第0階層 異世界行き片道切符
涼「これ運営じゃなくて経営じゃないか?」
一瞬の出来事だった。
修学旅行の帰り道、曲がりくねった山道をバスで走行中に運転手がハンドル操作を誤ったのかバスが蛇行して、挙句にガードレールをブチ破って崖から転落。
クラスメイトの悲鳴が響き渡り、地面に叩きつけられた衝撃で怪我をして、どうにか息はあったけどガソリンに引火したのか爆発炎上。誰一人脱出する間もなくバスは炎に包まれた。
たった十七年の人生はこれで終了かと思ったら、俺の人生はまだ終わらなかった。
「どうなってんだ、こりゃ」
全身が炎で焼かれて死んだと思っていたのに、体どころか制服にすら傷一つ無くて普通に起き上がれた。不思議に思いながら周囲を確認すると、そこは白一色の空間だった。
ここには俺だけでなく、クラスメイト全員、ベテランの担任、新任の副担任もいた。ついでにバスガイドのお姉さんも。あれ、運転手だけがいないな。
誰も彼もが何が起きているのかと騒ぎ、誰かがここがあの世の入り口とか言い出したら、女子が友人同士で固まって泣き出した。その中に副担任が混ざっているのを見たときは、大人ならしっかりしろと呆れた。
生徒と仲が良い反面、担任からは学生気分が抜けてないとよく怒られてるだけのことはある。
(それはさておき、ここはなんなんだ)
騒いでいる周囲は気にせず、一部の冷静な奴らがやっているように空間を観察する。
白一色で分かり辛かったけど、この空間は小さなドーム状になっているようだ。
扉や窓のようなものは側面にも床にも無く、当然天井にも無い。
試しに壁や床を軽く叩いてみると、重くて鈍い音が返ってきた。どうやら、だいぶ分厚いみたいだな。
続いて自分の状態を確認する。
制服姿はいいとして、炎で焼かれたのに服は焦げていなくて、体に怪我や出血の痕跡すら無い。ズボンのポケットに入れておいた財布と携帯、ブレザーの内ポケットに入れておいた生徒手帳とボールペン、いずれも無くなっている。
(普通に考えて、死んでこの空間に来たというところか)
そうでなくちゃ、この状況の説明がつかない。
さっき誰かが言っていた、あの世への入り口っていうのも満更間違いじゃないかもしれない。
となれば、俺にできる事は無いから、このまま大人しく静観していよう。
自分なりにそう結論付けて寝転がって待とうとしたら、手を叩く音が二回響いた。
「はい、皆さん。どうもお待たせしました。そして、ようこそいらっしゃいました」
声の方向を向いたら、どこから現れたのかスーツ姿の男が立っていた。
髪はキチッとした七三分けで、目は開いていないんじゃないかと思えるくらい細目。
服装と髪型は真面目そうだけど、微妙にニヤけた表情が胡散臭そうだし、一癖も二癖もありそうで油断ならない。
といっても、もう死んでるから油断も何もないか。
「ご存知の通り、皆様は修学旅行の帰りにバスの事故で亡くなられました。ですが、あなた方は運良くチャンスを掴みました」
死んだのにどうして運が良くて、何のチャンスを掴んだんだ。
周りも同じ気持ちのようで、スーツの男に文句を言ったりブーイングをしたりしている。
「皆様、お静かに願います。実は今回死んだ皆様は、今の状態のまま異世界へ転生する権利を得たのです。尤も、死亡の原因となった運転手は除きますがね」
スーツの男の説明にブーイングが止んだ。
なるほど、ガイドはいても運転手がいないのはそういう理由か。
「今回の処置は完全に神様の気まぐれです。皆様は見事に、その気まぐれでチャンスを得たのです」
確かにこんな処置、とても普通じゃないよな。というか気まぐれで死人をそういう風に扱うって、神ってのは割と適当なのか?
