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第六章 覚悟と決断 その2

 二人がエスルの街に入ったとき、まだそれほど騒ぎになっておらず、落ち着いた雰囲気を保っていた。避難の群れが少し確認できる程度である。

 現在のところ港周辺に戦闘が限定されており、街の中心に被害はでていない。またエスル城から援軍が出撃したのもわかっているから、民衆に危機意識や実感が伴っていなかった。どちらかと言えば、猊下を迎えるお祭り騒ぎの延長のような気分である。

 それに一般市民にとって、キーレオスの裏切りによりエスル城が占拠されたなどとは、知りようはずもなかった。

 ただそれでも食堂や酒場などには、外から訪れた人たちが集まりごった返している。状況も把握していなければ土地勘もなく逃げ場を知らない人々だ。

 二人はその中で、メイベルに指示された通り、アティアナが着る物や当面必要そうな物を購入しようと開いている商店を回った。大陸各地から来た観光客目当てに、深夜遅くまで開いている店舗がそれなりにある。

 その中で閉店間際の衣料店を見つけ、二人は意を決して入った。

 女性店主は、何処か落ち着かない二人が世に珍しい貴人であることに気付く。そしてまじまじと顔を見て、あの〈聖女〉と共に来た者たちであるとわかり歓喜した。

 ネルセダはその様子に辟易するが、結果として二人はメイベルからのお使いを無事こなすことができた。分ってます、誰にも言いません。と店主は何から何まで二人の要求通りに品物を見繕い、ほとんど無償で提供する。それから他の用事も彼女たちから聞きだし、他店舗へも案内をして、その店に有無を言わせず必要な物を用意させたのだ。

 エルラッカムが頭を下げる。

「何の礼もできませんが、本当に対価の貨幣は必要ないのですか?」

「もちろんにございます。こちらこそこのようなお手伝いをさせていただけて、名誉なことです。一生の記念にさせていただきますよ」

 ネルセダとエルラッカムは顔を見合わせた。お互いの何とも言えない表情をしている。

「ところで、あなたは避難をしないのですか」

 そのネルセダの問いに対し、店主は特に考えていないようだった。

「ここいらに被害はでていませんし、この商店街の連中で避難しているのもいませんからね。それに先ほどお城から、ラーガントを先頭に騎士の皆さんが出陣なさいました。きっとこちらに被害が及ばない内に、戦いは済みますわ」

 しかしエルラッカムは引っかかるものを感じる。

「ラーガントとはこの都市の騎神兵のことですか?それは何時の話でしょうか」

「お二方が店に来られる半刻くらい前ですか……」

「それはもっと数刻前の話では?」

「いいえ違いますよ。恐らく仰っているのは、ウィルナリス様が率いていらっしゃるほうですわね。そちらは確かにもっと前にでられました。でも先ほどのは、この街を護っていらっしゃるキーレオス様の軍隊でしたわ。キーレオス様もラーガントの騎手になられたのですね。素晴らしいことですわ」

「!」

 二人は、事態が深刻な方向へ傾いているのを悟った。今回の首謀者の一人であるキーレオスが、ウォルの父の援軍として出陣するはずがない。

 ネルセダは居てもたってもいられなくなった。

「店主、感謝する。我々は参らねばらない。行くぞエル!」

 ネルセダはエルラッカムの返事を待たずに、ラワック馬に跨り、港の方へ駆けだした。

 エルラッカムは内心を表情にはださず、まずは店主に別れを告げる。

「それでは失礼します。それとご忠告させていただきますが、あなたが思われるより自体は深刻です。すぐにでも店舗を閉め、避難される方がよろしいでしょう」

 現状では、この善良な市民が無事生き残るのを願うしかできない。

 不安そうな店主を残し、エルラッカムはネルセダの後を追った。


 ラワック馬を駆けるネルセダが、街並みを通り過ぎていく。その道筋、港に近付くほど人通りはまばらになり、人の気配がなくなっていった。確かに被害はでていないが、空気が一変していくのがわかる。進行方向には、空を赤く照らす港の影もちらついて見えた。

