第36階層 挨拶がこんなに緊張するものだとは
エリアス「ヒーラギ様のダンジョンでの食事が美味しくて太っちゃいそうです」
エリアスと婚約をして数日が経過した。
ようやく相手を取る気になったと思われたのか、その数日で娘や妹を是非妻にという話が増えた。
せっかくの定休日の今日も、そういう奴らへの対応で少しばかり忙しい。
今もアポ無しで押しかけて来た上に、混種なんかよりも娘を正妻にとしつこく叫ぶ蛇人族のオバさんを、警備隊に引き取ってもらったところだ。
「しつこいオバさんだったな」
「これで今日四件目ですね。アポ無しの押しかけは」
アポも取らずに押しかけてくるだけあって、押しが強い強い。
そういった輩は娘を勧める前に、常識的行動を取れと言いたい。
「あ、あの、ごめんなさい。私と婚約したばっかりに」
いやいや、エリアスはちっとも悪くないから気にしなくていい。
まさかとは思うけど、婚約解消しようとか言わないよな?
「でも私、ヒイラギ様の妻になるのを諦めたくはありません!」
よく言った。俺だってエリアスを嫁にするのを諦めたくない。
「分かってる。俺も同じ気持ちだから、来る話は片っ端から断わってやる」
素直に自分の気持ちを伝えると、エリアスは真っ赤になって耳と尻尾を忙しなく動かす。
反応が初々しくて、言ったこっちも恥ずかしくなってくる。
「おい涼、次の面会希望者が来てるぜ」
さて、どうせまた嫁を勧める話だろうから、断わっておかないと。
それから更に三件の面会を終わらせ、ようやく午前中の予定は終了したけど、午後にもまだ二件の面会予定がある。
午後はイーリアの実家へ第二夫人の件で挨拶に行く予定だし、どうせ午前と似たような理由での面会だろうから、さっさと終わらせたいな。
「ようやく一息つけたな」
リビングの椅子に勢いよく座って、戸倉の差し出した麦茶を飲む。
うん、乾いた喉に染み渡る。
「柊君、今のうちにお昼ご飯にしようか?」
「頼む」
今食べないと、次に食えるのが夕食になりかねない。
しかも今日は集に一度の「異界寄せ」が使える日だから、元の世界の食材を味わえる日だ。
今回はエリアスとリコリスさんとの約束通り、海の魚からアジを召喚した。
「調理の方は?」
「バッチリ。いつでも食べられるよ」
それは楽しみだ、早く食おう。
楽しみにしている前に並べられていくのは、刺身、たたき、塩焼き、から揚げ、その他諸々。
「こ、これが、海の魚を使った料理なんですね」
よほど待ちかねたのか、エリアスが好奇心とワクワク感の混ざった表情で料理を見ている。
早速食事を、と言いたいところだけどちょっと待った。
これを楽しみにしている人が、もう一人いるから。
「ご主人様、リコリスさんがお見えになりました」
来たか、今日唯一の招いた客が。
先集、ご馳走するって約束したもんな。
「通してくれ」
「承知しました」
早く食べたいと目で訴えてくるエリアスに手で待てをして、ミリーナがリコリスさんを連れて来るのを待つ。
やがてミリーナに案内され、表情は普段通りを装っていても、楽しみで尻尾と耳を忙しなく揺らしたリコリスさんがやって来た。
「お嬢様、お元気そうでなによりです。それとヒイラギ様、本日はお招きいただきありがとうございます」
「リコリス、お母様は上手く誤魔化してきましたか?」
「はい。お嬢様が上手くやっているか、様子を見てくると言って来ました」
オバさんには秘密って約束だったからな。
あの人に知られたら毎集のように押し掛けて来るか、向こうへ呼び出されかねない。
まあ副業で元の世界の野菜を販売しだしたらバレそうだけど、まだまだ好き勝手に召喚したいから、少しでも発覚を遅らせたい。
さて、それはそれとして飯にしよう。
「では、いただきます」
『いただきます!』
食事が始まるや否や、皆が思い思いの料理へ手を伸ばす。
俺は刺身へ手を伸ばして食べ、次にたたきを食べる。
久しぶりに食べたからか、素人が捌いて切って調理した割にどっちも美味い。
惜しむらくは醤油が無くいから、塩味で食べていることか。
香苗と戸倉と先生も同じ気持ちのようで、表情が今一つ浮かない。
それに対してこっちの出身の皆は、初めて食べるからか気にせず美味そうに食べている。
刺身とたたきは皆に任せて、俺は塩焼きやから揚げなんかを食べよう。
「ん~っ! 海の魚、確かに美味しいです!」
「私達が食べていた魚とは、大違いの美味しさですね!」
リクエストしたエリアスとリコリスさんは、興奮気味に絶賛している。
日本人として醤油が無いのが不満だけど、水を差すのは悪いから黙っていよう。