「あの、転生先はどんな世界なんですか!」
「一部の人が大好き、剣と魔法のファンタジー世界です」
その一部に当てはまる連中が大喜びしてる。
奴らにすれば本当にチャンスなんだろうけど、俺にはチャンスとは思えない。
だって考えてもみろよ。今の状態でってことは手元には何も持っていないうえに、赤ん坊への転生じゃないから親や保護者がいるわけじゃない。
要するに元の世界の道具、身分を証明する手段、先立つ金、養ってくれる人。それら全てが無い状態ってことだ。せめてボールペンの一本だけでもあれば、異世界の文化レベル次第では物珍しさから売って金にできるかもしれないのに。
それに異世界とやらが、どんな世界なのかも分からない。
治安の悪い世界かもしれないし、人間という存在がいない世界かもしれないし、荒廃した世界かもしれない。
張り切っている奴らは、自分に都合の良い方向にばかり考えて、そういう事を少しも考えていないんだろうな。
「では皆様。これより二つの門を用意しますので、お好きな方を潜ってください」
男が指を鳴らすと、赤と白の門が現れた。
「異世界行きを希望する方は赤を潜って、その先の部屋でお待ちください。向こうの世界の説明をした後、身分証等をお渡ししてから適当な町や村の付近へ転移してもらいます」
へぇ、身分証を準備してくれるなんて、気前のいいサービスだ。
身分さえしっかりしていれば仕事に就いて金を稼げるし、身分を証明する物が無いからって怪しまれることも無いだろう。
「それと異世界行きは強制ではないので、このまま死亡でもいいという方は白の門をお潜りください」
あの白い門はそのためのものなのか。確かに異世界がどんな世界か分からない以上は、その選択も有りだ。
だけど俺は赤の方へ行く。まだ死にたくないし、異世界とやらがどんな世界なのかも気になるからな。
「制限時間はこの砂時計の砂が全て落ちるまでです。では、スタート」
スーツの男が砂時計を取り出してひっくり返すと、早速何人かが走り出した。
そいつらはモテモテ主人公だとか無敵の勇者だとか、都合の良いことを叫びながら赤の門を潜っていく。
あれ? 担任が疲れた表情でフラフラと白の門へ向かっている。今の状況に付いていけていないみたいだし、最近家庭で色々あったって噂があったから人生に疲れていたんだろう。
そんなことを考えながら赤の門を潜ろうとしたら、寸前で弾かれて潜れなかった。
「は?」
なんで弾かれたんだ? 目の前でクラスメイトが潜っているから、故障じゃなさそうだ。
試しに手を伸ばしてみたら、見えない壁みたいなのがあって行く手を塞いでいる。
「なあ、潜れないんだけど」
スーツの男に声を掛けると、近寄ってきて門を調べだした。
「特に問題はありませんよ?」
「じゃあ、これはなんだよ」
もう一度手を伸ばして妨げられてしまうのを見せると、スーツの男は再度門を調べだす。
でもやっぱり異常は無いようで、どういうことかと首を傾げる。
「これは一体……はっ!? もしや!」
何かに気づいた様子のスーツの男は、門じゃなくて俺の方へ手を伸ばしてきた。
失礼と言って掌を俺の額に当て、数秒したらスーツの男は急に笑い出した。
「あっはっはっはっはっ! そうですか、そういう事ですか!」
自分だけ納得してないで説明しろ。
「どうやらアナタだけは白の門か、こちらの第三の門しか潜れないみたいですね」
スーツの男が再度指を鳴らすと、今度は黒の門が出現した。
おいおい、まさか地獄の入り口とか言わないだろうな。
確かに俺は目つきが悪いし他人と喋るのもさほど得意じゃないけど、何も悪い事はしてないぞ。
「おい、この門は……」
「ご安心を。こんな見た目ですが地獄行きではありませんし、あなただけ他の方とは違う世界に行ったり、人外になったりしませんので」
だったらどうなるっていうんだ。
門の目の前まで近づいてまじまじと見ていると、他の二つとは明らかに違う異様な雰囲気を感じるぞ。
「さっ、遠慮せずにどうぞ!」
門の前で突っ立っていると、スーツの男が背中を押して中へ押し込みやがった。
ふざけんな、せめてもうちょっと説明聞かせろ。せめてどうなるのかくらいは教えろ。というか白の門を選ばせる気すら無いのかよ。
文句を垂れている間に周囲は暗闇に包まれ、徐々に沈んでいくような感覚に襲われる。
くそ、こうなったらジタバタしても仕方がない、鬼が出ようが蛇が出ようが出たとこ勝負だ。
覚悟を決めて下を見ようとしたら、不意にスーツの男が逆さまで現れた。
「うぉっ!」
「おやおや、驚かせてすみません」
驚かせて、っていうのはさっき背中を押したことなのか、それとも逆さまで現れたことなのかはどうでもいい。
わざわざ背中を押してまで、俺に黒の門を潜らせた理由を問い詰めるのが先だ。
「おい、なんで俺をこっちに押し込んだんだ」
「アナタにはこれから転生する世界において、他の方々には無い素質があるので、どうしてもこちらへ来て頂きたかったんです」
他の奴らには無い素質?
