第一章 エスルにて その1〈挿絵あり〉
群青色に輝く大海が、眩しく街の活気を映しだしている。
潮風が薫る真昼の街道には、店舗を兼ねた煉瓦造りの家並みが続いており、大勢の人々で溢れかえっていた。威勢のよい呼び込みの声も響く。
大陸北西、ラーグリス王国ベリュン領の首都エスルは、何時も増して賑やかであった。
その街中を、ラワック馬に引かれた二頭立ての荷馬車が歩んでいる。
御者席で手綱を握っているのは、フード付きのチュニックを着た若い猟師だった。
馬車の荷台には、年配の猟師二人と彼らの仕留めた大量の獲物が積んである。
この猟師らは、領主トスカラル・ベリュン侯爵の居城・エスル城へ向かっていた。
今夜、その城では盛大な迎賓晩餐会が行われる。そこで振る舞われる料理の食材を納入するために、森の奥から戻って来たのだ。
荷台の一人が、御者席の若者に声をかける。一番の年配だが、せっかちなラフノスだ。
「ダレク、もう少し急げんのか。いくらワシらの気が長いといっても、あちらさんは待ってくれんぞ。納入は間に合わせんとな」
「そう言われても、周りの状況を見たらわかるだろ」
ダレクと呼ばれた若い猟師は、周囲を指差す。
ごった返えす人の群れが、馬車道まではみ出し、進行の妨げになっていた。おそらく王国国内だけでなく、他国からも人々が集まってきているのだろう。
「まあ仕方あるまいて。為るようにしか為らん。黙って座っていろ」
もう一人の老猟師オーグが、ラフノスのベルトを引っ張った。
「そうはいくか。わしらは領主殿に選ばれて仕事を請けたのだぞ。名誉に関わるわい」
「ならお主が馬車を降りて、先導するかい」
ダレクは二人の話を聞き流しながら、現実的に馬車をゆっくり歩ませる。
「オオー」
「きゃぁぁ」
ふと後方で、歓声とも悲鳴とも取れる合唱が聞こえてきた。
ダレクが振り返ると、一体の鎧姿の巨人が、家並み越しに白銀の頭部を覗かせている。
その巨人は威風堂々とした姿で、こちらへ歩みを進めていた。それに引きずられ、溢れていた衆人が、沿道にざわっと捌けていく。ある意味見事な光景であった。
「ほほう、騎神兵を拝めるとはな。何年ぶりかのう」
オーグが感嘆の声を上げ、ダレクも思わず見入る。
「やっぱり、でかいな」
ダレクは以前、エスル城で納められている姿を見たことがあった。しかし実際に観衆の面前で動いている姿を見ると、やはりその威容に圧倒される。
〈騎神兵〉とは、人の操る全長八・五ニーク(約五メートル)の人型兵器だ。
今より数百年前。魔神の軍勢は遥かに勢力を増し、人類には敵わぬ力を持つ眷属らを、この世界へ次々と送り込んできた。
その侵攻に為す術もない人類に対して、神々より与えられた兵器こそが、騎神兵である。
外観は鎧騎士の姿をした巨人だが、実態は人の精神に感応する管状生物を金属の骨格に沿ってコーティングし、それを外殻で覆った生体兵器だ。
これを動かす〈騎手〉は、騎神兵の顔の一部でもある兜を被り、胴体内部へと乗り込む。そして兜を通して精神を感応し、思考により操縦した。
人類はこの兵器の出現により、続く戦いにおいて劣勢を挽回し、魔神の軍勢をかの者たちの世界オグルライヤへと押し戻したのである。騎神兵は皆の希望の象徴となったのだ。
しかし一方で戦後それらは、権力者らの強力な統治手段となっていく。
それ故、神々は無条件でこの力を人々に与えることはなかった。人類には生産は許されず、ただ下賜されるのを待つよりほかないのだ。
そして今宵五〇年ぶりに、大陸を分割統治する国々に対して、神々から計五四騎の騎神兵が贈られる。
騎神兵を生み出す聖なる島〈ノクトネイラ〉より、聖女メイベル・リンクが、七隻の船団を率いて届けにくるのだ。
猊下の尊称を持つメイベル・リンクは、選ばれた人類と光の神々の眷属だけが住まうノクトネイラを、数百年に渡り統治する不老不死の賢者である。また彼女は、神々の代理人として、数々の魔神らとの戦いにおいて人類を導いてきた。大陸の統治者を超越した権威を持つ人物なのだ。
