表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/25

第四章 破られる事実 その2

「母上!」

 可能な限りの大声でウォルは叫ぶ。

 メイベルに、危険が迫っていると言われ部屋を飛びだしたが、目の前で母が斬られるのを目撃するとは思ってもみなかった。しかも相手は仲間であるはずの騎士である。

 リューサリィは背中から袈裟懸けに斬られた。激しく血しぶきが飛び、倒れ落ちた。

 騎士らはそれだけでなく、側にいる侍女たちにまで襲いかかった。一人が腕を斬られ、床に突っ伏す。もう一人は乱暴に殴られ、壁に体を打ちつけてそのまま崩れ落ちた。

 ウォルは、自らの怒りが頂点に達したのを自覚する。

「貴様ら!」

 鞘から剣を抜き、騎士らに向かって突進した。

 叫び声で彼に気付いた騎士らも、倒れた侍女を跨いで向かってくる。

 敵は二人で身分も格上だが、ウォルには勝機が見えていた。

 まず隙の多い右の騎士に照準を絞る。彼は走りながら剣を突きの構えに直し、衝突覚悟の低姿勢で、間合いを取ることなく敵の懐に飛び込んでいった。

 その切っ先は、騎士らの剣が振り下ろされるより先に、右の相手の肩を突き刺す。

「何だとっ」

 やられた騎士は足こそ踏ん張り態勢を維持したものの、その後のウォルの動きにはついていけなかった。

 ウォルは肩から素早く剣を引く抜くと、傷を負った騎士の背後に回り込んで体当たりする。その者は為すすべなく仲間の方へよろけた。

 もう一人の騎士は、仲間とウォルが重なり合っているため、斬りあぐねている。

 それを逃さずウォルは背後に回った敵の隙間から、もう一人の剣の持ち手を斬りつけた。

「くそぉっ!」

 騎士は手の甲をザックリと寸断し、持っていた剣を落とす。敵を倒すのに必要なのは大きな損傷ではなく、武器を持たせないようにすることだ。軽傷でも全く構わない。

 すかさずウォルは、盾にした騎士を殴り倒して床に這いつくばさせると、もう一人の剣を落とした騎士にかかっていった。相手は思わず、剣を失った両手を上げて防ごうとする。

しかしウォルはその腕もろとも、首筋から心臓にかけ剣を突き刺した。

「ぐぁっ……」

 騎士は苦しみの声を上げ、仰け反って倒れる。

 それからウォルは間髪入れず、床の騎士に向かい剣を走らせた。その者は剣を杖に立ち上がろうとしており、まだ無防備の状態にある。しかし彼は躊躇することなく、敵の頭を剣で叩き割った。

 この一連の戦いは、ほんの数十秒。一呼吸の出来事だった。

「ハァーッ」

 ウォルは止めていた息を一気に吐きだす。それから落ち着こうと周囲を見渡した。

 二人の騎士はもう動かない。侍女たちは意識はあるようだが、ショックを受けており起き上がれる状態ではなかった。

 彼はうつ伏せに倒れ動かないリューサリィの姿に目を移す。

「母上!」

 急ぎ母の元に跪いた。それから羽織っているサーコートを破って丸め、斬られて血で染まった背中に押し当てる。そして抱きかかえて、何度も母に呼びかけた。

 するとリューサリィは薄らと目が開く。

「ウ……ォ……ル」

 言葉にはならない声がそう語っていた。

 ウォルは返事をしようとするが、すぐに母の目は閉じてしまう。

 ハッとして彼は、メイベルのことを思いだした。猊下なら、治してくれるに違いない。

 そう考え頭を上げた目の前に、憂いたたずむメイベルの姿があった。

「ウォル殿……」

 彼の後を追いかけ、廊下にでてきたのである。側にはネルセダもいた。

「リンク猊下、お願い致します。母を、母を」

 ウォルは必死に嘆願する。

 メイベルは無言で側に屈んだ。その表情からは、苦悶の色が伺える。

 血が付くのもためらわず、メイベルはリューサリィを抱き寄せ、脈を取り鼓動を探った。しかしリューサリィからの反応は得られない。

「よくお聞きなさい。術によって傷を癒し、身体の機能を修復することは可能ですが、それでお母様が命を取り戻せる保証できません。法術での治癒には本人の力が不可欠ですが、今のお母様にそれだけの力は残っていないのです」

