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第一章 エスルにて その2〈挿絵あり〉

 そのとき、ラワック馬のいななきが広場に響いた。

 ウォルは内城門のほうを振り返る。

 手入れの行き届いた白馬が、城兵の止める間もなく駆けてきた。

 彼は一目で乗り手が誰なのかわかった。

 白馬が側まで速足で駆けてくる。とっさにハミ環に手をかけ、馬を引き寄せた。

「はーい!ウォル。お久しぶりね」

 ウエーブのかかった金色の髪をなびかせ、美しい少女が鞍上からの微笑みかけてきた。

挿絵(By みてみん)

「アティアナ様!なぜこんなところに。先ほどまで閣下もいらっしゃったのですよ」

「だから困ってたの。父様がなかなかお下がりにならないから、出るに出られなくて」

 領主トスカラルの愛娘がこの慌しい中、ラフな乗馬衣装でウォルの目の前にいる。ふとアティアナの傍で仕える母の慌てぶりが目に浮かんだ。

「もしかして、どなたにも断りを入れずにお出掛けになられたのですか」

「皆忙しくて、構ってくれないものね」

 アティアナは躊躇もせず彼の肩に手をかけ、鞍から颯爽と降り立つ。

 ウォルは段々思いだしてきていた。アティアナはこういう性格だった。三年離れている間に、可憐な部分だけ切り離されて記憶していたが、幼少の頃はよく彼女のお転婆さに振り回されていたものだ。

 周囲の視線が痛い。政庁周辺を見れば、従騎士が正騎士の指示に従いながら、慌しく働いていた。彼らから見れば、彼女といっしょに遊んでいるようにしか見えないだろう。

 気を取り直して尋ねる。

「いったい何をなされていたのです。これから重要な式典が始まるというのに」

「何って。あなたが戻ってくると聞いたから、迎えにでかけたのよ」

「えっ?」 

「でもそんな状況じゃなかったわね。街に入ったら全然先へ進めないんですもの。遠巻きにしか見えなかったわ」

 うれしさ半分、呆れてウォルは口をあんぐりさせた。

「何か言うことはないの?」

「ふぅ。馬は私が厩舎へ連れて行きます。アティアナ様は早くお屋敷へお戻りください」

 結局気の利いたことは言えず、ありきたりな対応をとった。

「よそよそしい態度ね、三年ぶりなのに。あっ、さては照れてるのね」

「えっ。いや、そんなことは……」

 しどろもどろのウォルをクスクス笑うと、遠くを向いて手を上げる。

「ウォルがわざわざ使用人みたいなことをする必要はないわ」

 どこに控えていたのか、馬丁が一人かけてきた。二人に軽く一礼すると、ウォルからハミ環を預かり白馬を引き連れてゆく。

 アティアナは手をだして、ウォルにエスコートを促した。

「リューサリィもあなたを待っているわ。さぁ、行きましょう」

 他に選択肢はないようである。

 ウォルは母の名を耳にし戸惑いつつも、彼女の手を取り政庁横の寝殿へと足を進めた。


 城の外郭北側にある、と畜場。

 ダレクらが、森で仕留めてきた野生の獣を納屋に運んでいる。

「ほら、預り証だ。ご苦労だったな」

 と畜場の親方がラフノスに書類を渡す。

「ありがとよ」

「見事な大物だったな。これでもう少し早く届けてくれりゃ、言うことないんだがね」

「街に入ってから城にたどり着くまで、どんだけ時間が掛かったと思っとる。あんな人ごみは初めてだ。お前もこんなところに籠もってないで、街にでてみぃ」

「こっちは今からあれをさばいて厨房に運ばなゃならん。晩餐会までに間に合わなかったらこれだよ」

 と手刀で首の飛ぶ真似をした。

「ふん。本当に斬られる訳でもあるまいに」

「それだけの覚悟で、仕事してんだよ」

「こっちも同じだわい。今の時期、これだけ大物のクグロやカークはそう簡単に捕れんわい。ワシらがどれだけ森の中を駆けずり回ったと思っとるんじゃ」

 運び終えたダレクが、汗を拭いながら疑問を口にする。

「なぁ。コフンやボーモグで済ませればいいのに、なんで野生の肉を届けさせたんだい」

 コフンとボーモグは人類が古代より育ててきた家畜で、安定した供給と上質な肉を提供することができた。それに比べればクグロなどの野生肉は独特の臭みもあり、上流階級の食卓に上るはの稀なのだ。