香苗達もそれを察したのか、醤油に関してはくちにしていない。
「ところでどうですか? 婚約話は増えましたか?」
「ええ、増えましたよ。中には混種なんかとの婚約は解消して、なんて不愉快極まりないことを言う奴もいるんです」
そんな連中を思い出し、恨みを込めながらアジフライにかぶりつく。
うん、ウスターソースを作れて良かった。
「当分はそういった話が多いと思いますので、どうか頑張ってください」
「早めに収まってくれることを願います」
もういい。とにかく今は食おう。
保存できない以上、一回きりのアジだからな。
「そうだ涼。一部は干物にできないか試してるから」
訂正、一回きりじゃないかも。
アジの干物か。飯はもち米でのおこわでもいいとして、味噌汁が欲しいな。というか味噌が欲しい。
加工品を召喚できないのが残念だ。
「そうそう、聞きましたか? 闘技場内の飲食店で働く女性奴隷給仕に、異世界人がいたそうです」
川上の奴、遂にバレたか。
「これまでに確認された異世界人の名前の傾向から、存在が判明したそうです。彼女を購入した店のオーナーにより、近々オークションへかけられるとか」
人間のオークションって、元の世界だったらどんな裏社会だよって感じだ。
だけどこっちでは、至って普通に行われている日常の一幕に過ぎない。
「どれぐらいまで競りますかね?」
「男性ではなく女性ですから、競っても白金貨六百枚前後でしょう」
ダンジョンタウンの人口比率は女性の方が圧倒的に多い。
だからこそ、同じ異世界人でも男の方が求められ、価値が高くなっている。
言い方はアレだけど、異世界人の女性に産ませ続けるよりも、数が多い女性に異世界人の男が子種を与える方が、男を増やすのに繋がるからだ。
それでも異世界人には変わりないから、オークションでは最低価格の白金貨五百枚からスタートするんだろう。
そして白金貨六百枚前後となると、俺には逆立ちしても出せない。
「先生、先に言っておきますけど川上は助けられませんよ。白金貨六百枚なんて、とても無理です」
指摘したら、追加のフライを揚げていた先生の体がビクッと跳ねた。
やっぱり、助けてほしいって言うつもりだったか。
これまでに見つかった奴も、なんとかできないかって言われたし。
「なんとかしたいとは思わないんですか?」
「思わないことはないですけど、無い袖は振れません」
無理に助けようとして破産したら、本末転倒だしな。
「賢明な判断ですね」
お褒めの言葉と受け取っておこう。
「ところでヒーラギ様、この骨せんべいとやらですが」
なんだ? 骨なんか食べさせてとか、そういうのか?
いや、いくつもバリバリ食べてるから、それは無いか。
「エールでの晩酌に合いそうなので、持ち帰ってもよろしいでしょうか?」
「……お好きにどうぞ」
気に入ったんかい。
そして意外と晩酌する派なのか。
****
昼食を終えた後、予定していた二件の面会でしつこい婚姻交渉をどうにか退け、休憩を挟んでから手土産を用意してイーリアの実家へ出発した。
「うぅ……実家に行くだけなのに緊張します」
普通は俺の方が緊張するものなのに、イーリアの方が緊張でガッチガチになってるってどうよ。
「あああ、あの、いまさら、本当にいまさらなのですが、本当に私をもらってくれるんですか?」
本当にいまさらだな。
「他にもアッテムさんとかローウィさんとかラーナさんとか、魅力的な方は近くにいるのに」
「アホッ」
俯いて気弱な事を言い出すイーリアの額にデコピンをしてやった。
額を押さえるイーリアは、何でデコピンをされたのか分からず、クエスチョンマークを浮かべていそうな表情を向けてくる。
「俺はお前を嫁にしたい。理由はそれだけでいいだろ」
恰好つけたように言ったけど、実際はあれこれ言うのが恥ずかしかっただけだ。
しかもここは天下の往来だから、今言った台詞だって結構恥ずかしかった。
周囲の生暖かい視線が痛い。
「あ、ありがとうございます」
「分かったんならさっさと行くぞ、周囲の視線が痛い」
逃げるように早歩きで移動した結果、予定より少し早くイーリアの実家へ到着した。
「やあ、いらっしゃい。待っていたよ」
出迎えてくれたのはイーリアの兄のザッグルさん。
彼に案内された広間には、この家に住む全員が集合していた。
イーリアの両親に、第二夫人、腹違いの姉、そして先月ザッグルさんと結婚した、ベアングのおっちゃんの娘のルニさん。
今日訪ねることはイーリアに連絡させていたけど、どうして全員集合しているんだ?