「しかしこのままでは……」

 そのあとが続かなかった。

「……そうですね。ためらってなどいられませんね」

 メイベルはウォルの言葉に続けるように言う。それからネルセダに自分たちのマントを外して下に敷くように指示した。

「それでは始めます」

 メイベルは法力の光放つ手を、リューサリィの裂けた背にかざした。その輝きはゼリセイアのときと比べても強い。傷口がその光を浴び、みるみる修復をしていった。

 ネルセダはその様子を、嫉妬も入り混じらせながら見ている。それでもメイベルの役に立ちたい気持ちに変わりはない。彼女はそのために何をすべきなのか、考え始めてていた。 

 アティアナは状況が全くわからず、気が気でないまま母に寄り添っていた。

 ウォルは駆けてでて行き、それからすぐにメイベルとネルセダも後を追う。

 彼女もそれに続きたかったが、母を一人残していく訳にはいかなかった。

「アティアナ……」

 か細い声が彼女の耳に入る。

「母様、お目覚めになりましたの」

 アティアナの声を聴いたゼリセイアは意識が朦朧としていても、娘が不安そうであることはよくわかった。顔を近づけたアティアナの頭を、ゆっくりと撫でる。

「皆様はどちらに行かれたのかしら。リューサリィもいないのね」

 優しく問うた。

「少しばかり用事があって席を外してます。すぐに戻りますわ」

 ゼリセイアは頷く。

 そこへ紺色の髪を揺らしながら、エルラッカムが戻ってきた。

「お母上は気付かれましたか」

「はい。おかげさまで」 

「して、メイベル様はどちらに」

 母にも今の状況が伝わってしまうことに心配をしながら、アティアナは答える。

「リューサが廊下の衛士を呼びに赴いた後、突然メイベル様が危険だと申されて、ウォルを迎えに行かせました。それからご自身もネルセダ様と続かれて……」

「そうですか。メイベル様がそう判断なされたのなら、そうなのでしょう。お二人を残されてまで行かれたのですから」

 ネルセダと比べると、エルラッカムは落ち着いた雰囲気があった。

「エルラッカム様はいかがなされるのですか」

「メイベル様にはネルセダがおります。私にお二人を任せられたということでしょう」

 エルラッカムはそう言って少し後ろに下がり、影になる位置にたたずむ。アティアナはその彼女の流れる動作に、礼を言うタイミングを逸してしまった。

 それから、短くも長い数分間が過ぎる。

 やがて扉のほうから、慌ただしい複数の人の気配がしてきた。

 アティアナは嫌な予感に、動悸を強くする。そして扉が開いたとき、思わず彼女は立ち上がって叫んでしまった。

「リューサ!」

 扉の前には、血に染まり身動きしないリューサリィを抱かえたウォルが立っている。その後ろには深刻な表情のメイベルとネルセダ。泣き崩れる二人の侍女の姿もあった。

「リューサ……?」

 横になっているゼリセイアからは状況が見えない。娘の叫びを聞いて、彼女は力を振り絞り上半身を無理やり起こした。

 ウォルはリューサリィを抱え、ゆっくりと側まできて二人に告げる。

「母が亡くなりました」

 ゼリセイアもアティアナも強い衝撃にくらむ。目の前に現実が見えていても、信じられるものではなかった。

「なぜこんなことに。いったい何があったのです」

 ゼリセイアが友人の亡骸に目を奪われながら問いただした。

 絞りだすような声で、ウォルは答える。

