序章 嚆矢の戦い〈挿絵あり〉
「従騎士共、急げ!」
「はっ、はい!」
ラワック馬に跨った騎士たちが従騎士らを従え、深夜の森を全速力で駆ける。
八人の騎士と四人の従騎士からなる騎兵隊は、隣国コルゴット王国から侵入した斥候の一団を追っていた。
敵は五騎。こちらを見咎めてすぐに逃走し、闇深い森の中に消える。
騎士たちは撒かれまいと、騎馬に鞭打ち追跡に入った。従騎士らもそれについていこうとするが、森での乗馬はまだまだ未熟である。次第に騎士の隊列から引き離されていった。
しかしその中にあって一人、ウォル・ウィルナリスだけは、騎士たちに遅れを取らず騎馬を操っている。颯爽と栗色の髪をなびかせ、木々の入り組んだ森の中を駆け抜けた。
ウォルは従騎士の中でもまだ若く、成年には達していない。しかし狩猟などで培った経験で、森での行動には自信があった。
従騎士として敢えて騎士の後ろを走っているが、隙あらば前に出ようと意気込んでいる。
彼らの任務は騎士たちを補佐することだが、戦いとなれば手柄を立てる機会も回ってくるかもしれないのだ。
騎乗しているラワック馬に、彼はささやく。
「もってくれよ。役に立って見せる必要があるんだ!」
ウォルは手綱を強く握った。
コルゴットの斥候を追う彼ら騎兵隊は、ラーグリス王国ベリュン領領主、トスカラル・ベリュン侯爵配下にある。
ベリュン領は隣国コルゴット王国とも接しており、彼らは要害ケブン砦にあってエスル領の守備と同時に、国境警備の役目も担っていた。
長年ラーグリス王国とコルゴット王国は平和の均衡を保っていたが、三年前、コルゴットに若き新王が即位すると状況が一変する。他国への干渉が激しくなり、この国境近辺でも何かしらの蠢動を続けていた。
そして今夜、コルゴットの斥候が国境を犯しベリュン領に侵入してきたのを、巡回にでていた騎兵隊が発見したのである。
彼らを率いるのは騎兵隊隊長ノーガンク。ケブン砦に駐屯する全五〇騎を任されているが、今回は国境の巡回ということもあり一二騎の少数編成だった。しかし隊長自ら指揮している以上、敵を逃す訳にはいかない。国境を越えられる前に決着をつける必要があった。
両国の国境となるのは、大陸北方の大海に注がれるテイバン川。この森を抜ければ、すぐその先だ。
隊の先頭を駆けながら、ノーガンクは叫ぶ。
「いたぞ!」
続く騎士らも、斥候の一団を確認した。
「いいか、一人も逃すな!必ず全員捕えるか成敗せよ!」
「オウッ!」
「突撃!」
騎士たちは剣を鞘から抜くと、一気に速度を上げ敵の集団に迫る。その距離はあっという間に縮まった。
敵の隊列と騎兵隊が重なり合い、すぐさま駆けながらの討ち合いが始まる。コルゴット側は五騎に過ぎず、従騎士らが追いつかなくとも、騎士たちに歩があった。
まず最後尾の敵を二騎で挟み、両側から討ち落とす。
その前方の敵は、騎士らを寄せつけまいとして剣を左右に振り回すが、がら空きの背後から斬り掛かられ落馬した。
ノーガンクたちは二人を倒した勢いそのままに、残りの三騎を包囲し距離を詰めていく。
「さすがは隊長たちだ……」
ウォルは彼らの後方で、地面に転がる敵を飛び越えながら後を追っていた。不謹慎だが、敵は思いのほか呆気なく、出番はなさそうに思えて少し焦りを感じる。ただそのような彼の気持ちなどつゆ知らず、騎士たちはさらに続く戦闘で、新たに二騎を討ち負かした。
しかし残る一人が無理やり騎兵隊の包囲を破り、森の藪に突入する。
「逃すか!」
騎士らも敵を逃すまいと、藪に飛び込んだ。四方から伸びる木々の枝を剣で払いながら、騎馬を前進させる。