「お久しぶりです」
「よく来てくれた。まあ座りたまえ」
一礼すると座るように促され、イーリアと共に着席する。
なんなんだ、この妙に緊迫した空気は。
「余計な挨拶は抜きにして、本題に入ってくれ」
おいおい、親父さんもなんか雰囲気が違うぞ。
普段はもっと気さくで、豪快に笑う日焼けした農家の小父さんという印象なのに、今は厳格で口数の少ない昔気質の親父さんのようだ。
理由は分からないけど、本題に入ってくれって言うのなら、お望み通りに本題から切り出そう。
「では申し上げます。第二夫人という形にはなりますが、イーリアをください」
本題を叩きつけると室内を沈黙が支配する。
どうなんだ? いいのか、駄目なのか。
「いよっしゃあぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
「……は?」
重い空気が一点、いきなり親父さんが立ち上がって喜びだした。
いや、親父さんだけじゃなく、家族全員が一斉に喜んでいる。
「ありがとう、ヒーラギ君! 妹をもらってくれてありがとう!」
「助手に付いたからチャンスがあると思っていたけど、まさか実現するなんてね」
「イーリアちゃんを大切にしてあげてね」
どういう展開だ、これは。
「娘から、ヒーラギ君と一緒に大事な話をしに来ると言われたからひょっとしてと思ったが、実現してくれて喜ばしいよ!」
なるほど、この展開を予想していたのか。
ということは、さっきまでの態度はその緊張で固くなっていたのかな。
「ヒーラギ君! 娘をよろしく頼む!」
「はい。こちらこそ」
大事な話があっさり済んで、なんだか拍子抜けだ。
「ではヒイラギ様。改めまして、不束者ですがよろしくお願いします」
「ああ、こちらこそよろしく」
改めてイーリアと挨拶を交わすと、部屋中に拍手が鳴り響いた。
「はっはっはっ。今日はめでたい日だ。母さん、何か作ってくれ」
「はいはい。確かククル鳥のいいのがあったわね」
「あっ、その前にこれをどうぞ」
台所へ向かおうとするイーリアの母親を止め、収納袋に入れて持ってきた手土産の壺を差し出す。
テーブルの上に置かれたそれを前に、中身は何かと視線が集中する。
「これは一体何かね?」
「最近ダンジョンタウンで栽培が広まっている、もち米で作った水飴です」
「水……あめ?」
聞き覚えの無い名前の物に首を傾げつつ、ルニさんが壺の蓋を開けて中を覗き込む。
「何かしら、色が無くて……わっ、なんかネットリしてる」
おそるおそる伸ばした指先に、水飴が纏わりついている。
「食べ物ですから、舐めてみてください」
「えっ? これ食べ物なの?」
「はい。安全ですので、どうぞ」
安全と言われても不安そうなルニさんが、イーリアへ視線を向けると、事前に味見をしているイーリアは笑顔で頷く。
他の人達にも促され、匂いを嗅いでから思い切って指先の水飴を舐める。
するとルニさんの目が見開かれ、表情が驚きに包まれた。
「なにこれ!? すっごい甘い!」
甘いという言葉に女性陣が興味を示し、同じように水飴を指につけて舐める。
「本当。とても甘いじゃない」
「こんな物、もらちゃっていいの!?」
「砂糖をたくさん使っていそうだから、高いんじゃないの?」
甘いから貴重な砂糖をたくさん使っていると思うだろうけど、実は砂糖は一粒も使っていない。
先生が田舎のお祖母ちゃんに教わったという、もち米から作ったこの水飴は発酵による甘さのみ。
味見するまでは俺達も半信半疑で、その後は競うように舐めていたっけ。
その辺りのことを説明すると、一家揃って驚かれた。
「本当に、砂糖を使っていないのかい?」
「はい。よければ作り方を教えますよ」
「ぜひお願い!」
おおう、女性陣の気迫と圧力が凄まじい。
その勢いに押されながら、作り方を教えると早速やってみようということになった。
「おい、それよりも酒とつまみを」
『甘い物が先!』
「「はい……」」
女性陣の勢いに押され、親父さんもザックルさんもそれ以上何も言えなかった。
どこの世界でも女性は強し、だな。
とにもかくにも無事にイーリアとも婚約を結ぶことになり、正式な嫁入りは正妻になる予定のエリアスが成人し、結婚してからということになった。
「はぁ、なんだか騒がしい婚姻報告になったな」
結局、酒もつまみも食べずに帰ることになっちゃったし。
「申し訳ありません、母と義姉が」
「気にするな。こっちでは甘い物に飢えているんだし、あの反応も当然だ」
初めて作って味見した後、こっち出身の女性陣がもち米を買い占め、量産しようとしていたからな。
「目的の挨拶は無事に終わったんだし、それで良しとしよう」
「ですね。ふふふっ、まさかこんな日が訪れるなんて思いませんでしたよ」
それは俺も同じだ。
異世界へ来たことや、ダンジョンマスターなんてやっていることも含めてな。
****
イーリアの実家へ挨拶を済ませた夜、日付が変わる前にリンクスとアビーラと共に司令室へ入り、ダンジョンを監視する準備を整えて日付の変更を待つ。
「日付の変更を確認。ダンジョンと地上が繋がりました」
これで定休日は終了、ここからはダンジョン運営再開だ。
夜に強いリンクスが平然としているのに対し、アビーラは眠そうな目をしている。
「リンクスさん、よく眠くないっすね」
「僕は夜の方がテンションが上がるから。色々な意味でね!」
色々な意味の部分については聞かないでおこう。
インキュバスだから、ある程度は想像がつく。
「夜中だからって油断はするなよ。侵入者が人間とは限らないぞ」
夜行性の魔物や動物が入って来るのはよくあるし、アンノウンオーガのようなのが来る可能性もあるからな。
「了解です」
「分かったっす」
さてと、侵入者がいないうちに魔物の様子を確認しておこう。
各階層に配置されている魔物、およびフロアリーダーに異変は無し。
おっ、育成スペースにいる三体のスライムに進化の兆しがあるようだ。
(進化したスライムか。どんなのがいるんだ?)