「それはダンジョンマスターです。これになれる素質を持った人間は非常に少なくて、五百三十六年前を最後に現れていません」
なんだよ、ダンジョンマスターって。それにそのデタラメな年数も。
歴史は日本史も世界史も得意じゃないから知らないけど、五百三十六年前って何時代だと思ってんだ。
ていうかダンジョンってあれか? ゲームでよくある地下迷宮とか、そんな感じの。
「まぁ、素質があっても本人が工夫し努力して運営しなければ、あっという間にダンジョンを攻略されるか運営難で終わるんですけどね」
どうやらこいつの言うダンジョンマスターってのは、文字通りダンジョンの主って事か。
でも運営なんてできる自信は無いぞ。バイトはしているけど、後輩にちょっと指導をした経験がある程度だし。
「でも、わざわざ俺の背中を押すほどの事なのか?」
「正直に言わせて頂くと、背中を押したのは私の勝手な行動です」
「おいコラ!」
「お怒りになるのは尤もです。ですが、見てみたかったのですよ。あなたがどんなダンジョンを作り上げるのか、かつてのダンジョンマスターとしてね」
そう言ってスーツの男は細い目を開いた。
瞳は赤く染まっていて、目を開くと同時に角と悪魔のような尻尾が生えてきた。
こいつ、人間じゃなかったのかよ。
「お前は……」
「私はこれからあなたが向かう世界で、ダンジョンマスターだった者ですよ。向こうでの死後、スカウトされてこのような仕事をしているのです」
そう告げた途端にスーツの男の体が透けだした。
「嫌なら早々に諦めても構いません。ですが、できれば私に見せてくださいね。あなたの作るダンジョンを」
最後に笑みを浮かべてスーツの男は消え去った。
(他の奴らには無い資質……か)
それがどんなものかは分からないけど、少なくともクラス内では俺だけにある素質か。
あの男からその言葉を聞いた時、実は少し嬉しかった。
(やっと見つけられた、俺だからできることが)
元の世界ではやる気に欠ける日々を送っていた。
他の人とは違う、自分だけの生き方を探して見つけられず、やりたい事も進路さえも定まらず、誰にでもできる未来しか思い浮かばなくて迷って悩んでばかりだった。
死んだことで迷ってばかりの日々も終わったかと思ったけど、まさかこんな形で自分にしかできない事を示されるとはな。
正直、同意も無しに押し込まれたのは気に入らない。でも俺にしかできないと言われたら、やってみたくなってきた。
ようやく見つけた、俺だけの生き方のヒントが見つかったんだ。ダンジョンマスターでも運営でも、経験は無いけどやってやる。
決意を固めたタイミングで沈む感覚が止まり、一気に暗闇が晴れて明るくなった。
急な眩しさで思わず目を閉じ、時間を置いてゆっくり開く。
「よ、ようこそ、おいでくださいました。私達は異世界より来られた、新たなダンジョンマスターを歓迎します」
さほど広くない部屋の中、兎の耳が生えたメイド服姿の金髪女が緊張した面持ちでそんな事を言った。
あの兎の耳が飾りでないなら、絶対に普通の人間じゃないんだろう。もしも飾りだったら単なるコスプレ女ということにしよう。
「は、はわわ。お告げ通り、本当に人間さんのダンジョンマスターが現れました。五百三十六年ぶりの出来事です」
何だよ、人間さんって呼び方は。それにお告げっていうのはどういう意味だ。
いや、気まぐれとはいえ神の判断で転生したんだし、お告げがあっても不思議じゃないのか?