恐らくここを抜ければ、もう国境となるテイバン川のはずだ。敵がどのような準備をしているかわからないが、渡河だけは阻止しなければならない。
だが、その彼らの必死さが裏目となった。
藪を勢いよく飛び出したノーガングは、闇夜にキラリと光が走るのに気付く。咄嗟に剣を振り上げた。
「待ち伏せだ!」
飛んできた矢を弾きながら、ノーガングは手綱を引いて騎馬を抑える。
ここは遮蔽物の無い国境線でもある河川敷だ。
そこに一〇数人の敵が、弓を手に待ち構えている。
そしてその先の河岸には、筏状の渡し船が二艘係留してあった。これでラワック馬ごと、こちらへ渡ってきたのだろう。その内一艘が、既に渡河の準備を始めていた。
騎兵隊から逃れた斥候は、仲間の陣を抜けその筏に辿り着く。構えていた敵はそれを見届けると、一斉に矢を放った。
ノーガングは部下たちに注意を促そうとするが、遅かった。彼に続いて森を抜けた騎士の二人までもが、敵の矢の餌食となる。他の騎士たちは何とか矢を防いだが、ノーガング同様に馬の脚を止めざるを得なかった。
その時、一騎の騎馬が藪を突っ切り彼らを追い越すと、敵陣に向かって駆けていく。
騎士たちは呆気にとられ、その騎馬に視線を向けた。
「あれはウォルか」
ウォルは騎士たちが足を止めたのをものともせず、矢に向かって突進する。
「馬鹿が……」
ノーガングは騎馬に鞭を入れ、逸る従騎士を追いかけた。騎士たちも急ぎ、それに続く。
ウォルは何本かの矢をかわしながら、次の矢を番え直そうとしている敵の列に、騎馬を体当りさせた。一旦接近して乱戦に持ち込めれば、弓の脅威は極端に減る。
「行くぞ!」
勢いそのままに、ウォルは剣を片手に騎馬から飛び降り、真下にいた敵を地面に叩きつけながら突き刺した。
しかし絶命した相手に跨っている彼の周囲は、敵だらけである。味方が倒されたのを見て、弓を捨て腰から剣を抜いた。
それでもウォルは焦らず次の敵、剣に持ち替えるのが遅れた一人に的を絞り走り出す。
鋭く繰り出された突きは、相手の首筋を貫いた。
「これで二人目……」
刺した敵を蹴り飛ばして剣を引き抜く。そしてその者が倒れて空いた方向に身を進め、振り返って他の敵から間合いを取った。
ほんの一瞬睨み合う。それで囲んだ敵は、彼がまだ若造だということに気付いた。
「小僧がっ!」
一斉に剣を振り上げ迫ってくる。
ウォルは後ずさりながら、その複数の攻撃を受け流した。既に敵の背後には、味方の騎士たちが見えている。焦る必要は感じなかった。
「かかれぇっ!」
騎兵の勢いはあっという間に、敵を覆い潰す。
「大丈夫か」
ノーガングは騎馬から飛び降り、敵とウォルの間に割って入った。それから河岸を見て、すぐに判断し彼に命令を下す。
「筏に向かえ!渡河を許すな」
「はい」
騎兵隊から逃れた斥候が船頭役に指示し、味方を置いて筏を離岸させ始めていた。
ウォルは繋いであるもう一艘を助走台に足を蹴り、河岸から離れだした筏に飛び乗る。
「うぉぉっ!」
斥候のラワック馬も載っているその筏は、彼が飛び移った衝撃で大きく揺らいだ。
四つん這いになって揺れに耐えるウォルに、待ち構えていた斥候が剣を突き立てる。
激しい金属音がなった。
ウォルの着ている鎖帷子が裂けて、小さな金輪が弾け飛ぶ。
彼は筏の上を転がり、鎧一枚、寸でのところで攻撃を回避した。
「くそっ、ちょこまかと」
斥候は覆い被さるように剣を振り降ろす。
跪いた格好のウォルは、それに対し足場の丸太を蹴って、敵の懐に下から斬り掛かった。
剣と剣がぶつかり合い、鍔迫り合いとなる。しかし腕力に勝る敵に、ウォルは少しずつ押されていった。しかも不味いことに、船頭役も舵を離れてこちらに迫ってきている。このままでは、挟み撃ちになる危険性があった。
