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第二章 ノクトネイラの聖女 その1〈挿絵あり〉

   第二章 ノクトネイラの聖女


 日が傾きエスル湾が赤く染まり始める。

 その彼方、水平線の向うには、七隻の帆船がシルエットとして浮かび上がっていた。

 もうすぐこのエスル港に、ノクトネイラの聖女メイベル・リンク率いる船団が入港するのだ。

 港湾一帯は封鎖され、一般の船舶は全て、沖合いへ退去を命じられている。係留を許されているのは、騎神兵を持ち帰るために用意された各国の船舶だけであった。

 埠頭には立派なテントが何基も張られ、きらびやかに着飾った面々が整列し、到着を心待ちにしている。

 彼らはベリュン領近隣の貴族や各国の大使、それに神々に帰依している法師たちだ。

 国王など大陸の統治者たちは、このエスルに赴かずにいる。それは自国であるラーグリス王国の国王も同様であった。

 実のところ、大陸の国々はお互い、平和の上に統治を成立させている訳ではない。ラーグリスと隣国コルゴット王国のように争っている国も多かった。

 今はそれぞれ騎神兵下賜を前に、一時的に協調しているに過ぎないのである。

 その破綻を抑えるため、統治者らは出席を見合わせる取決めをしていた。


 立ち並ぶテントの中で最も豪華な幕下には、ベリュン領主トスカラル・ベリュン侯爵と息女アティアナ、騎士団長ヴァスタロト・ウィルナリス男爵と子息ウォルが控えている。

 アティアナも城での乗馬衣装とは打って変り、髪をアップに飾りつけ、宝石で彩られた赤のドレスに身を包んでいた。猊下を迎えるに相応しい領主の息女としての気品を醸しだしている。その姿で目の前に現れた彼女に、ウォルも息を飲んだものだ。

 しかし態度自体は変わりようもなかった。

「父様。船の着くところをもう少し間近で見てみたいですわ」

「行儀良くしていなさい。私らはラーグリス王国を代表なのだぞ」

「でもこのような機会、もう二度とあるかわからないではないですか。きっと素晴らし船なのでしょうね」

 アティアナは席に着かず、テントの中を行ったり来たりしている。

「困ったものだ。この落ち着きのなさはどうにもならんよ。卿の奥方にも苦労のかけ通しでな。面目ない」

 ヴァスタロトは無言で一礼する。

 そんな中、あれほど賑やかだった街の喧騒も今は静まり返り、沿岸に繰りだした人々はただ固唾を呑んでその光景を眺めていた。彼らのほとんどは、メイベルの尊顔を拝したことがない。神々の代理人たる聖女を出迎える面持ちは、下々の者でも変わりはなく神妙になるようであった。アティアナのようにはしゃいでいるほうが稀なのだ。

「ねぇ、ウォル。聖域の船は普通の帆船と同じように帆走しているのかしら?」

 彼女の思った印象は間違っていない。シルエットで見える船団の影は、海風の影響を受けず、帆を正面に掲げ進んでいた。

「えぇ……と確か帆は風ではなく、法術の力、法力を受けて走ると聞いたことがあります。ですから風向きに関係なく、進みたい方向に帆を傾けて帆走するとか」

「法術で?法師がたが、船員をしておられるの?」

〈法術〉とは、光の神々より創造された眷属の中でも、上位種族のみが扱える超常的な能力である。

 本来人類は持ちえていないが、魔神との戦いに備えて騎神兵出現よりも以前に、神々から与えられていた。ただしその力を扱えるのは、神に帰依した者のみに限られる。

 それがアティラナのいう〈法師〉なのだ。

「それなら私たちの国の法師にも、あのように船を動かすことが可能なのかしら?」

「いいえ。あの船を操っているのは、神々の眷属がたです。残念ながら我々の世界の法師には、眷属らほどの力が神より与えられておりません。恐らく無理でしょう」

 仮初めに力を与えられた人類とは違い、眷属には生まれながらに法力が備わっており、しかも人類より遥かに強力であるという。

「元来、法術は眷属たちの力であり、人類のそれは神々の慈悲により与えられた亜種に過ぎません。そのため力も制限されているようです」

 アティアナではなくトスカラルが感心して言った。

「それも騎士になるための勉強かのう」 

「戦争となれば相手国の法師も敵になりうる存在であると、司令官からは常々言われております。その力についても知っておきませんと」

「ほう、そうか。神に仕える者たちと戦うなど考えたくもないが、実際あることだからな。仕方あるまい」

 平和なベリュン領内の法師は、戦いを得意とした者が少ない。トスカラルにしても、法師が戦うなどピンとこないらしかった。しかし超常的な力を持つ法師たちを、野心ある統治者たちが見過ごすはずはない。

