第一〇章 炎斬り裂くとき その2
「わぁぁ、来るぞぉっ!」
「きゃぁぁ!」
「助けてぇっ!」
エスル市街を避難する民衆が恐慌する。悲鳴の波が連なってきた。
その場にいるアティアナとネルセダも、上空を見上げ息を飲む。
遂に直接彼女たちのいる方角へ、グルフオーが巨大な口を向け迫っていた。
アティアナは蒼白になりながらも、毅然と魔竜の顔を正面に睨む。
「あれが、グルフオーですか……」
伝説で語られる竜の姿とは異なるが、怒りを孕んだ表情であることは読み取れた。
「私とて初めてだ。メイベル様だけが旧知の仲らしい」
ネルセダは軽口を叩いたが、内心覚悟を決める。非難や誹りを受けようが、いざとなれば避難民を差し置き、アティアナだけは助けねばなるまい。
その彼女にアティアナが改まって呼びかけた。
「ネルセダ。あの魔神の眷属に法術を当てることはできますか?」
「さすがにあの高さと距離では届かないし、威力も落ちる。もっと引きつけなければ。でも距離が近づくのを待っていては、奴の劫火の餌食になってしまうでしょうね」
「効果はなくて構ません。注意を反らせれば……例えば伝書光ならいかがですか?私に理屈はわかりませんが、伝書光は相手がどこにいてどれほど距離が離れていようとも、その者のところまで届くと伺ったのですが」
ネルセダもハッと気づく。
「そういう事か。さすがに法術を持つ者以外に向けたことはないが、もしかしたら魔術を持つモノにも効果があるかもしれない。いや、奴の視界へ入る軌道に飛ばせるだけでも……」
アティアナは頷いた。
「行きましょう!」
彼女たちは、騎馬へ同時に鞭打つ。二頭は、民衆のいない方向の街道へ駆け出した。
避難民らは一瞬唖然とし、次いで見捨てられたのかと嘆きだす。
しかしそれが違うことにすぐに気付いた。
彼らから遠退いていく騎馬の一頭から、光り輝く法力の玉が曲線を描きながら飛んでいくのを目撃する。
その放たれた光は、グルフオーに到達する寸前で、身から放射される魔力の渦に弾き返され砕け散った。
何の威力も持たない伝書光であるから当然だが、二人にとってはそれで充分である。
グルフオーは敵対する神々の力を察知し、その軌跡を追って貴人であるネルセダを発見した。ただの人間共より、遥かに滅ぼしがいのある標的だ。
炎の塊を飲込むと、魔竜は大勢の民衆の上で軌道を変え、彼女らの後を追う。
「助かった」
「姫君は、囮になってくれたのか……」
「だが、お二人だけで……」
救ってもらった者たちからしても、二人の行動は無謀過ぎるように思われた。
巨大な飛行物体にとって、ラワック馬の速度など問題にもならない。
「こちらに向かってきているわ!」
アティアナは駆けながら、騎馬をネルセダのほうに寄せた。
「わかっている!でも良く考えたら、お前は付いてこなくてもよかったのではないの?」
彼女に乗せられる形で動いてしまったが、またしても勇み足であったかと、ネルセダは少々後悔する。この役目は自分一人が担うべきだった。
「何を今さら!」
とアティアナは微笑み、逆に尋ねる。
「それより、これからどうするのです?」
ネルセダは呆れた。
「なんだ!やはり次の事は、考えていなかったのか」
「咄嗟に思いついたのは、皆からあのモノを引き離す手段だけでした」
「呆れるわね。しかし今はまず、逃げ切るのが先決だ」
そう言って視線をアティアナから正面に戻したとき、目指す方向に光る球体を目撃する。
「んっ!」
「あれは?」
彼女らの進行方向から、高速で伝書光が向かってきていた。
ネルセダはそれに衝突する形で、体内に吸収する。
「今のは、何です?もしやメイベル様からの伝書光ですか?」
「このままこの道を真っ直ぐ!海にでるわ」
問いには答えず、ネルセダはただ彼女を促した。
訳がわからないままアティアナも彼女に従い、騎馬を疾走させる。
それからすぐに青い水平線が開けてきた。
「もうすぐだ!」
目の前にエスル港が見える。まだ昨夜の凄惨な跡がそのままに残っていた。
そのとき彼女らの後背から、熱風が勢いよく吹きつけてくる。
「ネルセダァ!」
後ろを振り返ったアティアナが叫んだ。
気付いたときには、グルフオーの炎が濁流のように迫ってきていたのである。
石畳の道とその両側に建ち並ぶ煉瓦造りの家並みが水路の役割を果たし、一方にだけ炎の流れを集中させた。その勢いは、瞬く間に彼女たちを飲込もうとする。
「アティアナ、身を屈めろ!」
ネルセダは咄嗟に騎馬から跳躍し、馬上のアティアナに覆い被さった。
二人はもつれあって落馬し、地面に転がる。
「きゃああっ……」
アティアナの悲鳴をかき消しながら、その炎の濁流は彼女らを飲み込んだ。
唸る炎は勢いそのままに、彼女らの手綱から放れた騎馬を灰にしながら街道を突破し、港へと流れ込む。
エスル港に留まっていた兵士たちは逃げ場を失い、生ある者たちは次々と海の中に飛び込んでいった。
その炎の流れに合わせ、グルフオーも港を飛び越え海上まで突き抜ける。
一方燃え盛る通りでは、アティアナとネルセダが防御壁の中にうずくまって耐えていた。
「大丈夫か」
「ええ」
「もう少し経てば動けるようになるわ。それまではじっとしているのよ」
そこへ突風が、港方面より吹いてくる。
風は勢いよく、彼女らの周辺にまとわりついている炎を吹き飛ばしていった。
「何が起こっているの?」
「安心して。味方の法術よ」
やがて風が収まり、周囲は燻ぶる煙だけを残して鎮火すると、ネルセダは防御壁を解いて、アティアナを支えながら立ち上がる。
周りは灰と瓦礫に覆われており、その中には煤と化した騎馬の死骸もあった。
二人がその中で立ち尽くしていると、黒い煙をかき分け人影が近づいてきた。
その者は彼女らを確認して、声をかける。
