えば、元の世界の料理は大好評だった。
メインにと考えているロールキャベツを作っている間、他にトマトと卵の炒め物、はさみ揚げ、軟骨焼きを作ったけど、その全てが気に入られた。
調理を終えて厨房で休んでいたら、運んでいた猫人族の女性が大好評だと教えてくれた。
軟骨を出して、骨を食わすとは無礼な! とか言われなくて良かった。
そして最後の一品のロールキャベツも、俺の目の前で貪るように食べている。
「ヒーラギよ、これは気に入ったぞ! ドゥグ、キャベツと肉はまだあるか? 今夜我も作ってみるぞ!」
煮込むスープさえしっかりしていればそんなに難しい料理じゃないから、このオバさんなら簡単に再現して俺より旨く仕上げそうだ。
「作り方は簡単そうなのに、何故こんなに美味い……」
「お、美味ひいでふ。あふっ」
調理法を聞いたリュウガさんが味わっているのはともかく、その隣にいるのはさっき厨房に行く途中に見た子か?
髪は金色なのに、頭に生えている狐の耳は何故か赤毛で、オバさんと同じく九本ある狐の尻尾も赤毛。
でも、手の甲が金色の鱗っぽい皮膚だからオバさんと同じ九尾の狐、という訳ではなさそうだ。
なんというか、オバさんとリュウガさんの種族が混じっている感じに思える。
調理中にイーリアから聞いた話だと、異なる種族の両親からはどちらか一方の種族の子供が生まれるはず。
ということは、あの子もドゥグさんの先祖返りみたいな感じで生まれたのか?
「ところで、そちらの方は?」
俺が指摘すると、オバさんが思い出したかのように頷いて箸を置いた。
「末の娘のエリアスじゃ。ほれ、挨拶せい」
「あふっ、あふっ。え、えひあふでふ」
「……食べてからでいいから」
別に解答を急いでいる訳じゃないから、落ち着いて対応してもらいたい。
当のエリアスは、口元を手で隠しながら口を動かし、やがて飲み込むと改めて挨拶をしてきた。
「ししし、失礼しましま、した。エリアウ、と申しまう」
噛んだ。思いっきり噛んだ。
それが恥ずかしいのか、顔は茹で蛸みたいに真っ赤になって、目元は泣きそうになっている。
おいおい、大丈夫なのかよ。今にも倒れそうだぞ。
ったく、仕方ないな。
「落ち着いてください。いくらでも待つので、ゆっくり呼吸を整えてください」
震えていた肩に手を添えて落ち着くよう促す。
って、何気安く触れてんだ俺は。こりゃビンタの一発でも覚悟して。
「は、はひ。すう、はあ、すう、はあ」
あれ? やけに素直に深呼吸してくれたな、反撃も無しで。
「すぅ、はぁ。ふぅ……。すみません、落ち着きました」
「じゃあ改めて。異世界から来た人間のダンジョンマスター、柊涼と申します」
「だ、第五エリア、エリアリーダーのロウコンが三女、エリアスと申します」
やっぱりオバさんとリュウガさんの娘だったか。
にしても、何で二つの種族が混じったような見た目なんだ?
「のぉ、ヒーラギよ。この子を見てどう思う?」
ん? どう思うかって?
そうだな、何の種族かよく分からないけど、エリアス自身の見た目でいうと結構なレベルだと思う。
耳と尻尾の毛と髪の毛の色が違うのと、手の甲にある鱗があろうと俺の目には魅力的に見える。
「お世辞抜きで綺麗な方だと思います」
素直に感想を口にしたら、エリアスは真っ赤になって口を開けたまま小刻みに震えだした。どうしたってんだ?
「わわわわわわわわ、私が、きき、綺麗、ででで、です、か?」
「こっちの世界の美的感覚ではどうなのか分かりませんけど、俺的にはそうですね」
こっちの世界じゃエリアスは不細工に見えるのか?
美的感覚は国や時代によって違うけど、だとしたらちょっと勿体無い美的感覚だな。少なくとも、エリアスの見た目は俺的には大有りだ。
決して、亜人が趣味とかそういうんじゃない。
性格がまだよく分からないから見た目の判断だけで悪いけど、普通に良いと思う。
「は、はう、はううぅ……うぅぅ」
おい、大丈夫なのか?
