第9階層 初来訪は熱烈歓迎してやるよ。良くも悪くもな
イーリア「初挑戦者には初回特典が付きます。嘘ですが」
苦しい、呼吸が覚束ない、水面から顔を出さなきゃ、でも顔を出したら。
「ジャアァァァァッ!」
デカイ顎を開いたキラーアントが首に噛み付く。
その瞬間に走馬灯が脳裏を走った。両親との思い出、冒険者に憧れて木の棒を振り回していた幼少時代、村の友人達とパーティーを組んだ日、初めて受けた討伐依頼で負傷しながらもデカイ熊を倒したこと。
そして、このダンジョンに足を踏み入れてしまった事を。
始まりは少し前のことだった。
俺達はこの日、拠点にしている故郷のヴェルーガ村から、隣町のグリンダまで手紙を届ける依頼を受けた。
隣と言っても二日もかけて山を一つ越えなきゃならないし、道中には魔物のゴブリンとか凶暴な野生動物が出る。
安全に届けるため、俺達のような冒険者へ依頼を出すのは珍しくない。
これまでに何度もやった仕事だし、この付近の野生動物やゴブリン程度なら、駆け出し冒険者の俺達でも倒したことがある。
といっても一人で無双できるとかじゃなくて、俺達五人が協力してやってきた成果だ。
それにゴブリン程度じゃ無双しても自慢にもならない。もっと強い魔物を倒せる冒険者なんて、星の数ほどいる。
「リッド、そろそろ日が暮れてきそうよ」
「分かった。じゃあ行きの時と同じ洞穴で夜を明かそう」
仲間の一人であるレイからの指摘に、一応リーダーって事になっている俺は仲間達へ指示を出した。
村からグリンダへ行くための道は二つある。
一つは今ではあまり使われていない山越えの道。もう一つは数ヶ月前に完成した山を迂回する道。
どちらも二日かけるのには変わりないけど、安全で楽なのは後者だ。
けれど俺達が出発する前日、その迂回道で問題が発生した。
数日前に降った大雨の影響で地盤が緩み、途中にある長年かけて掘った洞窟道の天井が崩落して通れなくなった。
被害もそれなりに出ているようで、領主様はその対応や王都からの呼び出しで大忙しらしい。
そんな訳で、俺達は旧道の山越え道でグリンダへ向かうことになった。
「手紙を届けるついでに山越えの道を確認しろって村長が言っていたけど、これなら大丈夫そうね」
「そうだな。ひ弱なディルグが通れるくらいだしな」
「ひ弱って言わないでよ、気にしているんだからさ!」
仲間達は全員が同じヴェルーガ村の出身で、気心知れた仲だ。
サブリーダーのレイは身のこなしが軽く、速さを生かして片手剣で戦う女戦士。
パーティーの頭脳を担っているマチルダは、村で唯一の魔法使いの爺さんの孫娘で本人も魔法使い。
お調子者だけどパーティーのムードメーカーのトードは、斥候を担う盗賊。
そして体力はさほど無いけど、判断力と我慢強さに長けている弓士のディルグ。
年齢に違いはあるけど全員が子供の頃から一緒だったから、兄弟のような付き合いでもある。それゆえに俺達の連携はそれなりのものだと思う。
「ん。全員警戒しろ、何か来る。この感じは……ゴブリンだ」
索敵スキルを持っているトードが魔物の存在を告げ、俺達は戦闘態勢に入る。
木々の間から現れたゴブリンの数は六体。
「よし。来いや、緑の化け物共! 俺達が軽く捻ってやるよ!」
俺は元冒険者の親父から譲り受けた盾を構えてゴブリンに向かって叫ぶ。
これは単なる悪口じゃなくて、盾術スキルを持つ者が覚えられる挑発スキルを使っての発言だ。
挑発スキルの効果でゴブリン達の敵意は俺に集中し、仲間達から意識が逸れる。