「無事でよかった」
ネルセダは、ホッとした表情で返した。
「姉様。助かったわ」
「えっ?」
アティアナはネルセダが姉様と呼んだその人物、女性を凝視する。その者は爬虫類的な容姿をした長身の神々の眷属だった。ここまで眷属を間近に見たのは初めてである。
「姉様方も、上陸されたのか」
「ああ。それよりも、こちらがこの地の姫君か」
と言ってその女性は身体を屈め、アティアナの顔を覗き込んだ。
「そう。アティアナだ」
注視されたアティアナは、慌ててお礼を述べる。
「た、助けていただき、ありがとうございました。アティアナ・ベリュンにございます」
「うむ。よろしく。ネルセダが世話になったな」
「は……はい、いえ!私のほうこそ助けられてばかりで……」
ネルセダは、会話が変な方向になりそうなのを感じて遮った。
「姉様!この非常時に世間話はないであろう」
眷属の女性は、ひょっこりとネルセダのほうを向く。その表情は人間と違い簡単に読み取れないが、それでもアティアナには彼女が少し笑ったように見えた。
「何を慌てている。それで、メイベル様からの伝書光は確認したか?」
「それが、彼奴に遮られて……いったいどのような内容だったの?私にできることなら、なんでもする!」
「期待している。グルフオーがでてきたからには、もう人類だけには任せておけない」
アティアナはその言葉の意味に気付いて進みでる。
「では、皆様方にお力添えをしていただけるということですか!」
眷属の女性は、頷いた。それから港の先を指し示す。
「うむ。それがメイベル様からのご指示でもあるからな。あれを見ろ」
すると何もない海上から突然、怒号と共に巨大な閃光が走った。
光は一筋の線となって上空の魔竜に直撃し、表皮を燃え上がらせる。
『グォオオ!』
その攻撃で、敵対する光の神々の眷属が出張ってきたことを悟ったグルフオーは、何も目視できない海上に向かって、炎を吐きだした。
対して海から放たれる閃光は、その火球を避けるように場所を絶えず変えながら続く。
魔竜はその攻撃に誘いだされる形で、港から沖合へと移動していった。
無論、攻撃を仕掛けているのは、ウォルたちと共に来た姿を隠すことのできるノクトネイラの七隻の船団である。
甲板に集った眷属たちが円陣を組み、その輪の中心の仲間に力を集中させることによって、強力な攻撃法術を創りだしていた。
「我らでも奴には敵わぬが、一先ずこの街から引き離すことはできよう」
「眷属様……ありがとうございます」
これで人々が避難する時間を稼ぐことができる。アティアナは心より感謝した。
しかしネルセダは問う。
「で、我々は何をすればよいのです」
グルフオーが海上に移動した以上、彼女らのできることは少ないはずだ。
「焦るな。既に仲間の数人が私同様下船している」
「それでは、船の皆が苦しいのではないの?少数で彼奴に立ち向かえるとは思えない」
眷属の女性はネルセダの肩に手を置いた。
「どちらにせよ、上空の敵に対しての不利は変わらんよ。それよりもメイベル様が勝つ方策を考えておられる。我等はその手伝いをするのだ」
「勝つための方策?」
「今にわかる。さぁ、準備を始めるぞ」
そう肯定して、彼女はアティアナに視線を移す。
見つめられたアティアナは、咄嗟にウォルのことが頭に浮かんだ。
蒼きウィルナリアスはその敵目指し、エスル城を頂に持つ丘の上空を駆ける。その飛距離は、今までを遥かに凌駕していた。
ウォルは、メイベルから託されたみなぎる力に高揚する。
「力が溢れでてくる!これほどまで、強さを感じられるとは」
ただそれでも、あの戦場に届くほどの飛翔力は、光の翼にはなかった。到達するには、何度かの着地と跳躍を繰り返せねばならない。彼にはそれが歯がゆかった。
メイベルから与えられた法力は溢れるほどウィルナリアスの中に蓄えられているが、普通の人間であるウォルには扱いきれないのである。破綻させずに活用できる限度は、近づいていた。
ゆえに不安が付きまとう。魔竜は洋上の先へ移動しており、こちらが海にでれば、降りるべき足場は存在しない。
あとはメイベルの授けてくれた策を、自身が上手く実行できるかにかかっていた。
その彼女から、精神感応が届く。
―そろそろ交信できる範囲を外れますが、大丈夫ですね―
「はい。ですがもうすぐ一度目の放射が途切れそうです」
―思ったよりは、早かったですね―
「申し訳ございません」
―いいえ、謝ることでもありません。あまり無理をして、グルフオーへ到達する前に力が減退してしまっては、本末転倒ですからね―
「もうひと踏ん張りは、できそうなのですが」
―焦らずに。皆の準備も、既に整っているでしょう。まずは予定の経路を通り港へ向かいなさい。必ずあなた力に……―
と、ここで会話が途切れてしまった。
「メイベル様!」
遂に交信範囲をでたようである。メイベルが二人の騎手に無事救助されたのかも確認したかったが、魔竜を倒すまではその機会はなさそうだった。
ここからはウォル一人で判断し、戦わねばならないのである。
しかも一度目の翼の噴射が、尽きようとしていた。
丘陵の中腹にさしかかったところで、噴出する法力の粒子が、拡散し薄れかける。
「ここまでか」
ガクンと騎体が落ち込み、推進力を失った騎神兵は、放物線を描きながら落下していった。
ウォルは、徐々に近づく地面に目を凝らし、法力のサークルが眼下に広がっているのを確認する。
「あれかっ!上手く合ってくれよ」
騎体を調整しながら、落ちる先への精度を上げた。
サークルの周囲には、それを生み出している法師たちと、その中でも際立って光り輝くエルラッカムの姿も見える。