「なあ、お告げってどういう事だ?」
「喋った!?」
「そりゃ喋るわ」
こいつは俺を何だと思ってるんだ。
「し、失礼いたしました。奴隷でない人間さん。しかもダンジョンマスターとなる、異世界の人間さんを見るのは初めてでして」
こっちには奴隷制度があるのか。
しかも喋っている内容からして、ダンジョンマスター以外の人間は全て奴隷なのか?
クラスの連中は同じ世界にいるはずだけど、ここは全然違う場所だと思った方がよさそうだ。
ともあれ、今は情報が欲しい。まずはさっきの質問に答えてもらう。
「で、お告げってなんだ?」
「お告げというのは、教会にいらっしゃる天使様達が年に一回だけ行う未来予知です。それで今日のこの時間、人間さんのダンジョンマスターが異世界より転移の間に現れるというお告げが出たんです」
その未来予知とやらがが見事に命中して、俺がここに現れたということか。
ということは、転移の間とやらはここのことか。
「いやぁ、慌てましたよ。お告げの二時間後に現れるという話でしたので、あまり掃除してなくて埃塗れだった転移の間を急いで掃除して、お待ちしておりました」
この部屋を見る限り、広さは八畳くらいか。
この大きさなら、二時間もあれば掃除は可能だろう。
「それでは詳しい説明をしますので、どうぞこちらへ。あっ、申し遅れました。私、ダンジョンギルドの職員でルエルと申します。人間さんのお名前と年齢をよろしいでしょうか?」
「……柊涼、十七歳だ」
名前の漢字に冬と涼なんて文字が入ってるから、夏でも快適そうな名前だと言われた事がある。
んなわけがあるか、普通に暑いわ。
「ではヒーラギ様、どうぞこちらへ」
何か呼ばれ方が微妙に間違っている気がしたけど、気のせいか?
ちょっとした疑問を抱えつつもルエルの後に続いて転移の間を出て、廊下を移動して連れて行かれたのは、応接室のような部屋だった。
着席を促されて席に着いている間に、ルエルは棚から薄緑色のカードみたいな物を取り出し、目を閉じてボソボソと呟くとカードが淡い光に包まれる。
ヒカリは数秒で消え、カードを確認したルエルはそれとは別に数枚の書類を手にして対面の席に座った。
「それでは最初にここ、ダンジョンタウンについてご説明しますね」
ルエルの説明によると、ダンジョンタウンとやらはエミリア大陸の地下深くにある地底都市らしい。
ここがいつからあったのかは不明だが、ここにいる住人は精霊や妖精や亜人や獣人といった存在ばかり。人間は地上の方に住んでいるらしいから、クラスの奴らはそっちにいるんだろう。
ここの住人達は普通に商店や農業なんかをやっているが、中には一風変わった職業もある。それが俺が就く予定のダンジョンマスターや、それの関係職。
ダンジョンマスターは名前の通り、ダンジョンの主としてダンジョンの運営を行う者のことで、地上からダンジョンへ侵入してくる人間や動物や魔物を倒すか追い返すか生け捕りにするのが役目だそうだ。
「生け捕りでもいいのか?」
「はい。そこはダンジョンマスターの判断次第です」
可能なら生け捕りしてよくて、無理そうなら倒すか追い返せってことか。
「ちなみに生け捕った場合、どうすればいいんだ?」
「ご自身の手元に置くか、ダンジョンギルドに売却するかですね。参考にこちらの書面をご覧ください」
おっ、準備がいいな。どれどれ?