「はっ!」
「そりゃ!」
意識が逸れた隙を突いてトードとレイが接近し、ゴブリン二体の首を斬り落とす。
残る四体の攻撃は俺が全て盾で受け止め、その間に後衛に控えているディルグとマチルダが弓矢と魔法を放つ。
「くらえっ!」
「フレア!」
ディルグの放った矢が一体の眉間に刺さり、マチルダの放った炎の塊は二体を炎で包む。
残る一体を盾で押し返して転ばせたところへ、背後に回りこんだレイが斬りつけて戦いは終わった。
すぐさま討伐証明となる右耳と、魔心晶という心臓の辺りにある赤い結晶を切り取って麻袋に放り込む。
こいつを村にある冒険者ギルドへ提出すれば、いくらかの金になる。
手紙の配達と山道の調査だけじゃ大した報酬にならないから、ちょっと稼ぎが増えてラッキーだな。
ゴブリンの死体はそのまま放置して、俺達は暗くなる前に目的の洞穴へ辿り着こうと道を急ぐ。
「もうゴブリン程度じゃ、俺達の相手じゃないな」
短剣に付着した血を拭いながら、トードが笑いながらレイに話しかけている。
あいつがレイに気があるのは長い付き合いだから知っているけど、まるで相手にされていないんだよな。今だって軽い発言に鋭い視線を送られているし。
「アンタね。そういう舐めた気持ちと態度が油断を生んで、例えゴブリン相手でも大怪我を負ったりするのよ?」
レイの意見は正しい。
全てが自己責任の冒険者稼業にとって、最大の敵は外道な同業者と油断。
俺も冒険者になると両親へ告げた時、若い頃は冒険者だった親父から口酸っぱく注意され、今も言われ続けている。
「確かにレイの言う通りだ。前にも魔物じゃなくて、熊相手に大怪我したんだ。油断すれば魔物じゃなくとも死ぬということを、もう一度自覚しておこう。特にトードは」
「わ、分かってるよ……」
少しは自覚があったのか、申し訳なさそうな表情をした。
というのも、件の熊相手に大怪我したのがトードだからだ。
「リッドさん、見えてきました」
少し離れた斜面にある洞穴をディルグが指差す。
あの洞穴はグリンダへ向かう時の野営にも利用した場所だから、安全は確認してある。
でもさっき注意した手前、警戒は怠らない方がいいか。
「ちょっと待て。念のため、周囲の確認だ」
洞穴周辺に動物の足跡は無く、餌を埋めたような土の変化も見当たらない。糞も落ちていないし、縄張りを示すような形跡も無い。
「トード、周囲に大型の動物か魔物はいるか?」
「ちょっと待ってくれ……。いや、いるのは兎や鳥のような小動物だけだ」
索敵の結果を聞いた皆の表情が緩む。
実を言うと、俺もホッとして肩の力が抜けた。
おっと、いつまでも気を抜いてはいられないぞ。もうすぐ日暮れだし、なんだか雲行きも怪しくなってきた。雨に備えて早めに野営の準備をしないと。
「皆、雲行きが怪しいから荷物は洞穴の中に置こう。そしたら俺とトードとディルグで薪を拾いに行くぞ」
「おうっ」
「はい」
「レイとマチルダは食事の準備を頼む。それと雨が降って出入り口から浸水しないよう、石と土を盛っておいてくれ」
「分かった」
「分かりました」
前回と同じ指示に全員が頷いてくれた。
さって、荷物を置いて薪を拾いに――えっ?
洞穴に数歩足を踏み入れた瞬間、足場が無くなっていた。
なんだこれは、前はこんなことになっていなかったぞ。
そう考えている間に、俺の体は足場を失った勢いで滑り落ちていく。
これは単なる穴じゃない。地下へ滑り落ちるような、急角度の傾斜だ!