 エルラッカムがネルセダに追いつき並走する。

「もうここまでにしたらどう?あまり近付くと見つかるわ。私たちは、外見が他の人々と違うのだから。それに私の眼とネルの耳があれば、遠くの高台からでも観察できる」

「それでは詳細はわからないわ。それに皆も詳しく知りたがっているだろう」

「皆とは?」

 口にははっきりだしたくなさそうだが、ネルセダはボソッと口にした。

「あの姫君とウォル殿だ……」

 ずっときつく当たっていたが、ネルセダなりに気にはかけていたのだろう。

 エルラッカムは彼女の屈折した態度を可笑しがった。

「だったら、姫君のほうも名前で呼んで上げたらどう?」

「はぁっ?何を言っているのだ」

 裏返った声でネルセダは叫ぶ。

 そのとき突然に、エルラッカムがネルセダの持っていた手綱をもぎ取り、港への大通りから路地の方へと、馬の方向を変えさせる。

「何をするのだ!」

 しかしその後すぐにネルセダも気付いた。港方面からこちらへと物々しい一団が向かってくる。険しく慌ただしい騒音も響いてきた。

 二人は馬を路地の隅に隠し、様子を窺う。

 見ると、傷付き酷い様相の兵隊たちが這う這うの体で逃げていた。装備からしてベリュン軍であるのは間違いない。

「あれを見て。あれはウィルナリス卿の側近ではないか」 

 ネルセダが指差した先に、騎兵隊隊長のノーガンクが騎馬に跨り、部下を叱咤して撤退を指揮している姿があった。

 二人には気になることがある。ウォルの父、ウィルナリス卿の消息だ。

「どうするの。あの騎士に接触する?」

 エルラッカムは尋ねる。こうなれば、ネルセダの思うようにさせようと決めた。

「ウィルナリス卿は騎手だったわね。まだ騎神兵を見ていないからには、港に留まっているはず。それにウォル殿の父上ということを考えれば、殿を勤めている気がする」

「私もそう考える。でも港には、ここから先は馬で行けないわ」

 ネルセダは、自分たちが張りついている軒先の壁を見上げた。 

 二人は建物の壁を駆け上がり、屋根を飛び移りながら港を目指す。ネルセダはリュムニ猫のように俊敏に、エルラッカムは研ぎ澄まされた矢のように。通常の人間には真似できない身体能力で、全ての障害物を越えて先へと進んだ。

 エスル港はすぐ目の前である。

 二人は、赤々と燃え盛る港に映しだされる無数の騎神兵の姿を捉えた。

 ネルセダは吐き捨てる。

「我々のもたらした物をあのように使うとは!愚かな人間ども」

「言っても詮なきことよ。それよりも、あの騎体がより多く集まっている場所が、ウィルナリス卿の戦いの場でしょう」

 動く騎神兵群の影は、戦闘の最中に見えた。味方はウィルナリス卿、一騎のはずだ。であれば他の群影は全て敵である。それら全てを彼一人で引き受けているのだろうか。

 見下ろす路上には彼女らと逆方向に逃げるベリュン軍が見えた。

 そしてその後方に、それを追撃するもう一つのベリュン軍の姿を確認する。

「どういうこと?」

「考えられるのは一つ。追手はキーレオス配下の反乱軍だわ。ウィルナリス卿たちが前面の敵に対峙している時に、後方から襲ったのでしょう。それで態勢を維持できなくなり、撤退に追い込まれたのよ」」

 まさにエルラッカムの言う通りだった。

 キーレオスの部隊は、識別のためか腕に赤い腕章をしており、仲間であった敵に容赦なく襲いかかっている。

「味方側は防戦もせず逃げの一手か。ウィルナリス卿に殉じようと思う者はいないの」

 ネルセダは吐き捨てた。

「恐らくそう命令されているのよ。無駄に被害をださないためには仕方がないわ」

「そのために一人犠牲になるの!」

「落ち着いて。それほど思い入れるなんて、メイベル様に感化でもされたのかしら」

 エルラッカムにそう言われ、ネルセダは苦い表情をした。

「私は奥方が亡くなるのを目の前で見ていた。その上ウォル殿のもう一方の親の死も、再び目撃せねばならないのか。なぜか心が締めつけられる。こんな感情は初めてよ」

 メイベル様の思惑通りなのか、我々も変わりつつある。そうエルラッカムは感じた。


「後ろは海ですぞ。まさか海に落ちて溺れ死ぬような真似はせんでしょうな。ベリュン領の軍司令官の名が泣きますぞ」

 ヴァスタロトのラーガントの前に、金糸で縁取られた深緑色のマントをなびかせたキーレオスの乗るラーガントが立ちはだかっていた。象嵌の施された剣と盾で武装している。

 キーレオスの騎体は、明らかにベリュン領主トスカラル・ベリュンの物であった。エスル城を支配下に置きつつも、メイベル・リンク拘束に失敗したキーレオスは、少しでも同盟関係での優位性を保つために、戦場へと出陣してきたのである。コルゴット王国軍が手こずる司令官の騎神兵を倒し、内外に実力を認めさせるつもりだった。