ええっと、動物は生きていても死んでいても引き取り可能。人間は生きている場合のみ引き取り可能。そして魔物は死んでいる場合のみ引き取り可能なのか。
「魔物が死んでいる場合のみなのは?」
「外部から来た魔物を手懐ける手段は限られていますし、魔物ですので奴隷の首輪も通用しないからです。それに魔物を扱う仕事はダンジョンマスターくらいですので」
生きたままだと需要が無いから、生け捕りは不要って訳か。
別に生け捕りにすること自体は構わないそうだけど、食べるか素材を得るかしかできないらしい。
「動物や人間なら躾けられますから、生け捕りでも引き取るんですけどね」
人間は奴隷として働かせるからともかく、動物も引き取るんだ。
「引き取った動物はどうするんだ?」
「種にもよりますが飼育施設に売却し、繁殖させて安定供給に繋げています」
そうきたか。
目の前の利益を得るより、増えてもらって長期的な利益を得るってことだな。
「ちなみに侵入した相手から得た道具や装備品や素材、及び生け捕った人間や動物を全てギルドへ売却する必要はありません」
「それはつまり、自分の物のにしてもいいと?」
「その通りです。使える物をお手元に置くなり、食べられる物を食べるなりお好きにしてください」
ということは肉だけ手元に置いて食料にして、皮は売却して現金収入にしてもいいってことか。
「じゃあ、捕らえた人間を自分の下に置く場合は?」
「ダンジョンタウンの規則で奴隷にする必要はありますが、奴隷契約を交わしてダンジョンギルドへ申請してもらえば手元に置けます。その代わり、最低限の衣食住は保障してあげてくださいね」
ルエルによると見た目が良い冒険者と交渉をして、手元に置くダンジョンマスターが多いらしい。
どういう理由で手元に置くかは、おおよそ想像はつくがな。
「中には契約してくれないから、一度売ってから同じ人を買うダンジョンマスターもいるみたいです」
なるほど、間に業者を通せば相手が嫌がろうとも奴隷として傍に置けるってことか。
確実性は高いけど、手間と金はかかりそうだ。売値より買値が高いのは世の常だからな。
「えぇっと、説明を続けますね」
ダンジョンマスターはダンジョンへの侵入者を倒し、ポイントを貯めてランクを上げていき、エリア毎のランキング上位を狙う。
エリアは要するに区分けみたいなもので、そこのトップになることでエリアマスターという立場になる。
そして全てのエリアマスターの中で最もポイントが高いダンジョンマスターは、ダンジョンキングという地位を手に入れる構図になっているそうだ。
このポイントはあくまで同ランク内での順位を決めたりするもので、運営に使ったりはしないらしい。
「大層な名称ですけど、やることは所属エリア内でのダンジョンマスター間のいざこざの仲裁だったり、ダンジョン運営で不正を働いた方の処罰を打ち合わせしたり、各エリア内の報告会に参加したりするぐらいなんですけどね」
なるほど、偉くなってもエリアや町の運営、政治に関われるわけじゃないのか。
あくまで自分のいるエリア内のダンジョンマスターのまとめ役、というところか。
学級委員長の経験も無い俺だ、偉くなってもそれくらいならちょうどいいかもしれない。
ダンジョンキングも似たようなもので、エリアマスター同士の会合で議長をしたり、エリア間の問題を仲裁したりするぐらいのようだ。
「ただし、ダンジョンキングになると少しだけ特権が付きます。一定金額以下の奴隷を年に一名無償でもらえたり、税金が軽減されたりします」
「えっ? ダンジョンマスターって税金払うのか?」
「はい。でないとダンジョンギルドが潰れてしまいます」
そうなるとルエルは仕事を失い、ダンジョン運営やダンジョンタウンの経済に支障をきたすらしい。
できる限りそうならないよう、ダンジョンギルドでも対応策はあると言っているが、具体的な内容は極秘だからと教えてもらえなかった。
「倒した冒険者から入手した現金、及びギルドへ何かしらを売った際の受け取り金。これらの合計の三割を、ご利用のダンジョンの家賃と諸々の税金としてダンジョンギルドへ納めてもらいます」
税金って……。しかも家賃まで取るのかよ。
まぁ、住む場所を向こうが用意してくれているようなものだし、文句は言えないか。
「お金に関する事はこちらのダンジョンカードに全て記録されますので、ちゃんとお支払い願いますね」