エスルの街道を埋め尽くす群集はまさに、その彼女を一目見ようと大陸各地から集まってきた人々なのである。物見遊山の者も多いが、中には彼女を崇拝する巡礼者の姿も見受けられた。前回の下向が五〇年前であることを思えば、聖女を拝顔できる機会は、まさに生涯一度の栄誉と言えるのだ。それにラーグリス王国民にとって、彼女は国母でもある。ラーグリス王国はメイベルの息子により建国された国家なのだ。既にその血筋は王家から途絶えたというが、古い家柄の一族には、メイベルの血統を喧伝する家も多かった。
その人々の溢れた街中を、一騎の騎神兵が進む。ラーグリス王国とベリュン領、二つの紋章を両肩に刻んだ銀色の鎧姿が、日差しを浴びて輝いていた。
ラーグリス王国の騎種は全て〈ラーガント〉と名付けられている。
ベリュン領には、領主に受け継がれる騎体と歴代の軍司令官が引き継いでいるもの、二騎が配備されていた。この騎体はその内の一騎をいうことになる。
そしてそのラーガントの後方には、騎士団で編成された騎兵隊が数十騎続いていた。
彼らはエスル城へ向かって行軍をしている。
「こっちに来るぞ。ちょっと、どいてどいて」
ダレクは行軍を避けるため、歩行者のいる中、強引に脇へ荷馬車を停車させた。
その間にも、重量感のある金属音を立てながら、ラーガントがこちらに迫ってくる。そしてあれよという間に、ダレクらの荷馬車を通り越していった。
鎧の頚部から覗く騎手の顔も、一瞬チラリと窺える。
「こりゃ、たまげた。見事なものだなぁ」
「ばあさんにも自慢できるぞ」
後続の騎兵隊の列が過ぎるのを待ちながら、ラフノスとオーグが興奮していた。
しかしダレクは、他のことが気になり、騎兵隊の列を見回す。
ラーガントを操っている騎手の顔には見覚えがあった。ベリュン領の軍司令官、ヴァスタロト・ウィルナリス男爵だ。通常は、隣国コルゴット王国との国境に築かれたケブン砦の守備を任されている。
おそらくは今回の聖女を迎えるために、呼び戻されたのであろう。
そしてヴァスタロトがいるということは、ウォル・ウィルナリスもこの行軍に参加しているはずだった。
ウォルはダレクの友人である。初めて知り合った頃は、まだエスル城内で暮らしていた。しかし父ヴァスタロトの小姓となるとケブン砦に移り、今は従騎士に昇格している。
彼は非常に気の良い人柄で、身分の違うダレクともすぐ打ち解けた。
今では住む場所も生活も違うので、会う機会はそうそうない。それでもダレクが国境付近まで狩りに出掛けたときなどは、ともに山野を廻りながら一日過ごすこともあった。
「おっ、見つけた」
ダレクは、見覚えのある深い栗色の髪をチラリと目に留める。
騎兵隊の隊列最後尾に、鎧を身にまとったウォルを発見した。元々整った顔立ちなので、ラワック馬に跨った格好は様になっている。
「あれは、ウィルナリス家の坊ちゃんじゃないか」
ラフノスも気付いた。
「その通り。この状況の打開策を発見したぜ」
ダレクはウォルが近付いて来るのを待って、手を上げる。
「ウォル!」
ハッとしてウォルは、ダレクの合図に気付いた。それから何となしに表情が崩れて笑顔になり、隊列を外れて荷馬車の横に騎馬を寄せる。
「やぁ!久しぶり。こんな所で会うなんて奇遇だな」
「そうでもないさ、従騎士殿」
ダレクは荷台のほうを指差した。
ウォルは荷台に座る二人の老猟師に会釈しながら、積んである獲物を確認する。
「城まで晩餐会の食材を納入しなきゃならないが、この人の多さに阻まれちまってな」
「確かにすごい人出だよ。おれも驚いた。エスルに入ったら、突然のこの中で行軍だ」
「ああ。遠くから見ても、緊張してるのが良くわかったぜ」
「そ、そうか」
ウォルは厚手の手袋をした指で、鼻の頭を掻く仕草をした。
「あの騎神兵、お前の親父さんだろ。動いているのを初めて見たぜ」
「俺だってそんなに見る機会はないさ。特にあの件があって以来遠ざけられてるからな」
と、頬をさすって見せる。
子供の頃、ダレクがウォルにわがままを言い、騎神兵を間近で見せてもらおうとしたことがある。しかしすぐにヴァスタロトに見つかり、ウォルは大目玉を喰らったのだ。
「いやぁ、悪い悪い」
互いに笑った。
そこへラフノスが御者席へグイッと顔を突きだし、横から挨拶をする。
「ウィルナリスの坊ちゃん。お久しぶりです。お父上にはご贔屓にさせてもらってます」
「確か、ラフノスさんでしたね。それにオーグさん。以前、国王行幸の際、鷹狩りに同行していただきましたね。その節はお世話になりました」