 そして今や、ヴァスタロトは埠頭の縁に追い詰められている。

 彼の騎体の背中には、剣で突き立てられ深く装甲が裂けた傷があり、そこから管状生物の体液と混じって、人の赤い血もにじんでいた。

 戦場で複数の敵を相手にしている最中、背後よりキーレオスに一撃を受けたのだ。

 ヴァスタロトにとっては、キーレオスの裏切りよりも、彼がラーガントで現れたことに衝撃を受けた。確かにラーガントを引き継ぐ候補者としてその操縦を学んではいたが、それを裏切りの道具として使われたのである。

 そこから防戦一方になったヴァスタロトは、埠頭の先まで後退していく。

 これによりコルゴット軍は戦場の支配権を確保し、ソウブロアスらが前線へと動きだした。生身のベリュン軍兵士らは、次々と蹴散らされ始める。

 しかもキーレオス配下の部隊が、後背からは迫ってきていた。

 騎兵隊隊長ノーガングは、その挟み撃ちの戦況で指揮を維持できず、司令官ヴァスタロトに接触できないまま、断腸の思いで撤退の決断を下す。

 司令官のラーガントが港の入口ではなく、埠頭の先へ後退していったのは、彼らの退路を開くためなのは明快だ。ここで情に流され、判断を誤らせることはできなかった。

 ノーガングは騎兵隊に集合をかけると紡錘陣形を取り、入口付近に陣を敷いたキーレオスの部隊に突撃する。そしてその一辺を突き崩すと、空いた穴から港の戦場を離脱した。

 それを見ていたコルゴット王国軍の指揮官ナムバルは、自軍に命令を下す。

「身内同士で勝手に殺し合え。我らは今の内に部隊を再編し、次に備えさせてもらおう」

 実際に五騎の騎神兵を大破され、四騎が傷を負った。予想以上の損害である。

 しかしそれを果たしたヴァスタロトも、遂には埠頭の端まで追い詰められていた。

 キーレオスは、周囲のソウブロアの騎手たちにも聞こえるように言う。

「あなたの時代は終わった。これからはおれが軍を指揮し、大陸に覇を唱える!」

 一国の一自治領の騎士にしては大仰なことを考えるものだと、ヴァスタロトは己の見る目のなさに苦笑した。とは言えキーレオスの技量は本物である。彼の一太刀で、背中から腹部にかけ、酷い裂傷を負ってしまった。もう長時間、渡り合うのは難しそうである。

 ヴァスタロトの脳裏に一瞬、妻であるリューサリィと息子ウォルの顔が浮かんだ。しかしそれを振りはらい、覚悟を決める。

 キーレオスの大言を無視し、コルゴット王国の騎神兵の乗り手に向かって叫んだ。

「コルゴットの騎手らよ。たった一騎に仲間を何人も殺され、その復讐を他国の者に任せるつもりか!我に立ち向かう者は一人もいないのか!」 

 元よりコルゴットの騎手らも、突然でてきたキーレオスの傲慢な態度に、反発を覚えている。最高の手柄まで横取りされてたまるか、という気概も強かった。

 この効果的な挑発は、数騎のソウブロアスを駆けださせる。

「待て、貴様ら!指令の首はおれの物だ!」

 キーレオスは叫んだが、彼らは止まらなかった。

 個々に動きだした敵は御しやすく、ヴァスタロトは痛みに耐えながらも、次々来るソウブロアスの攻撃を受け流す。そして目星をつけた二騎に狙いを定め、羽交い絞めにした。

 その二騎は抵抗できずに、軽々とラーガントに持ち上げられる。

「何をする!」

 騎手たちが気付いた時には、本人の体は仰け反った状態で、背面から倒れていった。 

 そして三騎の騎神兵はそのまま埠頭の縁を飛びだし、海の中へ放りだされる。

 ソウブロアスの騎手はもがいたが、胸部開口板はラーガントにがっちりと押さえられており、脱出できないようにされていた。

 激しい水飛沫が舞い、三騎は海底へと沈んでいく。

「クソォオッ!」

 キーレオスのラーガントが埠頭の縁に駆け寄ったが、既に波間には何も浮かんでくることはなかった。

 