「廊下に控えていた騎士に殺害されました」

「嘘よ!そんなことがある訳がないわ!」

 アティアナは強く吐いた。家臣に殺されるなど、ありえるはずはない。

 ウォルは目を伏せうつむいた。

「メイベル様。お話いただけますか」

 そう聞いたのはエルラッカムであった。今の状態でウォルに的確な話は無理だろう。状況を把握し理解しているメイベルに、この場を収めてもらおうと促したのだ。

 メイベルは承知する。

「ただその前に。港の状況を聞かせてもらえるかしら」

 エルラッカムの大きな瞳は、遥か遠くをそして闇の中も見通すことができた。

「はい。ウォル殿の申された通り、港は海より攻撃を受けております。しかも守備側は非常に劣勢です。埠頭に取りつかれるのも時間の問題でしょう。また我らの船はすでに港を離れ、被害は受けていない様子……というより、船の出航に合わせて攻撃が始まったのではないかと考えられます。目的は、荷揚げされた騎神兵。あくまで大陸内、人類間の領分での戦闘であると、言い張るつもりと思われます」

「エルの考察は正しいでしょう。恐らくその攻撃を行っているのは、コルゴット王国の軍。そしてこのエスルには、その者たちを手引きした者がおります」

「そんなはずはありませんわ。私たちの国にそんな裏切り者がいるなんて」

 アティアナは感情的に否定する。

「ウォル殿のお母様を殺めた者たち。それを指揮するキーレオスという者は、コルゴット王国と通じています。これは事実です。あの者たちの心を読みました」

「そんな……」

「港での攻撃を合図に、彼らも決起をする計画です。この城内には各国の要人が勢ぞろいしているのですから、人質には事欠かきません。その上、大量の騎体を手に入れることができるのです。そういう意味では、絶好の好機を狙ったといえるでしょう」

 アティアナはまだ信じられなかった。こちらは何もしていないのに、なぜ身近な家臣に裏切られるのか。理不尽にしか感じられずにいた。

「私がもう少し早く悟っていましたら、お母様を死なせずに済みましたでしょうに……」

 メイベルの表情には悔恨の念が浮かんでいる。ネルセダとエルラッカムは、驚きを感じた。メイベルがここまで不の感情を表すところを見たことがない。

「あのソウブロアと対峙したとき。いいえ、埠頭であの者の法術を見たときから、何かが起こることは予見できました。ですがその追及を、私の立場が躊躇させた」

 ただできうるのは、様々な手段で人々の注意を喚起し、行動を起こす切っ掛けを与えることだけ。今回もそのように振舞おうと決めていた。

 しかし埠頭で見たソウブロアの有する法術は、神々の取り決めた上限を越える力だった。それもあの者の素振りから、敢えて見せつけたように思える。メイベルはその真意を探るべく、あの会場で読心の術を試みるも、ソウブロアはその防御方法さえ身に着けていた。 

 それでも断片的な記憶を捉え、エスルの中にあの者と関わりある人物、キーレオスらを確認したのである。だがここでメイベルは踏み止まった。人類がどのような陰謀を巡らそうとも、魔神に関わりない限り、それは人々の意思であり選択なのである。

 それが、若いウォル、アティアナの二人とそれぞれの家族の形を見るに至り、彼女の中で次第に押さえつけていたものが外れていった。そしてエスル港が攻撃を受けたとの報を聞くに及んで、真意を探ろうと二人の騎士の心を読む決断をしたのだ。

