8話 兆し 3
少しシリアス。
その日、アダーラは籠城をしていた。
唐突である。
控え目にノックされる扉の前には、動かせる限りの家財道具が積まれ、アダーラ本人はベッドの上によじ登り、そして泣いていた。
とは言え、3歳児の体に動かせる物など知れている。
数こそ多いが、せいぜい椅子程度しか重いものはない、ささやかなバリケードだ。
大人が強硬すれば簡単に蹴散らせるだろう。
それを知ってか、扉の外からは余裕すら感じさせる。
それがさらにアダーラを逆なでする。
事の起こりは夕食の後だ。
命の芽吹く季節、アダーラは3歳の誕生日を迎えた。
特別な誕生祝いなどはないが、誕生日を祝う習慣がない為だ、それでも皆から祝いの言葉を貰い、夕食はアダーラの好物が出され、満ち足りた1日だった。
ちなみに魔法の家庭教師はまだ見つかっておらず、座学と合わせて父と兄による実演を眺める事を魔法の授業としていた。余談ではあるが、父は実演を見せようとして屋敷の一角の植物を根絶やしにしてしまい、静かに怒れる母と言う非常に珍しいものも見れたのだが、それは置いておこう。
「そう言えば、シリウスももう家を出るんだな。学校の準備は整っているか?」
和やかな家族の団らんの中で、父の発した言葉であったが、アダーラにはまさに青天の霹靂であった。
「な、んの、おはなしです・・・か?」
掠れた声で必死に絞り出すのがやっとだった。
聞いていない、聞いていない、聞いていない
シリウスが家を出る?何?何の話?
「10歳になったら王都の王立初等魔法学園に入学する・・・って話、・・・あれ?アダーラは・・・聞いてない?え?え?俺か?俺が悪いのか?」
表情の消えたアダーラに状況を察した父が辺りを見回すと、家族のみならず家令従僕、そして給仕をしていた使用人に至るまで父を見る、ある者は全ての物体が 動きを止めたくなるほどの冷たい目で、ある者は静かな怒りを湛えた目で、ある者はやっちゃいましたねと言いたげな目で、それぞれの感情を目に託し、しかし 一様に父を責めていた。
「そんなおはなし、きいていません。」
そう言って駆けだしたアダーラは、自室に籠城となったのである。
「アダーラ?ここを開けてくれないかな?」
扉の向こうから、優しくシリウスが語りかける。
その声に、アダーラの瞳からは涙がこぼれた。
アダーラの意識が、アダーラをアダーラと認識した日から、シリウスは共にいて、アダーラを愛しアダーラを支えアダーラを導いてきた。
アダーラが思っていた以上に、シリウスはアダーラの心を占めていた。
『シリウスが家を出る』
ただその言葉を拒否したくて、認めたくなくて、逃げ出してしまった。
閉じこもって心配をかけて、そうすればきっとシリウスは家に残ると言うだろう。
あさましい心で兄を引き留める。
優しい彼はきっとそれでも微笑むのだろう。
重石になって枷になって鎖になって引き留めて絡み取って茨の鎖に血を流しても、シリウスはアダーラを許し微笑みその頭を撫でるのだろう。
分かっている
こんなのは子供の癇癪だ。
兄を困らせたい訳じゃない
兄を縛りつけたい訳じゃない
分かっていても、3歳児の体に引きずられ、感情のコントロールができない。
「アダーラ?」
根気よく呼び掛けてくるシリウスの声が耳に痛い。
決して責めることのない、優しい声。
大好きな、大好きな兄の声。
このまま絡め取ってしまえ。
兄の心がこちらを向いている間に
誰かがアダーラに語りかける。
若い女の声だ。
学園に行けば兄の心は変わる。
知っているはずだ。
お前は知っているはずだ。
私を!
私の未来を!!
嫌だ、誰?
兄様はそんな事ない!
少し離れたくらいで、心変わりなんてしない!
止めてよ、誰なの?
「アダーラ?アダーラ?どうした?」
扉の向こうから、シリウスの焦った声がかかる。
ガタガタと扉が鳴っている。
その扉の音もどこか遠くに聞こえる。
反対に、風が鳴る。
アダーラの回りに風が渦巻き、シーツが捲れ、扉の前に積んでいた本が浮かび上がる。
軽くなった扉を押し開け、シリウスの目に写ったのは、風の中心で泣き叫ぶ妹の姿だった。
いや、もう1人?
アダーラに重なるように、毒々しいまでに艶やかな笑みを浮かべる女の姿。
シリウスを見つめて、その赤い唇を弓月に結び、そして
掻き消えた。
残されたのは、魔力を使い果たし力なく横たわるアダーラと、シリウスのみであった。
風は収まっていた。
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