俺に続いて洞穴に入ったトードとマチルダも落ちたのか、俺の後ろを悲鳴を上げながら滑り落ちている。
前方は暗くて何も見えない。このままじゃ危険だと思って、手放さなかった盾を前に出して衝撃に備える。
これで前方に何かがあっても、防げるはずだ。
やがて俺達が滑り落ちた先にあったのは、岩でも土の壁でもなかった。
「ぶあっ!?」
「のわっ!」
「ひゃうっ!?」
待っていたのは水、それとぐちゃっとした泥のような感触だった。
「ぶはっ! おい、大丈夫か?」
水の中から起き上がった俺は、濡れた顔を拭いながら二人へ呼びかける。
「大丈夫だ。滑り落ちる途中で腕を少し擦りむいた程度だ」
「うえぇぇ……。全身びしょ濡れ、しかも泥だらけ」
擦りむいた傷を手で押さえるトードと、濡れて泥だらけの格好に表情をしかめるマチルダ。
無事だったようでなによりだ。
そのすぐ後にレイとディルグも滑り落ちてきて、俺達三人は再度水を被った。
今日は水難の相でも出ているのか?
うえっ、しかもこれただの水じゃなくて泥水だ。少し飲んじまったじゃないか。
「ぺっ、ぺっ! うえぇ、何なのさこれは」
俺と同じく泥水を飲んでしまったらレイが、泥水を吐いて周囲を見渡す。
見た感じは洞窟っぽいぞ。
足場には光る苔が水面近くに生えていて、ずっと奥まで繋がっているのが分かる。
しかも先の方には壁や地面から隆起した岩が、薄っすらと見える。
「なんですか、これ? グリンダへ行く時には普通の洞穴だったのに」
たった一晩で豹変した洞穴。いや、もう洞窟と言ったほうがいいか。その変化に俺自身も戸惑っている。
一体これは何だ?
(いきなりこんなものが自然にできるはずがないし、まるで親父から聞いた……まさかっ!)
思考の中に、ある可能性が浮上した。
前に親父から聞いたことのあるそれは、前触れも無く突然現れてもおかしくないもの。
「ひょっとして、これはダンジョンかっ!?」
思わず口にしてしまった内容に、皆は驚きの表情を見せた。
「ダ、ダンジョンってマジかよ!」
「嘘でしょ? ここがダンジョン……」
「僕、初めて見ました!」
「本当にダンジョンなら、大発見じゃないですか!」
俺の発言を聞いて皆は興奮している。
いつも冷静なレイでさえ、興奮を隠せずに周囲をキョロキョロと見渡している。この反応は当然といえば当然だ。
ダンジョン、それは突如出現する地下迷宮の総称。
ついこの前までは何も無かった場所に出現し、その中には魔物が住み着いていて侵入者を襲う。
一見すれば脅威のようだけど、内部にいる魔物が外に出てくることは無いそうだ。
「前に来た時は無かったから、昨日今日で出現したダンジョンなんでしょうね」
「だったら魔物も弱いのばかりじゃねぇか? 俺達でも攻略できたりしてな!」
マチルダの推測は間違っていないだろうし、トードがそう思うのも無理は無い。
ダンジョンは攻略されない限り、月日が経つほどに成長していくと言われ、それに伴って中に住む魔物も変化し成長する。
出現して何年も経つ王都周辺のダンジョンにはドラゴンやバカデカイゴーレム、果ては人語を喋る亜人という人に似た魔物のようなのまでいるらしい。
しかも浅い階層から強い魔物がいて、俺達程度だと最初の階層すら何もできず逃げるしかない。
それに比べれば、昨日今日で出現したダンジョンには大した魔物はいないだろう。