「名前を覚えてくださっているとは、光栄です」
二人とも年甲斐なく、感動していた。
ダレクは、ウォルのこういう下々にも配慮出来るところに、いつも感心する。しかし本題を思い出して切りだした。
「まぁ、挨拶より、要件なんだけどな。これからエスル城に向かうんだろ。だったらこの隊列の後ろにくっついて行かせてくれよ。このままじゃ、間に合わん」
少し考えて、ウォルは馬の首を進行方向に向ける。
「そういうことなら仕方ないな。先導するから、ついてきてくれ」
ダレクもウォルの騎馬に合わせ、荷馬車を動かした。
ウォルは荷馬車を誘導すると、手を振り隊列の最後尾に戻っていく。
離れたのを見計らって、ラフノスが訊ねた。
「お前はなんで、坊ちゃんとそんなに親しいんだ?」
「ガキの頃ってさ、遊ぶ相手をそんなに身分とかで区別しないだろ。その関係が今の歳まで続いてるって感じかな」
「それはあれだな。坊ちゃんが偉いな」
「ほっとけ!」
ダレクはニヤリと笑った。
隊列に戻ったウォルに、年長の従騎士が馬を寄せてきた。
「勝手に離れるとは何事だ!」
「申し訳ありません。あの荷馬車ですが、今夜エスル城で開かれる迎賓晩餐会での食材を積んでいるとのこと。ただこの人出で先に進めず、立ち往生していたそうです。それで勝手ながら、我々の後方につくことを許可致しました」
「お前にそんな権限あるまい」
本来なら怒鳴りたいところであろうが観衆のいる手前、自重しているようだった。
「しかし間に合わないとなれば、ベリュン閣下ひいては我が領国の名誉にも関わります」
「お前は司令官の子息でもあるんだぞ。立場をわきまえ、司令官に恥をかかせるな」
年長の従騎士は渋い顔をしたままだったが、それ以上のことは言わず離れていった。
ウォル本人も勝手なことをした自覚はあるが、友人に良い顔をしたかった心情もある。
砦の仲間より、ダレクは余ほど付き合い易い友人だった。
彼からは森林や草原での行動術、実践的な弓やナイフの扱い方も教えてもらっている。騎士の修練で良い成績を収められたのも、皆からは父の薫陶と思われているが、ダレクに連れられ城の外で学んだことも大きかった。
やがてラーガントを先頭にした騎兵隊の列は、人々で賑わう沿道を後にして、丘陵の道へと入っていく。その草原広がる丘の頂には、目指すエスル城が見えた。
ベリュン領エスルは、大陸におけるノクトネイラとの窓口である。またラーグリス王国にとっては、海洋交易を担う重要な都市だった。
故にエスル城も城塞というより迎賓館としての役割が強く、その造りには宮殿の趣がある。その意匠を凝らした外観は、沿岸部からもその華麗さを遠望できた。
城に到着した隊列は外城門をくぐり、外郭広場を内城門へと進む。
ウォルは、ふと後ろを振り返った。ダレクらの乗る荷馬車は門兵に促され、外郭を外周路に沿って、と畜場のほうへ向かう。一声掛けたかったが、従騎士仲間や城の守備兵らの目もありできなかった。
内城門を抜けると、石畳の敷かれた内郭の広場が現れる。周囲は宮殿と一体の内城壁が囲んでいた。ただ城壁とはいえ、贅を尽くした装飾が施されており、堅牢さとは無縁な華やかさで満ちている。
広場中央には、城の守備隊でもある騎士団が、正装をして整列していた。彼らも軍司令官ヴァスタロト旗下であるが、直接指揮をしているのは副指令官のキーレオスである。三〇代前半の心身ともに壮健な騎士だ。司令官に代わり、城と都市防備を任されている。
彼の父は先代の司令官であり、キーレオスもまたヴァスタロトの後継者と目され、皆より期待されてた。騎神兵の騎手として平和な本拠地に留まるより国境線の守備を選んだヴァスタロトにとっても、任せるに足りる人材である。
正面の政庁玄関には、領主トスカラル・ベリュン侯爵の姿も見え、側近らとともに出迎えにきていた。
その玄関横には、トスカラルのラーガントも飾ってある。金糸で縁取られた深緑色のマントを羽織り、騎体も傷一つなく輝いていた。
実のところトスカラルが領主になって以来、ほとんど使用された形跡はない。父である先代領主から受け継いだものの、彼本人は戦うことを苦手としていた。肥満ぎみの身体が、鍛錬など長年行っていないことを物語っている。直立で乗り込まなければならない騎神兵に、耐えられる気力や体力はないであろう。