さっきより真っ赤になって、まともに言葉も発せなくなっている。
ていうか、頭から湯気みたいなの出てないか?
「……ヒーラギ殿。娘は混種なのだが、なんとも思わんのか?」
混種? あぁ、さっきドゥグさんがそんな事を言ってたっけ。
「先ほどドゥグさんからも聞いたんですが、混種ってなんですか?」
混種について尋ねると、オバさんはエリアスに目を向けながら説明してくれた。
通常なら両親のどちらかの種族で生まれるはずが、双方の種族が混ざり合った状態で生まれた子を混種と呼ぶと。
なるほど、それでオバさんと同じ金髪なのに、狐の耳と尻尾が赤い毛になって、手の甲にはリュウガさんと同じ形状の金の鱗まで浮いているのか。しかもその鱗は手の甲だけでなく、肩や背中にまであるそうだ。
ダンジョンタウンでこの混種は、どっちつかずの中途半端な存在として忌み嫌われている。
でも、俺はどうにも納得できない。
「どうして、それが忌み嫌われているんですか? 両親の血を受け継いだ、明確な証が形になって現れているのに」
中途半端な存在って言われてるけど、エリアスはオバさんとリュウガさんの両方ともの血を受け継いでいる。
それがあの毛の色や鱗に出ているだけで、俺には悪いことには思えない。
とはいえ、全員がそう思っている訳じゃないから、少しフォローを入れておくか。
「そもそも俺は、こっちの世界に来て初めて亜人を見たので、他の方ともさほど変わらないように感じるんですよね」
こう言っておけば、少なくとも悪い印象は受けないだろう。
亜人という存在の中での定義やなんかを、俺は知らないんだから。
保身を図っているみたいだけど、異世界から来て間もない俺には保身も大事な事だ。
俺はこっちの世界の常識の大部分すら知らないんだから、それを知るまでは自分の身を守ってもいいだろう。
「エリアスよ、顔が赤いが体調でも悪いのか?」
「ちょっ、ちょっと熱が……部屋に戻っていますね。失礼します」
なんだ、さっきから妙に顔が赤いと思ったら体調不良だったのか。
そそくさと部屋を出て行く姿を見送りつつ、しっかり休むようにと心の中で呟いた。
「娘が失礼したの」
「いえいえ、体調不良では仕方ありませんよ」
「そう言ってくれると助かる。ところでヒーラギよ、出された料理は美味かったぞ。約束通り、相応の褒美を出そう」
相応の褒美か。
と言っても、今日俺が出した料理にどれだけの価値があるか分からない。
こっちの世界には無い物とはいえ、所詮は素人の手料理だからな。金を取るほどの物でも無いと思う。
けれどこっちの世界にとっては価値があるんだから、それなりの物は求めないと失礼になるよな。さてと、何にするかな。そうだ。
「でしたら融資金の肩代わりをお願いできますか? できれば利息は、ダンジョンギルドの融資に関する条件と同じくらいで」
俺が求めた褒美は融資金の肩代わり。
さすがにあの程度の料理で、褒美に金貨百枚をくれとは言えない。というより絶対に無理だから言わない。
だから融資金の肩代わりをお願いする。
「ふむ、そうきたか。じゃが返済前に攻略されたら、お主は良くて強制労働じゃぞ?」
「分かっています。その場合は労働先を探すと聞いていますので、それに手を挙げていただければと」
「ほう……?」
よし、食いついてきた。
俺の本当の目的は肩代わりじゃなくて、強制労働になった場合の安全な職場の確保だ。
どこで何をさせらるか分からないでいるより、ここで働くと分かっていた方が気が楽になるし、異世界の料理に強い興味を持ったオバさんが食いつかないはずがない。
もしもそうなれば、厨房で働かせて異世界の料理が毎日のように食えるんだからな。
「なるほどの。我に金を返させるために、我の下で働かせる。一応筋は通っておるし、他の募集も断りやすいな」
「はい。さらに俺を引き取ってある場所で働かせると何が待っているか、想像はつくでしょう?」
そう言ったらオバさんがにやりと笑った。やっぱり食いついたか。
「ふむふむ。そしてヒーラギは我のダンジョンという安全な職場を確保する訳か。お主、なかなかの悪よのぅ」
「身の安全を図りたいだけですよ。こうしておかないと、どこで何をさせられるか分かりませんからね。ですからエリアマスター様も、どうかお力添えを」
「わかっておるわ」
「「ふっふっふっふっふっ」」
自分でやっておいてなんだけど、時代劇の悪徳商人と悪代官のやり取りみたいだな。
根回しっていうのは、こういうのを指すのか?