一応そういう類の弱いダンジョンを攻略した記録もあって、中にいた魔物はゴブリンやオークのような弱い魔物ばかりだそうだ。
巨大な虫やスライムのような魔物も記録されているけど、どちらも大した強さは持っていない。
その気になれば、俺達でも攻略できると思うのも無理はない。
「リッド、奥へ行ってみようぜ!」
「ちょっ、何言っているのよ! 碌な準備も無しで、ダンジョンに挑むつもりなの!?」
まだ少し冷静だったレイが諌めるけど、本人も奥へ行ってみたいのか俺へ視線を何度も向けてくる。
実を言うと俺もだ。
最近できたばかりの弱いダンジョンでも、攻略して最下層にある宝玉を持ち帰れば冒険者にとっては名誉になる。
俺達のような田舎の村出身のパーティーにとっては、大躍進のチャンスだ。
けど、油断は駄目だって言い聞かせたばかりだ。
本来なら一度村へ戻ってから、今回の依頼の報酬で回復薬を購入して相応の準備をすべきだ。
でも、ここの情報をある程度集めておけば、攻略するために必要な対策を立てることができる。
情報を集めてから備えるべきか、それとも無理に攻めずに備えをすべきか。
「……少しだけ奥へ進むぞ。どんな魔物がいるかどうかを調べる」
「ちょっ」
「ただし、行ってもボスの間の手前までだ。どんなに弱い魔物しかいなくても、今日はそこで引き返す」
今の俺達はここに来るまでにゴブリン六体との戦闘しかしていないから、体力は充分残っている。
本当に弱い魔物しかいないのなら、ある程度奥までは行けるはず。
少しでも強めなのが出てきたら引き返すし、ボスの間の前まで行ったらそこで引き返す。
ダンジョンの各階層にはそれぞれボスがいて、ボスの間の入り口には転移石っていう出口へ転移する魔法の石がある。
そいつを使えば一気に外へ転移できる。
その後は村に戻って準備を整えて、再挑戦すればいい。
こんな田舎の山奥にあるダンジョン、他に誰も気付いていないだろう。
だったら気付かれる前に攻略して俺達パーティーの名を上げるため、少しでも情報は集めておくべきだ。
この考えを皆に伝えると、せっかくの大チャンスだからと賛成してくれた。
唯一レイだけは乗り気じゃなかったけど、周囲の空気に流されたように頷く。
「よし。先頭はトード、その後ろに俺、マチルダとディルグを挟んでレイが最後尾だ」
ここは洞窟系のダンジョンだから、縦隊列の方がいいだろう。
索敵スキルのあるトードを先頭にして、防御の要でリーダーの俺は指示役とトードの守り手のため二番目に。
最後尾は冷静なレイに任せて、後衛の二人は前後どちらでも援護ができるように中央。
この配置なら、前から来ようが後ろから来ようが対処できる。
「行くぞ」
「「「「おぅっ!」」」」
泥と膝辺りまである泥水のせいで歩き辛いけど、隆起した岩を避けながら慎重に進む。
水面近くに生えている光る苔のお陰で道は分かるし、ある程度は辺りも見えるけど天井周辺は真っ暗で見えない。
天井がどれくらい高いのかが分かれば、大きくてもこれくらいの魔物っていうのが分かるのに。
「なぁ、なんかおかしいぞ?」
先頭を歩くトードが首を傾げている。何かあったのか?
「どうした?」
「さっきから索敵をしようとしているんだけど、上手く感知できないんだ」
なに? それはどういう事だ?