「ところでウォルは、法師とも戦ったことがあるの?」

 アティアナの関心は別のところに向かったようだ。

 ウォルはどこまで話してよいのかわからず、父の顔色を窺いながら答える。

「いいえ。ただ隣国のコルゴットには、そういう訓練を受けた法師もいると聞きます」

 ウォル、アティアナ、トスカラルの三人がそろって、とばりごしに隣のテントを見た。そこは貴賓席のテントの一つであり、数か国の代表者に席があてがわれている。

 その中にコルゴット王国の大使も控えていた。名をソウブロアという壮年の男性だ。線が細く顔立ちも整っており、女性の関心を引きそうなたたずまいをしている。しかし何より注目されるのは、法師の証・法玉が額に埋め込まれていることだった。

 一般の法師はフードで顔を深々と覆っている。それはこの法玉を隠すためであった。   

 法師にとりこの法玉は、超常的な力、法術の源であり、神より与えられた特権である。しかしその玉は本人の生命力を具現化したものと言われ、命の衰えと共に小さくなっていき、本人が亡くなれば消えてしまう。故に法師は、顔を隠す法衣を身に着け、自身の命の兆候を他人に覚らせないようにしていた。

 それを堂々と晒している姿は、他国の法師たちから見ても異彩を放っている。

 しかも大使として、国家の重責も担っていた。

 法師は既に神より特権を与えられているが故、不文律として世俗的権威を持つことは相応しくないとされている。そのため彼の大使という地位も、微妙なところであった。

 そもそもソウブロアの台頭は、つい最近のことに過ぎない。

 三年前、コルゴット王国では前王が老齢を理由に退位し、変わって嫡男の若き王が新たに即位した。

 その若き王は野心が高く積極的に国政を動かし、その手駒として身分を問わず多くの者を各方面で登用し始める。

 ソウブロアもその一人であった。

 それまでは全く知られぬ存在だったが、その智謀を評価され国王の助言者としての地位を得る。そして彼は謀略を駆使し、若輩の王に面従腹背だった地方有力者らを半年たらずで討伐し、国内平定に寄与したのだ。

 現在は、法師として司師の位をいただき、こうして大使の役割も果たしている。

 コルゴットの蠢動を危ぶむヴァスタロトに取り、ソウブロアは警戒すべき相手であった。

「しかしコルゴット王国も様変わりしたのう。昨日あの者と面会したが、従者も法師ばかり。前王時代の大使は収監されてしまい、見知った者は一人もおらんかった」

「先ほどキーレオスより、コルゴット王国の随行者の構成や人数の報告を受けましたが、不自然に感じます。あるいは砦の守備兵をもっと割いて、エスルへ同行させるべきではなかったのかと、反省しております」

「卿を信頼はしておるが、心配のし過ぎではないかのぉ。先にも言ったが、猊下の来訪時に事を起こすなど想像できんよ。しかも大使は法師の身分じゃぞ。何かあれば、神々が罰してくれるのではないか」

「そうであれば良いのですが。我らが被害を受けてから罰が下されても遅いのです」

 トスカラルが取り合う気配はないと察したため、ヴァスタロトはそれ以上何も言わずに引き下がった。  

 ウォルも国境地帯とエスルでは、防衛に対する危機意識に温度差があると感じている。副司令官のキーレオスほどになれば違うが、その部下らは浮足立っているように見えた。

 

 港にホルンの大きな音が鳴り響く。船団の入港を知らせる合図だ。

 ウォルの隣のアティアナは立ち上がり、今にも駆けだしそうな雰囲気である。

 先ほどまでシルエットだった七つの船影は瞬く間にその姿を鮮明に現し、港の深くまで侵入していた。

 その航行の速さと静かさに驚く。海の波の音さえ吸収したかのようだった。

 すでに日は落ち、空は群青色の闇になろうとしている。

 しかし聖なる島ノクトネイラより訪れた七隻の帆船は、ランタンを灯している訳でもないのに、輝いて見えた。

 その帆船は着岸し、錨も落ちて桟橋に固定されると、帆をヤードに巻き取る。すると普通の木造船に戻ったかのように輝きが失せ、周囲も暗く落ち着いた。 

「では参ろう」

 トスカラルが錫杖を持って立ち上がる。

「はい。お父様」

 嬉々としたアティアナは、ドレスのあつらえを無視したステップで歩きだし、つまづきそうになる。急いでウォルは、彼女の手を取りサポートに入った。

「ありがとう、ウォル。いよいよですわ。きっと素敵なことが起こるわよ」

 ギュッと彼の手を握る。

 船団の停泊した桟橋へ向かって、ヴァスタロトを先導にトスカラル、アティアナ、ウォルと続いて歩み始めた。その後をトスカラルの側近や各国各領の大使らも連なる。

 ウォルたちが船団に近づくにつれ、アティアナがまじまじと甲板のほうを見上げた。

 そこには忙しなく動いている船員らしき神々の眷属たちが見える。肢体自体は人と変わりないが、容姿は異なり獣に似た者や爬虫類に似た者もいた。

 この世界レイメルグにおいて眷属は、神々の世界リュースヒムと接している数か所の〈聖地〉一帯にしか居住していない。しかもその聖地は限られた者しか入れないため、彼らに会う機会はほとんどなかった。