彼女はメイベルに指示された策を忠実にこなしていた。ウォルの降下に合わせ、法師たちに法力をより高めるように指示する。
「今です!さらに力を!」
サークルは波動を出しながら輝きを増し、立体感を持ち始めた。
その中心に勢いをもってウォルが突入する。
「おおっ!」
光がウィルナリアスを包み込み、地面すれすれで宙に停止させた。そして彼女らの生み出した法力が、騎体の中に急速に流れ込む。
ウォルはその圧を浴びながら、エルラッカムを見下ろすと、彼女と目があった。
耳には届かないが、彼女の言葉が法力の波を通して伝わってくる。
「あの方に選ばれし戦士よ。行きなさい!」
それにウォルは頷いた。
ウィルナリアスの背から、再び光の粒子が放出し、翼になる。そして再び跳躍し空に舞い上がった。
空を見上げるエルラッカムは、かざしていた腕を下ろす。
「ウォル殿、後は頼みます」
彼女はそういうと、法力を出し尽くした法師らに休むよう指示し、トスカラルの元へ向かった。
トスカラルは休む妻ゼリセイアの傍で彼女を迎える。
「エルラッカム殿。今の騎神はまさか」
「お察しの通り、ウォル殿が騎乗しております」
「ウォルが騎神兵を……」
「メイベル様の意思を、彼が為します」
トスカラルは、眼がしらに熱いものを感じた。
「あ奴がここまでになるとは。昨日までは考えもしなかった」
彼にとりウォルは、あくまでもヴァスタロトとリューサリィの子息。故に信頼はしていても、本当の意味で技量や能力を充分評価していなかった。それが今や、ウォルにすべてが託されている。
「ヴァスタロトよ。皆のためにも、息子であるウォルを見守ってやってくれ……」
トスカラルはそう強く願った。
再び力を得たウィルナリアスは、下る丘陵に沿って徐々に高度を下げながら、エスルの街を飛行する。
街はグルフオーが蹂躙した跡を辿るように、燃え広がっていた。
人々の逃げ惑う姿も絶えることがない。更に痛ましいのは、ベリュン軍とコルゴット王国軍との戦いの惨状も、街のあちらこちら至る所で見て取れることだ。あらゆる災厄が、まとめてエスルに降りかかったような光景である。
しかも魔竜を倒さない限り、さらにこの状況は悪化し、世界へ拡大していくのは間違いない。
ウォルは気が急ぐのを抑えながら、海の方へと騎体を進めた。
「もうすぐ港か……」
この一連の出来事が始まった場所である。
メイベルを出迎え、ベリュン軍とコルゴット王国軍が戦端を切り、ウォルの父ヴァスタロトが戦死を遂げた地だ。今は、多くの死体と騎神兵の残骸が横たわっているが、機神兵ごと海に落ちたというヴァスタロトの姿は無論見えない。
その時、光の翼が一瞬途切れ、ガクンと騎体が傾いた。
「いけない。集中だ!」
それが法力の減退ではなく、心の乱れから起きたことだと、すぐわかった。騎神兵には騎手の心の揺らぎが、直接反映される。ウォルの父への心情が、乱れとなって表れたのだ。
騎体を整えるため一度降下し、付近で最も高い建造物を踏み台にすると、改めてウィルナリアスを跳躍させる。
「今は魔竜を倒すことだけを考えろ!父のことは全て片を付けてからだ」
そう自身に言い聞かせ、地上から目を逸らし、向かうに方向に目を向けた。
埠頭を抜け、泊地、堤防を越えればもう着陸できる地面はない。それでもウィルナリアスは減速せず海上へ一気に飛び出した。
翼の光は更に大きくなり、グルフォーとノクトネイラの船団との戦い続く沖へと加速してゆく。ウィルナリアスの目を通して、ウォルにも透明化しているそのノクトネイラの帆船の姿が確認できていた。
船団はグルフオーの攻撃をかわしながら、沖へ移動しつつ、ランダムな動きで四方から法術の攻撃を放っている。
そのダメージは軽微であり、与えた傷も魔竜の再生能力によってすぐ塞がれてしまっているが、それでも絶え間ない攻撃を加えることによって、少しずつ陸から引き離していた。
やがてウォルは、その中にあって最も後方の一隻に追いつく。まだ戦闘に参加しておらず、彼同様エスル方向から戦場に向かう途上の帆船だ。その甲板には、様々な姿をした眷属たちが円陣を組み、甲板の上で待機をしていた。
これもまたメイベルの指示通りである。エルラッカムに施されたのと同様の、法力供給を行う最後の機会を得るのだ。
ところがその円陣の中に降り立とうとしたウォルは、一瞬違和感を覚え、改めて甲板を見直した。
確かにそこには、他の眷属たちに混ざり、人間の女性がいる。
「アティアナ様!」
騎兵隊率いるノーガングらと共に行動しているはずの彼女の姿が、そこにあった。
「なぜ、ここに?」
この危険な最前線にアティアナがいるというのは、ウォルにとって心中穏やかではない。彼女を守りたいからこそ、前線に立ち戦っているのだ。
しかしすぐに、もう一人の女性も見つけ、彼は平常心を取り戻した。ネルセダである。二人が揃えば、いかにもそうであろう。
彼女らは共に、直情的に行動するタイプだ。まだ推し量れないが、理由があってこの船に乗り込んだのは間違いない。とは言え、ノーガングやトスカラルの心情を慮ると、素直に彼女の行動を肯定もできないでいた。
それでもウォルは彼女に配慮し、できうる限り慎重にウィルナリアスを降下させる。
アティアナは、ネルセダが姉さまと呼ぶ眷属に導かれ乗り込んだノクトネイラの船の上で、ウォルが飛来してくることを心待ちにしていた。
帆船が魔竜を追尾することにより、身に降りかかる危険が増してもなお、その気持ちに揺らぎはない。
「来たわ!」
ネルセダが指し示めす空から、輝く翼を広げた騎神兵が帆船を透明化している障壁を抜けて、ゆっくりと降りてくる。
アティアナは、法力の光に照らされたその蒼い姿に、胸の高鳴りを覚えた。
「あれがウォルの騎神兵……綺麗……」