「ちょっと、いきなり何言ってんのよ。しっかりやりなさい」
「やりたくても探れねぇんだよ。まるで、何かに干渉を受けているみたいな……」
最後尾からのレイの文句に、トードは索敵が上手くできない理由を感覚的に告げてきた。
「どういう事でしょうか?」
干渉という言葉にマチルダが不安を覚えている。
何かの力が働いているのか? だとしたら何だ。
親父に教わった知識を掘り返しながら、より慎重に進むようトードに伝える。
お調子者のトードも警戒してか、歩くスピードが落ちた。
その直後だった。
「うおっ! 痛っ!?」
急にトードの悲鳴が聞こえ、額の辺りを押さえて蹲った。
「どうした!」
「な、何かが額と腹に……」
急いで前に出てトードを庇うように盾を構える。
額を押さえている右手の下からは流血が見え、目に入りそうになったのを左手で拭って前方を見ている。
敵がいるのかと前方を警戒しているけど、何もいない。
ひょっとしたら隆起した岩の陰に隠れているのかと思っていたら、今度は後方から悲鳴が聞こえた。
「ひゃっ!?」
「あぐっ!」
マチルダは杖を持っていた手を押さえ、ディルグは目の付近を押さえていた。
「何があった!」
「弓矢を構えようとしたら、何かがぶつかって」
「い、石です。石が前から飛んできました」
「石? どうしてそんな物が飛んでくるんだ!」
訳が分からないからトードと共に下がり、全員を守れるようにして前方を注視する。
暗闇に慣れてきた目を凝らして見えたのは、隆起した岩の上に立つ二体のゴブリンだった。
「ゴブリンだ! ゴブリンが二体、この先の岩の上に立っている!」
ようやく見えた敵の正体を告げると、ゴブリン達はこっちに何かを投げてきた。
咄嗟に盾を操って投げた物を防ぐ。
結構な勢いと威力で投げられたそれは、マチルダが言ったように石だった。
盾に防がれた石は壁に当たった後に着水音を上げる。
「まだ来るぞ!」
防がれるのを見越してか、二体のゴブリンは次々に石を投げてくる。
どうにか盾で防いでいるけど、当たったときの音からして相当な速度と威力の投石だ。。
「全員、近くの岩に隠れろ!」
このままじゃ反撃の隙も窺えないと判断して、それぞれ近くの岩に身を潜める。
ゴブリン達の方もそれが見えたのか、投石を止めた。
「トード、マチルダ、ディルグ、大丈夫か?」
「俺は平気だ」
「私は腕だから大丈夫よ」
「目には当たっていないから、平気です」
良かった、大した怪我は無さそうだ。
でもどうする? 投石をするゴブリンなんて聞いた事が無いぞ。
岩の陰から顔を出して様子を窺う。
ゴブリン達はすぐにでも投石できるよう、石を持ったままこっちを見ている。
くそっ、相手の正体が分かったのはいいけど、ここからどうすればいい。
あの投石をどうにかできるのは、盾を持っている俺ぐらいだ。
こうも岩が隆起していたらトードの素早さは生かせないし、レイは速度重視の剣士だから軽装で盾も無い。
離れて戦うにしても、岩を盾にされたらマチルダの火魔法とディルグの弓矢は通じない。
くそっ、まさか初っ端からこんなことになるなんて。仕方ないけど撤退しよう。
俺が殿になって投石を防ぎつつ後退すれば、なんとか逃げられるだろう。
「いやあぁぁぁぁぁっ!」
撤退を判断して指示を出す先に、マチルダの悲鳴と大きな着水音が響き渡った。
咄嗟に振り向いたけど、俺の位置からじゃ岩が邪魔でマチルダに何が起きたのか分からない。
「どうした、何事だ!」
「わ、分かりません。いつの間にかマチルダさんが倒れて、水中へ押さえ込まれて魔物に襲われています」