そう言って差し出してきたのは、先ほど棚から取り出していた薄緑色のカード。
受け取ったカードの表面を見ると、登録ナンバーらしき数字と俺の名前が刻まれている。さっき呟いていた時の光はこれを刻んでいたのか。
ひっくり返して裏面を見ると、こっちには年齢と性別と種族が刻まれている。さっき名前だけじゃなくて年齢を聞かれたのは、これに記録するためだったのか。
字は日本語でもローマ字でも英語でもないけど、何故か読める。まぁ、英語だったとしても読めるかどうか分からんけど。
これが何かの補正効果だとしたら、スーツの男か神かは知らないけどサービスに感謝する。おかげでカードに刻まれた名前の間違いに気づけた。
「ここ、間違ってる。ヒーラギじゃなくてヒイラギだ」
「えぇっ!? た、大変失礼しました。すぐに修正しますね」
返したカードを受け取ったルエルは、慌てた様子で受け取って呪文か何かを呟きだす。
再度淡い光に包まれたカードを差し出されると、ちゃんと名前が修正されていた。
「これでよろしいでしょうか?」
「大丈夫だ」
修正の確認をし終えると、説明が再開される。
このカードはダンジョンのコアの起動だけでなく、何かしらを売却する際にも使用し、それによってカードに売却金が記録される。
冒険者を倒すか捕らえた場合も、ダンジョンを通して冒険者の手持ち金が自動的に計算され、税金の対象となる冒険者から入手した現金として記録される。
税金はそれらの情報を基に計算されて請求されるので、無駄遣いには注意するように言われた。
また、カードを失った場合はそのカードを無効にして再発行するので、早めに申請するようにとも。
「でないと、不正に使われて身に覚えの無い請求書が届きますので」
身分証を落として勝手に借金されるようなものか、気をつけよう。
「次はダンジョン運営についてですね」
運営そのものは明日からすぐに開始という訳ではなく、一ヶ月の準備期間中にダンジョンを開けばいいらしい。
さすがに今日の明日で準備をするのは無理だし、こっちでの生活に慣れてもらうための措置だそうだ。
「ちょっと待て。一ヶ月を丸々準備に費やすことになったら、その月の家賃が払えないんだが」
「ご安心ください。家賃は税金と紐づいていますので、請求はダンジョンを開いた一ヶ月後からになります」
つまりはダンジョンを開いてから一ヶ月後に、最初の税金兼家賃を支払うのか。
準備期間中は収入が無いから、家賃の支払いが無いのは助かるな。
「ちなみに一ヶ月以内にダンジョンを開かないと、規約違反によりダンジョンマスターの資格は剥奪です。ヒイラギ様がそうなった場合、異世界の方とはいえ人間ですので奴隷にさせていただきますのでご注意を」
今の俺が奴隷にされないのは、ダンジョンマスターに就く上での特権ってことか。そのことに心の中で安堵しつつ、説明の続きに耳を傾ける。
準備にも色々とあるようで、ダンジョン内部の設定、魔物の召喚や配置、住居スペースのチェック。さらに運営を手伝う人を住み込みで雇う必要があると言われた時は驚いたけど、考えてみれば当然か。でないと気軽に外出できないし、毎日休みなく昼も夜も無くダンジョンを見張ることになる。そんな超が付くほどドブラックな環境でなんて、働けるわけがないもんな。
「ところで、こっちの一ヶ月って何日ぐらいなんだ?」
「私達は六日を一集と呼びます。五集で一ヶ月となっていますから、三十日ですね」
そこらへんは元の世界と似ているから、覚えやすくて助かるな。
さらに詳しく聞くと、曜日のようなものもあるらしく、地、水、風、火、影、輝の日と呼ぶらしい。
ついでに一年は元の世界とは違って、十三ヶ月の三百九十日で一年になるそうだ。
なんにしても、三十日以内にダンジョンを開かないと奴隷行きだから、気をつけないとな。
そうなると残る問題は一つ。それは資金だ。
何事にも資金が必要不可欠なのは、いつでもどこでも異世界でも変わらない。
特に必要なのは人件費だろう。雇われる側もボランティアでやっているんじゃなくて、れっきとした雇用者として扱われるんだから、給料を払わなくちゃならない。
そういった事に必要な資金について尋ねると、ダンジョンギルドに融資制度があると教えてもらった。
ダンジョンマスターには年間で金貨十枚までなら、月々に融資額の一割の利息で融資してくれるようだ。