ただそれでも平和なエスルにあって、行政手腕に優れている彼に非難の声はなかった。
「降騎!」
騎兵隊に指示が飛ぶ。騎士の面々が整然と騎馬から降りた。
従騎士らはすぐに、乗ってきた騎馬を控えていた馬丁に預ける。それから騎士の騎馬を引き取りに急いだ。本来は小姓の仕事であるが、今回の行軍には従っていない。ウォルも近くの騎士たちから何頭か騎馬を受け取り、馬丁へ引き渡した。
それからトスカラルの面前に整列する騎士たちの後尾に、駆け足で並ぶ。
一方ヴァスタロトの搭乗しているラーガントは、櫓の組まれた台車に着座した。張りだした足場に整備兵が上り、胸部の鎧に手をかける。二重の装甲板が順次開き、ヴァスタロトが姿を現した。騎神兵そのものは一人での搭乗、降騎は可能である。しかし整った施設ではまずサポートが付いた。
ラーガントから降騎したヴァスタロトは、騎兵隊と城の守備隊の敬礼を受ける。
「無事なご帰還。何よりです」
キーレオスが敬礼した。
「うむ。変わったことはなかったか」
「と言われましても、今日という日そのものが、日常とは全く違いますからね」
若者らしい砕けた物言いで、キーレオスは豪快に笑った。しかしヴァスタロトの表情を察して、すぐにかしこまる。
「ですがご安心を。警備体勢は万全にござります。それよりも、領主閣下が先ほどよりご到着を心待ちにされておりました」
ヴァスタロトは促されて、政庁へ向かった。そしてトスカラルの前に進みでて跪く。
「ヴァスタロト・ウィルナリス。ケブン砦騎兵隊を率い、参上致しました」
トスカラルは自ら手を取って、ヴァスタロトを立たせた。
「遠路ご苦労であった」
「閣下もお変わりなく、ご壮健であらせられ何よりです」
少し声を低くしてトスカラルが言う。
「呼び戻して、すまなかった。だが今日は極めて重要な日だ。やはり心許なくなってな」
「お察しします。ただしメイベル・リンク猊下をお見送りした後は、速やかに退去致します。このたびの件と関連してか、最近コルゴット王国に、慌しい動きがあります。それで念のため、今回の随行人数も絞らせていただきました」
「その報告は聞いておる。先月には交戦もあったそうだな。しかしこの時期、今日に限っては何も起こすまい。世界を敵に回すだけでなく、神の怒りも買ってしまうことになるぞ」
「そう願っております」
トスカラルは一転して、パッと明るい表情で手を叩いた。
「まあ、そう急ぐな。卿の奥方もいるのだ。ゆっくりしていきたまえ。私は賜る予定の騎神兵を王都まで運ぶ仕事も残っておる。エスルの留守を頼みたい」
ヴァスタロトの妻、つまりウォルの母・リューサリィは、家族と離れ一人エスル城に居住していた。現在はトスカラルの妻・ゼリセイアと、その一人娘・アティアナに付き従っている。身分的には不相応な仕事であるが、婦人とは二十年来の親友であり自ら引き受けたのである。すでにベリュン家にとって欠かせぬ存在になっていた。
侯爵婦人は元来病弱で、アティアナを産んだ際も母乳を与えられる体力がなかった。そのため当時、ウォルを産んだばかりのウィルナリス婦人が、アティアナの乳母を買ってでたのである。今は病床の婦人の世話と、アティアナの教育係を一手に引き受けていた。
「そう閣下が申されるのであれば……」
「よろしい。では早速だが準備を頼む。猊下を迎えに夕刻までには港へ参らねばならぬ」
ヴァスタロトは頷き、騎兵隊隊長のノーガンクを呼び指示をだした。
ノーガンクは居並ぶ騎士らの前に立つ。
「これより騎士諸君は改めて正装に整え、一時間後にこの場に集合せよ。その後、ベリュン閣下に従いメイベル・リンク猊下をお迎えに上がる。また従騎士どもは、このままキーレオス卿の指揮下に入り、エスル城の警備に当たる。以上解散!」
各人、指示に従い動きだす。
「おいっ。ウォル・ウィルナリス」
ウォルが呼び止められた。
「お主は、司令と共に行け」
「しかし……」
また特別扱いかという表情で、従騎士仲間が彼の横を通り過ぎていく。
ウォルは引き下がらず意見した。
「私にも、従騎士としての職務を全うさせてください」
ノーガングは、政庁のほうを見るよう軽く促す。
