プロローグ
中学最後の夏休み。
親に捨てられて、施設に引き取られ、此処まで無事に過ごしてきた森要は、既に近くの公立校に進学することを決めていた為、ほとんど焦りのない時間を過ごすはずだった。
あの出来事さえなければ……
◆
「此処に赤松若葉ちゃんと言う女の子が居りませんか?」
それは、夏休みに入ってから一週間が経とうとしていた日に起こった。
猛暑日の真っ昼間に見たことのないおじさんが、施設の先生達に自分の片想いの相手である彼女のことを尋ねている所を目撃した。
当の本人は、外に買い物に出ていて不在であった。
「若葉に何の用ですか?」
要は、おじさんと先生の話に直ぐ様割って入った。
少し困惑した表情を浮かべたが、すぐに平静に戻り、答えを述べた。
「少しばかり、彼女の年齢を確認したくてね……」
年齢確認? そんなこと訊いてどうするつもりだ。
要は、このおじさんに不信感を抱かざるを得なかった。
「どうしてですか」
きっと要の目は、嫌悪感を目一杯に含み、睨み付けていたことだろう。
「若葉ちゃんが中学を卒業したら、家の子になるんだよ」
自分の向けている視線とは真逆に、おじさんは優しく微笑みを返した。
「若葉はまだ中一です……」
自分の元から若葉が居なくなる……
今まで想像もしなかったことだ。
「では、また二年後に」
その言葉は、先生に対して放った言葉であった。
要はただ、帰ってゆくおじさんの後ろ姿を追っていくことしか出来なかった。
「あの人、誰ですか?」
考えるより先に、口が動いていた。
「若葉ちゃんの叔父さんにあたる人だそうよ。ホテル会社の社長さんらしくてね、高校生になったら、今より良い暮らしが出来るかもしれないわね」
あと二年経ったら、若葉は此処を出て、お嬢様になって、今よりも贅沢な暮らしをする。
きっと先生達は、二年なんて勿体振らず、今すぐにでも引き取ってほしいことだろう。
その方が若葉の為だし……。
ならば、自分は一体どうなってしまうのだろうか?
自分は、若葉に支えられて生きてきた、と言っても過言ではない位に助けられてきた。
だからこそ、自分には彼女を守る義務がある。
考えねば、彼女と一緒にいる方法を。
しばらく、眠れない日々が続いた。
数日後。
要は、一つの答えを導き出していた。
その日から色々な所を駆け回り、あっという間に卒業式の日を迎えた。
どうにかして、海外の学校に通うことに決まり、荷造りやらでこの一週間は、まともに寝ていない。
「本当に行っちゃうの? 要兄ちゃん……」
なんとか無事に式を終えて、校門の前で若葉に別れの挨拶をしている所だった。
「ゴメンな、一緒に居てやれなくて……」
若葉の表情は、次第に曇り始め、目を充血させて、大粒の涙を白い肌に流した。
「…………たい」
若葉が口を開いて何かを言っていたが、声が小さくて上手く聞き取れない。
「若葉、もう一回……」
「私も要兄ちゃんと一緒に行きたい! ……ダメ?」
要が言葉を言い終わらぬ内に、若葉が発した言葉は、あまりにも予想外であった。
「一緒に行くって……お前、英語出来ないだろ」
「要兄ちゃんと一緒なら、平気だもん!」
こいつはきっと、泣いて頼めば許してくれる、とでも思っているんだろう。
小さい頃からの要の悪い癖なのだから、利用しない手はない。
しかし、それでも…………
「……ダメだ。一人で行かなきゃ、意味がない」
その言葉を聞いた瞬間、若葉は落胆の表情を見せ、直ぐに怒りへと切り替える。
「だったら、どこにでも行けば! もう知らない!」
それからずっと、若葉は自分に背を向けていた。
やがて、式が終わってすぐに頼んでおいたタクシーが、要を迎えに来た。
「……じゃあ、行くな」
彼女から言葉は、返って来なかった。