 だが遅すぎた。メイベルも無論、全ての人々を救えないのは承知している。しかし関わりを持ちその意志さえあれば助けられた命を、無駄に失わせたことに悔恨の念が沸いた。

 それでもウォルは素直に礼を述べる。

「猊下には感謝しております。おかげで最後に言葉を交わすことができました。それに傷も消していただきました。母も喜んでいると思います……」

 彼は腕の中のリューサリィは、衣服を血で真っ赤に染めているものの、大きく斬られた背中の傷は、メイベルにより綺麗に修復され元に戻っていた。

 とは言えメイベルの法術をもってしてもそれが限界で、身体の治癒が彼女の息吹を取り戻す力とはなりえなかったのである。

 ただ最後にほんの少し、リューサリィは意識を取り戻していた。


 廊下に横たわった彼女は、見下ろすウォルと目が合い安心をする。

「無事でよかった……」

 発した言葉は息子を思いやるものであった。

「母上、申し訳ありません。助けに間に合わず」

「何を言っているのですか……私はわかっています。あなたはお役目をしっかり果たしています。自信を持って……私はあなたを信じています……」

 ウォルは母の振り絞る声を聞いて、泣き言を飲み込んだ。ここに至って母を不安にさせるなど、親不孝なことはできない。

「お任せください。父上から拝命した任務を間違いなく遂行します。ご安心ください」

 発した声がどのように響いているのかもよくわからなかった。

 しかしリューサリィは、微笑んでゆっくり頷く。そして再び目を閉じ、安らかな表情で永遠の眠りについた。


「ウォル」

 ハッとして、彼は顔を上げる。

 呼んだのはゼリセイアだった。彼女は、ベッド上の本人の隣を指し示す。

「リューサをこちらへ。ベッドに寝かせてちょうだい」

 ウォルは躊躇した。

「しかし、母はすでに亡くなっております。奥様のベッドを穢してしまいます」

「何をおっしゃっているの!あなたの母親でしょう。お願い、こちらに寝かせて」

 夫人は病床に就いているとは思えない語気で、ウォルを諭す。夫人にとりリューサリィは無二の親友であり、強い絆で結ばれていた。死者の穢れなど関係ない。

 ウォルは胸にこみ上げてくるものを感じつつ、夫人の横に母を寝かせた。

「穏やかな表情をしてるわ」

 横で眠るリューサリィの髪を撫でながら語りかける。

 ゼリセイアは胸の奥に力が湧いてくるのを感じた。体の不自由は相変わらずだが、頭ははっきりと冴えている。猊下の治療が効いてきたのだろう。

「ウォル、リューサの側には私がついています。あなたは猊下や皆様を安全な場所まで誘導してください。本当にキーレオス卿や騎士団が裏切ったとしたらここはもう危険です」

 ゼリセイアの目には覚悟が宿っていた。

 ウォルは俄かに答えられない。夫人は、自分を見捨てて皆で逃げろと言っているのだ。

 確かに副司令官のキーレオスが首謀者となれば、この城内は敵のテリトリーということになる。身体の不自由な夫人を連れて逃げるのは不可能だろう。

 しかしウォルには、母の亡くなった今、夫人を置いていくなど考えられなかった。

 ゼリセイアはウォルの言葉を待たず、アティアナにも促す。

「あなたもウォルの指示に従って、一緒にお行きなさい」

「母様はどうなさるのです?それに父様もまだ会場にいらっしゃるのですよ」

「父様なら大丈夫です。信じなさい。それに私はこの身体。足手まといになるだけです」

「それなら私も残ります。母様を置いてはいけませんわ」

 アティアナは母にすがりついた。ゼリセイアは弱弱しくも、娘をギュッと抱く。

「いいこと。ベリュン家は父様や母様だけで成り立っているのではありません。あなたを入れて初めて成立するのです。今この状況で猊下のために従うことができるのは、あなたを置いて他にいないのですよ」

「そんなの……」

 アティアナはゼリセイアの胸の中に顔を埋めて沈黙していた。

 顔を上げた夫人は、続いてメイベルの機先を制して述べる。

「猊下。私目のことは気にせず、どうか城を脱出なさってください。このような事態になりましたのは、全て私どもの責任。何としても猊下に、身の安全を図っていただかなくてはなりません。必ずやウォルが、皆様がたを無事安全な場所までお送り致します」