「ちなみに融資はどれほど受けたじゃ?」
「金貨百枚です」
「おぉ……。限度額いっぱいとは思い切ったの」
だってこっちの世界出身じゃないから、元手がゼロなんだよ。
本当に自慢じゃないけど、昨日の夕食と今朝の朝食の食費すら融資金から捻出したんだぞ。
「ふぅむ……。その額では引き取った後の得が足りんな。金貨三……いや、四十枚ぐらいまでなら今の条件でも構わんのじゃが」
つまりは残り金貨六十枚に相応しい上乗せをしろってことか。
その要求が適正なのかは分からないし、交渉ごとは向こうの方が上手だろうから下手な駆け引きは負け戦だ。
だとしたら、こっちは手札に隠してある切り札を使うしかない。
幸い切り札は二枚あるから、まずはこっちを切ってみるか。
「つい先ほどダンジョンギルドで確認したんですけど、俺には使役スキルがあります」
「使役スキルじゃと!?」
そう、俺以外に一人しか持ち主がいない使役スキルは切り札の一つだ。
侵入した魔物や動物を従えさせられるこのスキルの有用性を、エリアマスターが分からないはずがない。
本業のダンジョン運営で使い道が無かったとしても、副業の方で役立てるかもしれない。
食道楽のオバさんなら、牧場や養鶏所のようなことをやっているかもしれないからな。
「良いのか、自分のスキルを明かしても」
「こっちは要求している立場ですからね。相応の誠意を見せないと」
それに切り札は一つじゃない。
もう一つの切り札の「異界寄せ」はまだ手札に隠している。
これは可能な限り温存し、本当に最後の切り札として使う時を待とう。
「使役スキルの持ち主が手元にいれば、うむ……うむ……」
腕を組んでブツブツ呟きながら考え込んでいる。
感触としては悪くないと思うけど、どうかな?
「よし、分かった。ダンジョンギルドと同じ条件の利息で金貨百枚を肩代わりしよう。リュウガも構わないな?」
「君が問題無いと思ったのなら、異論は無い」
うしっ、これでダンジョンを攻略されても安心だ。
「受け入れていただき、ありがとうございます」
「気にするな、こちらも得が有るのだからな」
とはいえ、金貨百枚も出してくれるんだから感謝しないと。
おまけに攻略された場合の強制労働先になる件と、利息の件も受け入れてくれたんだ。
この人の心の中での呼び方をオバさんからロウコンさんに改めるかな。
「ただし、そこまで条件を呑んでやったのじゃ。返済金を持ってくる際には異世界の料理を一品頼む」
うん、やっぱりオバさんのままでいいや。
条件を加えるのは構わないけど、結局は知らない美味い物を食べたいだけみたいだから。
「分かりました。可能な限り再現してみようと思います」
香辛料はあるみたいだから、チゲとか坦々麺でも作ってやる。勿論激辛にして。
「では金と借用書を準備してくるから、少し待っていろ」
そう言い残して退室するオバさんとリュウガさんを見送り、俺とイーリアは深く息を吐いた。
なんだかんだで、やっぱり緊張していたようだ。
あんな料理好きのオバさんでも、エリアマスターはエリアマスター。知らず知らずのうちに緊張感が張り詰めていたんだな。
「はあぁ……なんか急に疲れました」
「俺もだ。さすがエリアマスターだけの事はある」
見た目は狐コスプレの幼女だけど、中身は四十越えの経験豊富なダンジョンマスター。しかもエリアマスターでもある。
こっちに来たばかりの駆け出しダンジョンマスターの俺なんて、あの人にとっては取るに足らないんだろう。
食欲に忠実な点だけはアレだけど。
そんな事を考えながらしばし待っていると、書面を持ったオバさんだけが戻って来た。
「待たせたの、これが借用書じゃ。利息や返済時の条件も書いてあるから、確認してくれ」