しかし突然、アティアナの胸の高まりは、重く圧し潰されるような感覚に変貌する。
美しい機神兵を操るウォルは、ただ雄姿を見せに現れた訳ではない。これから死地へ赴くのだ。その現実を彼女は自覚した。
「ウォル……」
そのような彼女の気持ちを余所に、ウィルナリアスは彼女たちが加わる眷属らの円陣の中央に着地する。
これだけ近くならばウォルの顔は視認できるはずだが、兜が影となり表情は読み取れなかった。向こうは、今自分がここにいることに気付いてくれているのだろうか。
アティアナは、すぐ側にいる彼へ呼びかけようと声が咽喉まで出かかったが、ぐっと堪えた。彼女なりの成長であった。
ウォルの決意を知っているが故、自分が邪魔になる訳にはいかない。
その彼女の様子に気付いたネルセダが、声をかけた。
「何を深刻な顔をしているの。ウォル殿の力になりたいのでしょう。ならば、心を強く持って」
「ええ。分かっています……」
アティアナは、ウィルナリアスから視線を外す。
「……ですけど、こんな私が、本当に役に立てるのかしら。法力も何もないのに」
彼女にとって、今日経験してきた数々の出来事は、自らの無力さを認識させるのに十分過ぎた。
ネルセダは頷く。
「お前の思いが伝わればよい。それが力となるわ。大丈夫。私を信じて。自分を信じて」
それでも戸惑うアティアナに、ネルセダはふと思いつき表情をガラッと変えて、煽るように発した。
「ここはあなたやウォル殿の国でしょ。他国の者やあんな異界の破壊者にやられっぱなしで良いの?」
その問いにハッとして、アティアナは答える。
「いいえ!」
やはり彼女には、励ましよりも奮い立たせる言葉のほうが効果あるようだ。
ネルセダはアティアナの手を取る。
「さぁ、私たちも戦いの準備だ!」
「は……はい!」
この瞬間を見計らったように円陣が法力により輝きだし、二人もその光に包まれた。
「えっ?」
アティアナは、自分の体を急激に流れる波動に驚く。眷属たちの発する法力が彼女の内を攫いながら円陣を渦巻き、さらにその中央に立つ騎神兵へと注ぎ込まれていった。
ウィルナリアスはここまでの飛行で、エルラッカムらに与えられた法力を使い切ってはいない。しかしメイベルの力を温存したまま魔竜に追いつき取りすがるには、この供給はどうしても必要であった。少人数とはいえ、眷属から与えられる法力の強さは人の法術師たちの比ではなく、この力があれば、魔竜に一太刀浴びせるのも容易ではないかとさえおこって思ってしまう。
法力の光を浴びる中でウォルは、すぐ近くにいながらも触れ合うことのできないアティアナを見つめていた。無論彼女がそうであるように、彼もまた思いを伝えることはない。今は魔竜を討ち滅すことのみが、至上命題なのだ。再び彼女に会える機会は、すべてが片付くまでありえないだろう。
ただそれは、はかない希望でもあった。いくら優れた騎神兵を与えられたとはいえ、それに見合う力量を持ち合わせていないことは、数刻前のキーレオスとの機神兵同士での決闘で、充分思い知らされている。故にこの最終決戦から無事帰還できる可能性が殆どないことは、予想できた。
恐らくメイベルも言葉には出さなかったが、ウォルにその覚悟を強いて送り出したはずである。
メイベルは、ただ慈愛に満ちた存在としての聖女とは違う。手を差し伸べるに値するかを試し、見極め、審判する。彼女が彼にすべてを託したのも、実力を評価したのではなく、個として信頼したからに過ぎなかった。
ウォルは、その彼女の望みに応えるため、命を賭すのである。無論自分がエスルや大陸の民の代表などと、身の程知らずの考えは持ち合わせていないが、亡き父と母の無念を晴らすためにも、自身の矜持に懸けてやり遂げる必要があった。そうでなければ皆を救おうとしている彼女を侮ることになってしまう。
「よし!」
ウィルナリアスの眼光が輝き、再び飛び立つ準備が整った。
しかし次の瞬間、法力の流れと共に、今までにない強い波動が全身を駆け巡る。
「!」
それはどちらかと言えば、心地よい、あるいは懐かしさを彷彿とさせるものだった。ウォルは、力だけではなく、心も満たされていくのを感じる。
そしてその正体を、ウォルはすぐに悟った。
「アティアナ様……」
彼女の彼への思いが、法力の流れと交じり合い伝わってきているのだ。
アティアナがこの危険な最前線に赴いたのも、このためである。
メイベルは、力とそれに基づく自信のみでは、勝利を得られないと承知していた。信念がなければ、最後の一太刀に届かない。
信念に関して言えば確かにウォルは、メイベルの意を汲み覚悟を決めていた。しかしそれは悲壮な面持ちであり、一歩間違えば自棄と変わりなかった。偽善ではあるが、彼女なりにそれを改めさせたいがため、アティアナを呼び寄せたのだ。
ウォルは心を静め、一拍置く。あまりに多くの悲劇が起こり、思いの先が遠くに行き過ぎていた。こんなに近くまでアティアナが来てくれていたのに、そのことをうわべだけで理解していたようである。
グルフオーに挑むのはこの地上の危機を救うためであり、メイベル託されたからであった。しかしそれよりもまず、アティアナを護りたいからこそ、この戦いに挑んだのだと思い出す。
彼は、一度は逸らした視線をアティアナへ向けた。
「アティアナ様」
「ウォル……」
二人の意識が重なり合う。確認し合えるものでもなかったが、互いにそう実感できた。
改めてウォルは、法術の力とは違う意思の力がひしひしとみなぎるのを感じる。彼は心の中で、アティアナやネルセダ、眷属らに礼を伝えた。
そして光の翼を広げたウィルナリアスが、上空へとはばたく。
甲板を覆う法力の環は霧散し、力を出し尽くした眷属らは、ただウォルを見送った。
ネルセダはその中で、呆けているかのようなアティアナの様子を伺う。