 その神々の眷属さえ従えているのが、メイベル・リンクという聖女である。

 先頭の帆船前でヴァスタロトが立ち止まり、トスカラルとアティアナに道を空けた。

 二人は進みでて舷梯の掛けられた前に立つと、跪き深々と頭を下げる。他の者たちもそれに倣った。

 それから一呼吸ほどおいて、舷梯からゆっくり降りてくる数人分の靴音が聞こえてくる。

 それに聞き耳を立てながら、ウォルはふとアティアナのほうを見た。すると彼女は、明らかに顔を上げて舷梯のほうを見ている。悪気のある表情はしていなかった。

 ウォルはアティアナを諌めてよいか考えるが、カツンという固い靴音の響きが間近で聞こえてきたため、彼は改めて頭を垂れ直す。下船してきた方々が、木製の舷梯から石畳の地面に降り立った音だった。

挿絵(By みてみん) 

「皆様。面をお上げください」

 澄みきった美しい声が発せられる。

 場に控えた者たちが、膝をついたまま顔を上げた。そして皆が息を飲む。

 そこには誰もが見惚れるほどの絶世の美女が存在していた。青く光る銀色の髪は腰まで伸び、潮風にたなびいている。額には、大陸の法師とは比べものにならないほど大きい瑠璃色の法玉が光を放っていた。物腰もやわらかで、優しそうに感じる。

 しかし服装は簡素だった。白色の無地のドレスに身を包み、マントを羽織っているだけである。ただそれでもこの女性の美しさや優雅さを損なうものにはならなかった。逆に派手な正装で着飾っている自分たちを恥ずかしく感じる。

 女性は、微笑みながらアティアナを見ていた。アティアナも満面の笑みである。どうやら彼女の行動も不興は買わなかったようだ。

 またその女性の後方には、従士と思われる二人の少女が控えている。ともに軽装の鎧で身を包み、警護を任務としているようだった。

 一人は赤毛で耳は獣のように大きく、リュムニ猫を思わせる容姿をしている。気性の激しそうな感じであった。もう一方は紺色の髪をしており、肌の色も青白く透き通っている。それに眼は虹彩が大きく、神秘的な印象を受けた。

 ともに二人は、神々の眷属と人類の間に生まれた、〈貴人〉と呼ばれる存在である。その容姿も力も、二つの種族の中間に位置していた。

 貴人は眷属とは違い人類の血が混ざっている分、人々との交わりも深い。このエスルにも、複数の貴人が居住しており、コミュニティも存在していた。

 その貴人を従え現れた女性は、一同を見回した後に自己紹介する。

「お出迎え、痛み入ります。メイベル・リンクと申します」

 こうして参列者たちは、改めて目の前に存在する女性は、伝説の聖女メイベル・リンクであると認識する。

「ノクトネイラを代表し、七隻の船にて五四騎の騎神兵を運んで参りました。大陸の皆様のお役に立てることを、喜ばしく思います」

 それを受け、トスカラルが答えた。

「大陸の諸侯、住民を代表し、猊下のご来訪を歓迎致します。私はラーグリス王国ベリュン領を治めさせていただいておりますトスカラル・ベリュンにございます」

 そして後方の娘を示し、紹介する。

「こちらに控えるは、娘のアティアナになります」

「お会いでき、光栄にございます。アティアナ・ベリュンと申します」

 アティアナもさすが大領の令嬢らしく、流れるようなお辞儀をした。

 トスカラルが言葉を続ける。

「このたび猊下をお迎えするにあたり、ご不便をお掛けなさらぬよう、誠意を尽くしお世話をさせていたく所存です」

「よろしくお願いします。さぁ、お立ち下さい。皆様もぜひ」

 一同が、ゆっくり立ち上がった。

「ではます、猊下のご到着を心待ちにしております王都の国王へ、ご報告したく存じます。伝書光を上げさせていただいて、よろしいでしょうか?」

 メイベルの了解を得て、トスカラルが側近の法師を呼ぶ。

 法師は一礼をした後、体勢を整えると印を組み呪文を唱歌し始めた。やがて手のひらから黄色の光の玉が浮かび上がり、そのまま一気に上空へと放たれた。その光の玉は夜空の中、放物線を描きながら王都の方向へ飛んで行った。

 そしてそれを合図に、参列者の居並ぶテントからも、同様の光が幾本も彼方へ飛びだす。

 各国大使に随行している法師たちが国元へ向けて放ったものだろう。

 夜空の中に、光の筋が幾重にも連なって流れる。美しい光景だった。光の輝きは港や街を明るく照らした。

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