 しかしメイベルもリューサリィの死に感傷的になっているようだった。

「あなたは聡明でいらっしゃいますね。しかしあなたを置いていくことなどできましょうか。相手は無抵抗な女性を、背後から斬りつけるような者たちですよ」

 ゼリセイアは引かずに考えを伝える。

「私が思いますに、猊下は神々の代理者として、お力を使われることを憚られておいでではないのかと存じます。ですがそのため、無抵抗に卑劣な者たちの虜とされてしまい、一方的に利用されてしまう事態は、皆々のためにも避けていただきたいのです」

 確かに夫人の指摘は正しい。メイベルが神々に仕えて数百年。歴史の傍観者としての立場を堅持してきたのは、彼女が動くことで及ぼす世界への波紋が大き過ぎるためなのだ。場合によっては、人類を滅ぼすことに繋がりかねない。彼女自身にそれ程の力がなくとも、それを行えうる神々への影響力は持っていた。故にこれまで、魔神との戦いに無関係である人類の営みへの干渉を、避けてきたのである。

 今回も俯瞰して見れば、歴史的には取り立てて珍しくもない国家間の騒乱だ。敢えてゼリセイアたちに肩入れする理由はなかった。もし危害を加えようとする者がいれば、他を差し置いてもネルセダとエルラッカムを連れて消えてしまえばよい。

 しかし今のメイベルにそれはできなかった。

 そのとき一人の侍女が、彼女の前まで進みでる。

「猊下、ご無礼申し上げます。奥様のことは私どもにお任せください。命に代えてお守り致します。願いは猊下とお二方、お嬢様がご無事にお逃げくださることです」

 もう一人の侍女も隣に並び、共に願いでた。彼女のほうは先ほど騎士に腕を斬られたが、ネルセダに法術で治療を施してもらっている。二人は尊敬するリューサリィを看取り、仕えるベリュン侯爵夫人の意思を知って、決心したのだ。

 夫人や彼女たち、か弱い女性らが覚悟を決めている。ウォルは躊躇を捨てそれに答えなければ、母を失ったように再び時を逸すると思った。

 ウォルはゼリセイアに跪く。

「これより猊下をお連れし、城を脱出したいと存じます。つきましては奥様を残していかねばなりません。必ずやお救いに参りますが、どうかそれまでご辛抱を」

「よく決断してくれました。リューサのことは任せてください。それに私にも人質としての価値はあるでしょう。動けず寝たきりですから、都合は良いでしょうしね」

 彼もそう思いたかった。

「ウォル。ラーグリス王国の名誉のためにも、必ず猊下を無事にお連れするのですよ」 

「はい。父と母の名に賭けて、役目を果たさせていただきます」

 夫人にすがるアティアナを気にしつつ立ち上がり、ウォルはメイベルに願いでた。

「猊下、これよりここを脱出致します。ご不快とは存じますが、私の案内に従っていただけないでしょうか」

「わかりました。あなたの指示に従いましょう」

 メイベルは彼の母を助えなかった不甲斐さもあり、悩みながらもそう答えた。

 彼女がこの人々と出会ってよりまだ、数刻を経たに過ぎない。それでも皆がお互いに成すべきことを考え、最善と尽くそうとしている姿に感銘を受けていた。

 人類との限られた交流の中で、このように人の成長を目の当りにする機会はそう多くない。特にウォルという若者は心身ともに強靭さを強めているように思えた。

「ネルにエル。二人もよろしいですね」

「はい!メイベル様」

「メイベル様のご意思に従います」

 ネルセダとエルラッカムも彼女の心情を理解し、そう答えた。

「後はあなただけですよ。さあ顔を上げて」

 ゼリセイアは顔を埋めている娘の肩を撫でる。アティアナはゆっくりと母の顔を見た。

「でも、怖い……」

 アティアナにとり、想像だにしない未知の出来事が進行し続けている。リューサリィだけでなく、母も父も手の届かないところで失うのではないかと恐怖していた。今までに味わったことのない不安定な感情が渦巻く。