しかも前任から引き継いだ形で無い、完全にダンジョンマスター初心者の場合は、最初の二年間は無利息で最大金貨百枚までは融資してくれる。ただし、二年を経過するまではそれ以上の融資が得られない。返済は楽じゃないけど、この制度はとても助かるな。
ちなみにこっちの融資も、最初の二年を過ぎたら通常通り月に一割の利息が発生する。
最初の二年のうちは無利息だからある時払いが認められるけど、以降は毎月の支払いを求めれ、支払わなければ取立てに向かうと言われた。できれば取立ては勘弁願いたいから、返済日はしっかり確認しておこう。
その他にもいくつかの説明をされ、気になった点を尋ねて説明は終わった。
「説明は以上になります。何かご質問はありますか?」
質問か……。そうだ。
「雇用した人の給料はいくらぐらい出せばいいんだ?」
「スタートは最低ランクからですので、月に銅貨六枚払えば十分ですね」
銅貨六枚と言われても、いまいちピンとこない。
ちょうどいいから、この世界の通貨の事情を聞いておこう。
「この世界の通貨について聞きたい」
「はい。通貨は全てで六種類あります」
最も価値の低い石貨から始まって、鉄貨、銅貨、銀貨、金貨、白金貨の順で価値が上がっていく。これらは十進法で一つ上の通貨になるから、計算はやり易そうだ。
単位はフィラというそうで、一フィラが石貨一枚だから、銅貨六枚は六百フィラか。
そもそも一フィラが何円ぐらいなのか分からないけど、仮に一フィラ一円だとしたら月給が六百円。安すぎるどころの話じゃないぞ。
「そんな額でいいのか?」
「十分です。ダンジョンタウンにおける初任給の平均は銅貨八枚ですが、ダンジョン勤務は住み込みですから部屋代に共用部の使用料で銅貨二枚を引いたこの額が妥当です」
あ、あぁ、部屋代と共用部の使用料ね。
要するにダンジョンは、風呂とトイレと台所が共用になっている寮付きの職場ってことか。
「尤も、そのお給料から諸々の税金が引かれますので、雇用者の手取りは銅貨五枚ぐらいですね」
また出たよ税金。そういえば最初の銅貨六枚は、手取り額とは言ってなかったっけ。
手取り五百フィラで生活できるのか、こっちの世界って。
しかもこれはダンジョンが最低ランクの場合の給与額だ。ランクが上がったり利益が増えたりすれば、給料を上げる必要が出てくる。
ランクや利益の上昇に合わせて待遇を良くしないと、雇った人達が退職していってしまう。そうなったら生え抜きは育たないし、何より雇用者の質の低下に繋がる。
手元に金が無い俺は絶対に融資を受ける必要があるな。
ということは、ダンジョン運営で税金と雇用者の給料と返済する融資金、それと俺自身の生活費を稼がなくちゃならないってことか。
……ここって本当にファンタジー世界なのか?
いや、どんな世界でも金に関わることからは逃れられないんだからこれは当たり前のことだ、深くは気にするな。
一つ深呼吸をして気持ちを落ち着かせたら、ふと気になることが浮かんだ。
「そうだ。ダンジョンを攻略されたら、俺はどうなるんだ?」
「ダンジョンマスターの資格は剥奪されますが、これは別に規約違反ではなく不可抗力です。なので納税義務を果たしているか、犯罪行為を行っていないか、未返済の借金や融資金はないか、そういったいくつかの点を調査して全て問題無しと判断されれば、住人として自由に生活可能です」
あっ、そうなんだ。即奴隷行きって訳じゃないんだ。
「ダンジョンタウンにおいて人間は奴隷としてしか生きられない法律になっていますが、異世界から直接来られたダンジョンマスターの方には特例措置が適用されます。攻略された場合もそれにより、素行調査で問題が無ければ自由になれるんです」
特例措置があるのは、直接来たって点が影響しているのかな。
なんかこう、選ばれてここへ送り込まれたからとか。
「ちなみに、素行に問題有りと判断されれば?」
「奴隷生活が待っています」
よし、税金払って法律を守って返済義務はしっかり果たそう。
「ですが問題点がお金の未返済のみで、別から借金をする以外の手段で少額ずつでも返済していれば、返済の意思が有って返済義務を果たしていると判断され、返済終了までの強制労働で済みます。ですので、お金は少しずつでも返済しておくのをお勧めします」
あっ、そうなのか?