なっ、バカな。魔物なんてどこにいたんだ。
いくらトードの索敵が使えないとはいえ、こんなに近くで気づかないなんて。
「マチルダ!」
「待て、レイ!」
妹のように可愛がっていたマチルダのピンチに、レイが岩陰から飛び出してしまう。
「ひゃっ!?」
止めようとしたレイが急に転倒した。
直後に、天井から何か大きな物がレイの真上へ落ちた。
「きゃあぁぁっ!」
落ちてきたのは魔物のキラーアント。
そいつは倒れた例を水中で押さえ込み、襲い掛かっている。
「キ、キラーアント。なんで天井から?」
「そんなこと知るかよ! レッ、ギャアッ!?」
さらにレイを助けようとしたトードには、壁から隆起していた岩が襲い掛かった。
いや、岩じゃない。名前は知らないけど、岩みたいな体をしたデカイ蜘蛛だ。
背後から襲われたトードは引き剥がそうとするけど、蜘蛛の脚はしっかりとトードの体にしがみ付いている。
そして蜘蛛の口が後頭部を襲おうとしているのを見て、俺は思わず飛び出した。
「やめろぉぉっ!」
なんとかこの場を切り抜けて、急いで撤退する。
そう決めて盾を構えて蜘蛛に体当たりしようとしたけど、直後に後頭部を強い衝撃が二回襲う。
そうだ、忘れていた。石を投げてくるゴブリンがいたのを。
後頭部への衝撃で前のめりに倒れた俺の耳に、今度はディルグの悲鳴が聞こえた。
「いやだ、いやだ、いやだぁぁぁっ! あぁぁぁぁっ!」
恐怖で逃げ出そうとしていたディルグに、水中から飛び出した泥水が襲い掛かるのが見えた。
その泥水はディルグを包み込むように捕まえ、水中へと引きずり込む。
そうだ、あれは確かスライム。
前に討伐依頼を受けた時、スライムは水に擬態するから川や池、沼の付近では気をつけろって言われたっけ。
どうにかあれを引き剥がさなきゃ、スライムに消化されるか窒息してしまう。
次々に飛んでくる投石を浴びながらも起き上がろうとすると、最初に悲鳴を上げたマチルダが口元を抑えて水中で動かなくなっているのが見えた。
思わず体が強張った隙を突かれ、水中からスライムよって転倒させられた。
「おぉぉぉぉっ!?」
なりふり構わず盾を捨て、両手で足に絡まるスライムを剥がそうとするけど剥がれない。
気がつけば、仲間達の声や抵抗する音が聞こえなくなっていた。
せめて俺だけでも逃げようとしても、さらに現れた数体のスライムに絡みつかれて泥水の中へ引きずり込まれる。
顔が思うように水面から出ず、呼吸が苦しくなってきた。
石を持ったゴブリンが付近の岩に飛び移ってきて、俺に対していつでも石を投げられるように構えている。
そして口の周りが血で真っ赤に染まったキラーアントが歩み寄ってきて、頑丈な顎を何度も鳴らす。
苦しい、呼吸が覚束ない、水面から顔を出さなきゃ、でも顔を出したら。
「ジャアァァァァッ!」
デカイ顎を開いたキラーアントが俺の首に噛み付く。
この時、俺はようやく気付いた。
冒険者にとって最大の敵は同業者と油断。
確かに今回の俺達は、油断していたのかもしれない。
でもそれ以上に、冒険者として持ってはいけない最大の敵を心に持っていた。
それは……慢心。
気づいた瞬間に俺の首は胴体から切り離され、水面へ浮かんだ。
****
ひんやりとした地面の感触が伝わってくる。
混濁していた意識が徐々にはっきりしてきて、私は目を覚ました。
「ん……ここは?」
なんだか頭が重いけど、ここはどこなんだろう?
下は土っぽくて周りは壁だらけ……じゃない、巨大な鉄格子が目の前にある。
これはまさか牢屋? しかも私のこの格好は何?