「それでも行かなくてはなりません。ベリュン家の代表として、務めを果たすのです」

 夫人はそう娘に言い聞かせた。


 エスル城に人馬の音が鳴り響く。

ヴァスタロト率いる迎撃軍が、次々と港へ出陣を始めた。ヴァスタロトのラーガントは、騎神兵専用の六頭立ての馬車で搬送される。それらの任も騎士らの仕事となった。

 今日ケブン砦より率いられてきた従騎士らは、参集していない。キーレオスの命令で、分散して城内の警備についていた。代わりにエスル城守備隊旗下の騎士団と一般兵から半数が割かれ、総勢七〇〇名での出撃となる。

 キーレオスはその様子を、バルコニーで眺めていた。

 彼の表情には苛立ち、焦りなど不の感情が見え隠れしている。本来は彼が自ら迎撃に向かうはずだった。いや、そう装い、そのまま陸からホグーラグの守る港を攻め、騎神兵を奪う手筈だったのだ。

 そしてその後は、悠然と騎神兵の軍団を率いてエスル城へ引き返し、城を攻略する。

 ところが領主トスカラルは、急遽ヴァスタロトをケブン砦から呼び戻してしまった。そのため残留せざるおえなくなり、準備していた計画が、水の泡と帰してしまったのである。

 しかしキーレオスは諦めていなかった。

 出撃するヴァスタロトの手勢には、今回の計画を知らず手駒としては使えない兵士だけを押しつけている。城に残っているのはキーレオスに賛同している者たちと、他は障害にもならない一般兵や従騎士ばかりだ。順序は逆になるがまずは城を占拠し、その後にコルゴットから騎神兵の分け前をいただくよう計画を変更する。

 やがて城門の閉まる重たく鈍い音が、城内に響き渡った。

 キーレオスはそれを実行の合図だと捉える。振り返って、晩餐会の会場を見た。

 窓越しの会場内では、どよめきだった客たちが右往左往している。トスカラルらはそれをなだめるのに必死だった。しかし、もうそのようなことをする必要はない。

 キーレオスは実力で黙らせるつもりで、子飼い部下に集合を掛けた。

 そこへ部下に混じって、今回の計画の立案者ソウブロアも現れる。

「始めますかな。すでに我が手勢も各所に配置し、誰も抜けだせないようしております」

「貴公らの法師だけで、我が国や他の国々の法師を本当に相手にできるのでしょうな」

「港での伝書光の比べ合いは参考になりました。お陰でどの程度か測ることもできました。任せていただいて結構。しかし問題は、猊下の動向ですな」

「安心していただきたい。部下を二人つけております。こちらが片付き次第、我らも確保に向かいます」

「それがよろしいでしょう。猊下に逃げられでもし、もし我らが世界の敵だと喧伝されでもしたら、こちらに勝機はありませんからな」

 キーレオスは、ソウブロアを睨んだ。

「脅す気ですかな」

「可能性を言ったまでのこと」

 この危険な綱渡り的計画に乗ったのは、決してソウブロアの口車に乗った訳ではない。必ずソウブロアもだし抜き、主導権を握るつもりでいた。その自信も当然ある。

 平和なエスルにあり、キーレオスは才能を生かす道を探していた。

 父が軍司令官の座をヴァスタロトに譲ったのは、六〇歳を越えてからである。とすればまだまだ壮健なヴァスタロトから、その座を引き継ぐのはいつになるのだろうか。今の若さと力を平和の中で食い潰し、何事もなく過ごしていくなど耐えられなかった。しかも領主は、騎士にもなっていない司令官の子息に目を掛けている。

 そんなときコルゴット王国のソウブロアから接触があった。

 始めは歯牙にもかけなかったが、次の言葉が彼の心を動かす。

「我々で新たなシメナー騎士団を作りましょう。他の統治者らに左右されない、今までにない強固な軍事国家を建てるのです。もしそれに成功したならば、神々や猊下も支持してくださるに違いありません」