「結局ウォル殿に声をかけなかったな」
アティアナは、薄っすらと笑みを見せながら、か細く答えた。
「悲しいですけど、私にできることはもうないのでしょうね」
彼女の頬を一筋の涙が零れ落ちる。自分の思いがウォルに届いていることを祈るばかりであった。
「!?」
その時、帆船が大きく揺れる。舵を切り旋回しているのだ。
「これは?」
このまま戦闘に参加すると意気込んでいたネルセダも動揺する。
「我々の任務はここまでだ。このまま陸に引き返す」
一人の眷属がそう答えた。
「すべての船を失ったら、メイベル様がノクトネイラへ帰還される手段がなくなってしまう」
そういわれれば、ネルセダも反論しようがない。それに薄々こうなることを理解していた。恐らく、メイベル様のアティラナに危険を冒させないための配慮であろう。
「ネルセダ……」
アティラナに気を使わせないよう、ネルセダは軽く受けた。
「あとはウォル殿の仕事のようだ。私も戦いたい気持ちはあるが、かえって足手まといになっても仕方がないからな。港に戻っても、まだ我々にできることは色々あるでしょう」
ウィルナリアスは一気に帆船を覆う障壁を突き破り、上空に姿を現す。
ウォルは機神兵を通し、さらに洋上の先でグルフォーと激しい攻防を繰り広げるノクトネイラの船団をとらえた。戦場はすぐそこだ。
その直後に帆船が陸のほうへ引き返していくのが見える。アティアナが乗船しているからこその配慮であることは、すぐに分かった。
メイベルやネルセダ、神々の眷属たちには感謝しかない。これで心置きなく戦える。
すでに彼の心に揺らぎはなく、アティアナからの思いも受け取った。次は自身が、今眷属が引き受けてくれている戦いを引き継ぐ番である。
「父上、母上、見ていてください!」
法力の光を最大限に放ち、最後の戦場へと舵を切った。光の翼が天空に尾を引いていく。
このときグルフオーと攻防を繰り広げるノクトネイラの船団には、限界が近づいていた。
眷属たちの法力も無限ではない。攻撃を続けつつ船を操り、居場所を悟らせないよう姿も消すことを同時に行うのは、彼らでさえ相当の
代償を必要とした。加えてウォルを支えるため、一隻は戦闘に参加していない。強大な敵と対峙するのは、困難を極めた。
海上を見下ろすグルフオーにも既にそれが明らかである。視界に、今まで存在していなかった白い波が薄らと見えていた。それは、今まで法術で消されていた帆船が起こす引き波の軌跡だ。ここぞとばかりに、その波の移動する先へ向け火球を吐く。炎の塊は大気を引き裂き、海面に激突する直前に空中で爆発した。
その瞬間、法術の解けた一隻の帆船が姿を現し、燃え上がった帆とマストは轟音を立てながら倒壊する。
こうなればもう目測を誤ることはなかった。
『奴らの下僕が。思い知れ!』
再び放たれた炎は船首を直撃し、船体の上層部を破壊した。巻き込まれた眷属たちに逃げ場はなく、甲板もろとも吹き飛ばされる。
グルフオーはその沈没する帆船をしり目に、次を狙い移動した。
対するノクトネイラの船団は、これ以上減らされないよう回避行動をとりつつ艦列を放射状に展開する。そして敵を囲むよう一斉に法撃を加えた。
そのすべてが、魔竜に命中する。身体がえぐられ、黒い血が雨のように海へと降り注いだ。
一見それは、眷属たちの反撃が功を奏したかに見えるものの、グルフオーが意に介した様子はない。いくら傷を受けようとも、船団の位置が知れた以上、充分自身の再生能力の範疇にダメージを収められると高を括っていた。微かな法術の綻びから所在の割れた次の一隻に狙いを定めると、血しぶきを上げながら急降下し、その帆船に施された障壁へ突撃する。
帆船を守っていた法力の幕は脆くも砕かれ、さらした姿に魔竜の体当たりが襲った。船体は強い衝撃とともに横倒しなり、海面へ叩きつけられる。
『消え失せろ』
グルフオーはその横転した帆船の側面へ、喉元に溜め込んだ熱の塊を撃ち放った。船体は爆発し海上に高い火柱が立ち昇る。
二隻を沈められた艦隊は魔竜から距離を取ろうと反転しつつ散開した。戦いの均衡は崩れたのは明らかである。魔竜もそれを好機と捉え、容赦なく殲滅する勢いで畳み掛けた。人類はただの障害物に過ぎないが、眷属は間違いなく天敵なのだ。無視する選択はなかった。
「くっ」
ウォルの身体を熱風が吹きつける。
露出している肌の部分が焼き付き、火傷の痛みが走った。魔竜グルフォーとノクトネイラの船団との激しい戦場から、両者の攻撃の余波が押し寄せてきている。戦場は目前であった。
しかもまだ、グルフオーは戦に気取られこちらに気付いていない。奇襲する機会だ。
叫びたい気持ちを抑え、息を殺して加速する。
彼の鼓動は早さを増し、ウィルナリアスへと意思が伝わった。飛行状態のまま腰の剣を抜き、捉えた敵へ刃を向ける。
魔竜との距離は一気に縮まり、もうすぐ手の届く距離だ。
味方の帆船は既にそのほとんどが姿を晒し、防戦一方となっている。
「させるかっ」
グルフオーの攻撃を阻止するため、ウィルナリアスは炎を溜めこんだ魔竜の首目掛け、剣の持つ手を勢いよく伸ばした。
しかし予想以上に、グルフオーは早く反応する。
『貴様か!』
憎き相手を関知すると、すぐさまウォルの方へ向き直し、含んでいた炎を吐きだした。エスル城での戦いを魔竜は忘れていなかった。
騎神兵を越える巨大な火球が、彼の目前まで迫ってくる。
奇襲を気づかれ思わぬ反撃を受けたウィルナリアスは、勢いをつけ飛行していただけに、止まることも避けることもできなかった。
「クッ!」
自分の愚かさと無謀を悔いつつも、すでにこのまま突っ込むしかない。
そう覚悟したとき、すぐ先の海上より法力を感じて注視した。