安物だけどコツコツ溜めたお小遣いで買った魔法使い用のローブじゃなくて、グリンダの町で見たことのある犯罪者や身売りした人が着る奴隷用の服と隷属の首輪を付けている。
下着は……どうやら付けたままみたい。着ているのは肩から膝ぐらいまである二つ折りのボロ布に、首と腕を通す穴を残して縫ったような物を腰紐で縛ってあるだけ。
膝から太ももの途中までは動き易くするためだろうか、切れ込みが入っている。
「なんで、こんな格好を?」
私は確か仲間達と一緒に、発生したばかりのダンジョンに挑んでいたはず。
そこで石を投げてくるゴブリンに遭遇して、岩に身を潜めて……。
そうだ! 確か急に足を取られて転んで、上から降って来た大きなアリに水中へ押さえ込まれたんだ。
抵抗したけど息が苦しくて気を失ったのまでは覚えているけど、そこから先は何が起きたのか分からない。
気づいたら、こんな薄暗い牢屋で奴隷服を着せられていた。
「どうなっているのよ……」
訳が分からず俯いていると、知った声が聞こえてきた。
「マチルダさん、起きたんですね」
「ディルグ!?」
仲間の声に顔を上げると、彼は向かいにある牢屋で私と同じ格好で捕まっていた。
「ディルグ、これは一体どうなっているの!?」
「僕もさっき起きたばかりで、よく分からないんです。それより、リッドさんやトードさん、レイさんは?」
他のパーティーの名前を聞いてハッとしながら、牢屋の中を見渡すけど他に誰もいない。
ディルグの方にも他に誰もいなくて、隣の牢屋とはす向かいの牢屋にも人がいる気配が無い。
どうやら、ここには私達しかいないみたいね。
「ディルグ、あなたは何か覚えてる?」
私の問い掛けに彼は俯いて首を横に振った。
「分からない。皆が襲われて怖くて動けないでいたら、スライムに襲われて気絶して。起きたらこんな所にいたんだ」
どうやら彼も何も知らないみたいね。
それにしても、何で奴隷服なんて着て牢屋にいるの? 魔物に倒されたら、その魔物の餌になるはずなのに。
けれど私達は生きていて、しかもこんな場所でこんな格好をしている。
もう訳が分からないわ。
頭を抱えて悩んでいると、奥の方から重い扉を開けるような音が聞こえた。
誰か来るのかとそっちを見ていると、私達と同じ奴隷服を着て隷属の首輪を付けた金髪の少年と、見たことの無い服を着た目つきの鋭い少年がやって来た。
私達の前に到着した目つきの鋭い少年は、微かに笑みを浮かべて告げた。
「初めまして、冒険者のお二人さん。俺はここのダンジョンのマスター、柊だ」
ダンジョンの、マスター? なにそれ、聞いた事がないんだけど。
「どうやら知らないようだな。説明するから、よく聞け」
彼の説明によると、ここはダンジョンタウンという亜人達の住む地底都市。
私達が挑戦したあのダンジョンは、ここの住人である彼が作ったダンジョン。
ここにいる人間は例外である自分を除いて全員奴隷で、私達もそうなるためにこの格好をさせて牢屋に入れられているらしい。
「装備や所持品は全てこっちで回収させてもらった。安心しろ、着替えは同性の奴にやらせたから」
「そういう問題じゃないわ! どういう事よ、私達が奴隷だなんて!」
「理由ははさっきも説明しただろう。俺達にとってお前らは領地を踏み荒らし、生活を脅かす敵みたいなものだ。だったら捕まえて奴隷にしたって構わないだろう?」
なによ、それ……。
そりゃあ私だって彼の説明ぐらい理解している。
彼の立場からすれば私達は領地を踏み荒らした犯罪者。だから捕まえて奴隷にしたってことは分かっている。
でも感情は別よ。こんなの納得できない……。
「お前達がどう思うかなんて知るか。それがここの法であり常識だ」
そんな、そんなぁ……。
思わず悔し涙を流していると、ディルグが彼に問いかけた。
「あ、あの、他の皆は、リッドさん達は?」
そうよ、他の皆はどうなったの? レイお姉様は?
「盾使いと剣士は首を噛み千切られて、盗賊っぽいのは頭を噛み砕かれた」
「いっ、いやぁぁぁぁぁぁっ!?」
嘘よ、嘘よ、嘘よ!
レイお姉様が死んだなんて。
子供の頃からずっと本当の姉妹みたいに育って、ずっと一緒にいたお姉様が。
お姉様みたいに剣は振れないから魔法を勉強して、一緒に冒険者になってパーティーを組んだのに、なのに!
「さて、ここでお前達に選択肢をやろう」
泣き叫ぶ私を無視してダンジョンマスターは喋りだした。
「捕らえたお前達をどうするかは、俺に決める権利がある。奴隷として売ろうが、殺そうが、お前達をこのまま俺の奴隷にしようがね」
くっ。どうせ私は体目当てで、あなたの奴隷にするんでしょ!
「でも、お前達は俺のダンジョンの記念すべき初挑戦者だからな。選ばせてやるよ」
……えっ?