 シメナー騎士団とは、大陸に他の国家と同様の広大な領土を持ち、他の国々と並ぶ強大な軍事力を有する組織だ。彼らは騎神兵を操る騎手中心に組織され、幾度となく魔神の脅威から大陸を守っている。国家を称していないが、大陸に強い影響力をもっていた。

 この騎士団は、元々騎神兵を国家間の紛争に使用する大陸の統治者らに反発した各国の騎手らが同盟を結んだのが始まりである。彼らは事実、一つの国を滅ぼし、独立勢力として領土を手に入れた。

 つまり大義名分さえあれば、国家を転覆させるのも簒奪するのも、非ではない。

 確かに、今の安穏な時勢に浸かりきったラーグリス王国に世界は守れないだろう。魔神の脅威が薄い今、世界を再編し次の脅威に備えるべきだと考え始めていた。

 こうしてキーレオスの中に、次第に壮大な野心がもたげてくる。

「よし。行くぞ!」

 キーレオスは意気揚々と剣を抜いた。

 そのとき、バルコニーに複数の集団が入ってくる。

「キーレオス卿だったか?剣を抜いて何をなされている」

 その一人が尋ねてきた。見た顔かと思えば、隣接する領国の領主である。他の連中も、周辺の領主や太守たちだった。それにその後ろには法師も控えている。

 勢いを削がれ、キーレオスは憮然として言った。

「それはこちらが伺いたい。皆様には会場内に待機していただくようお伝えしたはず」

「ベリュン侯より、援軍を望むとの依頼があった。それを我々も同意したのだ」

 彼らはこのバルコニーから伝書光を放ち、自領に連絡を入れるつもりである。

 キーレオスはトスカラルの気の弱さに辟易した。ヴァスタロトを呼び寄せるのも早かったが、他領への援軍要請の判断も早過ぎる。

 彼にとってはこれ以上、後手に回るのに我慢がならなかった。部下に指示を下す。

「やれ!」

「何ですと?」

 自分に発せられた言葉かと聞き直そうとした領主が一歩前にでたとき、後ろで呻き声と悲鳴が聞こえてきた。

「うぎゃあ」

 振り返ると、後ろに控えていた法師が血を流し倒れている。ともに来ていた各領国配下の法師たちも、同様に次々と斬られる。

「乱心したか!キーレオス卿」

「全くの正気さ。援軍など要らん。さっさと会場に戻っていただこう」

 そう言って、剣先を向けた。

 会場でもこの騒ぎに気付き始めている。キーレオスはさっさと片付けるつもりでいた。

「こ……こんなことが許されるとでも思っておるのか」

「貴様の許しなど必要ない。死にたくなければ指示に従っていただこう」

 キーレオスは近侍の騎士らに命令を下す。

「法師は法術の使えないように拘束しろ!爵位のない騎手も同様だ!抵抗する者は殺して構わん!人質はいくらでもいるのだ。ただちに掛かれ!」

「オウッ!」

 外にでてきた領主たちは、キーレオスの部下たちに追い立てられ、無理やり会場の中へ連行されていった。 

 一人ベランダに残されたソウブロアの元に、会場から罵声や悲鳴が聞こえてくる。

 彼はそれを傍目に見ながらバルコニーの手すり越しに、外へ軽い動作で伝書光を放った。客や楽団として城内に入り込んでいる手勢に対する決起の合図だ。

 言う間でもなくキーレオスが入城を許可させたのである。準備に抜かりはなかった。

「さぁ、どう出る。メイベル・リンク」

 ソウブロアは一人呟く。

 実のところ、この計画が成功しようと不首尾に終わろうと、どちらでも良かった。信頼してこの計画に乗った者らは哀れだが、彼の目的はただ一つである。

 メイベル・リンクとの対峙。それだけは何者にも邪魔させる気はなかった。 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