ノクトネイラの船団から発せられた法力の光が一つとなり、魔竜より放たれた火球に直撃する。各帆船の眷属らは、察知していたウォルの飛来を援護するため、最後の法力を振り絞ったのだ。
目の前で彼への攻撃は阻止され、大爆発が起こる。
「!」
炎と黒煙が四方へ膨れ上がった。
その衝撃は機神兵もウォル自身をも大いに傷つけたが、彼に怯む要素はない。好機であるという考えだけが頭を占めていた。
爆発を挟んで存在する魔竜には、こちらの様子は見えない。今こそこの中を突っ切り、敵の懐に入り込むのだ。
ウィルナリアスは、勢いそのまま爆煙の中へ突入する。そして瞬く間に闇の中を突っ切ると、視界が開けた時にはウォルとグルフオーの視線が交錯していた。
グルフオーの異様な顔には、憎悪の形相が見て取れる。怨讐を忘れることなく、多関節の腕と背に覆われた複数の触手で襲い掛かってきた。
しかしウィルナリアスは、それより速く握っていた剣を一直線に伸ばす。
「いけっ!」
『グォッ!』
剣の切っ先は、魔竜の眼球に深々と突き刺さった。
「やった…うぁっ!」
会心の一太刀の成功直後、多関節の長い腕がウィルナリアスの左足を掴んだ。機神兵は大きく振り回され、勢いをよく投げ飛ばされる。ウォルは方向感覚を失い、光の翼を操れずに海面に向かって落下していった。
そこへノクトネイラの帆船が横切る。ウィルナリアスは帆船の帆に受け止められつつ、勢いを殺しながら甲板へと投げ出された。
「うっ……」
衝撃が軽減されたとはいえ、それでも墜落の痛みでウォルの身体がこわばる。
ただ、その様子を許さぬ叱責の声がとどろいた。
「何を悠長に寝ている!早くこの場から飛び立て!」
体を反らし見上げると、人類に近い姿をした眷属の一人が眼光鋭く睨んでいる。
ウォルはその言葉に促され、痛みを堪えながら機神兵を立ち上がらせた。
眷属はその挙動を終えるのを待たずに、急かすように続ける。
「すぐにヤツの攻撃が来る。さぁ行け!」
グルフオーの影が、既にウォルのいる帆船を覆ってきていた。
そこでウォルもハッと気が付く。もし自分が今ここを離れたら、この帆船はどうなってしまうであろう。魔竜の格好の餌食になってしまうのではないか。そうした不安が頭をよぎった。
それを察してか、眷属は強く吐く。
「お前はただ、ヤツを倒すことだけ考えていればよい。我らを心配などするな!」
ウォルが覚悟を決めているように、眷属らも敵対する勢力殲滅のため、強い意志を持ってこの戦場へ赴いていた。彼らは人類とは違い、神に仕え従う種族なのである。
「我らなどは犠牲にしろ。お主はただ、メイベル様に与えられた使命を必ず果たすことのみを考えよ!」
その言葉にウォルも腹をくくり、ただ頷くと精神を集中した。魔竜の火球が迫る中、光の翼を噴射したウィルナリアスは、寸でのところで避けながら上昇する。火球はそのまま帆船に直撃し、船体を燃え上がらせた。
ウォルは歯を食いしばる。彼らの安否を確認する余裕もなく、魔竜へ向かっていく。
「何としても、もう一度手に届かねば」
視線の先には、グルフオーの眼に刺さったままの剣があった。あの剣の柄を再び握ることができれば、彼は勝機を得ることができる。
幸いにして魔竜はウォルを滅ぼすことに全力であり、受けた傷とその障害である剣への関心は薄かった。ただひたすらに敵を追い詰めようと、翼をはばたかせながら、うなる触手を振るっていた。
剣が手を離れた今、ウィルナリアスにとり武器となりうるのは光の翼と四肢しかない。次々に迫る触手の群れを、その光の翼で払い除けながら敵本体に取りつかねばならなかった。
敵と接触するたびに光の翼の出力は落ち、速度にも歯止めがかかってしまう。
気を抜いた一瞬、鞭のようにうなった触手によって再び海面に叩き払われた。
「くっ、まだだ!」
それでもウォルはあきらめない。今度は態勢を持ち直すと、先ほどとは違う帆船のマストとヤードを足場に着地し、そのまま踏み込んで再び上昇した。足場となったヤードは騎神兵の重量をまともに受け、マストから分離して帆やロープと共に甲板へと崩れ落ちていく。
先の眷属の言葉通り、彼らを利用し犠牲にしたのだ。
「気持ちを汲む以外に、今は彼らに応えることはできない。謝罪も罰もすべてが終わってからだ……」
ウォルはそう自身を言い聞かせる。
そして思いを同じくする散開していた残りの帆船も、再びウィルナリアスを中心に終結した。既に防御を捨て、ウォルへの支援と魔竜への攻撃のみに、持てる一切を注ぎ込んでいる。ウィルナリアスを阻もうとする触手の群れへの法撃を続けた。
『愚か者どもよ!死の望みを今ここで叶えてやる!』
グルフオーは再び目標を、ウォル一人から全体へと移す。危ぶんでいた騎神兵の実力も所詮飛び回るだけでたいしたことはないと、火球と触手による攻撃を善周囲に広げていった。もう今の状況に飽き飽きし始めており、敵を壊滅させることによって終わりにしようとしている。
しかしこの状況こそ、ウォルにとって絶好の好機だった。障害を抜けた先にある剣の柄への道筋が、はっきりと見える。
「今こそ!」
ウォルは、あの瓦礫の山でのメイベルとの会話を思いだす。
―あなたたちが頭を狙っていたのは、悪くない攻め方でした。確かにグルフオーを倒すには、頭部を破壊するより他ありません。ですが完全体と化した今、表面上傷つけても、瞬く間に修復してしまうでしょう。あ奴を倒すには、内部から倒さなくては……―
「内部ですか?」
―それでは問題です。内部を破壊するには、どこを攻撃すればよろしいでしょう―
軽い調子のメイベルの問いに、ウォルはつくづく感心する。この非常事態の最中、瓦礫に埋もれていても、彼女の飄々とした強さは健在だった。
ウォルも素直に答える。