「我を通して、領主閣下を待たせるのか」
トスカラル以下主だった面々がこちらを向いていた。
ウォルは言葉を飲み込み、ノーガンクに一礼すると領主の元へ向かう。
トスカラルはそのウォルを微笑みながら迎えた。
「ベリュン侯爵閣下。ご無沙汰しております」
「おお、立派になったな。噂は聞いておるぞ。複数の敵を相手に活躍したそうだな。技量は父譲りか、さすがだ」
「あ…ありがとうございます」
「卿もさぞかし鼻が高かろう」
ヴァスタロトに投げかける。
「いえ、まだまだ未熟者です。技術ばかり先行し、騎士としての自覚が足りません」
ウォル本人にもその意識はあるが、さすがに人前で父に窘められると、立つ瀬がない。
「ハハハ。同じ道を歩むものとして、息子に厳しくなるのは当然だな」
恐縮して、ヴァスタロトは頭を下げた。
「ウォル。おぬしも父と共に、猊下に拝謁してもらうぞ。晩餐会も出席してもらう」
「それは……」
疑問も他所に、話は進む。
「貴族の子弟として、粗相はないようにな。卿も良いな」
トスカラルはヴァスタロトにも同意を求め、彼は黙って承知した。
「よし。それと無論アティアナも出席させる。ウォルには身近にあって護衛も頼みたい」
ウォルは頭を下げ、急ぎ答える。
「は、はい。務めさせていただきます」
しかし内心、アティアナの名を聞き少しドキリとした。
トスカラルの一人娘アティアナとウォルは乳兄妹である。共に幼少を城の中で過ごしたが、父に付いて国境守備について以来、会う機会はなくなっていた。その彼女に三年ぶりに会うのである。幼い頃より抱いていた彼女への憧憬を、再び思いだした感じがした。
「娘もお主に会いたがっていたのだが、少しばかり目を離した隙に居なくなりおった」
ウォルはアティアナに何か起こったのかと思い、焦って聞き返す。
「居なくなったとは?」
「いや、いつものことなのだ。どうも活発過ぎて困る。しかし今日の大事を忘れた訳ではあるまいに……」
トスカラルは暢気そうに答えた。
「まぁ、もう時間も迫っておる。すぐにでてくるだろう。そういう訳だ。お主もしっかり目を光らせておってくれ。よろしく頼むぞ」
「はっ……はい」
トスカラルは一通り話し終えると一人満足そうに頷き、側近を引き連れ政庁の中へ引き上げていく。ウォルは冷や汗を拭いながら、敬礼し領主を見送った。
ヴァスタロトが彼の横に来る。
「良いか、閣下は期待されておるのだ。気を引き締めて事に当たれ」
軍司令官としてヴァスタロトは男爵位を与えられていた。しかしウォルは、何の地位も持っていない。騎士になれば貴族に准じる地位を与えられるが、まだ従騎士の身分でしかないのだ。それを考えれば、トスカラルの決定は過分なものであり、それだけアティアナと共に育ったウォルに目を掛けている現れと思えた。
「ご安心ください。司令官に恥はかかせません」
ウォルは従騎士に昇格して以来、父親を司令官と呼ぶことが当たり前になっている。
「だと良いが。ダレクとか言ったか、あの若い猟師。エスルに来ているようだな」
「!」
ウォルは一瞬絶句した。自身、向うから声を掛けられて、初めてあの群集の中でダレクに気付いたのだが、ヴァスタロトは違うようである。まさか隊列を離れたことまで知られているのかと、不安になった。何とか平静さをよそおい答える。
「そうでしたか、知りませんでした。しかし彼のいることが何か問題でしょうか」
「仕事をさせればお前より一人前のようだが、二人で組むと何を悪さするかわからん」
言葉遣いからすると、そうダレクを嫌ってはなさそうだ。とは言え、会わせたくもないようである。彼がエスル城に来ている事を知ったら、どのような顔をするだろう。
「それは否定しませんが、騎士を目指すものとして、責務は名誉にかけて果たします」
「最初の一言がなければ、頼もしいのだがな」
苦笑交じりの溜息を一つして、ヴァスタロトも政庁に入っていった。
ふとウォルは思う。本当に父の期待に応えることができるのかと。
騎士として早く一人前になることを目標としているが、その反面この規律と階級が全ての世界に窮屈さも感じている。もしかしたらダレクと親しくなったのも、外界への憧れがあったからなのだろうか。それを父は察しているのかもしれない。