「それなんだが。なんでも、五〇年前の料理長が残した文書に、聖女様がクグロとカークの料理を好んで食べたという記述があったんだとさ」

「へぇ、庶民的な聖女様だな」

「ハハハ。まぁ、昔の事だ。本当かどうかはわからん。だが万全は期さんとな」

 そこへオーグも作業から戻ってくる。

「それじゃ、行くとするか」

 ラフノスは見計らって言った。

 それを親方が止める。

「ちょっと待て。お前ら今晩どうするんだ」

「まあ、街もお祭りだしな。ここはタップリ楽しんでいくさ」

「だったら城でただ酒でも飲んでいったらどうだ」

 バッと、ダレク以外の二人が飛びついた。

「うちの領主様は寛大だからな。わしら使用人たちにも振舞ってくれるとさ。他にも関係者が外から招待されている。お前らもどうだ」

 ラフノスとオーグは被せるように嬉々として答える。

「そりゃご馳走になるさ、なぁ」

「もちろん。せっかくのおこぼれだ。ダレク、お前もいいな」

「あいよ」

 正直を言えば年寄りのお守りから開放されたいが、人ごみの街中に今から戻るより、ここでゆっくりするのも悪くないとダレクは思った。しかし自分たちのような者を城内に入れたままにして、領主様がおおらか過ぎる気もする。

「それじゃまずは、外の井戸で体でも洗ってきな。獣臭いぞ」

 そう言われて三人は、外へ放りだされた。親方はこれからが忙しくなるのだ。

 空を見上げれば、昼の陽射しは薄黄色の夕空へと変わりつつある。

「ウォルも今から忙しくなるんだろうな」

 ダレクにはウォルがどんな仕事をしているのか想像はつかない。それでも世間の騒がしさをみれば、大変さは良くわかった。

 

 アティアナは、躊躇するウォルを半ば強引に、彼女の母ゼリセイアが療養している部屋へと伴った。本来であれば、男子禁制の区画である。

 ウォルの母は、病気がちのベリュン侯爵夫人のために、日の半分をここで過ごしている。その母に再会させようという、アティアナなりの気遣いだった。

 しかし案の定、扉の前でベリュン侯爵夫人に仕える二人の侍女に止められた。

「お嬢様、殿方をこれ以上先へお連れすることはなりません!」

「ですから彼は、リューサの息子だとお話してるでしょう。なにが問題なのです」

 ウォルのほうが居た堪れなくなり、口を挟んだ。

「もうよしましょう。母とはいつでも会えます。それにアティアナ様の準備が先です」

「ウォルは黙ってて!」

 彼女は年長の侍女のほうに目を向ける。

「あなたは彼を知っているでしょう。一緒に宮殿で過ごしていたウォルですよ」

「はい、存じ上げております。ですが規律は守らねばなりません。リューサリィ様も重んじられておいでです。私めがリューサリィ様をこちらへお連れ致します。それでよろしくはございませんか?」

「駄目です」

 身も蓋もなくアティアナは答えた。

「母様にも会わせたいもの。きっとお喜びになるわ」

 確かにそうであろう。幼少期、娘を信用して預けられる同年代唯一の友人として、ウォルは信頼をされていた。なにより、親友リューサリィの息子でもある。

「では、確認をお取りしてきます。それまでお待ちください」

「招かれるに決まっているでしょう!時間の無駄です。侍女が出過ぎた真似はおよしなさい。これは命令です。お退きなさい」

 アティアナが語気を強めたので、二人の侍女は困惑の表情を隠せないでいた。

 ウォルの手を引き、遮っていた侍女らの間に割って入ると、彼女は母のいる部屋のドアに手をかける。その強引さに、二人も引き下がらねばならない様子だった。

 非難の目は、巻き込まれたはずのウォルに向けられる。本当は同情してもらいたいのだが、無理な話なのだろうと諦めた。

 しかし、アティアナはこんなにわがままだったろうか。下の者に対する配慮が欠けている気がする。ふとそんなことを思ったとき、開かれた扉の向こうから爽やかな風が吹いてくるのを感じ、思考を止めた。