侵入者はいないし、ちょっと調べてみるか。
魔石盤で検索してみると、何かしらの属性を持つか毒や麻痺を与えられるスライムへ進化することが多いようだ。
それ以外だと、人間を多く食べて進化するヒューマンスライム、動物を多く食べて進化するビーストスライムがいるのか。
他にも色々と進化形があるみたいだけど、こいつらはどんなスライムへ進化するんだろうか。
足場が泥や水だからアクアスライムやマッドスライム、それか岩に擬態できるロックスライムもいいな。
そう思いながら調べていると、面白いスライムを見つけた。
(イータースライム?)
こいつは滅多に進化しない珍しい個体で、外見は通常のスライムより二回りも小さくて無色透明。
一見すれば大したことなさそうだけど、見た目によらずとんでもない能力を秘めていた。
(別の生物に食われることで、体内からその生物を乗っ取って操るのか)
イーターが食べることを指すのはともかく、自分が食べるんじゃなくて食べられる側かよ。
しかも自分を食べた生物を乗っ取って操るのなら、むしろパラサイトスライムじゃないのか?
名称に対してそんな疑問と矛盾を覚えつつ、能力に関する記述の続きを読んでいくと、イーターと名付けられた理由らしき能力を見つけた。
(乗っ取った生物へ捕食スキルを与えるだって?)
どんなスキルなのか調べると、別の生物を食べることにより、それの外見的特徴と習得しているスキルをいくつか入手して、さらに能力も向上させるスキルのようだ。
これによる強化は一生に三回しか使えないけど、だとしても強力なスキルだ。
「おっ、参考画像があるのか……。うわっ……」
なんだこれ。
乗っ取ったのが人間だから顔と胴体は人間で、両手は巨大な蟹の鋏で両脚は狼、背中はカブトムシみたいな甲虫のようになっている。
能力は凄いと思うけど、見た目は思いっきり化け物じゃないか。
外見だけなら、複数の生物の特徴を掛け合わせたキメラのようだけど、これの場合は最初に乗っ取った生物へ上書きしているから、厳密にはキメラじゃない。
だとしても、こうして外見も強化されるのは戦いに幅が出来るから、決して馬鹿には出来ないぞ。
(でも、イータースライムの進化条件は不明なのか)
通常のスライムから進化すること以外、進化条件は一切不明。
研究はされていても、全く成果は上がっていないと記録されている。
興味深い魔物とはいえ、進化条件が不明じゃ手の出しようがない。
今回の進化もこいつにはならないと思っておこう。
そんなスライムの進化について学んだ二日後、進化の兆しが見れた三体のスライムのうち、二体は水属性の力を得たアクアスライムへ、残る一体は魔力だけでなく体力も吸収できるドレインスライムへと進化した。
名称:アクアスライム
名前:なし
種族:スライム
スキル:擬態(水) 魔力吸収 潜伏 水耐性 水魔法
名称:ドレインスライム
名前:なし
種族:スライム
スキル:擬態(水) 魔力吸収 潜伏 体力吸収
「早速ダンジョンへ配置しますか?」
「いや、まずはこいつらの実力を確認だ。それとスライムの進化について調べるため、他の個体とは違う点の調査をして」
「マスターヒイラギ!」
進化したスライムへ対応していると、突然ラーナが駆け込んできた。
どうしたんだ? 珍しく慌てているみたいだけど。
「エリア委員会からの呼び出し状が届いています」
「はぁ?」
なんだよ、エリア委員会って。
これは絶対、何か面倒な事が起きそうな気がする。