良かった、全額返済前に攻略されても返済完了までの強制労働ならまだセーフだ。最低でもそこで留まれるように気をつけよう。
「ところで強制労働って、具体的にはどこで何の仕事を?」
「それは引き取り先次第ですね。募集をかけて応じてくれた仕事先と、お金を借りている先が月々の返済額の交渉をする必要がありますから」
つまり強制労働についてはその交渉次第ってことか。
しかしダンジョンタウンは人間に厳しいな。過去に何かあったのか?
まあいい、それよりも今はダンジョン運営について考えないと。
目下の問題は資金が無いことだ。先立つものがなくちゃ、運営する以前に生活すらできない。だから融資は絶対に受ける必要がある。
問題はその金額だけど……。うん、ここはケチらず先行投資と割り切ろう。
「融資額なんだけど、最大の金貨百枚で頼む」
「いきなり最大額を!? いいんですか!?」
「構わない」
手持ち金が多くて損は無いし、先行投資してダンジョンの準備を整えれば、いきなり強めの侵入者が来ても対処が可能だ。
そこをケチっていきなり攻略されたら、それこそ意味が無いし後悔する日々を送るだろう。
使わずに余ったのなら、そのまま返済に充ててもいいんだし。
「では、ご融資額は金貨百枚で受け付けさせていただきます。よろしければ、両替もしますけど?」
「だったら金貨五十枚分を銅貨に、同じく金貨三十枚分を銀貨に両替してくれ」
ある程度は細かくしておいた方が、買い物の時にお釣りとかで面倒な手間が省けるからな。
できれば石貨や鉄貨も欲しいところだけど、あまり細かすぎると準備する方が大変だろうから銅貨までで充分だろう。
「承知致しました。少々お待ちください」
そう言い残して退室したルエルを待つこと十五分。複数の袋を抱えて戻って来た。
「お待たせしました。こちらがご希望通りに両替した融資金になります」
一緒くたにして渡されるかと思ったけど、律儀にも貨幣毎に袋に詰めてくれていた。これはありがたい。
おまけに量が多いからどう運ぼうか悩んでいたら、マジックバッグというリュック型の魔道具を貸してくれた。
これはダンジョンマスターに無料で貸し出している魔道具で、生物以外なら千キロまで物が入れられるそうだ。
とても助かる魔道具だから遠慮なく受け取り、金を詰め終えたタイミングで扉がノックされた。
「ルエル先輩、イーリアです」
「あっ、来たのね。どうぞ」
入室の許可を得て入って来たのは、スーツ姿をした褐色肌の女性だった。
特徴的な尖った耳を見る限り、ゲームとかで見たことがあるエルフだろう。いや、褐色肌だからダークエルフか。
「ヒイラギ様、こちらはヒイラギ様専属の助手として派遣する当ギルドの職員です」
「ダークエルフのイーリアと申します。専属の助手は初めてですが、よろしくお願いします」
無愛想とは言わないけど、表情の変化に乏しくて挨拶が機械的に感じるし、冷めた空気を醸し出している。
白に近い銀色の髪をポニーテールに纏め、切れ長の目に薄緑色の瞳をしたなかなかの美人なのにもったいない。
ブリッ子のように振る舞えとは言わないが、もうちょっと愛想を良くすればいいのに。
「この子はヒイラギ様と同い年ですので、どうぞお気軽に接してください」
いや、気軽にと言われても彼女が反応するか?
正直見た目の雰囲気じゃ、何を言ってもマニュアル的な返答しかしない気がする。
ダンジョンマスターの助手が初めてなのは別に構わない。なにせ俺はこの世界自体の初心者なんだから、こっちの住人っていうだけで心強い。
気になるのは愛想の無さだけ。
「では、後のことはイーリアにお尋ねください。イーリア、ヒイラギ様を担当のダンジョンへご案内して」
「分かりました。どうぞ、こちらです」
やっぱり表情のせいか、機械的な言い方に聞こえる。
ともあれ、異世界での新しい人生はこうして始まりを告げた。