「やはり、眼球か口腔でしょうか?あるいは腹部を切り裂き侵入するとか」
メイベルは彼が普通に受け答えしてくれたことに喜ぶ。これくらい肝の据わった者でなければ、グルフオーを倒すなどやり遂げられない。
―フフッ。あ奴の口に突入したところで紅蓮の炎の餌食になるだけでしょう。また胴も頭部からは離れ過ぎています―
「となるとやはり残りは眼、ですか?」
―ええ。ですが眼が弱点という訳ではありません。あくまでもその道筋に過ぎません―
ウィルナリアスは、海上の船団の方位が完成するまで、触手攻撃を光の翼で払いのけながら回避しつつ、魔竜から間合いを取り始めた。
グルフオーとて、海上の船団に火球以外の攻撃を届かせるには高度を下げなければならない。ウィルナリアスが上昇する力は、思いのほか激しく法力を消耗し、これ以上速度を上げることも見込めなかった。故にウォルはノクトネイラの船団を囮にして、自ら近づいてくる魔竜の隙を狙い、その懐に飛び込むつもりなのだ。
眷属たちもその意図を理解し、回避さえも行わなくなっている。
巨大な翼で周辺の気流を巻き込みながら、グルフオーが急速に降下し始めた。船団はそれに向かに、無数の法撃を浴びせかける。その威力は魔竜にとって微々たるものであったが、それでも空を飛ぶ騎神兵の存在を片隅に置いてしまう程度の圧力にはなっていた。
「これで終わりにしてやる!」
ウォルは精神と整え直し、船団に突進してくるグルフオー目掛け飛翔する。互いに退き返せない速度で羽ばたいており、避けるという選択肢はなくなっていた。
これがグルフオーを倒す最後の機会であるという覚悟でウィルナリアスは、敵は全身で体当たりする。その互いの衝撃で一度は離れそうになるが、必死で魔竜の首にしがみついた。
『グオオッー!』
グルフオーが叫びながら、取り付いた騎神兵共々海へ突っ込む。そして騎神兵を引き剥がそうと海中でもがき続けるが、離れないとわかると再び海上に飛びだし、そのまま長い首を垂直に持ち上げ、遥か上空へ上昇した。
「振り落されてたまるか」
ウィルナリアスは首をよじ登ると、眼球に深々と刺し込んだ剣の柄をしっかりと握る。
『下等な分際で許さぬ!』
怒り狂ったグルフオーは頭部に張り付くウォルを捕えようと、多関節の腕を伸ばした。
「翼よ。羽ばたけ!」
ウォルの叫びに応え、巨大な腕が彼を捕えようとする直前に、再び騎体の背から大きな光の翼が噴出する。
『おのれ!』
魔竜の指がその翼によって、寸断された。
「今だ!」
ウィルナリアスはグルフオーの眼球から剣を引き抜き、そのまま剣を天空に放り捨てた。
今はバランスだけで、魔竜の顔面に立っている状態だ。
―眼に攻撃を集中するのです。眼球こそあ奴の中枢に最も近い弱点―
ウォルは、メイベルの言葉を噛み締める。
ウィルナリアスの右の下腕が、法力の力を帯びた光を発した。
「これで終わりだ!」
既に修復の始まっている魔竜の眼に、その腕を目一杯に突き刺す。
『ギャアアッ!』
グルフオーの眼球の軟組織が、沸騰したように揺らめき立ち、弾け飛んだ。
ウィルナリアスは更に深々と腕を押し入れる。
「ウォオオオッー!」
雄叫びを上げながら、ウォルはさらに力を解放した。メイベルより与えられた法力全てが、ウィルナリアスの右腕を通して一気に魔竜の内部へと注ぎ込まれる。
「メイベル様からの意思。確かに伝えたぞ!」
『この力は……またしても……』
蒼い騎神兵から放射された法力がメイベルのものだと悟り、グルフオーは暴れ狂った。
しかし時既に遅く、彼女の法力は眼球の神経を通り、中枢へ到達する。
『……メイベル・リンク……』
グルフオーの頭部が、禍々しい光を放ちながら、唸りを上げて爆発した。
「うぁぁっ!」
その爆心にいたウィルナリアスは吹き飛ばされ、海へ墜落する。
すでに法力を使い果たし、飛ぶ力はなくなっていた。その蒼い騎体は、海の色に融けて消えていく。
また頭部を失った魔神の眷属も、その身体を無機質な石に変えながら、落下していった。
巨体の衝突した海面は、高々と水柱を舞い上げ荒れぶり、潮の雨を降らせる。
それからまもなくして波が静まり辺りが落ち着くと、石化した魔竜の長い首の先端だけが海上へ突きだしているのを確認できた。港から近い沖合ということもあり、その巨体を全て沈めるまでには至らなかったのである。
大破したノクトネイラの帆船が、彼らの仇敵眠る海域へゆっくりと近付いてきた。まだ無事に残っている船尾の帆だけが、法力の光を放っている。
乗員の眷属たちは、慌ただしく周辺の海域に目を凝らした。
未だウォルの騎神兵は、浮上してきていない。メイベル・リンクの信頼を得、魔神の眷属を倒した人間である。捨て置く訳にはいかなかった。
「おい!いたぞ。あそこだ」
一人が気付き、皆は破壊されて下の階層が剥きだしの船首へ向かう。
船の進む方向。海から突きでた魔竜の首に、海中からしがみつく蒼い腕が見えた。
その腕は一歩一歩、石像と化した首をよじ登る。やがて眷属たちが気をもむ中、騎神兵の頭部が海上へ現れた。
「おお!」
彼らは、驚きと喜びの表情を見せる。
ただその騎神兵は、その後も微かな気力を振り絞りながら、ただひたすらに石化した魔竜の首を登り続けた。そして光の眷属たちが見守る中、ようやくその先端へ到達する。
見届けた光の神々の眷属たちは笑顔を見せながら、幾つかの伝書光を放った。
これらが受け取り主に届き、その者たちが安心の笑顔を見せるのは、もうすぐであろう。
ウィルナリアスは、帆船より飛び立つその幾重の光を、ただ見上げたたずんだ。
それから間もなくの、崩壊したエスル城。
ダレクはまだ、倒れたままになっているラフノーグの側にいた。
「うぅっ」