 ベリュン侯爵夫人の部屋は寝殿区画の最上階にある。屋上庭園と隣接しており、風通し良く広々としていた。

 意匠は凝っているものの、華美さを避けた落ち着いたクリーム色の前室を二人は進み、奥に掛けられた薄い絹のカーテンをくぐる。そこにはベッドに上半身を起こし体を休めているベリュン侯爵夫人と、付き添っているウォルの母の姿があった。

 アティアナは足早にベッドに近づく。

「リューサ、ウォルを連れてきたわ!」

 しかしリューサリィは入ってきた二人に気付くと、アティアナに厳しい声を被せてきた。

「アティアナ様、どちらに行かれていたのです!もうご支度を整え終えてる時間ですよ」

 アティアナもめげない。

「さすがは親子。同じことを私に尋ねるのね」

「どなたでも同じことを言うはずです。アティアナ様には、ベリュン領主のご息女としてのご自覚が足りません」

「母様の前で、そんなに怒らなくてもよろしいでしょう」

 リューサリィの脇をすり抜けて、ベッドの母に寄り添い頬にキスをする。

「母様、お気分はどう?」

「ええ、気分は落ち着いているわ。でもあなたがリューサの言いつけをしっかりと聞いてくれるなら、もっと良くなると思いますよ」

 ゼリセイアは娘を微笑みながら諭した。

「心配しないで。すぐ参ります。本当に、ウォルを案内しに来ただけですから」

 アティアナも母親には弱いようで、甘えるように母に抱きつき別れを惜しむと、駆け足で扉のほうに駆けていく。

「ウォル。それじゃ、後でね。式典ではしっかり付き添いを頼みますわ」

「えっ。は、はい……」

 立ち止まりもせず声をかけると、アティアナはそのまま部屋を後にした。あっという間の出来事で、ウォルは返事を伝えきれずに終わった。

 二人の母親は、お互い見合って苦笑する。

 ウォルにはよくわからないが、これが彼女らの日常なのだろうか。

 ふと、ベリュン侯爵夫人と目があった。夫人は微笑み彼を招く。母のほうを向くと頷くのが見えたので、無礼のないようにゆっくりベッドの側に控えた。

「大きくなりましたね。三年ぶりですものね」

「ありがとうございます。しかしまだ従騎士の身分です。精進し早く騎士として閣下や奥様のお役に立ちたいと考えております」

「フフ。畏まらないで。昔のままで良いのよ」

 そう言われても、あの当時はまだ分別のついていないただの子供だった。

「寂しいけれど、もうそういうふうにはいかないわね。それに比べてあの娘はどうかしら。ねぇ、リューサ」

「アティアナ様も立派な淑女におなりです」

「ありがとう。あなたには感謝しているわ」

 再びベリュン侯爵夫人が、ウォルのほうを向いた。

「ウォル、お願いがあります」

「はい」

「娘を、アティアナをこれからも守って欲しいの」

 ウォルにとっては、それほど突拍子でもないお願いに感じる。護衛としての役目を果たすつもりで、この場にもいた。しかし次の言葉を聞いて、夫人の気持ちの重さを知る。

「あの娘は何事も自分でできると思い込んでいます。確かに闊達に育ちました。学問に作法、乗馬と、何を行わせてもそつなくこなしています。でも本当は周りの方々に支えられて、ここまでこれたことを理解していないのです。私はこのような身体ですし、夫も政務が忙しく、何もして上げれませんでした。今にして思えば、あなたのお母様や様々な教師を娘につけたのは、その埋め合わせかもしれません。でも親として何か大事なことを伝え忘れたようです。今はまだ皆がおります。それで大過なく過ごせているのです。でもいつか、周りに誰もいなくなったとき、大きな挫折を経験する……。それを克服する力があの娘にあるかわかりません」

 夫人がウォルを見据える。

「ゼリセイア様、お気になさり過ぎです」

 口を開いたのは、母リューサリィだった。

「今も、私のために息子をわざわざ連れてきていただきました。アティアナ様のお心遣いには感謝をしております。まわりのことにも注意を向け、このような配慮をなさることができるのです。何も心配されることはございません」