「エル……戻るぞ」

 ネルセダはそれしか言わず、来た屋根を飛び戻っていく。

 エルラッカムも彼女の気持ちをおもんばかり、それに従った。

 そして彼女らが、始めに屋根に飛び登った付近まで来たときである。

 突然飛び移った屋根に火柱が立った。二人は咄嗟にそれを回避し、地面へと飛び降りる。

「しくじったか」

 ネルセダは周囲に気を張っていなかったことを悔やんだ。

 二人の周囲をコルゴット王国の兵士らが取り囲んでいる。

 そしてその中央に、潮風にマントをなびかせたソウブロアの姿があった。

「お戻りを歓迎致します。お二人とも御無事のようで安心致しました」

 エルラッカムが低い声で強く言う。

「なぜ法師の身分でありながら、メイベル様に刃を向ける!」

「恐れながら、刃を向けたつもりは毛頭ございません。この事態に巻き込まれぬように保護しようと致しましたが、猊下御自らお隠れになってしまわれたため、お探しておりました。どうやらお二人だけのようですが、猊下は何処におられます?」

「たわごとを申すな!」

 ネルセダが怒気を込めた。それでもソウブロアの表情に変わりはない。

「ご信頼していただけないのも、もっともな話。ではぜひお二人だけでも、我々の賓客としてご一緒に来ていただけないでしょうか」

「人質になど、死んでもなる気はない!そこを退け。退かねば後悔することになるぞ」

 ネルセダの髪が逆立ち、牙を剥く。目が輝き、オーラをまとった姿になった。

 兵士らはその威圧に怯んだが、それでもソウブロアを中心に包囲を崩さない。

「脅しではないぞ!」

 勿体ぶることもなくネルセダは、すぐさま法術の呪文を唱歌した。

 彼女の目の前に圧縮された風の塊が湧き立ち、ソウブロアたち目掛け突風となって発射される。これで敵をまとめて吹き飛ばすつもりだった。

 ソウブロアは兵士らに指示する。

「皆、踏ん張っていろ」

 それから唱歌しつつ右手をかざし、真正面からその突風を受け止めた。

 彼の手に弾かれた突風は、壁に激突したように円状に拡散する。

「な……何だと。貴様はいったい」

 ネルセダは驚愕した。大陸の法師に与えられている法術の力は、彼女に比べれば微々たるものはずだ。それなのにソウブロアは、ネルセダの法術を受け止めたのである。

「ぜひ投降していただきたい。決して危害は加えませぬ」

 ネルセダは唸り、剣に手をかけた。

 エルラッカムがその彼女の肩に手を置き、ささやく。

「ここは私が時間を稼ぐわ。ネルは隙を見て逃げなさい」

「何を言っている!逃げるも戦うも一緒だ」

「それでもし二人とも捕えられるなり、討ち死にでもしたらどうするの?それこそメイベル様に危険をもたらすことになるわ」

「では伝書光を飛ばせば」

 エルラッカムは頭を振り被った。

「光を追跡され、潜伏先を知られるだけ。さぁ、もう時間はないわよ!」

「エルッ!」

 ネルセダが叫んだときには、エルラッカムは高々と跳躍し唱歌を始めていた。

 そして空中から、ソウブロアの放った火柱よりも遥かに大きな炎の塊を、打ちだす。

「意趣返しのつもりですか。無駄ですよ」

 ソウブロアは再び手をかざした。

 ところがエルラッカムはその炎を器用に操り、彼の目の前の地面に直撃させる。その衝撃で地面が爆発し、視界を覆い隠すほどの爆煙が周囲を覆い尽した。

 閉ざされた視界の中でソウブロアの耳に、部下らの呻き声と剣捌きの音が聞こえる。

「なるほど、上手い手だ。しかし……」

 ソウブロアの目の前の黒煙を、キラリと裂く閃光が見えた。その瞬間、彼も剣を抜く。

 エルラッカムとソウブロアの剣の切っ先がぶつかり、鍔迫り合いとなった。

「お仲間が逃がれても、あなた一人で充分に猊下を呼び寄せることはできるでしょう」

「貴様は何者だ……人間ではないな」

 エルラッカムは、剣に力を入れ食いしばる。