ウォルは一か八か斥候の剣を力任せに弾き、その反動で大きく後退する。それから敵二人の隙をついて、筏に載っているラワック馬を剣の平で強く叩いた。
「暴れろ!」
興奮したラワック馬が脚を高々と上げ、筏を大きく揺らす。
重心を高くしていた斥候は、その揺れに態勢を崩した。ウォルはその隙を逃さず駆け出すと、真横に胴へ斬り込む。斥候らしく軽装の敵はまともに刃を受けて、血飛沫を上げながら丸太の上に転がった。
続いてウォルは、間を置かずに船頭役に剣を向ける。こちらは足場には慣れているようだが、あくまで舵が専門のようで、武器の構えは甘く技量に乏しく見えた。
ウォルはここぞとばかりに反撃を許さない斬り返しで、相手を端まで追い詰めていく。
その気合に押され敵が叫んだ。
「ま、参った。降参する!」
ハッとして、ウォルは剣を止める。敵は持っていた剣を川へ放り投げた。
「俺はただの漕ぎ手だ。助けてくれ」
卑しく命乞いする敵の喉元に切先を向けたまま、ウォルは河岸を見る。ノーガング以下騎士たちは優勢に戦いを進めているようだった。
一息ついて、船頭役に命じる。
「助かりたければ、この筏を岸に戻せ。そうすれば命の保証はする」
「わ、わかった」
敵は首先に剣を突きつけられたまま舵まで移動し、ウォルの指示に従った。
「良くやっと言いたいところだが、無謀過ぎるぞ」
ウォルは、河岸の制圧を完了したノーガングと合流して、開口一番にそう言われた。
元より意識して出過ぎた真似をしたのだから、彼は素直に謝る。
「申し訳ありません。多少高揚しておりました」
それに対し、ノーガングは冗談交じりに彼の父親について言及した。
「お主に何かあったら、私が司令の不興を被るではないか」
それはウォルにとっては聞きたくない台詞である。思わず反論してしまった。
「そんなことはありません。私が例え命を失ったとしても、任務上の事。問題にはならないと思います」
隊長は苦笑する。
「分かっているさ。しかしお主の今回のやりようは司令を意識してのことだろう。だがそのように軽率では、認められはせんぞ。気をつけることだ」
図星を突かれ、彼は下を向いた。
「……はい」
「まぁ今回はお主のお陰で、コルゴットの連中を逃すことなく退治できた。それについては評価するとしよう」
ノーガングはウォルの肩を叩く。それから彼から離れると、騎士や追いついた従騎士らに指示を出していった。仲間の遺体の回収。捕虜とした敵の処遇。ケブン砦に戻るまでに、やることがまだあるのだ。
残されたウォルは、隊長に真意を見透かされていたことを恥じていた。
彼の父親は、ノーガングを始めとする皆の上官。ケブン砦の主将にして、ベリュン領軍司令官のヴァスタロト・ウィルナリス男爵である。
無論ウォルは従騎士となって以来、父親から子息として扱われたことはなく、彼自身も部下としての立場を貫いてきた。しかし他からどう思われているかは全く別の話で、腫れ物に触るように扱われるか、嫉妬の対象とされるのが常であった。
この息の詰まる状況を打破するためにも、ウォルは自らの実力で一人前の騎士となることを望んでいたのである。今回のコルゴットの斥候らとの遭遇戦も、その機会と捉え、先走ったのだった。
ウォルは頭を振りかぶって気を取り直す。
こんなところで呆けていては、また誰かに陰口を叩かれてしまうだろう。
ノーガングに命令され敵の遺体を探っている従騎士仲間の元に、彼は急いで向かった。
従騎士としての職務こそ、彼が本来するべきことなのである。