「そう言ってくれてうれしいわ、リューサ。それでも信頼できる人に、これからのあの娘を支えて欲しいと思うの」

 母の言葉を聞いて、ウォルにも考えを整理する時間ができた。

「奥様にご安心していただけるよう、アティアナ様をお守り致します」

 そして拝礼する。ウォル本人に職務の裁量権はないが、これが最善の返答のように思えた。これは一個人として信頼され、頼まれたことなのだから。

 リューサリィも頷いていた。

「親子でウィルナリス家に頼ってしまうなんて、本当に駄目ねぇ」

「いいえ、私も息子もお手伝いをしているだけです。お二人とも、ご自身で何事もなさることができます」

「ベッドで寝ているだけのこんな私でもかしら」

「はい。お体は私がお支えしますが、聡明さは私などお呼びもつきません」

「ほほほ。リューサがそんなお世辞を言うなんて、久方ぶりに息子の前だからかしら」

「ゼリセイア様もお人が悪いです」

 二人とも笑っている。

 そんな様子にウォルは、少しではあるが母の日常が垣間見れた気がして嬉しかった。


ウォルがベリュン侯爵夫人の病室を退室する際、母リューサリィが扉の外まで見送りに来てくれ、親子二人になれる機会を得た。

「立派に成長しましたね。父様の言いつけはしっかり守っていますか」

「はい、もちろんです。母上もお元気そうで何よりです。まさかこんな形でお顔を見ることになるとは思ってもみませんでしたが」

 どう見てもアティアナに振り回されて連れて来られたのは、明らかである。ウォルにしてみれば三年ぶりなのだから、もう少し見栄を張って母に対面したい思いがあった。

「アティアナ様なりの心遣いでしょう。私はこれでも感謝しているのですよ。もちろん立場的に大きな声では言えませんが」

「そうなんですか?」

「父様のことですから、職務を厳格にお守りになるでしょう。あなたも息子だからといって優遇することはないはずです。場合によっては会わせることなく、帰還させてしまうかもしれませんからね」 

「確かに充分ありえますね」

 二人は苦笑する。

「一目でも会えて良かったわ。手紙だけではわからないことも伝わってきます。しっかりと学ぶべきことは学んできましたね」

 ウォルは言葉に詰まった。話したいことは色々あるはずなのだが。

 絞りだすようにありのままの気持ちを言葉にだす。

「己ではまだわかりません。本当に必要なことを学んできたのか。これからどうしていけば良いのか。このようなことしか母上に話せず、不甲斐ないです」

 リューサリィは頭を振った。

「今はそれで良いのです。ありのままに日々を過ごしてください。それが成長するということですから。何をすべきか見つける日は必ず来ます」

「……努力致します」

「あなたを側で育てられなかったことは残念に思いますが、父様にお預けして良かったです。しっかりとした考えを持ち、歩んでいるのですから」

「そうでしょうか?従騎士として父の命令を守るのが精一杯で」

 この三年間、親子というよりも騎士と従騎士の立場で厳格に教育を受けてきた。本当に自主性がその間に育まれていたのか、自分では疑わしい。

「本当にそう思いますか。父様の教えたことはそれだけでしたか?それこそあなた自身で考え、答えをだすべきですね」

 そう言われても、ウォルにはピンと来なかった。

「それでは一つ手掛かりを。あの若い猟師さんとは今も親交があるのでしょう」

 母からここでダレクの話がでるとは思わずに、驚く。

 ただ今にして思えば、父がダレクに不快感を示したことはあっても、親交を止めさせようとはしなかった。母の言葉から察するに、知っていながらあえて黙認していたかもしれない。エスル城へのパレードでも、あの群衆の中でダレクを見つけていた。

 すべてお見通しだった訳だ。やはり一生かかっても、父を越えることは無理だろう。 

 そのとき、若い侍女が小走りに寄ってきた。

「ウィルナリス殿。アティアナ様がお呼びになられております。お手数ですが、ご一緒に来ていただけませんか」

 まだこちらの用意も全く整っていないのだが、従わざるを得ないだろう。

「それでは母上、失礼致します」

「ええ、気をつけて。それとアティアナ様のことは頼みましたよ」

「はい」

 ウォルは気を締め直し、母を安心させるために澱みなく返事をした。

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