「失礼な。歴とした人間ですよ。ただし、出自が特殊というだけで」

「出自だと……」

 その瞬間ソウブロアは、剣を切り替えしてエルラッカムを受け流し、背後に回った。そして振り返ろうとした彼女に、すかさず衝撃波を浴びせる。

 エルラッカムは吹き飛び地面に叩きつけられ、そのまま気を失った。

 舞い散る砂塵を手で払いながら、ソウブロアは彼女に語りかける。

「猊下が参るまでは、眠っていただくのがよろしいでしょう」


 こうしてエルラッカムの機転で何とか包囲を脱したネルセダは、つないでいた馬のところまで辿り着くと、急ぎ飛び乗りひたすらメイベルの元へ急いだ。

 彼女の中にあるのは無念と後悔、羞恥心だけである。しかしメイベルのため、エルラッカムのため、そしてウォルとアティアナのために戻らねばならなかった。

「この失態、お詫びしようがありません。どのような罰も謹んでお受け致します」

 メイベルは何も言わずネルセダを抱き寄せ、彼女の胸で泣くことを許した。

 ネルセダの話はもちろん、ウォルたちの耳にも届いている。

 アティアナは、ウォルへどのように声をかければよいか途方に暮れていた。ウォルは今日の内にリューサリィに続き、ヴァスタロトも失ったのである。彼女は今の今まで、彼の好意を無視してひたすら内に籠ってきた。今更、かけるべき言葉が見つからない。

「ウォル、大丈夫か?」

 代わりに声を掛けたのは、ダレクだった。

 一息飲んで、ウォルは答える。

「もちろん。生き死にの心構えはできている。それに今は他にやらなければならないことがあるだろう。感傷に浸るのは、まだ先にするよ」

 それはダレクにとり、あまり納得いくような返答ではなかった。

「死に急ぐことだけはするな。お前には守るべきものがあるんだろう」

 そう言われ、ウォルはふとアティアナの顔を見る。彼女もウォルを見つめていた。

 互いに伝えたいことはあるはずだが、言葉にできない。

 皆の心をメイベルは痛いほど感じていた。若者たちはこの過酷な状況で最善を尽くしてきたが、限界が近付きつつあるようである。彼女は手を差し延べることを決意した。

「ネルセダ」

 愛称を使わず、ネルセダに声をかける。

「はい。メイベル様」

「あなたは責任を感じていると言いましたね。ではエルを救うために、私がどのような言いつけをしたとしても、それを守り行動することができますか?」

「無論です。何でも致します!」

 メイベルはウォルを呼んだ。

「はい猊下」

「エルが捕われてしまった以上、私もこの騒乱の当事者となってしまいました。ここまで案内してもらったあなたの行為を無駄にして申し訳ありませんが、私はエルを救うために戻らなければなりません」

 ウォルは目を見開く。

「つまりそれは、我々にお味方していただけるということですか」

「ええそうです。そして、アティアナさん」

「は、はい」

 アティアナは突然声を掛けられ、上ずった声で返事をした。

「私メイベル・リンクは、我が従士エルラッカムを救出するため、ベリュン軍との共闘を提案致します。いかがでしょうか」

 アティアナは急ぎメイベルの元に跪く。

「ぜひともお願い致します!私……ベリュン領領主代理アティアナ・ベリュンは、力を尽くしご協力申し上げます……お願いします、父と母をお救いください」

「無論です。ですがアティアナさん。あなたにも危険を承知でやっていただかなくてはならないことがあります。その覚悟はありますか」

「はい。ご命令に従います」

「そのためには、ウォル殿と離れて行動していただきます」

 えっ!と声を上げたのは、ウォルだった。

「ウォル殿がアティアナさんに対し責任を背負っていることは、承知しております。しかし事を成し遂げるには、あなたにもこれから活躍していただかねばなりません。そのためには別々に行動していただく必要があります」