差し出された書面を受け取り、内容を確認していると文章の下に身分証と似たような紋様が見えた。
ということは、これは魔法の契約書なんだろう。
だからといって、特別気にはならないから確認を続けよう。
借りる金額は金貨百枚。返済と利息は最初の二年が利息無しのある時払いで、それ以降は一ヵ月毎に残っている借金の一割が利息となり、最低でも利息分の支払いを毎月要求。
ダンジョン運営中での返済時には、異世界料理を披露して作り方を教えること。
(うん、大丈夫だろ)
どこにもおかしな箇所は無いみたいだから、すぐにサインをしようとして手を止める。
「イーリアもちょっと目を通してくれ」
何か見落としていたら困るから、念のためにイーリアにも読ませておこう。
用紙を渡されたイーリアも隅々まで読むが、問題無いと俺に返してきた。
「うむうむ。慎重なのは良いことじゃ、ますます気に入ったぞ」
エリアマスターに気に入られるのは悪くないな。
でもどうせ気に入られるなら、さっきのエリアスって子の方が何百、何千倍もいい。
混種だかなんだか知らないけど、ダンジョンタウンの男達はその程度のことを受け入れる器も無いのか。
おっと、余計な事を考えていないでサインをしよう。
「最後に血判を頼む。ヒーラギが約束を守らなんとは思わんが、念のために契約魔法を使わせてもらう」
別に気にするようなことでもない。俺だって立場が逆だったらそうしている。
相手側にすれば当然の対応だし、それに文句を言うつもりはこれっぽっちもない。
さっき住人管理ギルドで付けた指の傷を開き、それで書類に血判を押す。
「これでよろしいでしょうか?」
返した契約書をオバさんが確認する。
「いいじゃろう。ちょうど来たみたいじゃし、持っていくがいい」
まるで契約を交わし終えるタイミングを計っていたかのように、金貨が詰まった袋を持ったリュウガさんが戻ってきた。
後ろには来訪時に対応してくれた犬耳の女性がおり、彼女はリュウガさんの斜め後ろにそっと座った。
「待たせたな。金貨百枚だ、確認してくれ」
「分かりました」
袋を受け取った俺はイーリアと二人で金貨の枚数を確認する。
少し時間を掛けて金貨の枚数を数え終え、金貨を袋の中へ戻す。
「確かに百枚ありました」
これでようやく用事らしい用事は終わったな。
後はこの金貨をダンジョンギルドに持って行って、融資金の返済をすればいいだけだ。
いや、確か出発前にイーリアが雇用についての打ち合わせをするって言っていたっけ。
まだ今日の用事は終わっていないか……。
「では、早速返済に行きますので本日はこれで」
「ちょっと待て。大丈夫だとは思うが、ちゃんと返済するかを彼女に見届けさせる」
リュウガさんが指差したのは一緒に戻ってきた犬耳の女性。
なんでも彼女はこのダンジョンの住居部のお手伝い兼、警備隊の副長だそうだ。
警備隊の副長なら腕に覚えがあるんだろうし、万が一に備えての監視役って訳か。
別に持ち逃げする気は無いから、誰が付いて来てもいいけど。
「それでは、本日はお邪魔致しました」
「気にするな。こちらも美味い物を馳走になったしの」
「ヒーラギ君、次に教えてくれる料理も期待しているよ!」
別れ際に現れたドゥグさんの目が、まるで子供のようにキラキラ輝いていた。
その後、俺達はオバさん達に見送られてダンジョンギルドへ金貨を届けに向かう。
見送りにエリアスがいないのが少し残念だ。
犬耳女性の監視の下、返済の手続きをして金貨を差し出すと、対応をしてくれたルエルさんがギャグマンガのように驚いた表情で叫んだ。
「まだダンジョンも開いていないのに、どうやってこんな大金を準備したんですかっ!」
……ロールキャベツで?