どういう意味、それ。
「生憎予算の関係で、下手に奴隷を増やせないんだ。だから選べ、死ぬか奴隷として売られるか」
奴隷として売り飛ばされるか死か? しかもそれを選ばせてくれる?
だったら私の結論はもう決まったわ。
売られた先でどんな目に遭うかなんて、大体の想像はつくもの。
それに、お姉様のいないこの世に未練は無いわ。
突然の展開に戸惑っているディルグには悪いけど、私はお姉様の下へ行かせてもらうわ。
「後でまた来るから、それまでに」
「その必要は無いわ。私は死を選ぶ。この世に未練は無いわ」
引き上げようとしたダンジョンマスターは足を止め、私の方を振り向く。
「それでいいんだな?」
「えぇ、構わないわ」
「最後に何か美味い物でも食うか? それとも、このままサクッといくか?」
「……このままお願いするわ」
美味しい物を食べたからって心変わりはしないけど、すぐにでもお姉様の後を追いたいの。
「分かった。一応言っておくが、抵抗するなよ。フェルト、連れて行け」
「はい」
ダンジョンマスターの指示を受けた少年が牢屋を開け、私を連れ出す。
抵抗できるか試みたけど、首輪から激痛が走って抵抗するどころじゃなかった。
だったら潔く逝きましょう、あの世へね。
ディルグが私の名前を叫んでいるけど、決心は揺るがないし心変わりもしない。
一歩一歩を踏みしめながら連れて行かれたのは……何で草原?
「ここは魔物の育成スペースだ。ここで死なせてやる。あいにく自殺はその首輪でできないから、こっちで殺させてもらうぞ」
「それでいいわ。さっさとやっちゃって」
そうよ、そしてお姉様の下へ行って来世では本当の姉妹になるのよ。
「分かった。そこを動くなよ。ランサーゴブリン、パンプキンゴースト!」
彼の声で槍を持った二体のゴブリンと、カボチャ頭をした浮遊する魔物が現れた。。
一歩も動けない私には、これから向けられるであろう攻撃から、逃げることも避けることもできない。
ただ、ジッと終わりの瞬間を待つだけ。
「……やれ!」
合図と共にゴブリン達が槍が突き出し、私の成長しなかった胸を貫く。
それだけは残念だったけど、これで私の魂はお姉様の下へ行ける。お姉様、来世で会いま……。
「パンプキンゴースト、やってくれ」
……あら?
お姉様って誰?
来世? 何それ。
「……やぁ、初めまして」
あなたは誰? あなたは……あなた様はっ!?
「俺は柊。君はたった今から、このダンジョンで俺に仕えるゴーストだ」
そう、私は私を生み出してくれたパンプキンゴースト様の僕。
そしてパンプキンゴースト様の主であるあなた様、ヒイラギ様にお仕えするフレアゴーストのマチルダ。
生前の記憶で火魔法が使えますので、よろしくお願いします。
私がお辞儀のような動作をすると、ヒイラギ様は笑みを浮かべてくださいました。
「こちらこそよろしく。それと、こっちは君と同じくたった今生まれたゾンビだ。見覚えはあるかい?」
フラフラと立ち上がった赤い髪をした女のゾンビは、胸を貫かれて死んだのね。でも見覚えは無いわ。
首を横に振るような動作をすると、ヒイラギ様は先ほどと変わらぬ笑顔を見せてくれている。
私のような新参者にそのような笑顔など、もったいないです。
「そうか。だったら仲良くな、今日から一緒に戦う仲間なんだから」
分かりました。
この私、マチルダはヒイラギ様に忠誠を誓い、このダンジョンを守るために戦います。
新加入 魔物ステータス
名称:フレアゴースト
名前:なし(生前:マチルダ)
種族:アンデッド(ゴースト)
スキル:火魔法
種族スキル:無属性物理攻撃完全無効化
名称:ゾンビ
名前:なし
種族:アンデッド(ゾンビ)
スキル:火魔法耐性