 ウォルにはすぐさま答えられない。ベリュン夫人との約束もあるのだ。

 その彼にメイベルは安心させるように言う。

「アティアナさんには、ネルセダをつけます。これほどの護衛役はないでしょう」

 ネルセダは、役目がメイベルの元を離れ、エルラッカムの救出にも関われないものであると悟った。しかし先に約束した以上、その任務に全力を傾ける決意をする。

「私が命に代え、アティアナ様をお護りする。心もとないと思うだろうが、信じて欲しい」

 アティアナは、ネルセダが自分の名前を呼ぶのを、初めて聞いた気がした。

 その言葉が、彼女を一歩踏み出させる。

「ウォル。私は大丈夫です。ネルセダ様を私も信頼しております。ぜひメイベル様に協力してください。これは領主代理としての頼みでもあります」

 ウォルはその語気に、元のアティアナが戻ってきたような響きを感じた。

 そして彼も決断する。彼女の願いを尊重することこそ、為すべきことだと承知した。

「わかりました。私も必ず猊下の命をお果たし致します」

 ネルセダは頭を下げる。

 メイベルも三者を眺め見て、微笑んだ。

 ただそれを傍で眺めていたダレクだけは、居心地悪さを感じている。とは言え、か弱い女性や両親を失った友人を見捨てるほど薄情にもなれず、半ば諦め覚悟でこの場に残った。

「それでは、私の計画をこれからお伝えします」

 皆の意思を確かめたメイベルは、これからやらねばならないことを彼らに伝える。

 この戦いをただちに収束させるためには、メイベル自身が敵の占拠しているエスル城に乗り込む必要があった。

 そして敵や人質となっている諸侯の面前において、宣言をする。

 今回事変を起こしたコルゴット王国と一部ベリュン軍は、神々の代理人たるメイベル・リンクに刃を向けた敵である。もしその汚名を回避したくば速やかに投降せよ、と。

 メイベルの言葉は、正真正銘神々をも動かす効力を持っていた。この宣言が行き渡れば、必ず戦いは終決する。

 とは言えそれは、苦渋の手段だった。彼女の敵ということは、取りも直さず神々への反逆者となってしまう。ひいては彼らの所属する国民や家族も、神々の敵という烙印を押されることになるのだ。それは今より痛まし結果を生む危険性を孕んでいる。

 メイベルがそれでも決断したのは、エルラッカムのこともあるが、彼女でさえ正体の掴めていないソウブロアを、このまま放置しておけないからだ。不可解で強力な力を持ち、明らかに彼女に挑んでいるソウブロアの真意を探る必要がある。

 そのためにまずアティアナとネルセダには、港から撤退したベリュン軍の残存兵の行方を追ってもらうことにした。彼らをアティアナの指揮の元に集結させ、メイベルが城へ侵入するための囮となってもらうのだ。

 アティアナはエスル城へ救出に向かえない悔しさを滲ませつつも、それが役目と飲み込む。

 そしてウォルとダレクは、メイベルともに城へ向うこととなった。

 ただそのためにも、やはり一度ノクトネイラの船と合流する必要があると、メイベルは告げる。ネルセダはその理由を理解しているようで、なぜか二人を見てニヤリとした。

「船を迎え入れる地点は、何処になるでしょうか?」

 ウォルにメイベルは尋ねた。彼は地図で、合流地点を指し示す。

「この地点なら、大型の船舶も接岸できるのではないかと思います」

「わかりました。では眩しいですので、少し離れていてください」

 メイベルは唱歌もせずに伝書光を創りだすと、ノクトネイラの船へ向けて放った。

 その伝書光はウォルなどからしても、他の法師の作るものとは全く違う輝きを放って見える。敵に覚られる可能性もあるため、すぐに出発することにした。

 別れぎわ、アティアナはウォルと向き合う。すでにネルセダがエスルの街から持ってきた衣服に着替えており、彼女は乗馬にも耐えられる格好となっていた。

「どうかしら」

「似合っておいでです」

「ありがとう……」

 そういった後、アティアナは意を決してウォルに謝る。

「ごめんなさい。リューサもお父様も亡くされたのに、何もできずただ足手まといになってしまって。でも、どうしても心が思うようにならなくて……」

「何を仰っているのです。アティアナ様のお陰で、母とも少なからず過ごすことができました。本当に感謝しております。こちらこそお供できずに、申し訳ありません」

「ウォル……」

 アティアナは、ウォルの胸に抱きついた。彼も黙って抱き寄せる。

「……では行きます」

 ウォルの胸の中でそうつぶやき、アティアナは顔を上げた。

「それからご友人にも、侮辱してしまったことを謝っておいてもらえるかしら」

 ウォルは微笑んで承知する。

 ダレクに直接はまだ言い辛そうだったが、彼女もそれなりに成長したようであった。

 アティアナは、ネルセダが手綱を握るラワック馬の後ろに飛び乗る。さすがは乗馬に慣れている動作だ。

 ネルセダは別れ際に、挨拶をする。

「では行って参ります。メイベル様、ご無理をなさらずに。ウォル殿後は頼みましたぞ」

 それにウォルは返事をしようとしたとき、先にメイベルが口を開いた。

「人をおばあさん扱いしないでちょうだい。これでも年齢より若い気でいるのですから」

 ネルセダは情けない顔になったが、頭を振って気持ちを切り替える。

「ゴホン!それでは参ります」

 彼女は鞭を入れ、それを合図に馬が駆けだした。

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