彼は薄らと目を開く。目の前には、銀色の髪を持った女性の顔があった。
半分虚ろに、見たままの印象を口にする。
「メイベル……様?何か煤けてますね……」
「一言目がそれですか。まぁ、ダレクらしいですが。私とて汚れもしますし、くたびれもします。ところで、今の状況は理解していますか?」
そう言われて彼は、血の気が引いた。メイベルの太腿を枕にして、寝ていたのである。
「うぁっ!」
ダレクは急いで起き上がろうとして、彼女に頭を押さえつけられた。
「じっとしていなさい。治療中です」
頭に触れている彼女の手のひらは、非常に暖かい。どうやらこの状態で、熱傷を治癒する法術を受けていたようだ。全身の痛みが和らいでいくのがわかる。
「おれは生きているんだ……皆は?あれからどうなったんですか?」
「皆無事です。ウォルがグルフオーを退治してくれました。危険は去ったのです。ですからあなたも安心して、お休みなさい」
「そうか……よかった。やはり、ウォルはさすがだな……」
メイベルの言葉にも法力があるのか、ダレクは喋りながら睡魔に襲われ再び瞼を閉じた。
「ダレクも期待以上の働きをしてくれましたよ」
メイベルは囁く。
その様子を彼女の後ろで見ていた騎手の一人が、呆れた表情で感想を述べた。
「猊下に対して言葉使いを知らぬとは、何とも不敬な輩でありますな」
振り返ってメイベルが微笑む。
「ナッサ卿。私が許しているのです。何の問題もありません」
「は、はぁ。それならばよろしいのですが」
ナッサは畏まり、頭を下げた。
そこにもう一人の騎手ドリドリットが、口を挟む。
「しかし猊下に膝枕をしていただいた上、治療を施してもらえるなど、羨ましい限りですな。もし私がそのような恩恵に与かれるのでしたら、騎士団を退き猊下の元にはせ参じさせていただきます」
それを聞いたメイベルは、目を見開いた。
「それは本気でしょうか」
彼女の吸込まれるような瞳に見つめられたドリドリットは、慌てる。
「いいえ!無論冗談にございます。あっ、羨ましいというのは本心でありますが」
ナッサはドリドリットの脇を、肘で小突いた。
「おい、ザーガルト。お前も余計なことをいうな」
「すまぬ」
「ホホホ。ドリドリット卿にナッサ卿。あなた方には、助けていただきました。このご恩にはいずれ報いましょう。それでよろしいですか」
二人の騎手は、焦りを隠せずに跪く。
「滅相もございませぬ。猊下をお救いさせていただけたことこそ、名誉。これ以上何も望みませぬ」
「その通りにござります。こうして直接言葉を交わさせていただき、感謝の言葉もござりませぬ。妻も喜びます」
ドリドリットとナッサは、戦いを終えた後にこのようなことで冷や汗をかくとは、考えてもみなかった。気の緩みがでたとしか思えない。
ただそれでも、こうしてシメナー騎士団の理念ともいえる、名誉をかけて魔神の陣営を戦い、光の神々の代理者に協力できたことは、無上の喜びであった。
アティアナは胸を撫で下ろす。ウォルの勝利と負傷しているものの無事保護されたとの報告を、伝書光にてネルセダより受けたのだ。彼は神々の眷属の船に迎えられて、エスルへ戻ってくるという。
先に船を降りたアティアナはそのウォルを待たずして、後ろを髪引かれる思いでネルセダと共に馬上にいた。周囲を眷属らに守られながら港を後にする。まずは彼女の両親やエルラッカムたちと合流し、のちにメイベルの元に参じることとなるであろう。
キーレオスの反乱による戦いの傷跡と魔竜により焼き尽くされた市街を交互に抜けながら、やがてアティアナの中に堪えていた気持ちが再び表に溢れだしてきた。
「父様、母様」
彼女は心の中で繰り返す。ウォルの無事が分かり、続いてよぎるのは、両親のことであった。
いてもたってもいられずに、乗る馬の脚が早くなっていく。
「エルから連絡はもらっている。皆無事だから、焦らず安心しろ」
そうネルセダに諭されても、逸る気持ちは抑えられなかった。
やがてエスル城へ続く丘の先に、人々の集団が見えてくる。
「急ぎましょう!」
アティアナは思わす、一人騎馬を駆けだした。
「全く!」
ネルセダは渋々、その後を追う。自分に振り回され続けていたエルラッカムの気持ちが、多少理解できた。
アティアナがその集団に近付くほどに、見知った人影がはっきりと見て取れてくる。 彼女の鼓動が高くなっていった。
「父様!母様!」
エスル城から脱出した一団を率いる父の姿と、その横で台車に乗せられている母の姿がよくわかる。トスカラルとゼリセイアも、愛しい我が子の姿を発見し、笑みをたたえた。
アティアナは泣きじゃくりながら二人の近くで騎馬を降り、自分の足で駆けだしていく。彼女が両親と別れて半日経ったに過ぎないが、その別れがこれほど長く感じ、両親を恋い焦がれたことは今までになかった。
その喜ぶ姿を、ネルセダは呆れながらも安堵の表情で眺める。
「ネルがそんな顔をするとは知らなかったわ」
ハッとして、ネルセダは顔を真っ赤にした。目の前には、腕を組んで立つエルラッカムの姿がある。
ネルセダは騎馬から飛び降り、彼女に詰め寄った。
「ば、馬鹿な。私がどんな顔をしているっていうの」
顎に手を当て、エルラッカムはクスリと笑う。
「そうね。妹でもできたような感じかしら」
「はあっ?」
ネルセダは呆気に取られ固まった。
エルラッカムは彼女が次の言い訳を思いつく前に、話を進める。
「それでこちらはもう、ベリュン侯と騎士の方々に任せて大丈夫でしょう。これからメイベル様を迎えにいこうと思うのだけど、ネルもどう?」
ネルセダはピクッと耳を立てた。
「もちろん!もちろん、行くわ」
「落ち着いて。ならば向かいましょうか」
二人は共に丘を見上げる。
彼女らが最も会いたい人物がその先にいた。




